その後の二人
* * * * *
「エミディオよ……そなたは間違えたのだ……」
三度目の裁判の最後、父王はエミディオにそう言った。
王太子が貴族裁判にかけられるなど聞いたことがない。
大勢の貴族が裁判を傍聴するために来た。
王族という立場上、人目を引くのは分かっていたが、法廷で目立つのはまた違った。
誰もが自分に非難の眼差しを向けてくる。突き刺さるような視線が恐ろしい。
証言台に立った時も足が震えそうになった。
今更、己のしたことが重大な犯罪だったのだと思い知らされた。
どれほど証言台で自分が今まで苦しんだかを話しても、今回の計画を企てたのがエイリーンだと説明しても、誰も同情はしてくれなかった。
それどころか厳しい視線はより強く、鋭く突き刺さった。
裁判の結果、王族の血を残すために処刑は免れたものの、王太子の地位を剥奪され、廃嫡となり、王城内にある小さな塔の最上階に幽閉された。
窓は内側にのみ開くもので、その窓にも拳ほどの間隔で鉄格子が入っている。
石造りの塔は冷たく、無骨で、家具や絨毯も必要最低限の質素さである。
王太子の部屋よりも狭い室内に全てが揃っているはずなのに、とても寒々しい。
唯一、階段に続く扉は金属の重厚なもので、下部が上に開くけれど、人が通るほどの幅はない。
そこから食事や水、衣類などが差し入れられる。
脱走防止のためか扉越しでしか来た者と話せないし、ほとんどは監視の騎士か食事を運んでくる者くらいのもので、彼らに話しかけても返事はない。誰にも触れられないし、話せないし、反応もない。
シンと静まり返った部屋の中は少し埃とカビの臭いがする。
衣類も平民が着るかのような質素なもので、それでも凍え死なないようにか毛布などはそれなりにしっかりとしたものが用意されていた。
スカーレットの件で失敗したあの日以降、エイリーンとも会えていない。
「……私は、どこから間違えた……?」
あのままスカーレットとの婚約を続けていれば、まだ王太子でいられたのだろうか。
エイリーンを王太子妃にせず、結婚後に側妃として迎え入れれば良かったのだろうか。
思えば、これまで努力などあまりしていなかった。
第一王子として過ごし、王族の教育を受け、スカーレットと婚約してからは王太子教育が始まった。
……そういえば、教師達は何度も同じことを言っていた。
王太子として必要な教育だから真面目に受けてください。
王族だからこそ、その立場に見合った努力が必要なのです。
しかし、それが理解出来なかった。
嫌なことや苦手なことは『出来ない』と言うと、教師達は何度もやらせようとしてきたけれど、こちらが何もやらなければそのうち諦めていった。諦めるということは本当は必要ないのではないか。
しかも、婚約者となったスカーレットは何でも出来た。
それなら出来る者にやらせればいい。
元より、スカーレットは『王太子を支えるために優秀な者』として選ばれた。
支えるための存在なら、任せても構わないだろう。
スカーレットは王太子妃教育を受けなくても良いほど優秀だった。
教師達から『レヴァイン公爵令嬢を見習ってください』と言われて腹立たしい気持ちになった。
人には向き、不向きがある。苦手なことは、苦手ではない者がやればいい。
王には王のやるべきことがあるのだから、雑事はスカーレットに任せる。
そして、エイリーンと出会った。
エイリーンは可愛らしい令嬢だった。
王太子を前にして顔を赤く染めたり、ちょっとしたことで喜んだり、明らかな好意が心地好い。
スカーレットのように無表情ではないし、淡々としてもいないし、こちらの言葉にいちいち反論してくることもない。可愛らしく、控えめで、いつだってエミディオの全てを認めてくれた。
エイリーンだけは本当のエミディオを見て、エミディオのことを想ってくれている。
……ずっと、そう信じていたのに。
三度目の裁判で久しぶりに再会したエイリーンは、以前のエイリーンとは異なっていた。
あの小動物のように愛らしくて、春の日向のような心地好い雰囲気はどこにもなく、乱れた髪にシワだらけのドレスを着て騎士達に引っ立てられて入廷した姿は見る影もない。暴れて騎士達に爪を立て、眦をつり上げて「私は次期王太子妃よ!」「お前達なんて牢屋に入れてやる!!」と喚く様を見て呆然とした。
その喚く姿は捕縛された当初の己と全く同じだと気付き、羞恥で思わず俯いてしまった。
エミディオを見つけたエイリーンは、パッと表情を明るくした。
その瞬間、エミディオの好きだったエイリーンがそこにいた。
「エミディオ様ぁ、助けてくださいませっ! この者達が私に酷いことをするのですぅ……!」
甘い声も、可愛らしい表情も、そのままなのに──……愛していると思えなかった。
いつもエミディオの前で見せている笑顔も、表情も、ちょっと抜けているけれど頭の良い時もあるところも、か弱くて守ってやらねばと感じたあの可愛さも。何もかもが作り物だと分かってしまった。
黙って視線を逸らすと、エイリーンは全てを悟ったのだろう。
甘い声は一瞬で消え去った。
「何よ! 次期国王だって言うから付き合ってあげたのに、結局あんな簡単な計画すら成功させられないような出来損ないなんてこっちから願い下げよ!! この無能!!私もお父様も、私達が処刑されるのは全部あなたのせいよ!!」
処刑という言葉に、頭を殴られたような衝撃を受けた。
……エイリーンや侯爵が処刑される?
何故、と考えて我に返る。
スカーレットは公爵令嬢であり、侯爵家のエイリーンよりも地位は高い。
その上、他国の王族の婚約者だ。まだ王族ではないけれど、婚約をしたのであれば準王族に近いと言っても過言ではない。そんな相手を襲おうとしたという事実にゾッとした。
……どうして、今まで、それが正しいと信じていた……?
たとえ王太子であったとしても、他国の王族に近い者を害そうとすれば罪に問われる。
それが国家間の問題に発展することも少し考えれば分かるはずだった。
裁判が終わり、判決も下り、幽閉された今は不思議なほど頭がスッキリとしていた。
「……私は……私は……っ」
……何て愚かなことをしていたのだろう……。
* * * * *
……もう、終わりだわ。何もかも、失敗した。
鉄格子で囲まれ、上に布がかけられていることで薄暗い馬車の中、膝を抱えて縮こまる。
周りには両親や親族、家臣だった何名かが同じように手枷足枷をつけられ、ボロボロの服を身にまとって板張りの床に力なく座り込んでいる。
一体、どこから失敗してしまったのか。
最初に『もしかしたら』と思ったのは、王太子と婚約者が不仲だと聞いた時だった。
スカーレット・レヴァイン公爵令嬢は十二歳にして、王太子妃教育の試験を全て合格した。
しかも王太子の婚約者でありながら、騎士となり、仕事をこなしている。
人々がレヴァイン公爵令嬢を表現する時、誰もが『実直で優秀だ』と言った。
その中には『常に男装をして男口調で、男性よりも男らしい。あれでは女として扱えない』とぼやく声もあり、王太子が嫌がっているのはそういう部分なのだろうと気付いた。
王太子が好きなのは可愛らしくて、守ってあげたくなるようなか弱い貴族の令嬢。
だから偶然を装い、あるお茶会で王太子に近づいてみた。
王太子はあっさり声をかけてきて、それから親しくなるのは簡単だった。
王太子がレヴァイン公爵令嬢についてぼやくのを聞いて、それとは反対に振る舞っていれば良かった。元より自分を可愛く見せることには慣れていたので困ることはない。
何度も密かに会う内に、王太子の明らかな好意を感じつつも気付かない無垢な令嬢のふりをしていれば、王太子のほうから愛を囁いてくるようになった。
後は上手く誘導して婚約破棄を決意させるだけだった。
……そう、婚約破棄をするまでは上手くいっていたのに。
大勢の前で宣言してしまえば覆すことは出来ない。
レヴァイン公爵令嬢という最大の敵に傷を負わせられるし、そのまま、社交界から消えてくれればいいと思った。そして王太子妃になるのは自分だと、人生で一番気分が高揚した。
けれども、それはほんの一瞬でしかなかった。
国王も王妃も怒り、レヴァイン公爵令嬢がこの国からいなくなった後も態度は冷たいままだった。
王太子の婚約者という地位には就けたものの、それも仮初に過ぎず、王太子妃教育を完了出来なければ他の者を王太子妃にすると言われた。
そうして受けた王太子妃教育は想像を絶する難しさだった。
国の歴史に王家の歴史、礼儀作法や周辺国の慣習を学び、社交にも参加する。
しかも、どれもただ出来ればいいというわけではなかった。
合格基準が異様に高く『出来ない』と言えば『レヴァイン公爵令嬢は出来ましたよ』と返される。
途中から政や財務に関わる内容も増えて、どうしてこんなに学ぶことがあるのか訊けば、王太子の苦手分野を婚約者が補う必要があるからだと言われた。
王太子も、再度教育を受け直しているそうだが、進捗は芳しくないと聞いた。
毎日、毎日、王太子妃教育に時間を取られる。
買い物をする余裕も、お茶を飲む暇もない。
やっとお茶が出来ると思えば、礼儀作法の学びの一貫として出されたもので、教師の厳しい視線を全身に受けながらでは気が休まるはずもなく、日々、疲れ果てて眠りに落ちる。
それなのに思うように教育は進まない。
やってもやっても、波のように次の勉強が押し寄せてくる。
数ヶ月は努力したけれど、このままでは王太子妃になることは出来ない。
王太子もこれはまずいと感じたのか、元婚約者に手紙を送った。
レヴァイン公爵令嬢はミレリオン王国に行っていたけれど、第二王妃に据えると言えば戻ってくるかもしれないと思った。第二王子の婚約者よりも地位は高いし、元から教育が完璧なレヴァイン公爵令嬢に全て押しつけてしまうほうが楽である。
だが、手紙は国王経由で返されてしまったようだ。
王太子が悩んでいたので、レヴァイン公爵令嬢と少し関わりのあった伯爵家の令嬢に『手紙を送るように』と命令した。王太子の婚約者、そして王太子の言葉を伯爵家は無視出来ないだろう。
その後、手紙を読んだのかレヴァイン公爵令嬢は帰って来た。
しかし、正式にミレリオン王国の第二王子の婚約者となってしまっていた。
これでは第二王妃に据えることが出来ない。
説得しよう、と王太子は言ったが、会うことすら叶わなかった。
ミレリオン王国の騎士達が使節団が宿泊している区画を厳重に警備していたのだ。
それで仕方なく、侍女を捕まえて少しだけ脅すことにした。
レヴァイン公爵令嬢は招待に応じ、痺れ効果のある毒を飲ませ、後は計画通りになるはずだった。
……まさか、毒を飲んでも動けるだなんて。
しかも、ミレリオン王国の第二王子が駆けつけてしまった。
頬を殴られた王太子とレヴァイン公爵令嬢。押し倒されていても、明らかに抵抗したと分かる怪我では『レヴァイン公爵令嬢が王太子を誘った』という言い訳は立たない。
捕縛され、最初は貴族用の部屋に閉じ込められていたが、二度目の裁判で判決が下された後は罪人用の地下牢に放り込まれた。
……もう、私は侯爵令嬢ではないなんて……。
爵位を剥奪の上に、一族郎党処刑と聞いて、何も手につかなくなった。
今更になって怖くなり、家族や親族まで処刑と聞いて、絶望した。
けれども、王太子の裁判で王太子と会い、希望の光が見えた。
きっと守ってくれると思ったから。
しかし、顔を逸らされた時、全てを察してしまった。
……騙されていたと気付いたのね。
その瞬間に湧いたのは強い怒りだった。
王太子妃になるために、王太子の好む令嬢のふりをし続けてきたのに。自分のこれまでの努力を裏切られたと感じた。
馬車が停まり、布が外されると眩しさに目を瞑ってしまう。
ガチャリと音がして檻のような馬車の後ろが開かれた。
「出ろ」
騎士の言葉に、ノロノロと動き出す。
言うことを聞かなければ鞭を打たれる。鞭があんなに痛いと初めて知った。
外に出れば、周囲を埋め尽くすほどの平民達が広場に集まっていた。
広場の中央には公開処刑用の斬首台が用意されている。
それを見た途端に忘れかけていた恐怖を思い出す。
足が震え、体が震え、歯がぶつかり合ってカチカチと鳴る。
「歩け」
騎士に背中を押され、斬首台に向かって歩く。
平民達の野次が騒がしくて、それら全てが自分達を否定し、今から行われる自分達の公開処刑は彼らにとっては娯楽みたいなものだと思うと、涙があふれ出す。
……王太子妃になりたいなんて、思わなければ良かった……!
反省しても、後悔しても、もう何もかもが遅すぎる。
斬首台から少し離れたところに国王がいて、見届けるために来たのだと言う。
処刑される順に並ばされると、自分が一番最後であることに気付き、顔を両手で覆った。
……私はこれから、みんなが処刑されていくのを見なければいけないの……っ?
無関係だった親族が斬首台に連れて行かれる。
跪き、頭を突き出すような格好で首が斬首台に固定される。
親族の体が震えているのが離れていても分かった。
これから処刑される親族が、ジロリとこちらを睨みつけ、罵声を浴びせてくる。
憎しみと怒りと絶望に満ちた目から、顔から、視線を外せない。
そして、刑が執行される。
堪らず目を閉じたけれど、漂ってくる生臭い鉄のような臭いに吐き気を感じた。
恐ろしくて目を開けることも出来ず、その場に座り込んでしまう。
先に刑に処されていく親族達の罵声とジャッと刃が落ちる音、首を断つ鈍い音が耳にこびりついていた。
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