謝罪と経緯
目を覚ますと、ベッドの天蓋が広がっていた。
……夢か……。
ぼんやりと天蓋を眺めていると声がする。
「スカーレット?」
ベッドの外から声がかけられ、顔を動かせば、アシュリーが覗き込んでくる。
起き上がったわたしの背にアシュリーの手が添えられ、起きるのを手伝ってくれた。
わたしはそのままアシュリーに抱き着いた。
夢を見たせいか、一度目と二度目の苦しかったことや悲しかったことを思い出してしまった。
誰かに話せばもっと楽なのだろうが、話したところで何かが変わるわけではない。
それでも、時々、無性に誰かの温もりが恋しくなる。
いきなり抱き着いたわたしを、アシュリーが優しく抱き締めてくれる。
そして、わたしの気持ちが落ち着くまでアシュリーは好きにさせてくれた。
「……ありがとう、アシュリー」
ゆっくりと体を離せば、アシュリーが微笑んだ。
「あんな思いをしたんだもの、いいのよ」
……そういえば王太子と侯爵令嬢に毒を盛られたんだっけ。
夢を見ていたせいか、それが随分と前の出来事のように感じられた。
あんなことがあった後なのに、全く何ともない。
あえて言うなら頬が少し痛いくらいか。
頬に触れると当て布がしてあった。少し薬草の匂いもするので、布に薬を塗られたものだろう。
「やっぱり頬が痛い? 痛み止めを出してもらったほうが良かったかしら?」
「いや、いい。……痛み止めはあまり効かない体質なんだ」
毒の耐性をつけるために色々な毒薬と解毒薬を口していたからなのか、わたしは痛み止めがあまり効かない体質になってしまった。それで困ったことはないのでいいのだが。
アシュリーがグラスに水を入れて渡してくれたので、ありがたくもらう。
部屋の扉が叩かれ、アシュリーが声をかけるとルヴェナが入ってくる。
起き上がっているわたしを見て、ルヴェナがハッとした顔をする。
持っていたものを棚に置き、ルヴェナが駆け寄って来た。
「スカーレット様……!」
その様子からして、どこも異常はないようだ。
「ルヴェナ、無事で良かった」
手を差し出せば、ルヴェナがわたしの手を握り、目に涙を浮かべた。
「申し訳ありません、スカーレット様……私のせいで、このようなことになってしまい……っ」
「ルヴェナは何も悪くない。蔵書室に行く時は騎士も連れていたのだろう?」
「は、はい……ですが、いきなりレンテリア王国の騎士達に囲まれ、騎士様だけではどうしようもなく……。その騎士様も怪我を負ってしまいました……」
いくら近衛騎士で強いと言っても限度がある。多勢に無勢では、どうしようもない。
「その騎士の怪我は酷いのか?」
「大怪我ではないけれど、それなりにってところね。大丈夫よ。怪我と言っても騎士の職に問題が出るほどではなかったわ。しばらく休めば、また騎士として働けるわよ」
アシュリーの言葉に「そうか」とホッとした。
バネッサとシェーンベルク殿以外とも最近は親しくなってきていた。
だからこそ、騎士の怪我を聞いて、少し申し訳なく思う。
「スカーレット、お腹は空いてない? 食欲はありそう?」
「……そんなに食欲はないが……」
そういえば、口の中が少し青臭く、苦味がある。これは解毒薬の味だ。
誰かが飲ませてくれたのだろう。
「あなた、丸一日眠っていたのよ」
「そんなに?」
「ええ。医官が言うには、あなたの体が毒に抵抗していたから、だそうよ。あの侯爵令嬢、かなりの量の毒を盛ったらしいの。でもスカーレットは毒に体を慣らしていたおかげで毒に抵抗出来て、それほど効果も強く出なかったという話だったわ」
それについ笑ってしまい、頬と唇がピリリと少し痛む。
「まさか、こんなところで役立つとはな」
だから、毒の入った紅茶を飲み切ってもあれだけ動けたのだろう。
アシュリーがルヴェナに声をかけ、わたしが目覚めたことを国王陛下に伝えるよう言った。
一旦ルヴェナが部屋を出て、すぐに戻る。騎士に言伝を頼んだのだろう。
ルヴェナがせっせと果物を剥いてくれて、アシュリーが切られた果物を口元に差し出してくる。
「はい、あーんして」
と言われ、果物を食べる。
食欲はあまりないが、果物なら少しは入りそうだ。
別に自分で食べられるのだけれど、アシュリーとルヴェナが心配そうな顔をしているので、とりあえず差し出された果物をいくつか食べて、水分も摂ると安堵した様子だった。
それから解毒薬を飲む。
この青臭くて苦くて、えぐみのある味も慣れたものだ。
「ところで、あの後、王太子殿下と侯爵令嬢はどうなった?」
「二人とあれに関わった騎士達は全員捕縛されたわ。今は国王陛下の命で厳しく調査が行われて、恐らく、すぐに王太子と侯爵令嬢の動機は分かるでしょう」
「それだが、自分達が教育を受けるのが嫌だったのと、国内で貴族達の反発を受けて、わたしとの婚約を戻すつもりだったらしい。だが、わたしが断ったので実力行使に出たようだ」
茶会の時のことを説明すると、アシュリーが顔を顰めた。
その後ろではルヴェナが口元を押さえて、驚いている。
まさか王太子が女性を──……それも他国の王族の婚約者を襲うなんて、普通はありえない。
アシュリーからすれば婚約者が襲われたのだから良い気分ではないだろう。
ふと、そこまで考えて気付いた。
「アシュリー、わたしは襲われたが何もなかった。殴られただけで他は触れられていない」
そう言えば、アシュリーが微笑んだ。
「分かっているわ。それに、どんなことがあってもスカーレットとの婚約を解消するつもりはないの。……アタシ、こう見えてすごく執念深いのよ? 覚悟してちょうだいね」
ふふ、と笑うアシュリーにわたしも笑みが浮かぶ。
「それは、わたしにとっては嬉しい限りだ」
二人で笑い合って、それから医官を呼んで診察をしてもらった。
まだ体に毒が残っているけれど、命に関わるような量ではないそうだ。
水分をよく摂り、何度か解毒薬を飲んでいれば良くなるとのことだった。
医官が下がったすぐ後に部屋の扉が叩かれた。
ルヴェナが出て、慌てた様子で「国王陛下がお見えです」と言う。
すぐに通してもらうと国王陛下が騎士と文官を伴い、部屋に入って来た。
「このような姿で失礼いたします、陛下」
頭を下げると国王陛下から「頭を上げてくれ」と優しく声をかけられた。
顔を上げれば、ルヴェナが用意した椅子に国王陛下が腰掛ける。
「頭を下げるのは余のほうだ。……愚息の非道な行いを謝罪する」
国王陛下だけでなく、文官や騎士にまで頭を下げられて驚いた。
「皆様、頭を上げてください。謝罪は罪を犯した者がすべきことです」
「……ああ、そうだな。そうであるな……」
陛下達が顔を上げる。
「此度の件について、調査で分かったことを説明しよう」
そして、控えていた文官が調査結果を話してくれた。
婚約破棄をしてわたしがレンテリア王国を出て行ってから、国王陛下はわたしがミレリオン王国の第二王子──……つまり、アシュリーに見初められてミレリオン王国に移ったことを説明した。
その際、わたしに非がないことや王太子の独断であったことも話したそうだ。
それもあってか王太子がその地位に相応しい人物なのか疑問を抱く声が貴族達から出始める。
レヴァイン公爵家からの後見を失った、王太子教育も完了出来ない王子。
しかもその横に立つのは男を惑わして家同士の契約である婚約を壊した令嬢。
問題ばかりの二人が次代の王と王妃になるのは難しい。
二人がまともに勉学に励み、真面目な姿勢を見せればまだ良かったのだが、王太子も侯爵令嬢も教師達に不満をぶつけるばかりで全く教育は進まない。
教師達も貴族達も、そんな王太子と侯爵令嬢の態度に呆れ、憤りを感じていた。
だから、どちらからも二人は反発されることとなったのだ。
国王陛下としてもこのままでは王太子から、その地位を取り上げるしかなくなる。
王太子と侯爵令嬢に態度を改めて授業を真面目に受けるよう、繰り返し注意を行い、諭した。
けれども王太子も侯爵令嬢もそれに耳を傾けなかったのだろう。
教育が完了出来ないなら、完了している者に押し付ければいい。
王太子と侯爵令嬢の頭に浮かんだのがわたしだった。
それでわたしに手紙を送って来たのだ。
しかし、わたしからの返事どころかこっそり送った手紙が国王陛下経由で返って来た。
わたしは来ないし、叱責されるし……だが、自分達では教育を終えられない。
そこでまた手紙を出して、わたしが戻って来た。
それなのに、わたしは正式にアシュリーの婚約者になっていた。
わたしを第二王妃に迎え、自分達の苦手なことは全てわたしに任せてしまおうと考えていたのに、その計画が狂ってしまった。さすがの王太子も自分の立場が危ういことは分かっていたらしい。
どうするべきか悩んでいた王太子に、侯爵令嬢が『わたしを孕ませてしまえばいい』と囁いた。
侯爵令嬢は王妃になることを諦め、第二王妃になる代わりに、わたしを王妃に据えればいいと。
レンテリア王家の血を引く子供をわたしが孕んでしまえば、アシュリーがわたしを娶ることは出来なくなり、わたしもレンテリア王国に戻って来るしかない。子がいる以上、王家はわたしと王太子を結婚させるだろう。
わたしを王妃にして、面倒は全て押し付ける。
そうすれば全てが元通りになる。
侯爵令嬢の計画に王太子は従った。
わたしに会おうとしたがミレリオン王国の騎士達が警備をしており、近づけない。
それ故にルヴェナを攫い、人質にしてわたしを呼び出した。
そこからは、もうわたしの知っている通りである。
毒を盛り、動けなくしてから襲おうとした。
「本当に、愚かなことだ……」
国王陛下が両膝に肘をつけ、頭を抱えた。
王太子としての行動以前に、人としても非常識で許されない行為だった。
本来ならば、侯爵令嬢が提案した時に拒絶するべきであった。
きっと王太子の中では、わたしに何をしても許されると思っていたのだろう。
これまで王太子の好き勝手な振る舞いを放置してきたのは、わたしも同じだ。
「……王太子殿下と侯爵令嬢は反省していましたか?」
わたしの問いに国王陛下は首を横に振った。
「残念ながら反省はしていない。……エミディオは後悔しているようだが、それは王太子という己の立場が揺らぐ不安からくるもので、そなたに対しての罪悪感ではないだろう。そして侯爵令嬢はより酷い。そなたがエミディオを受け入れないからこうなった、王族の決定を受け入れないなど貴族としてありえない、と自身の主張ばかりで話が通じない」
国王陛下が小さく息を吐いた。
「話が通じようが、通じなかろうが、あの二人がそなたにしたことは変わらぬ。王太子の命令に従った近衛騎士達は全て騎士団から除名し、解任処分とした。レンテリア王国では二度と騎士は名乗れぬ」
重い処分だが、近衛騎士はただ主君の言葉に従えばいいというものではない。
普通の騎士と違い、近衛騎士は主君に最も近い騎士であり、意見を伝えられる立場でもあった。
それなのに王太子の命令に従い犯罪行為に加担したのだから、処罰は免れない。
……元同僚だから、少し心は痛むが……。
「王太子と侯爵令嬢は貴族裁判にかけようと思うのだが……構わぬだろうか?」
貴族裁判とは、その名の通り『王侯貴族を対象にして行われる裁判』である。
この貴族裁判は国王陛下が裁判長となり、数名の裁判官と共に重罪を犯した貴族に対して開かれるもので、貴族にとって、この裁判の対象になることは個人としても、家としても、非常に不名誉なことだ。
しかもレンテリア王国の長い歴史の中で、王太子が貴族裁判にかけられたという話はない。
わたしに良いかどうか訊いたのは、裁判を行えば罪状が明らかとなり、わたしの名誉が傷付けられるのではと心配してくれたからだろう。この裁判に注目しない貴族はいないはずだ。
アシュリーがわたしの手を握る。
それに微笑み返し、国王陛下に顔を戻す。
「裁判にて、公正な処罰が下されることを願います」
国王陛下がしっかりと頷いた。
「うむ。……余はこれまで王太子を甘やかしすぎた。だが、もはやその気持ちもない」
拳を握る国王陛下の表情は怒りに満ちていた。
王太子は結局、国王陛下の期待を最悪の形で裏切った。
よりにもよって他国の来賓もいる中で勝手に婚約を破棄した挙句、同盟国であるミレリオン王国の王子の婚約者になっていたわたしを襲った。未遂であっても、これは国家間の問題に発展する。
ミレリオン国王はこの件を確実に追求するだろうし、王太子がこのような人物であることに懸念を示すはずだ。両国の国王が認めた婚約──国同士での取り決め──を王太子は己の利益のために潰そうとした。先を見ることすら出来ない身勝手な王太子が国王になれば、ミレリオン王国はレンテリア王国との同盟を破棄する可能性が高い。
こうなってしまったら、もう王太子はその地位にはいられない。
侯爵令嬢も、侯爵家も、王太子を唆した件も含めて重い罰を受ける。
己の家より上の公爵家の令嬢であり、隣国の王族の婚約者である者を襲った。
……侯爵令嬢と侯爵家は処刑されるかもしれない。
そして王太子も『王太子』の座を剥奪され、廃嫡となり、王族としての立場も失うだろう。
「スカーレットがそう決めたのなら、アタシから言うことはありませんわ。ただ、ミレリオン王国は王太子と侯爵令嬢に下される判決に注視しております。それだけは心に留め置きくださいませ」
「承知した」
アシュリーの言葉に国王陛下が大きく頷く。
「病み上がりに長々と話し込んでしまい、すまなかった。……スカーレットよ、よく休み、元気になるのだぞ。体調が戻るまで、隣室に宮廷医官を常駐させておこう。何かほしいものがあれば言ってくれ。余の権限で何でも用意させよう」
「お気遣いありがとうございます、陛下。しばらくゆっくりと休ませていただきます」
国王陛下はもう一度、わたしとアシュリーに深々と頭を下げてから部屋を出て行った。
思いの外、疲れてしまったようだ。
「アシュリー、少し休んでもいいか?」
「ええ、もちろんよ。アタシがそばにいるから安心してちょうだい」
それから、アシュリーはわたしが眠るまで手を繋いでくれた。
その温もりを感じながら眠るのは心地好い時間だった。




