レンテリア王国
王太子と侯爵令嬢の手紙の件から一月後。
今日、わたしとアシュリーはレンテリア王国に旅立つ。
表向きはレンテリア王国への使節団の派遣という形になるので、他にも数名の貴族や文官、そしてアシュリーの近衛騎士達が護衛のために行く。思いの外、大勢になった。
「アシュリー、スカーレット、気を付けて行くように」
「あちらの王太子にきちんと理解させておいで」
国王陛下と王太子殿下に挨拶を済ませ、わたし達は王城から旅立った。
馬車に揺られながら、車窓を眺める。
「まだ、レンテリア王国を出てから半年も経っていないのだな」
ミレリオン王国での暮らしが快適過ぎて、もうずっとこの国で生きてきたような気分だった。
弟と手紙のやり取りはしていたが、それ以外でレンテリア王国のことを思い出す機会もあまりなく、わたしにとっては今はミレリオン王国こそが帰るべき場所になっていた。
「王太子も侯爵令嬢も、本当に次代の王と王妃になりたいと思っているのかしら? しかも自分達が酷いことをした相手に助けてもらおうだなんて、都合の良い話だわ」
「はは……まあ、王太子からすれば、昔からわたしのことは『何をしても許される相手』という感じだったからな。わたしも王太子の傲慢さを助長させてしまった一人だ」
婚約者としてもっと進言していれば変わったのかもしれないが、わたしは王太子のことをどうでもいいと思っていたから、彼の好きなようにさせていた。そのツケが回ってきたのだろう。
「レンテリア王国に戻るのはつらくない?」
そっと抱き寄せられ、わたしもアシュリーを抱き締め返す。
「ああ、問題ない。……わたしが帰る場所はミレリオン王国だ」
それに、アシュリーがあの時わたしを『婚約者として迎えたい』と言ってくれて、レンテリア国王が認めてくれたから、わたしの名誉も公爵家の名誉も守られた。
わたしは三度目で、アシュリーより受けた恩を返すと決めた。
そしてアシュリーを愛し、アシュリーのために生きると決めた。
だからもう、レンテリア王国はわたしにとっては過去である。今更、何かを感じることはない。
「そうね、スカーレットはもうアタシの婚約者だもの」
アシュリーの嬉しそうな声にわたしも微笑む。
王太子が何と言おうと、何をしようと、わたしはアシュリーの婚約者だ。
* * * * *
一月近くかけてレンテリア王国の王都に到着した。
道中は何事もなく、穏やかな旅だった。
数ヶ月ぶりの故郷と言ってもさほど感慨は湧かなかった。
王城に着くと客室に通されたので、入浴と着替えを済ませた。
今回の旅にはルヴェナも侍女として同行してくれており、身の回りのことは彼女が助けてくれるので非常に助かっている。
身支度を整え終えた頃にアシュリーが部屋に来た。
「あら、お化粧したのね。いつも格好良いけれど、今日は特に素敵よ」
一目でわたしの変化に気付いたアシュリーに頷き返す。
「ああ、ルヴェナが『化粧はするべき』と言うのでな」
「美しいスカーレット様をご覧になれば、レンテリア王国の方々も『ミレリオン王国でスカーレット様は大事にされている』と分かります。そして殿下とスカーレット様が仲睦まじく過ごされることで『戻る意思はない』ことも伝わるでしょう」
ルヴェナが控えている状態でそう説明する。
それにはわたしも一理あると思ったので、化粧を任せた。
……何というか、化粧をすると大体二割り増しで中性的さが増すんだが。
ドレスを着ていないから中性的に感じるのだろうか。
しかし、もうドレスを着たいとは思えなかった。
「なるほど。……そうね、アタシ達はいつも通り過ごしましょ」
アシュリーに抱き寄せられて、わたしも抱き締め返す。
「ああ、それがいい」
「さあ、そろそろ謁見の時間だから行きましょうか」
「そうだな」
アシュリーと手を繋ぎ、部屋を出る。
使節団の他の者達も準備が整ったようで廊下に出て来ていた。
全員が集まるとレンテリア王国の騎士の案内で、謁見の間に向かった。
数ヶ月ぶりの王城はどこか懐かしく感じる。
わたしが離れてから変わったところはなさそうだった。
謁見の間の扉に到着し、騎士が謁見の間の扉を守る騎士に、ミレリオン王国使節団の到着を伝える。
そして、謁見の間の扉が開けられた。
広い室内、中央の絨毯の左右には政に携わる貴族達が控えている。
どれも見覚えのある顔ばかりで、やはり、懐かしい。
アシュリーや使節団の者達と入室し、絨毯の上を進む。
突き刺さる好奇の視線には反応せず、前を向いて歩く。
玉座にはレンテリア国王が座っていた。
その少し後ろに王太子がいる。
わたしと目が合うと表情を明るくしたので、恐らく『手紙を読んで自分の言う通りに戻って来た』と勘違いしているのだろう。嬉しそうな様子が隠しきれていない。
玉座の手前で立ち止まり、膝をつく。
「面を上げよ」
レンテリア国王の声が響く。
顔を上げれば、国王陛下と目が合った。
「レンテリア国、国王陛下にご挨拶申し上げます」
「うむ、数ヶ月ぶりだが、アシュリー殿も息災で何よりだ」
国王陛下が満足そうに一度頷く。
「改めて、此度はよく来てくださった。レンテリアは貴殿達の訪問を歓迎する」
「ありがとうございます。我が国としても、レンテリア王国との同盟は重要なものです。今回の訪問で、父王に良き報告が出来ることを願っておりますわ」
「それから遅くなってしまったが、アシュリー殿、婚約おめでとう」
アシュリーがそれにニコリと微笑む。
「お祝いのお言葉、ありがとうございます。スカーレットと婚約して、夢のような日々を過ごしております。両国の国王陛下が認めてくださったこの婚約に感謝いたします」
国王陛下がまた頷き、わたしを見た。
「スカーレットよ、元気そうで安心したぞ。ミレリオン王国ではどう過ごしておる?」
「国王陛下もご健勝で何よりでございます。ミレリオン王国にも強き方々が大勢おりますので、毎日、剣の鍛錬や王族になるべく教育を受け、充実した日々を送っています」
「そうか、そうか。そなたはあちらに行っても勤勉であるか」
陛下の優しい声と眼差しに、少しだけ寂しさを感じた。
婚約破棄をしなければ、この方はわたしの義理の父となった。
もうその道は閉ざされてしまったけれど、それでもこうして気にかけてくださるとは。
「アシュリー殿よ、どうかスカーレットを頼んだ」
「はい。守り、支え、共に歩むのが婚約者の在り方ですもの。これからも二人共に寄り添いながら、ミレリオン王国を支えていく所存ですわ」
「うむ、そう言ってもらえると余の心の重荷も少し、軽くなる」
王太子がわたしに婚約破棄を突きつけたことは、陛下の悩みの種だったのだろう。
元気そうなわたしの姿を見て安堵したようだ。
その後は、今後の日程について少し話をして、謁見の間を退出する。
背中に感じる王太子の強い視線には、気付かないふりをした。
* * * * *
「クソッ、どういうことだっ!?」
エミディオ・ルエラ=レンテリアは、握り締めた拳をテーブルに叩きつけた。
テーブルの上に置かれたティーカップがガチャンと音を立てて揺れる。
何もかもが想定外だった。
元婚約者のスカーレット・レヴァインがレンテリア王国に帰って来た。
一度目の手紙は父王経由で戻り、酷く叱られた。
自ら婚約破棄をしたにも関わらず、戻って来いとは何事か。
スカーレットはミレリオン王国の第二王子と婚約することが決まっている。
だから、戻って来てエミディオの第二王妃になることなどあり得ない……と。
だが、いくらレンテリア王国より大きなミレリオン王国とは言え、王太子の妻と第二王子の妻では立場が違う。どちらがより高い地位であるかは明白だし、次代の王の妻になれる機会を与えてやったのだから、それを受け入れるのが普通である。
恐らく、ミレリオン王国がスカーレットに手紙を見せず、送り返したのだろうと思った。
だから手紙には返事がなかったのだ。
どうやって次の手紙を送るか考えていると、エイリーンが良い案を考えてくれた。
スカーレットと関わりのあった貴族の令嬢経由で送ればいい、と。エイリーンがその令嬢に声をかけ、エミディオの手紙を送るよう上手く手配をしてくれた。
エイリーンは賢く、可愛らしく、それでいて出しゃばることがない。
共に過ごしていて癒されるし、エミディオを認め、求めてくれる。
「エミディオ様ぁ、怖いですぅ……」
というエイリーンの言葉に我に返る。
「あ、ああ……すまない、エイリーン」
横に座るエイリーンを抱き寄せれば、荒んだ心が癒される。
二度目の手紙はスカーレットの下に届いたようだが、やはり送り返された。
特別に国に戻る機会を与えてやったというのにスカーレットは断ったのだ。
それでも、帰って来たので考え直したのかと思っていれば、ミレリオン王国の第二王子と婚約したなどという話だった。全くもって話の通じない相手である。
謁見の間でのことをエイリーンに説明すると、エイリーンも「まあ……」と驚いた顔をする。
「エミディオ様の妃という栄誉を賜る機会を無視するなんて、あり得ませんわぁ」
「そうだろう? スカーレットめ、あいつは性格が悪いから当てつけで第二王子と婚約したのかもしれない。第二王妃ではなく、王妃でなければ頷かないという意思表示だろう。……なんて愚かな」
確かに、勝手に婚約破棄をしたのはこちらだが、もう一度婚約を結び直せばスカーレットにとっても名誉を回復する良い機会だったはずだ。それを蹴るなど、どうかしている。
そっとエイリーンが寄り添ってくる。
「レヴァイン公爵令嬢は強欲なのですわぁ。……つらいですけれどぉ、エミディオ様のためなら私は第二王妃でも構いません……っ」
胸元に額を押しつけ、腕の中でエイリーンが震えている。
その涙声にしっかりと細い体を抱き寄せた。
「エイリーン、君は何と健気な……。スカーレットに見習わせたいくらいだ」
本当はエイリーンを王妃にしたい。愛する彼女に一番の座を与えてやりたい。
スカーレットなどを王妃に据えなければいけないなんて、考えるだけでも不愉快極まりない。
だが、両親を納得させるにはスカーレットを引き戻すしかない。
……しかし、スカーレットはアシュリー殿の婚約者だ。
「スカーレットを王妃に据えれば、また私の地位は盤石なものとなるだろう。けれども、スカーレットはミレリオン王国の第二王子の婚約者となってしまった。恐らく、あの女は簡単には戻って来ない」
少なくとも、第二王子との婚約を解消してもいいと思えるような何かを提示出来ない限り、スカーレットが戻って来る可能性は低い。
あとは誰もが婚約を解消、もしくは破棄するのを認めるような欠点がスカーレットになければ、両国が認めた婚約を変えることは難しいだろう。
腹立たしいが、スカーレットは完璧な人間だった。
貴族の令嬢としては眉を顰めたくなるものだが、その経歴と能力から、誰も批判はしない。
十二歳にして王太子妃教育の試験で教師達が『教育の必要性なし』と判断するほど優秀で、剣の腕も剣武祭で入賞するほど高く、性格の悪さはあっても騎士としての仕事に対する姿勢は真面目で誠実。両親からの信頼も厚かった。
婚約者として毎週の茶会にも必ず来て、時季の手紙も欠かさず、こちらの誕生日には必ず贈り物を寄越して来た。
……これでは欠点など見つけられない。
精々『男装している』という点くらいだろう。
その男装についても、当初はともかく、現在では受け入れられている。
むしろ、スカーレットが男装を始めたことで、動きやすい服装を求められる場所では男性の衣装に似た装いを女性がしても良いという風潮が生まれつつある。
その先駆者としてスカーレットは貴族の女性達からの支持もあった。
婚約破棄をしたことで、女性達の支持を失ったのは予想外の痛手だった。
エイリーンとの『真実の愛』を主張しても貴族達から反応は悪く、王侯貴族であろうとも愛のない結婚は良くないと主張しても白い目を向けられるばかりだ。
……何故だ。政略結婚など、どちらも気分が悪いだけではないか!
愛する者同士の結婚を推し進めることの何が悪いのか。
エイリーンの腕が首に回される。
「私に秘策がございますぅ。お耳を貸していただけますかぁ?」
そうして、エイリーンが秘策を囁いた。
「それは……」
「動けなくするだけですから、大丈夫ですわぁ。それにミレリオン王国の第二王子殿下はきっと婚約を解消、もしくは破棄するはずですものぉ。あとは『責任を取る』と言ってレヴァイン公爵令嬢を娶ってしまえばよろしいのですぅ」
エイリーンが可愛らしい顔で微笑む。
「王太子の座も、次代の王の座も、エミディオ様のものですわぁ」
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