帰国 / この道を生きる
あのお茶会の一件から一週間後。
わたしの体調も戻り、予定は少し延びてしまったが、ミレリオン王国に帰ることとなった。
王太子と侯爵令嬢の貴族裁判は何度かに分けられて行われるため、それが終わるのを待っていたら何ヶ月もレンテリア王国に滞在しなければならず、さすがにそこまではいられない。
そういうわけで、結局、同盟の話も中断しての帰国である。
王太子への対応を含めて様子見をしている状況だ。
王城の外、ミレリオン王家の紋章が描かれた馬車の前にわたしとアシュリーはいた。
見送りのために国王陛下と王妃様が出ていた。
両親と弟はわたしが目覚めた後に見舞いに来て、三人とも心配してくれた。
あの夢を見たこともあってか、両親の心配をわたしは素直に受け入れられた。
毒に慣らしていたおかげで問題ないと言った時、両親は心底ホッとした様子で、三人で話をした。たった二、三時間だったけれど、以前よりも雰囲気は和やかなものだった。
王太子の一件もあり、国王陛下の立場は微妙な状態らしい。
貴族からの疑念だけでなく、他国との関係も不安定になってしまい、余計に貴族達の心は王家から離れてしまい、これまで王太子を甘やかしていたツケは大きかった。
目の前にいる国王陛下と王妃様は少し疲れた様子である。
「アシュリー殿、スカーレット、此度の件はまことにすまなかった。王太子と侯爵令嬢の裁判は最優先で行われることとなる。そしてあの二人には今回を含め、これまでの身勝手さの代償を支払ってもらう」
「わたくし達の甘さが、あなた達を傷付けてしまいました……」
わたしはそっと国王陛下と王妃様の手を取った。
「陛下、王妃様。お二方であればこの国と民のため、良い道を見つけられると信じております」
「スカーレットよ……」
「スカーレット……」
お二人が静かにわたしの手を握り返す。
「どうか、いつまでもご健勝でお過ごしください」
陛下と王妃様が頷いた。
「アシュリー殿とスカーレットも、健勝で」
「あなたには迷惑ばかりかけて、ごめんなさいね」
「うむ、今後はもうそなたに甘えることはせぬ」
全員で微笑み、わたしとアシュリーは馬車に乗る。
馬車の扉が閉まると騎士達が左右に立ち、国王陛下と王妃様に見送られながら馬車がゆっくりと動き出す。王城の外まで出ると、少しの寂しさと、それ以上の安堵感に包まれた。
……ようやく帰れる。
わたしの帰る場所はもうミレリオン王国だ。
車窓を眺めているとアシュリーに抱き寄せられる。
「少しでも体調が悪くなったら言うのよ? ルヴェナ、膝掛けを貸してちょうだい」
「はい」
ルヴェナが座席下から取り出した膝掛けを受け取り、アシュリーがそれをわたしにかける。
まだ秋口で寒くないが、その気遣いが嬉しかった。
膝掛けに包まれながらアシュリーに寄りかかる。
「アシュリー、少し寒い。……温めてくれ」
アシュリーが微笑んでわたしを抱き締めた。
「そうね、今日は肌寒いものね」
我ながら甘えるのが下手で可愛くないという自覚はあった。
けれども、アシュリーが嬉しそうな顔で囁いた。
「アタシにはもっと甘えていいのよ、レティ」
それに、わたしは笑ってアシュリーにすり寄った。
これまで『甘えていい』なんて言ってくれたのはアシュリーだけだ。
きっとこれからも、わたしが甘えられるのは彼だけなのだろう。
* * * * *
そうして、一月ほどかけてわたし達はミレリオン王国の王都に帰還した。
今回の件は既に早馬で手紙を送っていたようで、帰還早々にアシュリーとわたしはミレリオン王国の国王陛下に呼ばれた。
応接室に行くと国王陛下と王太子殿下がおり、もはやこの光景にも慣れた。
同盟の話し合いについてアシュリーが伝え、その後にわたしが王太子と侯爵令嬢に呼び出された件を話し、その後についてはアシュリーが説明をする。
他国のことであるけれど、国王陛下と王太子殿下が大きく溜め息を吐いた。
「その王太子はもはや王位を継げないであろうな」
「ええ、侯爵令嬢とその家の者の処刑も確実でしょう」
国王陛下と王太子殿下の言葉に、何かを言うのはやめておいた。
そうなったとしてもあの二人のこれまでの行いのせいであるし、ミレリオン王国も厳正な処罰を望むだろう。レンテリア王家も信頼回復のために王太子を切るしかない。
あの二人がどんな道を辿ることとなったとしても、もうわたしは関わる気はなかった。
「それにしても、スカーレットは災難だったな」
王太子殿下の言葉に苦笑する。
「いえ、まあ……あちらに行けば、王太子と何かしら衝突はあると分かっておりましたので。さすがに予想外ではありましたが、有事とは言え、王太子の顔面を殴ったことについてお咎めなしで安堵しております」
「そんなに強く殴ったのかい?」
「はい、鼻の骨は折れているでしょう。体が麻痺していたので力加減をする余裕もなく、全力で殴らせていただきましたから。……人を殴ったのは初めてですが、あまり経験したくないものですね」
拳だと剣と違って感触が直に伝わってくる。
鈍い肉の感触も、骨の折れる感触も、手の痛みも。二度とやりたくない。
「はは、王太子には良い薬になっただろう。その薬が効いたところで、もう遅いが」
あれ以降、わたしは王太子にも侯爵令嬢にも会っていない。
恐らく、あの二人と会うことはもうないだろう。
「同盟の今後についてはあちらの王太子達の処罰を確かめてから、改めて考えるとしよう」
「そうですね、父上」
レンテリア王国はこれからが大変だ。
王太子のせいで落ちた信頼と評判を取り戻さなければいけない。
レンテリア国王の年齢を考えると、王妃や側妃との間に子を生すのは難しいだろう。
だとすると王太子は殺さず、どこかの令嬢と子を生させ、その子を次代の王とするか。
それまでは国王陛下が王でいるか、王弟殿下に王位を継がせて今回の責任を取って退位するか。
何にせよ、今回の件はレンテリア王国の今後に大きく関わってくる。
「アシュリー、スカーレットよ、ご苦労であった」
国王陛下の言葉に、わたしとアシュリーは頷いた。
「それから、スカーレットの今後についてだが、アシュリーの離宮に移ることを許可する。ただし、結婚するまでの振る舞いは気を付けるように。婚約期間中だからこそ、互いを大事にするのだぞ?」
「もちろんですわ。アタシもスカーレットに嫌われたくありませんもの」
アシュリーが陛下の言葉にもう一度、しっかりと頷く。
「そなた達の結婚時期については、しばし待て」
「先に私の結婚式を行うことになるからね。それが落ち着いてからになってしまうが……」
どうやら王太子殿下の結婚式で今は慌ただしいらしい。
王太子の結婚式となればパレードも行うだろうし、王族二人が立て続けに結婚するとなると貴族達への負担も大きい。時期を大きくズラしたほうが王家も貴族も、互いに困らないだろう。
「スカーレットが良ければ、アタシは構わないわ」
「わたしもアシュリー殿下が問題ないと言うのであれば、いつでも構いません」
そういうわけで、わたし達の結婚式はもうしばらく先になることは決定した。
話が終わり、国王陛下の言葉に礼を執ると、アシュリーと共に応接室を後にする。
そっとアシュリーに手を取られ、互いに手を繋ぐ。
「結婚までは、婚約者の立場を楽しみましょう?」
楽しそうなアシュリーにわたしも笑い返す。
「ああ、そうだな」
二人で顔を見合わせて、どちらからともなく笑い合う。
やっと、わたしはこの穏やかな時間を手に入れた。
* * * * *
「それでは、そのまま。あまり動かないでいただけますと幸いです」
ミレリオン王国に帰還してから三日。
アシュリーの離宮に移る前に、王城の最も綺麗だという庭園にわたし達はいた。
小さなガゼボの中で、テーブルは片付けられており、わたしとアシュリーは揃って座っている。
レヴァイン公爵家に訪問した際にわたしが言ったことを覚えてくれていたようで、わたしもアシュリーも婚約発表をした時の装いで、正面には王家お抱えの画家が筆を手にキャンバスとこちらを交互に見る。
「それにしても、スカーレットの頬の痣が治って良かったわ」
王太子に殴られた後、頬の腫れはすぐに引いたものの、青黒く鬱血してしまった。
それをアシュリーもルヴェナもとても心配してくれた。
唇の端に少し痣が出来た程度だったけれど、跡形もなく治りルヴェナがホッとしていた。
「まあ、もしも残ったとしても化粧で何とか隠せる」
「スカーレットはいつでも前向きよね」
ふふふ、とアシュリーが笑う。
「それくらいしか取り柄がないんだ」
「あら、あなたに『取り柄がない』なんて言ったら、この世の誰もが『取り柄がない』人間になってしまうわ。王太子妃としての素質も、騎士としての素質もあるんだもの。もっと堂々とすればいいのよ」
「わたしの場合は『ズル』が出来たからな」
そもそも、わたしは四度も同じ時間を繰り返しているのだから、他の人間よりもその分、学ぶ時間があった。
一度目と二度目で王太子教育を完璧に学び、三度目と四度目で剣を学んだ。
普通の人ならばこうはいかない。
「そういう意味では、わたしと比べられた王太子は可哀想だったな」
わたしは王太子妃教育を十二年かけて完璧に学んだが、王太子はそうではない。
剣も十二年も学んで、それでも勝てないのだから、アシュリーの剣の才能は相当なものだろう。
王太子はそんなわたしと比べられて堪ったものではなかったはずだ。
経験も、訓練時間も、わたしのほうが長かった。
「比べられて自尊心を傷付けられたからといって、あれが許されるわけではないわ」
「ああ、それについて庇うつもりはない。……王太子は道を誤った」
王族の、それも王太子が一人の令嬢に良い様に操られていたなんて、レンテリア王国としても王家としても信頼に関わる問題だ。王族ではあってはならない出来事であった。
ふわりとわたしの手にアシュリーの手が触れる。
横を見れば、アシュリーが微笑む。
「スカーレット、あなたは自由よ。もうあの王太子について気にする必要はないし、罪悪感を抱いたり、責任を感じたりすることもないわ。全ては本人が選んだ結果だもの」
それに、とアシュリーが言葉を続ける。
「あなたがいつまでも他の男のことばかり考えていると妬けちゃうわ」
つんつん、と頬をつつかれた。
「すまない、そういうつもりはなかったんだが……」
「ええ、分かっているわ。でもアタシのことも考えてほしいの」
アシュリーの願いが可愛くて、わたしは笑ってしまった。
「わたしはいつでもアシュリーのことを考えている。六年、あなたに会うためにわたしは駆け抜けて来た。……アシュリーのためなら、この命すら惜しくない」
顔を寄せ、アシュリーの額に自分の額を優しく押し当てる。
「わたしはずっと、アシュリーだけを愛している」
「……スカーレットはずるいわ……」
アシュリーが照れたように頬を染めた。
それが可愛くて、頬に触れ、唇を重ねようとした──……
「うぉっほん!! ごほん!! えふん!!」
瞬間、画家がわざとらしい咳払いを三度した。
それにわたしとアシュリーの動きが止まった。
……絵を描いてもらっている最中だったな。
画家が澄ました顔で絵を描いているが、その顔は赤い。
アシュリーと顔を見合わせ、どちらからともなく噴き出した。
二人で正面に顔を向けて笑う。
「すまない」
「ごめんなさいね」
わたし達の言葉に画家は「何のことですかな?」と言って、分かりやすいくらいの下手な気付かないふりをするものだから、やはりおかしくて笑ってしまう。
こんなに穏やかで優しい時間は久しぶりで少し落ち着かない。
けれども、きっと、この穏やかな時間はこれからも増えていくのだろう。
いつかわたしは落ち着かない気持ちも消えて、穏やかな時間を過ごせるようになるのだろう。
「レティ」
名前を呼ばれて横を向けば、アシュリーがわたしの額に口付ける。
「アタシも、命を懸けるくらいあなたを愛しているわ」
それにわたしは微笑み返す。
「ああ、知っている」
四度目の人生で、ようやく、本当にわたしは幸せを掴み取った。
愛する人の横で笑い合える時間を得た。
「アシュリー、わたしは今、幸せだ」
あなたとまたこうして一緒にいられる奇跡に感謝しよう。
わたしは何があってももう揺らがない。
……この先も、何度でも、この道をアシュリーと歩んで行く。
そう、決めたから。




