それから
婚約発表の夜会から一月が経った。
あれからテセシア侯爵令嬢は父であるテセシア侯爵の行いを全て、王太子殿下に伝えた。
それによりテセシア侯爵家を含めたいくつかの家が『第二王子の暗殺』を企てたとして捕縛され、その他の悪行も明らかとなり、更に複数の家がそれらに関与したことが発覚した。
国王陛下も王太子殿下も、名前の挙がった家を許しはしなかった。
その後、早急に捜査が行われ、国王陛下が直々に判決を下す貴族裁判が開かれた。
アシュリーの暗殺を企み、実行したテセシア侯爵家は一族郎党──令嬢と七歳未満の幼い子供を除いた者達──の処刑が決まった。その中には悪行に関与した家が多かったのも理由の一つだろう。
テセシア侯爵を唆したいくつかの家の当主も同様に処刑の判決が下されたそうだ。
その家族は関与していたかどうかで扱いの違いはあったものの、ほとんどの家の当主が変わったらしい。
無関係だった貴族達は突然の出来事に驚いたようだが、それで国が乱れることはなかった。
そして今日、王城の広場を開放し、王都の民を招き入れている。
貴族も民も『重要な発表がある』ということしか聞かされていない。
国王陛下だけでなく、王太子殿下と第二王子殿下も出席すると広めたことで、王城の広場は自国の王族を一目見ようとする人々で大変なことになっているだろう。
「スカーレット様、本当に行かなくてよろしいのですか?」
バネッサの問いにわたしは笑う。
「あの場にわたしは必要ない。それに、わたしはレンテリア王国の王太子の婚約者としての名前のほうが有名だ。ただでさえ今回は重大事項を伝えるのに、そこでわたしがアシュリーの婚約者になったと聞いたら混乱する者も出てくるだろう」
「とか言って、本当は民達に顔を知られるのが嫌なのではありませんか?」
シェーンベルクの言葉に頷いた。
「ああ、顔を知られてしまったら気軽に街に出られなくなるからな」
アシュリーも似たようなことを言っていたが、恐らく、街の人々は第二王子がお忍びで街に出ていることを知っているだろう。
そのうち、結婚式を挙げることになれば誰もがわたしを第二王子の妃として覚える。
この赤い髪は目立つので、人前に出ればすぐに気付かれてしまうだろう。
「今はまだ『第二王子殿下の謎の婚約者』でいればいい」
「アシュリー様も相当変わり者ですけど、スカーレット様も負けず劣らずですよね──……ぅぐっ!」
バネッサがシェーンベルク殿の脇腹に綺麗な肘打ちを入れる。
それがおかしくて笑ってしまった。
視線を向けた窓の外には綺麗な青空が広がっている。
……そろそろ、アシュリーが宣言をしている頃だろうか。
ソファーから立ち上がり、バネッサとシェーンベルク殿に振り返る。
「さて、暇なわたしは剣の鍛錬でもしに行くか」
アシュリーの選択を、わたしは応援するだけだ。
* * * * *
ミレリオン王国の王城、その広場は大勢の人であふれ返っている。
父である国王から『重大な発表をするので集まって欲しい』と呼びかけが行われ、王都に住む貴族や民達がその求めに応じて集まった。
その歓声を聞きながら、アシュリーは少しだけ緊張していた。
……王族のくせに緊張なんて今更よね。
しかし、今日は何と言ってもアシュリーの今後に関わる話である。
民がどのような反応をするかも想像がつかない。
そばにスカーレットがいないことが少し寂しい。
『わたしが行く必要はないだろう。まだ王族籍に入ったわけでもないんだ、やめておく』
一緒に来てくれないか誘った時、そうあっさりと断られてしまった。
確かに、スカーレットはまだ婚約者という立場でしかないが、そばにいてくれたら心強いのだが。
外では王族が姿を現すのを、今か今かと人々が待っている。
深呼吸をして心を落ち着けていると兄に肩を叩かれた。
「そう緊張しなくても、皆は受け入れてくれるさ」
その言葉に覚悟を決める。
外から王族の出番を告げるラッパの音が鳴る。
近くにいた父を見れば、励ますように頷き返された。
父と兄が光に向かって歩き出し、アシュリーもそれに続く。
バルコニーに出れば、広場に集まった人々が見える。
ワッと歓声が広がった。アシュリーが民の前の出るのは久しぶりだった。
父が手を上げるとラッパの音が二度、短く鳴らされ、民の歓声が止む。
「皆よ、よく集まってくれた! 礼を言う!」
父の張り上げた声が広場に響き渡った。
誰もが国王の声に耳を傾けているのが伝わってくる。
「今日は、我が息子の一人、アシュリー・ヴィエ=ミレリオンに関する今後のことを伝えるため、集まってもらった! これより、アシュリーの口から皆に説明をしよう!」
父が振り向いたので、アシュリーは進み出た。
大勢の視線が集まる感覚が久しぶりで、やはり、少し緊張する。
大きく息を吸い、声を張る。
「私はアシュリー・ヴィエ=ミレリオン! ミレリオン王家、第二王子である! 今日、この日をもって、私は王位継承権を放棄することをここに宣言する!!」
それに広場に騒めきが広がった。
「私は兄である王太子を尊敬している! 王太子こそが次の王に相応しい! そして、我が王家は兄弟での王位継承権争いにより、国を乱すことは望んでいない! 私は第二王子として、いずれは王弟として、ミレリオン王国と王家を支えていきたいと考えている!!」
緊張で僅かに震える手を握る。
「中には私を次代の王にと推す声もあった! その気持ちは嬉しく思う! しかし、私は王太子を支える道を望む!! これまでも、これからも、私は王族の一員として国に身を捧げよう!!……どうか、皆も私の選択を見守ってほしい!!」
この宣言の瞬間から、王位継承権を失った。
それに対して思うところはない。
元より、あってないようなものだったから、今更だ。
父と兄が拍手をすると、それが人々にも広がり、広場全体が拍手に包まれる。
階下から聞こえる歓声は決して悪いものではないだろう。
アシュリーは人々に向かって手を振った。
……アタシは王にはならないわ。
それでも、王族としてこれからも国を支えていく。
……その横に、スカーレットがいてくれたら嬉しいわね。
* * * * *
窓の外に広がる青空を、ルヴェナ・テセシアは眺めていた。
テセシア侯爵家は爵位を全て剥奪され、ルヴェナと数名の幼い子供以外は皆、処刑が決定した。
ルヴェナは爵位も、家も、家族も、全てを失った。
それについて後悔をしたことはないが、時々、酷く落ち着かない気持ちになることがある。
自分で判断して、行動したのは初めてだった。
まだこの道を歩むことに不安もあるけれど、覚悟が出来ている。
王太子殿下はルヴェナを丁寧に扱ってくれる。犯罪者としてではなく、真実を話した功労者として扱い、保護し、恐らく今後ルヴェナがどうしていくかも王家から判断が下されるだろう。
父や母と面会することも可能だと、王太子殿下は言った。
だが、ルヴェナは断った。
会っても良いことなどないと分かっていたから。
……今までの人生でも、そうだった。
両親と共にいて、嬉しかったことや幸せに感じたことなど一度もなかった。
きっと、会っても何も変わらないだろうという予感があった。
最後に会って罵倒されるくらいなら、会わないまま終わらせたい。
……一度でも褒めてもらえたことなんてなかったけれど。
ただの一度でいい、褒めてほしかった。
頭を撫でて「よくやった」と言ってほしかった。
けれども、それはもう叶わない。ルヴェナは両親を裏切ったのだから。
そうすると決めたのは自分だ。
……つらくても、もう決めたから。
コンコン、と部屋の扉が叩かれた。
騎士が応対し、扉が開かれると鮮やかな赤い髪が飛び込んでくる。
「失礼します。……こんにちは、テセシア嬢」
スカーレット・レヴァイン公爵令嬢が微笑んだ。
「レヴァイン公爵令嬢……」
「スカーレットでいいですよ」
「それでは、私のこともルヴェナと。……もう、テセシア侯爵家もありませんから」
今更、家名を名乗っても意味はない。
歩み寄って来たレヴァイン──……スカーレット様が横に座る。
そして、そっと手を取られた。
女性の手にしては少し筋張っていて、硬くて、とても安心する手だった。
「では、ルヴェナ様……実はあなたの今後について話があります」
ドキリとした。あれから一月が経ったのだから、当然だ。
深呼吸をして、覚悟を決める。
そのような結果であっても、自分の選んだ道だ。
「はい……私はどうなるのでしょうか?」
スカーレット様が微笑む。
勝ち気そうな顔立ちだけれど、その笑みは優しいものだった。
「あなたさえ良ければ、わたしの侍女になりませんか?」
その言葉にハッと息を呑む。
それはあまりに予想外で、そして、ルヴェナにとって都合の良いものであった。
だからこそ、自分の聞き間違いなのではないかとすら疑ってしまう。
「スカーレット様の、侍女……?」
「はい。この旨は国王陛下と王太子殿下、そしてアシュリー殿下には既に許可を得ています。もちろん、断ることも出来ますが……平民として暮らすのは色々な意味で難しいでしょう」
今回、ルヴェナが悪事を暴いた家の中には潰れなかったものもある。
その家から命を狙われる可能性もあるが、これまで貴族の令嬢として生きてきた者が突然平民となったところで生きていく術はない。
安全面でも、生活面でも、スカーレット様の侍女という立ち位置は都合が良い。
第二王子の婚約者で、やがて王族籍に入るスカーレット様の侍女であれば狙うのは難しい。
危害を加えれば必ずや犯人を捕まえるために騎士達が動く。
侍女ならば職もあり、住む場所もあり、生きていくことに困らない。
「ただ、わたしの侍女になることで口さがない者達にあれこれと言わるかもしれませんが……」
それについてはどこに行ったとしても同じである。
だが、他にも訊きたいことがあった。
「スカーレット様はよろしいのですか? ……私は第二王子殿下の命を狙った者の娘。そして、スカーレット様もそれにより危険な目に遭われたはずです。そんな者をおそばに置くと?」
「あなたはわたし達に真実を打ち明けてくれました。それによってルヴェナ様の王家に対する忠誠心は示されています。わたしもあなたを信じています。正しい道を歩もうとする、あなたの勇気も信じています」
バートランド公爵令嬢に付き従っていたルヴェナを、第二王子殿下の命を狙った者の娘を、スカーレット様は信じると言ってくれた。そんなことを言ってくれた人は今までいなかった。
「わたしは、自分が信じられる者をそばに置きたいのです」
そこまで言われて、嫌だと思う者などいないだろう。
……いえ、スカーレット様はきっと私のことを考えて申し出てくれている。
背筋を伸ばし、深呼吸をして、スカーレット様を見る。
「かしこまりました。……スカーレット様の侍女のお話、喜んでお受けいたします」
元より、これほど良い話は他にない。
「私はスカーレット様にお仕えしたいと思います」
そう言えば、スカーレット様が嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、ルヴェナ様」
「どうぞ『ルヴェナ』とお呼びください。言葉遣いも普段通りでお願いいたします」
ここから出て、スカーレット様の侍女となれば使用人という立場である。
今後のことを考えると不安が大きかったけれど、今は違う。
「ああ、分かった。……改めてよろしく、ルヴェナ」
そう微笑んだスカーレット様に、この人について行こう、と決めた。
私の覚悟を認めてくれた人に仕えたい。
これからは、私は私の意思で生きていく。
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