レヴァイン公爵家
レンテリア王国に来た翌日、レヴァイン公爵──……つまり、父から手紙が送られて来た。
とても遠回しな書き方だったが、家に帰って来ないのか、という内容であった。
特に帰りたいとも思っていなかった。
弟のことは気になっていたので、滞在中にこっそりどこかで弟とだけ会おうと考えていたのだが、どうしたものか。
わたしとしてはもう両親に関心はない。公爵家も弟に任せればいい。
父からの手紙についてアシュリーに相談したら、こう返された。
「スカーレットの暮らしていた公爵家を見てみたいわ」
アシュリーがそう言うならと、わたしは父に返事を書いて送った。
そのまま『第二王子殿下が公爵邸を見たがっているから少しだけ伺う』という内容だったが、思ったよりもすぐに返事が返って来て、その日の午後には公爵家に行くこととなった。
しかも、わざわざ公爵家から迎えの馬車が来た。
……まだ残していたのか。
わたし専用だった馬車に乗り、公爵家に向かう。
「さすがに公爵邸の中を案内するのは一日では足りないが……何か見たいものはあるか?」
アシュリーに問うと、ニコニコしながらアシュリーが返事をする。
「肖像画はあるかしら? スカーレットの子供の頃の姿を見たいわ。それから、スカーレットがよく過ごしていた場所や公爵邸の好きな場所とかも気になるわね」
「そうか。……まあ、公爵邸はアシュリーの離宮より小さいぞ?」
「あら、大きかったらビックリよ」
ふふふ、とアシュリーが楽しそうに笑う。公爵邸に行けるのが嬉しいらしい。
馬車が公爵家の門を潜り、敷地の中に入るとゆっくり進む。
そうして、懐かしの公爵邸に到着した。
馬車から降りると両親と弟、使用人達に出迎えられる。
「ようこそ、お越しくださいました。ミレリオン王国の第二王子殿下にご挨拶申し上げます。私はレヴァイン公爵家の当主、ランベルト・レヴァイン、こちらが妻のリースリットと嫡男のリックスです」
「アシュリー・ヴィエ=ミレリオンです。本日はわがままを聞いていただけて嬉しいですわ。スカーレットの生家を一度、見てみたいと思っておりましたの」
どうぞ中へ、と父の案内で屋敷の中に入る。
通されたのは一番格式高い応接室だった。
アシュリーとわたしが勧められたソファーに座ると、向かいに両親が、斜め前にリックスが座る。
「よろしければ、子供の頃のスカーレットについてお訊きしたいのですが──……」
とアシュリーが言い、両親がわたしについて話をした。
それをアシュリーは喜んで聞いていたけれど、リックスが微妙な顔をする。
両親が話している『昔のわたし』とは十二歳までのことで、王太子と婚約して以降の話はまるで他人の経歴を話しているような口調だった。それもそうだろう。婚約が決まってからは忙しく、両親と顔を合わせる時間もなかったし、そのための時間も作らなかった。
だから、十二歳以降のわたしについては経歴を知っているという程度である。
ある程度話が終わったところで、わたしはティーカップを置いた。
「そろそろ公爵邸を案内したいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
わたしの言葉にアシュリーが「あら」と振り向く。
「話に夢中になってしまったわ」
「それは構わない」
立ち上がったわたしに、何故か父も立ちあがろうとする。
「では、私が案内を──……」
「父上、オレが案内します」
それをリックスが遮り、先に立ち上がった。
アシュリーもそれにニコリと微笑む。
「そうね、リックス殿にお願いしましょうかしら」
そうアシュリーに言われてしまえば、父はそれ以上は何も言えない。
「どうぞ、ごゆっくり屋敷の中をご覧ください。……リックス、任せたぞ」
「はい、父上」
そして、応接室を出る。
……緊張とは違うが、両親と顔を合わせるのは少し疲れる。
ふわりと手が、アシュリーの手に包まれた。
「お疲れ様、スカーレット。……リックス殿、スカーレットの子供の頃の肖像画を見てみたいのだけれど、あるかしら?」
「はい、ありますよ。こちらへどうぞ」
歩き出したリックスの後を、手を繋いだままついて行く。
応接室から離れると、前を行くリックスが言った。
「すみません、アシュリー殿下。父上と母上の言う『昔の姉上』はずっと子供の頃のことで、ここ数年の姉上のことを、あの方々はよく知らないのです。……全く、実の娘について経歴しか分からないなんて……」
思わずといった様子で呟くリックスに、アシュリーが「やっぱりそうなのね」と返す。
「今のスカーレットとあまりに違うから変だと思ったわ」
「その経歴についても、姉上が出て行ってから慌てて調べたものです」
「まあ……」
アシュリーが気遣うようにわたしへ視線を向けたので、大丈夫だと微笑み返した。
「でも、姉上が元気そうで安心しました。この国で王太子の婚約者をしていた時より、今の姉上のほうが表情が穏やかで、雰囲気も柔らかくなりましたし、何より、そうして誰かに利き手を預ける姉上を見るのは初めてです。姉上は第二王子殿下をとても信頼しているのですね」
リックスの声はどこか嬉しそうだった。
……もしかして、ずっとリックスに心配をかけていたのだろうか。
わたしは強くなるために努力をしたけれど、他者から見れば、無理をしているように感じられたかもしれない。騎士になってからは屋敷に寝に帰るくらいで、ほとんど王城にいた。
「そうだと嬉しいわ」
アシュリーも嬉しそうな様子で笑う。
その後、リックスが案内したのは肖像の間だった。
ここには歴代の公爵夫妻の肖像画だけでなく、わたし達家族の肖像画も飾ってある。
部屋に入り、リックスがわたし達家族の肖像画の前に立つ。
家族の肖像画があり、左手に両親のものが、右手にわたしとリックスのものが飾られており、アシュリーが目を輝かせてわたしのこれまでの肖像画を眺めた。
「小さい頃からスカーレットは可愛かったのね。……あら? でも、肖像画が少ない気がするわ」
首を傾げたアシュリーにわたしは苦笑しながら答えた。
「十二歳で王太子と婚約して以降、忙しくてあまり肖像画を描いてもらう時間もなかったんだ。ほら、この歳からは服装も違うだろう? ここからずっと男装しているんだ。家族の肖像画も婚約後はあまりない」
「そう……」
ジッとわたしの肖像画を見つめるアシュリーの手を握り返す。
「これからはアシュリーと並んだ絵がほしい」
アシュリーがニコリと微笑み、頷いた。
「ええ、もちろん。帰ったらすぐに画家を呼ぶわ。婚約発表の時に着た服で一枚、普段着でも一枚、最低でも二枚は描いてもらいたいし……とにかく沢山、描いてもらいましょう」
「ああ」
……やっぱり、アシュリーを好きになって良かった。
しばらく肖像の間で絵を見て過ごし、部屋を出る。
「リックス、訓練場に案内してくれ」
「分かった」
次に向かったのは訓練場だ。
騎士達が使っているけれど、ここでは父や弟、そしてわたしも剣の鍛錬をする。
父と剣を交わしたことはないが、相当、腕が立つらしい。
話によるとリックスもなかなかに剣の腕は良いそうだ。
三人で訓練場に行くと、その場にいた騎士達がワッと集まって来た。
「スカーレット様、お久しぶりです!」
「お元気そうで何よりです、スカーレット様!」
人混みに呑まれてしまいそうになったが、リックスが声を上げる。
「お前達、こちらにいらっしゃるのはミレリオン王国の第二王子殿下だぞ! 整列!」
それに騎士達は即座に反応して訓練場に並ぶ。
騎士達が剣を胸の前に持ち、剣先を天上に向け、先頭の騎士が「第二王子殿下にご挨拶申し上げます!」と言うと「ご挨拶申し上げます!」と皆が声を揃えて言った。
その様子を見たアシュリーが少し驚いた表情を浮かべている
「公爵家の騎士達もなかなかだろう?」
「ええ……とても統率が取れているのね」
「ちなみに、そこにいる騎士団長のフェンがわたしに剣を教えてくれた」
騎士達が剣を鞘に戻す中、団長を手招きすれば、すぐに近づいて来る。
「リード・フェンと申します。レヴァイン公爵家の騎士団長を務めさせていただいております」
「こう見えてリードは厳しくてな。だが、そのおかげでここまで剣の腕が上がったんだ。それに体を鍛えることの大切さや、継続することの大事さも教えてもらった」
「スカーレット様は剣の才能がありましたから、あっという間に私は越されてしまいましたが」
フェンが笑い、アシュリーが微笑んだ。
「スカーレットは良い師匠に恵まれたのね。何度も手合わせをしているけれど、スカーレットの剣筋が綺麗なのは、最初に剣を教えたあなたが変な癖がつかないように気を付けていたからでしょう。剣は才能も必要だけど、教わる相手も重要だわ」
「ああ、フェンのおかげで今のわたしがあると言っても過言ではない」
わたしが頷くと、フェンが照れたように頭を掻いた。
「第二王子殿下とスカーレット様にそのように言っていただけて光栄です」
フェンや騎士達には元の訓練に戻るよう言い、訓練場の端にある休憩所からその様子を眺める。
三度目と四度目を合わせて四年。ここで剣の訓練をした。
騎士になった後は王城の訓練場を主に使っていたが、時々、ここにも来ていた。
公爵邸では、寝る時の次に長く過ごしていたのはこの訓練場だった。
アシュリーもわたしの横で騎士達の様子を眺めていた。
「……なるほど。統率だけでなく、個々の能力も高いわね」
「ああ。……皆、いつもわたしの手合わせに付き合ってくれて、そういう意味では全員が剣の師匠と言っても良いかもしれない。それに、中には元傭兵だった者もいる。実戦向きの戦い方も、彼らから教わった」
思えば、公爵家を出る時は彼らに挨拶をする暇も余裕もなかった。
それなのに、ああしてまた笑顔で出迎えてくれた彼らには感謝しかない。
アシュリーと共に騎士達の訓練を少しの間、見学してから、リックスとわたしとで話をして次の場所に向かう。今度はわたしが案内役だ。
「次はどこを見せてもらえるのかしら?」
「着いてからのお楽しみだ」
そうして、わたしはアシュリーを最後の場所に案内した。
屋敷の三階、南側にある一室に辿り着く。
扉を開け、アシュリーの手を引いて部屋の中に入る。
……公爵家を出た時から何も変わっていない。
「ここってもしかして……」
アシュリーの言葉にわたしは頷いた。
「ああ、わたしの部屋だ。……今後、ここで過ごすことはないが」
リックスは出入り口の扉枠に寄りかかり、黙っている。
アシュリーがわたしの部屋を見回した。
「実用的な部屋ね。……あら? 色々と飾ってあるようだけれど、あそこの棚は?」
「あれは貰い物を置いていた棚だ。女性から手紙や物を贈られることも多くてな。だが、気持ちがこもっているものを捨てるのも申し訳なくて、ああして飾っていたんだ」
「すごく人気だったのね」
アシュリーの拗ねたような表情に苦笑してしまった。
「劇の有名な男性劇員みたいなものだ。人気があっても、皆、本気ではない」
「当然よ! スカーレットはアタシの婚約者だもの!」
ギュッと抱き締めてくるアシュリーを抱き締め返す。
そして、部屋のあれこれを話し、見せると、アシュリーは喜んでいた。
そんなことをしているうちにあっという間に時間が過ぎて、元の応接室に戻る。
「姉上の部屋はずっと残しておく」
とリックスが言ったが、わたしは首を横に振った。
「いや、わたしの部屋はもう片付けてくれ。贈り物を飾ってあるあの棚の中身だけ、送ってくれると助かる。他は捨てて構わない。もしこの屋敷に泊まることがあったとしても、客室を借りればいい」
「そうか……分かった、父上と母上にもそう言っとく」
もし父の代で部屋を残したとしても、こう言えば、リックスが公爵位を継いだ時に部屋を片付けてくれるだろう。
元々、結婚したら家を出る身だったのだから、部屋を残しておく必要はない。
少し休憩して、わたし達は王城に戻ることにした。
見送りのために両親とリックス、使用人達が出る。
「本日は楽しい時間を過ごせたわ。公爵令息も、案内してくださってありがとう」
「いえ、第二王子殿下のお気に召していただけて何よりです」
リックスが一礼する。
「またいつでもお越しください。第二王子殿下とスカーレットを歓迎いたします」
「あら、嬉しい。その時はよろしくお願いするわね」
そこで『また来る』と答えないのは、わたしの気持ちを気遣ってだろうか。
父も母も、それ以上は何も言わなかった。
馬車に乗り、扉が閉められる直前、父に名前を呼ばれた。
「スカーレット……ッ」
一瞬、言葉に詰まった様子の父が言う。
「……これからは、自由に生きなさい」
それにハッと息を呑む。
一度目を思い出し、様々な感情が駆け巡ったものの、最後にわたしが感じたのは『感謝』だった。
王太子との婚約を了承したのは両親の立場なら仕方がないし、わたしが剣を習いたいと言った時も、毒に慣れたいと言った時も、両親はそれを聞いてきちんと手配をしてくれた。
そのおかげで四度目の──……今のわたしがある。
「父上」
俯きかけていた父が顔を上げる。
「わたしは今まで、不自由だと思ったことはありませんよ」
驚いた顔をする父と母、そしてリックスに微笑み返す。
今度こそ、扉が閉められ、馬車がゆっくりと走り出す。
窓越しに両親と弟に手を振ると、三人から振り返される。
公爵家の敷地から馬車が出て、街の中を走っていく。
アシュリーにそっと抱き寄せられた。
「良かったわね、スカーレット」
その優しい声にわたしは寄りかかった。
わたしの生まれ育った家をアシュリーに見せることが出来て良かった。
そして、両親へ感じていた疑念も消えたような気がする。
一度目のわたしの苦痛や悲しみは消えないし、両親の判断が正しいとは言えないが、きっとあの時は両親も悩んでいたのだろう。それについてはもう考えても仕方のないことだ。
「……ああ」
こうして両親とのわだかまりを消せたのはアシュリーのおかげだ。
「ありがとう、アシュリー」
「あら、アタシは何もしてないわ」
……あなたに出会えたのは人生で一番の幸運だ。




