後日談:秘密の部屋 / 主人達
ミレリオン王国に戻ってから三ヶ月が経った。
その後、レンテリア国王から国王陛下に手紙と報告書が届いたそうだ。
内容は今回の件の謝罪、それから王太子と侯爵令嬢の処罰についてであったらしい。
王太子はその地位を剥奪し、廃嫡。しかし血筋だけは残す必要があるため、犯罪に手を染めた王族を幽閉するための塔に入れられた。そう遠くないうちに血筋と爵位に問題のない令嬢が当てがわれ、子を成し、その子が成人したら毒杯が与えられることとなる。
侯爵令嬢とその親族は幼い子供以外は一族郎党、公開処刑。令嬢の父である侯爵は爵位も財産も全て剥奪され、事実上のお取り潰しとなった。既に刑は執行済みだ。子供達は孤児院に移され、平民として生きていく。
現レンテリア国王は今回の責任を負って退位予定である。
次の国王は王弟殿下で、あの方はなかなかに厳しい人なのでレンテリア王国もまた変わるだろう。
元王太子の子は王弟殿下の采配で恐らく育てられる。
これらは予想通りの結果だった。
そう分かっていても気分が沈む。
国王陛下より教えてもらってから数日、わたしの気分はなかなか戻らなかった。
そのことを心配してくれたようで、休日、朝からアシュリーがわたしの部屋に来ていた。
アシュリーもルヴェナも、あえてその話題は避けており、その気遣いがありがたい。
「ねえ、スカーレット、少し散歩に行かない?」
そうアシュリーに訊かれて、わたしは顔を上げた。
「ああ、いいな」
「実は、スカーレットだけに案内したいところがあるのよ」
「わたしだけ?」
首を傾げれば、アシュリーが微笑む。
「そう、アタシの秘密の部屋。そこに入れるのはアタシと、昔から仕えてくれている侍従だけなの。……教えるのは恥ずかしいけど、スカーレットは特別よ?」
「それは光栄だな」
ルヴェナに留守番を頼み、部屋を出る。手を引かれて廊下を歩いていく。
アシュリーの離宮に居を移してから二ヶ月近く経つが、まだ行ったことのない部屋が沢山あった。
それらについて話は聞いていたけれど、毎日体と剣の腕を鍛えて過ごすわたしには、遊戯室や温室などといったものはあまり興味が湧かなかった。
それにアシュリーの部屋とは階が分かれている。
まだ婚約者なので部屋を離し、夜もあまり遅くまで顔を合わせることはない。
同じ屋根の下で暮らしていても、互いの生活を邪魔しないようにしていた。
今日、アシュリーがわたしを誘ったのは、足を踏み入れたことのない三階だった。
途中、アシュリーは一つの部屋に寄り、中に声をかけると、侍従が出て来た。
「あの部屋に行くわ」
侍従はわたしを見て、アシュリーを見て、そして「かしこまりました」と頷いた。
それからアシュリーと共に少し歩き、別の部屋に到着した。
他の部屋と何ら変わらない扉だが、アシュリーが鍵を取り出し、鍵穴にそれを差し込む。
カチャリと鍵を解錠し、アシュリーが振り向く。
「あなた達は廊下で待機よ」
護衛の近衛騎士達が「はっ」と返事をして、扉を守るように壁際に控える。
そうして、アシュリーが扉を開けてわたしを促した。
「さあ、中へどうぞ」
部屋に入ると後ろですぐに扉が閉められる。
その部屋は、言うなれば『可愛いものを詰め込んだ場所』だった。
リボンやレースなどのドレスを着た、可愛らしいクマやウサギのヌイグルミ。
飾られたネックレスや指輪、ピアスなどはどれも女性向けの可愛らしいものばかり。
室内も白と明るい桃色を使った色合いで、カーテンやソファーカバー、クッションなどにはレースやフリルが沢山あしらわれている。
可愛らしいこじんまりとした机には、可愛らしい柄の便箋や封筒が飾られていた。
ソファーそばのテーブルの上には刺繍が刺しかけのハンカチも置いてあった。
振り向くと、恥ずかしそうな顔でアシュリーが言う。
「アタシ、昔から格好良いものより可愛いもののほうが好きだったの。でも、王子が剣よりも刺繍が好きで、チェス盤よりも可愛いヌイグルミのほうが喜ぶなんて、家族以外には言えなかったわ」
「女性的な口調を使うよりも前からそうだったのか?」
「ええ。でも、だからこそアタシがこういう口調や仕草をするようになっても、父上も兄上も気にしなかったのかもしれないわね。昔から可愛いものがとにかく好きだったから」
促されて、二人でソファーに腰掛ける。
アシュリーが置きっぱなしだったハンカチに手を伸ばし、針刺しに刺してあった針を取る。
そうして手元で刺繍をする。慣れた手付きで、とても上手い。
「上手いな」
素直にそう言えば、アシュリーが小さく笑う。
「男としては意味がないことだけど」
「そうか? 男性も刺繍や繕い物が出来たほうが便利だろう。何より『出来る』ことで無駄なことなんてないと思う。どんなことでも『出来ない』より『出来る』ほうがいい。わたしだって貴族の令嬢だが剣を振っている。似たようなものだ」
「ふふ、そうかもしれないわね」
スイスイとアシュリーが刺繍を刺していく。
「わたしは繕い物は出来るが、刺繍は苦手だ」
「あら、そうなのね」
基本はそれなりに出来るけれど、他の令嬢達ほど上手くはない。
十二歳以降は刺繍を練習するより、剣を振っている時間のほうが長かった。
「昔は令嬢らしく刺繍をしたり、詩を作ったりしていたが、剣を握ってからはこちらのほうが楽しくて……そういえば、もう何年も刺繍なんて刺していない」
わたしの言葉にアシュリーが微笑んだ。
「スカーレットらしいわね」
「わたしは、剣の腕も立つのに刺繍も優れていることに驚いた。アシュリーは色々な才能と努力出来る力を持っているんだな。それはとても素晴らしいと思う」
きっと、この部屋はアシュリーがこれまで集めてきた可愛いものを置く部屋なのだ。
女性的な口調や仕草をしていても、こういう可愛いものが好きとなると、男性からも女性からも理解を得るのは難しいのだろう。自分の好きなものを否定されるのはつらい。
それなら、隠しているほうがまだマシだったのかもしれない。
「それに、好きなものは好きでいればいい。アシュリーが好きなものを、否定する気はない」
手を伸ばし、アシュリーの頭を優しく撫でる。
アシュリーが嬉しそうに、照れたように、微笑んだ。
「スカーレットに打ち明けられて良かったわ」
「わたしも、こうして打ち明けてくれて嬉しい」
そうして、しばらくの間、アシュリーが刺繍を刺す様子を眺めて過ごしたのだった。
* * * * *
「バネッサ、ここ座っていいか?」
昼間の警護の仕事を終え、食堂で遅めの夕食を摂っていると声をかけられた。
顔を上げれば同僚のリシアンが食事の載った盆を手に立っていた。
「ええ、どうぞ」
向かいの席に腰掛けたリシアンも食事を始める。
同じ主人に仕える者同士、わりとよく一緒に仕事に当たるし、同期ということもあって話しやすい相手でもある。ただ、リシアンは伯爵家の令息のわりにすぐにポロッと本音を口に出してしまうので、バネッサもつい、よく肘打ちを入れてしまう。
「最近、殿下の雰囲気がちょっと変わったよな」
リシアンの言葉に、バネッサも頷き返す。
穏やかな性格のアシュリー殿下だが、以前はどこか冷たい雰囲気があった。
女性的な口調や仕草のせいで馬鹿にされることも少なくなかったからか、あまり人に心を許すことのなかったのだけれど、スカーレット様と出会ってからは肩の力が抜けて雰囲気も少し和らいだ気がする。
それに、以前よりも感情が分かりやすくなった。
「そうね。……穏やか? 柔らか? とにかく変わったわね」
「あとスカーレット様の前ではあざといところもある」
「ああ、確かに」
スカーレット様はアシュリー殿下のことを『可愛い男性』と思っているようだ。
そういう部分がないとは言えないが、アシュリー殿下は可愛いとは言いがたい。
むしろ、王族として冷徹な判断を下すこともあるし、あのような口調や仕草をしていても剣の腕はミレリオン王国随一と言われるほどで、どちらかと言えば格好良い男性に近い。
その剣の強さに憧れて騎士を目指す者も少なくないほどだ。
だが、スカーレット様の前では少し違う。
普段よりももっと雰囲気は丸く、女性的な振る舞いが多い。
照れたり、拗ねたり、嫉妬したり、分かりやすいくらい喜んだり、感情を見せている時のアシュリー殿下は子供っぽくて、可愛らしく感じることがある。
スカーレット様はそんなアシュリー殿下が『いつも』の殿下だと思っている。
「スカーレット様の前ではいつもと違うのは確実ね。アシュリー殿下の可愛いところをスカーレット様は好意的に思っているようだけれど……きっと、今の姿が本当の殿下なのかもしれないわね」
「まあ、殿下の場合は気を引きたいってのもあるんだろうけどな。何せ、スカーレット様は騎士からも城のメイド達からも人気が出てるし。この間なんてメイド達に取り囲まれて手紙とか渡されてたぜ」
そういった場面はバネッサも何度か経験している。
第二王子の婚約者でありながら、気さくで、メイドや一般騎士達にも挨拶や声をかける。
対応も紳士的で、令息だと言われたほうが納得してしまうくらいだ。
たまに、訓練場を覗き見ているメイド達に手を振り返していることもある。
レンテリア王国でも似たような感じだったそうで、その様子は慣れたものだった。
「メイド達の中で『親衛隊』が出来たって友達が言っていたわ」
「『親衛隊?』」
「『スカーレット様を見守り、アシュリー殿下との仲を応援する隊』とか何とか。色々と決まりごとがあるらしいけれど、とにかく、スカーレット様を好意的に思っている女性の集まりね」
「へえ〜」
ちなみに、その友達も親衛隊に入るか悩んでいるようだ。
「スカーレット様って『理想の紳士』という感じだから、分からなくもないわ」
男性的な女性のスカーレット様と、女性的な男性のアシュリー殿下。
その組み合わせだからこそ周囲も納得しているのかもしれないが。
……いや、スカーレット様自身がそう在ろうとしているのだろう。
ふと視線を感じて顔を上げれば、リシアンと目が合った。
「バネッサはスカーレット様みたいな紳士的な男が好きなのか?」
「何、急に? 紳士的なのは良いことだと思うけど……別にそういう人が好みというわけではないわ。好きになった相手が好みよ。第一、私みたいな騎士爵家の娘なんて誰も気にしないわ。それに、結婚するとしても私が騎士であることを認めてくれる相手でなければ無理ね」
だからスカーレット様の気持ちはよく分かる。
レンテリア王国で王妃の近衞騎士にまでなったと聞いたが、実力を示なければ騎士など続けさせてはもらえなかったのだろう。王太子の婚約者という立場で騎士になるには努力するしかなかったはずだ。
アシュリー殿下の婚約者となって騎士の仕事はしなくなっても、いまだに体を鍛えている。
そして、スカーレット様はよく「アシュリーを守るために剣の腕を高めたい」と言う。バネッサやリシアンよりも強いのに、それでも『もっと』と願い、スカーレット様は日々の鍛錬を欠かさない。
そんな姿を、訓練場を通りかかる度にアシュリー殿下は見つめている。
政略結婚の多い王侯貴族の中で、ああも相思相愛なのは珍しい。
「ふーん?」
自分から訊いておいて、リシアンは聞いているんだか、いないのだかよく分からない相槌を打つ。
「私の話はともかく、その『親衛隊』についてアシュリー殿下に報告しておいたほうがいいと思うのよね」
「あー……もう知ってるかもしれないけど、必要だろうな」
「メイド達から貰った物にも嫉妬してるくらいだもの、黙っていたら後が怖いわ」
初恋は実らないというけれど、同時に、初恋は風邪のようなもので拗れると酷くなるともいう。
……アシュリー殿下の場合は後者ね。
長年想い続けていただけに執着心や独占欲も強くなっているのかもしれない。
「明日、私のほうから殿下に話しておくわ」
「ああ、頼む」
……スカーレット様にも伝えたほうがいいだろうか?
だが、親衛隊は『見守る』のだから教えないほうがいいのかもしれない。
それについてはアシュリー殿下の判断に任せよう。
「ところでこの後、空いてるか? 街で美味しい菓子を買ったんだ」
リシアンはたまにこうして茶に誘ってくることがある。
そして、毎回出される菓子はとても美味しい。
騎士爵領にいた頃は甘いものなんて滅多に食べられなかったという話をしてから、リシアンに声をかけられるようになった。リシアンは甘党でよく菓子を買うらしい。ただ、あれもこれもと買うので食べ切れないのだとか。
「ええ、空いてるわ」
「じゃあ茶でも飲みながら話の続きでもしない?」
「そうね。あなたの選ぶお菓子に外れはないから、楽しみだわ」
そう言うと、リシアンが目を丸くした。
それから子供みたいに嬉しそうにニッと笑った。
「僕もバネッサが一緒に食べてくれるから、選ぶのが楽しいんだよね」
互いに食事を終えて、席を立つ。
リシアンと話しながら食器を片付け、食堂を後にする。
意外とこの時間は好きだと、バネッサは思うのだった。
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