お茶会(1)
レンテリア王国に来てから数日が経った。
アシュリーは使節団の者達と共に、今後のミレリオン王国とレンテリア王国の同盟をどうするかという話を国王陛下としている頃だろう。
王太子のこれまでの振る舞いについて聞き、それによっては両国の同盟の距離感が変わる。
ただでさえ、他国の者達もいる夜会の場でわたしに一方的な婚約破棄を宣言したことで、王太子に対して不信感を抱く国も出てきているのに、ここでミレリオン王国から同盟を解消されるというのはレンテリア王国にとっては非常にまずい。
たとえ同盟を解消されなかったとしても、ミレリオン王国がレンテリア王国と距離を置けば、それは他国も察する。その理由を考えた時、王太子の振る舞いが思い出されるのは想像に難くない。
王太子も、まさか婚約破棄をしたことがこれほど大きく影響するとは思ってもいなかっただろう。
そしてこの数日の間に王太子と侯爵令嬢から面会を望む手紙やメッセージカードが何度も届いているけれど、わたしは全て断っている。
あの二人と会う理由がないし、会っても良い思いはしないと分かりきっていた。
……会いたいとも思わないが。
昨日はついに我慢しきれなくなったのか廊下まで来たようだが、レンテリア王国の騎士だけでなく、ミレリオン王国の騎士にまで追い払われて渋々帰って行ったらしい。
「滞在中はあまり出歩かないほうがいいかもしれないわ」
とアシュリーに心配されてしまい、滞在中は走り込みを断念した。
代わりに室内でも出来る運動を繰り返し行うことで体力が落ちないようにした。
幸い、室内は広かったので素振りをしても問題はなかった。
王太子と侯爵令嬢が一度押しかけてから、警備がより厳重になり、二人は使節団の宿泊している客室付近にすら近づけなくなっているのだとか。
それでも暇だと感じないのは、アシュリーがいない時間はルヴェナが蔵書室から本を借りて来てくれたり、話し相手になってくれたりと色々気を遣ってくれたおかげである。
今日も部屋で訓練をしているとルヴェナに声をかけられた。
「蔵書室に本を返却してまいります。また、何か借りますか?」
「ああ、頼む。ルヴェナの選ぶ本はどれも面白いから、楽しみにしている」
「かしこまりました」
ルヴェナが一礼し、部屋を出て行く。
それから、わたしはいつも通り室内で出来る訓練を行った。
* * * * *
訓練を終え、一息吐く。
……ルヴェナが戻って来ていないな。
いくら王城内が広いとは言え、ここまで時間がかかるのは妙だ。
控えていたバネッサに声をかける。
「ルヴェナの戻りが遅くないか?」
「そうですね。……蔵書室に誰か、見に行かせましょう」
と、バネッサが言うので、少し考えてから首を横に振る。
「いや、城内は迷いやすい。わたしが見に行こう」
身支度を整え、腰に剣を差してバネッサともう一人の騎士を伴い、部屋を出る。
蔵書室に向かいながら、清掃をしている使用人に声をかけて、ルヴェナを見かけなかったか訊いてみると、何人かがそれらしき人物を見かけていた。やはり蔵書室に向かったようだ。
そうして蔵書室に着き、中へ入ると、司書に声をかけられた。
「レヴァイン様」
以前、レンテリア王国にいた頃はよくここを利用していたので、司書とは顔馴染みである。
「申し訳ありません、こちらを渡すように言われまして……」
司書が差し出したのは一通の手紙だった。
「誰からでしょうか?」
「それは、その……」
言葉を濁し、俯く司書の様子から色々と察せられた。
手紙を受け取り、その場で封を切って確認する。
差出人の名前は書かれていないが、この文字には見覚えがある。
「……ウィルモット侯爵令嬢か」
やや丸みのある女性的で可愛らしい文字が特徴的だ。
手紙には『お茶会に招きたい』という内容が書かれている。
これまでの自分達の行いは間違っていたこと。
謝罪をしたいので、是非お茶会に来てほしいこと。
ルヴェナは一足先にお茶会に招いていること。
案内は騎士がしてくれること。
……騎士?
顔を上げれば司書の後ろにレンテリア王国の騎士がいた。
手紙を懐に仕舞い、騎士に声をかける。
「では、案内してもらえるか?」
騎士は頷き、案内される。
廊下を進み、城から出て、庭園に入っていく。
奥まって来たところでバネッサに密かに声をかける。
「この手紙をアシュリーに渡してくれ」
前を行く騎士が気付く前に、バネッサは頷き、静かに離れて行った。
恐らく、この奥に侯爵令嬢がいるのだろう。
庭園の中でも人目に付きにくい場所を選ぶところに何かしらの意図を感じる。
ルヴェナを先に招いたと書いてあったが、あれは遠回しに『人質がいる』という意味だろう。
……無事だといいが……。
案内された庭園は生垣が高く、外から中の様子を見ることは出来ない。
人目を避けるには丁度良い場所であった。
庭園のアーチをいくつも潜った先に小さなガゼボがあり、人影がいくつか見えた。
周囲の気配から複数名の騎士がいるようだ。
振り向いた騎士が、バネッサがいなくなっていることに気付いたようで、一瞬視線を動かしたものの、それ以上は反応せず、わたしをガゼボへ行くよう促す。
ガゼボには王太子とウィルモット侯爵令嬢がいた。
「ようこそ、レヴァイン公爵令嬢」
ウィルモット侯爵令嬢は座ったまま声をかけてくる。
まるで自分のほうが立場が上だというような態度である。
「王太子殿下にご挨拶申し上げます。ウィルモット侯爵令嬢も、誘っていただき感謝します」
「……どうぞ、こちらにお座りになって?」
促されるまま座れば、侯爵令嬢が手ずから紅茶を用意してくれた。
わたしの前にティーカップを置くと、侯爵令嬢も自身のティーカップに口をつける。
それに、わたしも置かれたティーカップに手を伸ばした。
…………。
紅茶を二口ほど飲み、ティーカップを戻す。
「わたしの侍女を先に招待したそうですが、姿が見えませんね」
「まあ、私達と使用人が同じ席に着けるはずがありませんわぁ。彼女には別の場所で過ごしていただいておりますので、ご心配なさらずとも大丈夫ですわぁ」
どうやら、人質をすぐに返すつもりはないらしい。
……レンテリア王国の騎士が八名か。
王太子と侯爵令嬢の護衛にしては多すぎる。
「彼女はあなたと同じ侯爵令嬢ですよ」
わたしの言葉にウィルモット侯爵令嬢が不愉快そうな顔をする。
「王太子殿下の婚約者と使用人は格が違いますわぁ」
「なるほど」
ウィルモット侯爵令嬢は今のところ王太子の婚約者ではあるものの、王太子妃教育が上手くいかなければ自分の立場が他の令嬢達に脅かされるかもしれないと分かっているのだろうか。
……それにしても、今日は王太子は静かだな。
王太子のほうを見れば、少し顔色が悪かった。
あれは緊張している時の表情である。
「王太子殿下、顔色が優れないようですが大丈夫ですか?」
「っ、お前には関係ないっ」
……まあ、それもそうか。
もうわたしは王太子の婚約者ではないのだから、気にする必要もない。
「それにしても、レヴァイン公爵令嬢がミレリオン王国の第二王子殿下の婚約者になられるなんてぇ。婚約破棄されてすぐに他の殿方に心を移せる、その潔さには感服いたしましたわぁ。私でしたら、エミディオ様に婚約破棄をされたらつらくて立ち直れませんわぁ」
「婚約者のいる王太子殿下に懸想した挙句、横取りされましたからね」
「そんな言い方をしなくてもいいではありませんかぁ。私達はただ、真実の愛で結ばれてしまっただけですものぉ。エミディオ様は私を望まれた。それだけですわぁ」
はあ、と悲しそうに溜め息を吐く侯爵令嬢の肩を王太子が抱き寄せる。
「真実の愛だから許して応援しろ、ということでしょうか?」
「私とエミディオ様は出会う順番が間違っていただけですわぁ」
その言葉に、つい、フッと笑みが浮かぶ。
「ええ、そうでしょうね。わたしも出会う順番が間違っていただけで、アシュリー殿下を愛しておりますよ。お互い『真実の愛』を見つけられて良かったです。わたしは王太子殿下と侯爵令嬢が結婚しようと、もうどうでもいいですから」
真実の愛、なんて薄っぺらい響きだ。
愛に真実も嘘もない。それは愛情の深さや相手のどこに価値を感じるかの問題である。
そして、わたしは自分の身命を捧げても良いと思える相手を見つけられた。
その点では少しだけだが、王太子と侯爵令嬢に感謝している。
今更、王太子の婚約者に戻る道など考えられない。
「それは、応援してくださるということですかぁ?」
明るい表情を見せる侯爵令嬢に首を横に振った。
「いいえ、応援するつもりはありません」
「そんな、酷い……」
「あなたは自分が同じことをされて、元婚約者達を心から応援出来ますか? わたしは出来ません」
一度目と二度目のわたしの感情はまだ残っている。
あの時に感じた苦痛や悲哀をわたしは生涯忘れることはないだろう。
ただ、今はもう振り向かないようにしているだけだ。
わたしがあの時のことを忘れてしまったら、一度目と二度目のわたしが報われない。
しかし、何故か王太子は眉根を寄せるとわたしに怒鳴る。
「それで教師達に虐めを行わせているのか! 何て性格の悪い女だ!」
予想外のそれにわたしは目を瞬かせてしまった。
「虐め?」
「私がエイリーンを選び、エイリーンが次の王妃になることを快く思わなかったから、教師達に金を握らせて私やエイリーンの教育を厳しくさせているのだろう!? レヴァイン公爵家の権力を使えば教師達は逆らえまい!!」
……その考えはあまりに……。
「色々と全方向に失礼ですよ、王太子殿下」
今度はわたしのほうが溜め息を吐いてしまう。
「まず、教師達は国王陛下に任命されてお二方に教育を施しています。そこに他の者が介入することは許されません。そもそも、公爵家の権力をちらつかせたところで、教師達が陛下に報告すれば、罰せられるのは公爵家です」
「ならば罰せられるべきだろう!」
「いえ、ですから、わたしも公爵家も何もしていないので罰せられる理由がありません」
「嘘を言うな! そうでなければあれほど急激に教育内容が変わるなど、おかしいではないか!」
……国王陛下も王妃様も、きっと頭を抱えているだろうな。
その理由はこれまで何度も王太子に説明されていたはずだ。
「わたしが婚約者であった時は、あなたの苦手なものは全てわたしが支える──……つまり、あなたの代わりにわたしが出来るようにと考えられていました。あなたが出来ないことは婚約者のわたしが出来なければいけない。その分、わたしの教育はあなたよりもずっと大変でしたよ」
この王太子や侯爵令嬢の様子を見ていれば、それほど勉学に力を注いでいないのが分かる。
寝食を削り、自分の時間すら持つ暇もないほど勉強しなければいけないつらさを、この二人はまだ知らないのだ。そこまでしなければいけないことを理解出来ていない。
「代わりに行うはずだったわたしがいなくなったのですから、本来それを行うべきである王太子殿下に教育を施すことになるのは当然の結果です。そして、あなたが出来なければ、わたしの時と同様にウィルモット侯爵令嬢に教育が移ります。しかもお二人とも短い時間で教育を完了させなければいけないので、詰め込むためには一日の授業時間を増やすしかありません」
「授業が増えるのは理解するが、厳しくなったのはどう説明する!?」
「教師達も国王陛下の期待に応えようと必死なのですよ。あなた方を教育し直さなければいけなくなり、けれども思うようにあなた方の学びが進まないとなれば、厳しくなるのも仕方がないのでは?」
第一、と更に言葉を続ける。
「王太子殿下は、教師達を『金と権力でどうにか出来る相手』と思っていらっしゃるのが間違いです。彼ら、彼女らは国王陛下に真の忠誠心を持って仕えています。たとえ、あなたが『クビだ』『処刑だ』と言っても対応が変わることはないでしょう。既に他国の者となったわたしがいくら実家の力を使ったところで、誰も見向きもしませんよ」
そういう者達だからこそ、国王陛下は未来の王や王妃となるべき者達の教育を任せた。
彼らは優秀だったが、王太子の行動は彼らの予想の範疇を越えてしまったのだろう。
あくまで彼らが教えるのは王に必要な知識や学びであり、王太子の性格を矯正するのは職務の範囲外で、教師達は楽なほうにばかり逃げる王太子を見て呆れていたのかもしれない。
やりたくない、出来ないと婚約者に己の学ぶべきことを押し付ける王太子。
きっと、教師達は王太子が王位を継いだ時、王族から離れていく。
「では、貴族達の反応はどういうことだ! 公爵家が他の貴族達に、私達の結婚に反対するよう、圧力をかけたのだろう!? 貴様との婚約を破棄して以降、ウィルモット侯爵家は社交界から爪弾きにされて、エイリーンは苦しんでいるんだぞ!?」
「それがごく普通の反応です」
「未来の王太子妃、やがては王妃となる者の家を貴族が拒絶するなどありえない!」
確かに、普通なら貴族達は王妃の実家を重視し、近づきたいと思う。
だが今回は事情が異なる。
「殿下、人との付き合いとは鏡のようなものです。あなたは最も近い存在であった婚約者に嫌なことを押しつけ、王太子となるために利用した挙句、捨てました。人々はそのことを知っています。王太子はそういう人間だと気付いています。婚約者すら大事に出来ない者に、婚約者がいると知りながら奪う者に……王の考えに背く者達に教師や貴族が疑念を抱くのはおかしいことでしょうか?」
国王陛下はこれまで王太子に甘い対応をしてきた。
そして教師達もわたしに王太子の尻拭いをさせてきた。
これはそのツケである。




