頭痛の種
アシュリーが王位継承権を放棄してから半月。
第二王子の暗殺に関わったテセシア侯爵家やいくつかの家は処罰が下った。
テセシア侯爵令嬢──……ルヴェナは、今はわたしの侍女になってもらっている。
ルヴェナは真面目で働き者、アシュリーの暗殺や家の悪事などを訴えたこともあって近衞騎士からの評判は良い。何だかんだ近衞騎士達もルヴェナのことを気にかけてくれていた。
わたしはと言うと、特に今までと何かが大きく変わったということはない。
婚約者という立場となり、ミレリオン王国の王族籍に入るための教育は受け始めたが、この国の歴史について学ぶのがほとんどであった。
それ以外では剣の鍛錬を行い、体を鍛え、いつも通りに過ごす。
「『あの日』は過ぎたのに、まだ鍛錬を続けるの?」
とアシュリーに訊かれたので、わたしは頷いた。
「いついかなる時もアシュリーを守るために努力は怠りたくない」
「スカーレットは本当、男前よね。そういうところがすごく素敵よ」
それから、たまにアシュリーも剣の鍛錬に参加して、手合わせをしてくれるようになった。
今のところはアシュリーに勝つことが目標だが、剣の才能はアシュリーのほうが上らしく、まだまだ勝てそうにない。悔しいけれど、強くて格好良いところに惚れ直した。
そんなふうに平和が戻りつつあったのだが、その日、届いた手紙が問題だった。
「……何だって今更……」
その手紙の差出人の名前は『エミディオ・ルエラ=レンテリア』だった。
そう、大勢の前でわたしに婚約破棄を宣言した、レンテリア王国の王太子である。
レンテリア王国を出てから三月半は経っているというのに、婚約破棄をした相手にこうして平然と手紙を送るその厚顔さにはさすがに呆れてしまう。
「スカーレット様、そちらのお手紙の差出人ですが……」
「ああ、ルヴェナの想像通り、レンテリア王国の王太子だ」
「……なんて恥知らずな……」
その呟きには同意せざるを得ない。
とりあえず封を開け、手紙の内容を確認する。
……………。
……………………………。
……………………………………………。
一応、確認のために手紙を三度読み返した。
読み返して、内容が変わるわけではないが、信じられなかった。
恐らく、レンテリア国王の目を盗んでこの手紙を送ったのだろう。
そうでなければ、あの方がこのような内容の手紙を送ることを許すはずがない。
溜め息を吐いたわたしにルヴェナが心配そうに声をかけて来る。
「スカーレット様……」
「……大丈夫だ。少し、王太子の頭がおかしいのではと疑ってしまっただけだ」
「お話を聞く限り、元よりそうではないかと私は愚考いたします」
ルヴェナの辛辣な物言いに何も言えなかった。
「アシュリーにメッセージカードを書く」
と言えばメッセージカードとインク、ペンが用意される。
それに礼を言いつつ、急ぎ会いたいという旨を書き、騎士に託す。
騎士がメッセージカードを持って出て行くのを見送り、手紙に視線を戻す。
……王太子教育は上手くいっていないのだな。
このような手紙が来る時点で色々と察してしまった。
* * * * *
その後、返事が来たので時間を見計らってアシュリーの執務室に向かった。
レンテリア王国の王太子からの手紙を見せることを思うと、頭が痛い。
溜め息を呑み込み、到着した執務室の扉を叩いた。
中からすぐに「どうぞ」と声がしたので入室する。
「忙しいところ、すまない」
アシュリーがニコリと微笑み、ペンを置いた。
「スカーレットならいつでも大歓迎よ」
立ち上がったアシュリーはわたしにソファーを勧め、わたしが座ると横に腰掛けた。
当たり前のようにギュッと抱き締められる。
「ああ、癒されるわ〜……」
「仕事が大変なのか?」
「大変と言えば大変だけど、いつも通りよ。でもスカーレットの顔を見たら疲れなんて吹き飛んだわ。ずっとここにいてほしいくらい。アタシの癒しはあなただけよ」
抱き締められ、すりすりと頬擦りをされる。相当疲れているらしい。
しばらくわたしを抱き締めたことで満足したのか、アシュリーの腕が離れる。
「それで、何かご用かしら?」
ニコニコしながら訊かれると少し言いづらいが仕方がない。
わたしは懐から手紙を取り出し、アシュリーに差し出した。
「実は、元婚約者から手紙が届いた」
「何ですって?」
「とりあえず、これを読んでほしい」
わたしの手から手紙を受け取り、アシュリーがその中身を見る。
そこに書かれている内容を読んでいくアシュリーの表情が険しくなっていく。
王太子から届いた手紙の内容はこうだ。
わたしと婚約を破棄してから教育が厳しくなった。
ウィルモット侯爵令嬢も王太子妃教育が厳しく、共に過ごす時間も減り、気落ちしている。
貴族からも王太子をこのまま王に据えることを疑問視する声が上がっているらしい。
父と母──……つまり、国王陛下と王妃の態度が冷たくなり、ウィルモット侯爵令嬢にもつらく当たる。
全てが上手くいかないのはわたしのせいであり、また自分を支える栄誉を与えてやるから戻って来い。
その時は特別に側妃ではなく、第二王妃の座を与えてやろう。
この慈悲にわたしは感謝しながらレンテリア王国に戻って来るべきである。
便箋五枚にも及ぶ長い文面であったが、要約するとそのようなものだった。
最後まで読み終えたアシュリーの、手紙を持つ手に力がこもる。
「……あの王太子、頭がどうかしているのではなくって……?」
珍しくアシュリーの表情から笑顔が消えている。
明らかに怒った様子のアシュリーが珍しくて、ついまじまじと見てしまう。
こうして改めて見ると整った顔立ちは美しい。
男性的ながらもあまり無骨さはなく、精悍というよりかは、やはり美形という言葉が似合う。
ジッと見つめるわたしの視線に気付いたアシュリーが表情を和らげる。
「これ、返事はするの?」
「正直に言えばしたくない。無視をしても返事をしても、どうせ王太子は怒るだろう」
「そうね。……でも、あの王太子、こんなに馬鹿だったかしら?」
手紙を見て不可解そうな顔をするアシュリーに、わたしも小首を傾げる。
「まあ、婚約者に苦手な勉強を押し付けて、その挙句、気に入らないからと公衆の面前で婚約破棄を宣言するような方だからな。あえて何か言うとしたら、よくレンテリア国王の目を盗んで手紙を出せたなと感心しているくらいか」
「それもそうね……」
はあ、とアシュリーが溜め息を吐く。
「いつもこんな手紙を送られていたの?」
「いや、手紙のやり取りは茶会の日取りを決める時くらいだったが、途中からそれすら嫌になったのか毎週決まった日時に茶会をしていた。ついでに言えば、その茶会も来ないことが多かった。そもそもわたしへの手紙は二度目から侍従に代筆させていたから、王太子直筆の手紙を見たのは最初の一通以来だな」
「……」
アシュリーの絶句した様子にわたしは苦笑してしまった。
婚約者に送る手紙を代筆させるというのは普通はあり得ないことだ。
しかも、王太子の場合はそのことを一通目の手紙から『以降は侍従に代筆させる』と宣言していたし、わたしもそれ以降は必要最低限のことだけ書いた手紙を送り返していた。
あの王太子のことだから、わたしからの返事の手紙を直に見ることすらなかったかもしれない。
侍従に読ませて内容だけ聞いていた可能性は十分に高い。
ガシリとアシュリーに両肩を掴まれた。
アシュリーにしては、やはり珍しいことだった。
「スカーレット、これは陛下と王太子殿下にも見せましょう」
「え?」
「そして、陛下からレンテリア国王宛てで送り返すべきよ」
立ち上がったアシュリーが机に置かれたメッセージカードに素早くペンを走らせ、騎士達に渡す。
「国王陛下と王太子殿下に渡して来てちょうだい」
アシュリーの侍従だろう人達が頷き、部屋を出て行った。
しばらくの後、二人から返事が戻って来たが、どちらも面会について了承するものだった。
アシュリーと共に執務室を出て、廊下を進む。
アシュリーに手を引かれて歩いて行くが、通ったことのない道に入った。
「ここは来たことがないが、わたしが立ち入っていいのか?」
「構わないわ。場所の指定は陛下からだもの」
許可が出ているのならば問題ないか。
少し歩き、両開きの扉の前で立ち止まる。
扉を叩けば、中から出て来たのは王太子殿下だった。
「急ぎの用があると聞いたけれど、どうしたんだい?」
中へ通されるとソファーに国王陛下が座っていた。
王太子殿下も空いているソファーに座り、アシュリーとわたしも別のソファーに並んで座る。
「説明するよりも見ていただいたほうが早いですわ」
アシュリーが王太子の手紙をまずは国王陛下に渡した。
差出人の名前を確認し、内容を読み、そして国王陛下は唖然としていた。
国王陛下が手紙を渡し、王太子殿下も手紙を読んでいる。
王太子殿下も最後まで読み終えたようで、顔を上げた。
「レンテリア王国の王太子は何歳だったかな? 子供でも、こんな手紙は書かないと思うのだが」
手紙を返されたアシュリーがそれを受け取る。
「アタシより五つ下なので、二十歳ですわね」
「レンテリア王国の一年は我々の半年という計算かもしれない」
「……お恥ずかしながら、レンテリア王国の一年はミレリオン王国の一年と同じ日数です」
わたしの言葉に王太子殿下が納得出来ないという表情をする。
王太子殿下の言い分だとわたしは十八歳ではなく、九歳になってしまう。外見と中身の年齢に差がありすぎるだろう。
……いや、外見と中身で差があるのは合っているのか?
一度目で十八歳まで生き、その後、三度も十二歳から十八歳までの六年間を繰り返しているので、精神年齢で言えば三十六歳というわけで──……。
……深く考えるのはやめておこう。
「二十歳の王太子がこのような手紙を書くものか? 私的な手紙なのは分かるが、これはあまりに……」
最後は言葉を濁したが『稚拙ではないか?』と言いたげな顔をしている。
わたしもまさか、こんな手紙を送って来るとは予想外だった。
「まあ、このような内容ですので、この手紙を父上からレンテリア国王宛てに送り返していただけないかと考えて、こちらに来ましたの。恐らく国王の監視の隙をついて出したのでしょう。レンテリア国王がこんなものを送る許可を出すとは思えませんわ」
「そうであろうな……」
国王陛下はまだ衝撃から抜け出せていないようだ。
国王として、大抵のことには動じないはずなのに、この様子である。
それくらい王太子からの手紙の文面は酷いものだったのだ。
「この手紙がどれほど身勝手で、スカーレットだけでなく、アシュリーやミレリオン王国に喧嘩を売っているか分かっていないのだろうね。……次代の王がこれでは、あの国との今後の付き合い方は考える必要がありそうだ」
王太子殿下は微笑んでいるが、目が全く笑っていなかった。
……絶対に怒らせてはいけない種類の人間だな。
わたしはそっと手紙を見るふりをして視線を逸らしておいた。
意外にもあの王太子は文字は綺麗に書くので、整った文字で綴られる非常識な内容に頭が混乱する。レンテリア王国では『文字に人柄が表れる』と言われているが、王太子はその限りではないらしい。
国王陛下が何も言わないところを見るに、王太子殿下と同じ気持ちなのかもしれない。
「それはレンテリア国王に送っておこう。スカーレット、返事はどうする? ……いや、この場合は返事はしないほうが良いであろうな。このようなものは手紙ですらないか……」
国王陛下の視線に、アシュリー経由で手紙を渡した。
レンテリア国王ならば、この手紙を握り潰すようなことはないだろう。
王太子がレンテリア国王に叱責されるのは確実だ。
「スカーレット、レンテリア王国では大変だったわね……」
アシュリーにギュッと抱き締められる。
何だか国王陛下と王太子殿下にも温かい眼差しを向けられ、困ってしまった。
……別に何も大変ではなかったんだが……。
王太子がわたしを無視するように、わたしもわりと王太子のことを気にしていなかったので、婚約中の態度についてはお互い様である。三度目、四度目は王太子に婚約破棄を言い渡されても仕方ないと自分でも思ったくらいだ。
よしよしと頭まで撫でられて、逆に申し訳なくなってくる。
「大丈夫よ。あの王太子からの手紙を見ないで済むよう、手配しておくわ」
「ああ、それは頼む」
またこんな手紙を読む気にはなれなかった。
……それにしても、今更戻って来いと言われても。
既にわたしはアシュリーの婚約者になっているし、レンテリア王国を出る時にも国王陛下より許可を得ているし、わたしがこれで戻って来ると思っているところが意味不明である。
婚約している間の自分とわたしの態度がどんなものだったか忘れてしまったのだろうか。
「そもそも、スカーレットを『第二王妃に迎える』ですって? ……全く、アタシも舐められたものだわ。自分で婚約破棄をしておいて、困ったら呼び戻そうなんてどんな神経をしているのかしら」
と怒るアシュリーを抱き締め返す。
「怒ってくれてありがとう、アシュリー」
「スカーレットは腹立たしくないの?」
「アシュリーが怒ってくれたから、その嬉しさで怒りなんてどこかに行ってしまった」
「もう、スカーレットったら、もっと怒らなきゃダメよ!」
そう言いながらも嬉しそうなアシュリーにわたしは笑ってしまった。
「ああ、気を付けよう」
だが、こうしてアシュリーが自分のことのように怒ってくれるから、わたしは全く苛立たないし、腹立たしいとも思わないのだ。
気を付けると言ったけれど、きっとわたしが怒るのはアシュリー関連くらいだろう。
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