お茶会(2)
「陛下の考えに背くなんて、そんなつもりはありませんでしたわぁ……!」
侯爵令嬢はそう言うが、その『つもり』があってもなくても関係ない。
問題なのは王太子と侯爵令嬢が引き起こした結果である。
「以前から思っていましたが、王太子殿下に入れ知恵をしたのはウィルモット侯爵令嬢なのではありませんか? 大勢の前で婚約破棄を宣言してしまえば、王族の言葉は簡単には取り消せない。そこで自分との婚約も言えば、たとえ陛下であってもなかったことには出来ない、と」
王太子と侯爵令嬢は押し黙った。
……やはり、そうか。
侯爵令嬢があれこれと王太子に囁いたことで、王太子は気が大きくなってしまったのだ。
だから国王陛下が取り決めた婚約を破棄すると言った。その行為がどういう結果になるか、どういう意味になるかなんて何も考えていない。
次代の王が女に操られて権力を振りかざすなんて最悪だ。
「それについても陛下にご報告させていただきます」
ウィルモット侯爵令嬢は多少の知略はあるようだが、先を読む力は足りておらず、王妃としての資質には疑問を感じる。
このまま二人が次代の王と王妃になれば、レンテリア王国は荒れるだろう。
「それにしても、わたしは『謝罪がしたい』というから来たのですが、その様子では謝罪をするつもりなど最初からなかったようですね」
侯爵令嬢が馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「本気で信じていらしたのですかぁ? レヴァイン公爵令嬢は案外、純粋な方ですのねぇ」
「一応、確認のために訊いただけですよ。人質を取っておきながら謝罪なんてありえないと分かっておりました。……わたしは侍女のために来ただけです」
「あら、お優しいことですわぁ」
チラリと侯爵令嬢が王太子を見ると、王太子が軽く手を上げた。
途端に隠れていたレンテリア王国の騎士達が姿を現し、ミレリオン王国の騎士とガゼボを囲む。
その手には剣が握られていた。
咄嗟に反応して剣の柄を握ったミレリオン王国の騎士に声をかける。
「待て」
他国の王城、しかも王太子のいる場で剣を抜くのはまずい。
騎士もそれを理解しているようで、苦渋の表情で剣から手を離した。
「侍女と騎士の命が惜しければ、その紅茶を全て飲め」
王太子の言葉に、やはり、と思う。
侯爵令嬢が淹れた紅茶は変な味がした。
だから二口ほど飲んでやめたのだが、何か意図があるらしい。
ティーカップを持つと、ミレリオン王国の騎士が「スカーレット様、いけません……!」と制止の声を上げる。
わたしは微笑み、そしてティーカップの中身を飲み干した。
恐らく、紅茶には毒が盛られているが、致死量ではないだろう。
わたしをここで毒殺しても処罰されるのは王太子と侯爵令嬢である。
ティーカップの中身を全て飲み干せば、侯爵令嬢が愉快そうに、きゃはは、と笑った。
「レヴァイン公爵令嬢は本当にお優しいですわねぇ!」
胸焼けと共に、手足の先がピリピリと痺れてくる。
……なるほど。
毒と言っても種類は色々とあり、死に至らしめる方法も違う。
体の内側が毒に侵されて苦痛を感じながら死ぬものもあれば、全身の筋肉が痺れて動けなくことで心臓が止まって死ぬものもあり、これは恐らく、後者の『痺れ』で殺すものだ。
けれども、痺れはするが息苦しさとまではいかないので、わたしを動けなくするのが目的らしい。
痺れのせいか手が微かに震え、体から力が抜け、背もたれに寄りかかる。
それを見た侯爵令嬢が微笑んだ。
「本当はすごく嫌ですけどぉ、王太子妃の座はレヴァイン公爵令嬢に返してあげますぅ」
「……意味が分からない、ですね」
今更わたしを王太子妃に戻したところで、一度失った信用は戻らない。
侯爵令嬢が手を伸ばし、わたしの頬に触れた。
「わたしはもうミレリオン王国……第二王子殿下の、婚約者です……」
「まだ婚約ですよねぇ? 解消も破棄も出来るじゃないですかぁ」
「何があっても、わたし達の婚約は、維持されますよ……」
痺れのせいか段々と喋るのが難しくなってくる。
侯爵令嬢が「そうかしらぁ?」と甘えるような声で言う。
「婚約破棄、または解消せざるを得ない状況だってありますよねぇ?」
わたしから離れた侯爵令嬢の手が、王太子に触れる。
「殿下、おつらいかもしれませんがぁ、これが殿下と私のためなのですぅ」
「ああ……分かっている」
王太子が立ち上がり、わたしを見下ろす。
その後ろで侯爵令嬢が愉快そうに言う。
「レヴァイン公爵令嬢が、殿下の子を孕んでしまえば婚約なんてしていられませんわよねぇ?」
ふふふ、と笑った侯爵令嬢に吐き気を感じた。
同時に、こんな令嬢が王太子のそばにいることに強い危機感も覚えた。
……本当にレンテリア王国は傾いてしまう。
痺れによって震える手を握り締めた。
何とか体を動かしたが、テーブルに伏せるように倒れてしまった。
空のティーカップがカチャンと音を立てて、テーブルの上を転がった。
「……貴様が悪いのだ、スカーレット」
そして、王太子はわたしに責任を押しつけ、わたしを悪にしようとしている。
自分の心を守ろうとしているつもりなのか、それとも、これから犯罪を行うことを自分の中で正当化しようとしているのか。どちらにしても人として最低な行いをしようとしている事実は変わらない。
王太子の手がわたしの肩に触れる。
「王太子殿下、おやめ、ください……」
しかし、王太子はわたしの腰から剣を取り上げると、それを離れた場所へ投げ捨てる。
……ああ、そうか。
それは失望に近い感情だった。
王太子がわたしの肩にもう一度触れ、わたしの体を引き起こそうとする。
その瞬間、拳を強く握り、王太子の顔にそれを叩き込んだ。
鈍い音と手袋越しに感じる鼻の骨が折れる感触、そして「ぅぐっ」というくぐもった声。勢いに負けたようで、王太子の体がガゼボの柱に叩きつけられる。
王太子の後ろから「エミディオ様っ!?」と侯爵令嬢の悲鳴のような響く。
わたしは背もたれに寄りかかったまま、笑った。
「剣しか、習ってないと……思ったか……?」
わたしは剣以外にも、拳や足を使った戦い方も公爵家の騎士から学んだ。
剣がなければ戦えないようでは、いざという時に身を守れないからと、彼らは実戦向きの戦いをわたしに教えてくれた。
まさか、初めて殴った人間が王太子になるとは思わなかったが。
……人を殴ると、こんなに手が痛いんだな。
王太子が鼻を押さえたが、その手の下から鼻血がこぼれ落ちる。
「っ、スカーレットォオオオォッ!!」
唸るような怒声と共に王太子が拳を振り上げた。
殴られると覚悟したが、実際に王太子の拳が頬に当たるとやはり痛い。遅れて殴られた頬が熱く感じる。
その勢いのままガゼボの長椅子に倒れ込む。
……人から殴られたのも初めてだ。
反撃されるだろうと分かっていたが、それでも、抵抗しないわけにはいかない。
王太子とわたしの頬に怪我があれば、わたしが抵抗し、王太子が暴力によって無理やり事に及ぼうとしたことが分かるだろう。
倒れ込んだわたしに王太子が馬乗りになる。
「クソッ、クソッ……!」
その手がわたしの服の襟を掴んだので、わたしはその手首を逆に掴み返した。
……毒に慣らしておいて良かった。
おかげで、まだ体が動かせる。
わたしと王太子の力が拮抗する。
だが毒を飲んでしまった以上、わたしのほうが消耗は早い。
「何もかも貴様のせいだ! 貴様が悪いんだ! 父上と母上に叱責されたのも、貴族達が離れていくのも、全て貴様が──……!!」
王太子が怒鳴り、わたしの手を振り払うと拳を振り上げた。
さすがに逃げ場はない。
殴られる、と思った瞬間、ぶわりと風が吹いた。
鮮やかな金と白、赤が視界に広がり、王太子の首元に鋭い銀色が突きつけられる。
「その手を離しなさい」
テーブルの上に立ち、ガゼボの背もたれにもう片足を乗せ、王太子を跨ぐような格好でわたし達を見下ろしていたのはアシュリーだった。
少しでも動けば、剣は王太子の首を切るだろう。
「レンテリア王国の騎士達よ、投降なさい!」
大勢の足音と甲胄がこすれる音、バネッサの「包囲せよ!」という声が聞こえる。
どうやらバネッサがアシュリーとミレリオン王国の騎士達を呼んでくれたようだ。
今まで見たことがないほど冷たい眼差しで、アシュリーが王太子を見下ろす。
そして、ガゼボの背もたれから足を離すと剣を引き、王太子の襟首を掴み、剣を椅子に突き刺すと拳を握り締めた。
「歯を食い縛りなさい?」
「ま、待て……!」
王太子が慌てて逃れようとしたが、それよりも早くアシュリーの拳が王太子の顔面に叩き込まれた。
鈍い音がして、王太子の体から力が抜けた。
そして、まるで物でも投げるようにアシュリーは王太子を侯爵令嬢のいるほうに放り投げたので、侯爵令嬢が「きゃああっ!?」と叫びながら王太子の下敷きになる。
「スカーレット……!!」
アシュリーが剣を鞘に戻し、座面に下りて、わたしを抱き起こす。
「まあ、頬がこんなに腫れて……女性を襲った挙句、暴力を振るうなんて……!!」
ジロリとアシュリーが王太子を睨むと、王太子の下から這い出そうとしていた侯爵令嬢がビクリと震える。
それよりも、とわたしは口を開いた。
「アシュリー、ルヴェナを、探してくれ……人質に……取られて……」
「ええ、分かったわ」
「それから、多分、ヴェリフェの毒を……飲まされた……体が痺れて、動け、ない」
アシュリーの表情が一瞬怒りに染まったけれど、すぐに微笑むと顔を上げた。
「ルシアン、宮廷医官を呼んでちょうだい! ヴェリフェの毒と、もしかしたら他の毒も飲まされているかもしれないわ! 大至急、引きずってでも連れて来なさい!」
「はっ!」
足音が一つ、遠ざかって行く。
「すまな、い……アシュリー……」
ギュッと抱き寄せられる。
「無理に喋らなくていいわ」
視線を動かせば、王太子と侯爵令嬢はミレリオン王国の騎士達に剣を向けられ、ガゼボから追い出される。
口元にそっとハンカチが当てられた。唇が切れたようで、ハンカチに血が滲んでいた。
「でも、こういう時は謝罪じゃなくて感謝のほうが嬉しいわ」
どこか懐かしい言葉にわたしは笑みが浮かぶ。
「ああ……ありが、とう……」
安心したからか、体がグッと重く感じる。
「少し、休む……」
目を閉じればアシュリーの呼ぶ声がしたが、もう目を開ける余力はなかった。
* * * * *
夢を見ている、という感覚があった。
毒を飲んだせいか、見たのは一度目と二度目の記憶だった。
一度目のわたしが両親に迫られ、毒を飲み、床に倒れて苦しんでいる。
その姿を両親が呆然としながら見つめていた。
「どういうことだ……? 何故……苦しまないはずでは……っ?」
「あなた、これは本物の毒だわ! 商人に騙されたのよ!」
母が悲鳴を上げ、その声に驚いたのかリックスが扉を勢いよく開けた。
「どうしたんですか!? っ、姉上……!?」
床に倒れているわたしにリックスが駆け寄り、膝をついて、わたしを抱き起こす。
青白い肌に、口から血を流したわたしの目は焦点が合わず、どう見てももう助からない様子だった。
リックスが両親を睨んだ。
「姉上に何をしたっ!?」
両親が言葉に詰まり、リックスが周囲を見て、落ちている小瓶を見つけた。
「まさか、毒を飲ませたのかっ? 姉上に責任を取らせるとは、こういうことだったのか!?」
リックスが大声で使用人を呼び、急いで医者を呼ばせる。
そうして何度もリックスがわたしを呼ぶけれど、わたしはもう息をしていなかった。
リックスの頬に涙が伝う。
「姉上に毒を飲ませるなんて見損なったぞ!!」
「違う! これは、一時的に仮死状態にするだけで、死ぬことはない薬だと……!!」
父が言うには、わたしを死んだことにして、領地で密かに暮らさせるつもりだったらしい。
王太子に婚約破棄をされた令嬢に未来はない。
どこかの貴族の後妻になったり、修道院に行ったりするくらいなら、自領で密かに、けれども自由に暮らしたほうがわたしのためだと思ったそうだ。
そこで、商人から一時的に仮死状態になる薬を購入した。
死んだことにするためには葬式も必要だったので、わたしを仮死状態にして、すぐに葬式をしたら棺桶をすり替えて空のものを埋める予定だった、と。
その間に目覚めたわたしは公爵領に戻り、あちらの別荘で暮らす。
そういう手筈になっていたそうだ。
だが、商人の言葉は嘘だった。
医者が来て、わたしを診たものの、既に死んでいた。
それから場面が変わり、今度は二度目のわたしが毒を飲んで苦しみ、椅子から転げ落ちるところに移る。
一緒にお茶をしていたリックスが椅子を蹴倒し、慌ててわたしに駆け寄って来る。
騒ぎになったものの、お茶を出したメイドはその騒ぎに乗じて屋敷を抜け出した。
そうして、メイドはどこかの貴族の屋敷の裏口に行き、中へと通される。
「ちゃんと毒を飲ませたでしょうねぇ?」
独特な口調は聞き覚えがある。
メイドが頷き、毒の残りが入った小瓶を相手に返す。
それを受け取る瞬間、燭台の火が揺らめき、その人物の顔が見えた。
小瓶を受け取ったのはウィルモット侯爵令嬢だった。
「ほら、これが報酬よぉ」
侯爵令嬢がメイドの足元に袋を投げると、ジャラリと金の音がした。
メイドが袋を拾い、侯爵令嬢が手を振ると、使用人だろう男が現れてメイドと共に部屋を出ていく。男はメイドを人気のない場所まで連れて来ると、メイドの首を絞めた。
侯爵令嬢のいる部屋に視点が移ると、令嬢が窓の外を見ながら微笑んでいる。
「レヴァイン公爵令嬢がいなくなった今、王太子妃の座は私のものだわぁ」
……これは夢だと分かっている。
だが、これがわたしの望みで見ている夢なのか、それともわたしが知らないだけで死んだ後も少しの間は時間が進んでいたのだろうか。
……それでも、一度目が本当のことだったなら……。
執拗に毒を飲めと言ってきた両親が、実はわたしを助けるために、仮死状態となる薬を飲ませようとしていただけで……両親すらあれが本物の毒と知らなかったとしたら……。
景色が消えて真っ暗になる。
上も下も分からない暗闇の中、誰かの声がした。
「──……ット……ス……レット……」
誰かがわたしを呼んでいる。
その声がするほうに、わたしは駆け出した。
* * * * *
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公爵令嬢レイチェルの復讐譚、第二弾を是非お楽しみください(●︎´ω`●︎)




