理由
数日後、体の調子が戻るとわたしはアシュリーと共に陛下に呼ばれた。
いつもの応接室に行けば、すぐに中へと通される。
そこには国王陛下と王太子殿下がいた。
アシュリーと共にソファーに座ると、二人とも声をかけてくれた。
「スカーレットよ、毒を受けたと聞いたが体調はどうだ?」
「まだ休んでいなくて大丈夫かい?」
それにわたしが笑顔で頷き返した。
「お気遣いありがとうございます。体調は万全です。この数日、アシュリー殿下が付きっきりで看てくださったので、気力・体力共にあり余っているくらいです」
「そなたが無事で何よりだ」
わたしの言葉に国王陛下が愉快そうに笑う。
本当にここ数日、アシュリーは朝から夜までずっとわたしのそばにいた。
「仕事は?」と聞いても「大丈夫よ」としか言われなくて、バネッサとシェーンベルク殿に視線を向けても黙って首を横に振られるだけだった。恐らく、夜に仕事をしていたのだと思うが、王族としてどうなのかと心配してしまった。
しかし、この場で何も言われないということは、陛下も王太子殿下もそれを許していたのだろう。
「分かっているだろうが、今日呼んだのは先日の件についてだ」
「それについては私のほうから説明しよう」
そうして、王太子殿下がその後のことを話してくれた。
襲撃者を全員捕縛した後、王太子殿下はテセシア侯爵令嬢と会い、話を聞いたそうだ。
テセシア侯爵令嬢が『第二王子を暗殺しようとしたのは父だ』と言ったため、襲撃者に尋問をして依頼主の情報を聞き出そうとしたが、何も喋らなかったらしい。
それでもテセシア侯爵令嬢が言う通り、テセシア侯爵家に騎士を派遣して捜索させたところ、いくつかの証拠を発見した。
テセシア侯爵家は第二王子派で、長いことバートランド公爵家と協力関係にあった。
周囲の貴族が言うようにバートランド公爵令嬢が第二王子の婚約者となり、やがては王位を継ぐものだと思っていた。
しかし、当の第二王子は王位を継ぐ気がなく、兄である第一王子が王太子となった。
それでも、バートランド公爵令嬢が第二王子と結婚すれば、王太子よりも地位も血筋も王に相応しいと押し上げることは出来る。第二王子が王になれば、テセシア侯爵家は王妃の実家と繋がりの深い家として他の貴族より立ち位置が上になる。
そう考えていたのに、第二王子はレンテリア王国から婚約者を見つけて来た。
ただでさえ狂っていた計画が、完全に壊れてしまったのだ。
第二王子がレンテリア王国の公爵令嬢と結婚したら、バートランド公爵家は嘲笑されるだろうし、公爵家に付き従ってきたテセシア侯爵家も「見る目がない」と馬鹿にされ、下に見られる。
たとえ第二王子がレンテリア王国の公爵令嬢と結婚し、そこから王位を得たいと言われて推しても、テセシア侯爵家にそれほどうまみはない。
それならば、いっそのこと王太子派に鞍替えしたほうがいいと考えた。
ところが第二王子派の頭だったバートランド公爵家に長く従ってきたテセシア侯爵家が、簡単に王太子派の貴族に受け入れられるはずもなく、どれほど手紙を出しても色良い返事はもらえない。
このままではテセシア侯爵家はバートランド公爵家と共に求心力を失い、落ちていく。
何か、王太子派にとって利点となることをしなければ受け入れられないだろう。
そう考えたテセシア侯爵は『第二王子の暗殺』を企てた。
「アシュリーを暗殺すれば、私の王太子の地位は安泰となり、王太子派も私も喜ぶと思ったそうだ。……大切な家族を殺されて喜ぶような人間だと思われていたとは非常に心外だよ」
王太子殿下が不愉快そうに眉根を寄せた。
「侯爵家でありながら自国の王族の性格すら知らないなどと、無能にもほどがある」
「全く馬鹿げたことを考えたものだ。王族を暗殺したと聞いて受け入れる派閥があるはずもなし。そのようなことをしても、王太子派の者達はテセシア侯爵家を差し出し、功績とするだろう」
「ええ、実際、王太子派のいくつかの家はテセシア侯爵を唆すような手紙のやり取りをしていました。具体的な言葉は使っていませんが、アシュリーの暗殺に同調して、成功した暁には王太子派に受け入れると。内心ではテセシア侯爵を差し出して王家の信頼を得ようとしたのでしょうが」
「愚かなことを……」
王家がそれに気付かないと、そして見逃さないと思ったのだろうか。
……国王陛下も王太子殿下もお怒りになられるのは当然だ。
どう考えても王家を舐めているとしか思えない。
それが明るみに出るとどうなるか、想像もしていないのかもしれない。
「そのような貴族など、我が国には必要ありませんよね?」
王太子殿下の言葉に国王陛下が目を閉じた。
そして、静かに一つ頷いた。
「それで、テセシア侯爵達はどうなさるのかしら?」
「既にテセシア侯爵夫妻は捕らえている。手紙という物的証拠も押さえているから、順次手紙を送った貴族達を呼び、事実確認を行う。腹立たしいが、王族だからこそ法に則って罰を与えなければ皆に示しがつかないからね」
残念だ、と言いながらも王太子殿下の顔には笑みが浮かんでいた。
「あの、テセシア侯爵令嬢は今どちらに?」
「ああ、彼女は王城で保護している。あのまま家に返せばどうなるか分からないだろう。疲弊している様子だったから、医官に診てもらいつつ事情を聞いている状況だが……精神的に相当弱っていて話せない時もある」
「会うことは可能でしょうか?」
ふむ、と王太子殿下が思案顔で国王陛下を見た。
陛下はそれに頷き返す。
「許そう。テセシア侯爵令嬢はアシュリーとスカーレットに助けを求めた。騎士や王太子よりも、スカーレットのほうが話しやすいこともあるだろう」
「承知しました。……良ければ早めに会ってやってくれるかい?」
「はい、アシュリー殿下の予定に問題がなければこの後でも構いません」
アシュリーを見上げれば、頷き返される。
「アタシも予定は空けてあるわ」
「では、この後、案内しよう」
そういうわけで、わたし達はテセシア侯爵令嬢と面会することにした。
* * * * *
「ここにテセシア侯爵令嬢がいる」
王太子殿下に案内してもらい、王城の奥にある客室の一つに着いた。
この辺りは王族の執務などもあるので部屋の前だけでなく、廊下などにも警備の騎士達がいるため警備も厚い。基本的に許可がない限り立ち入ることも出来ない。
保護しておくには丁度いい場所である。
王太子殿下は仕事があるからと騎士に声をかけ、廊下の向こうに消えて行った。
アシュリーが扉を叩くと、中から騎士が現れ、アシュリーとわたしを見ると扉を開けた。
中に通されるとソファーに座ったまま、ぼんやりしているテセシア侯爵令嬢がいた。
「失礼します、テセシア侯爵令嬢」
声をかけると、テセシア侯爵令嬢がこちらを見た。
その綺麗な深い青色の瞳が僅かに見開き、光が入ると煌めいた。
「……っ、レヴァイン公爵令嬢……第二王子殿下……」
慌てて立ち上がろうとした侯爵令嬢をアシュリーが手で制する。
「座ったままでいいわ」
アシュリーが斜め前のソファーに座り、わたしはテセシア侯爵令嬢の横に腰掛けた。
その手を取ると氷のように冷たく、微かに震えていた。
そして、その掌に小さな傷があることに気付いた。
……これは爪の跡か?
強く手を握り締めすぎて掌に無数の爪の傷跡が出来てしまっている。
一体どれほど苦しんでいたのか。
一度目の人生を思い出すと、親に従うしかなかった令嬢の心労は察するに余りある。
「テセシア侯爵令嬢、あの時は勇気を出して伝えてくださり、ありがとうございました」
侯爵令嬢は俯き、表情も暗い。
家が潰れることはもう想像がついているらしい。
王族の暗殺を企てたのだから、一家郎党、処刑となっても不思議はない。
どのような処罰が下されるかは分からないので慰めの言葉はかけられない。
「……いえ、第二王子殿下がご無事で何よりです……」
囁くような声には力がない。
「テセシア侯爵令嬢、あなたの苦悩を理解出来るとは言えませんが、察することは出来ます。……貴族の令嬢は両親の言葉に絶対服従するよう教育されます。意に沿わない相手でも結婚しろと言われたら結婚し、死ねと言われたら死ぬしかない」
ピクリとテセシア侯爵令嬢の手が反応する。
そして、その手が握り締められた。
……きっと、こうやってずっと耐えていたのだ。
テセシア侯爵令嬢は賢かった。恐らく、自分の家が傾くことは分かっていたのだ。
それでも両親に逆らうことは出来ず、苦しみながらも従った。
「破滅すると、死ぬかもしれないと……そう分かっていながら従うのはつらかったでしょう」
一度目の人生でわたしは両親に『毒を飲め』と言われた。
それが正しくて、そうするしか道はないと信じていて。だからこそ両親から『死ね』と言われたことが衝撃的で、悲しくて、苦しくて──……そしてわたしは両親に心を向けるのをやめた。
そうするしか自分の心を守る方法がなかったから。
「他に正しい道が見えているのに、目の前に敷かれた間違った道を強要されて、苦しくて、悲しくて、自分の力ではどうしようもなくて。それでも、あなたはこちらに足を踏み出した」
震える手をゆっくりと開かせ、手を重ねる。
「今まで、よく耐え、よく頑張りましたね」
そして、そっと抱き寄せる。
「たった一人で怖かったでしょう」
テセシア侯爵令嬢の頭を撫でれば、細い体が震え、手が握り返される。
声を押し殺して泣く姿が痛ましい。
これまでずっと、そうやって陰で密かに泣いてきたのだろう。
その泣き方しか知らなくて、許されなくて……もしかしたら泣くことすら許されなかったのかもしれない。テセシア侯爵令嬢がいつも無表情だったのは、感情を表に出すのを諦めていたからか。
感情を出さず、何も感じていないふりをして、自分が傷付いていることからも目を逸らした。
……わたしもそうだった。
だが、テセシア侯爵令嬢は最後、ギリギリのところで自ら道を選択した。
一度目の人生でわたしに出来なかったことをテセシア侯爵令嬢はしたのだ。
全てを明かした時にアシュリーがわたしにしてくれたように、優しく抱き締める。
「あなたの勇気と決断を、心から尊敬します」
テセシア侯爵令嬢は今後も茨の道を進むことになるだろう。
そのつらく険しい道を思うと、他人事には思えなかった。
今までの苦しみを全て流すようにテセシア侯爵令嬢は涙を流す。
貴族の令嬢は人前では泣いてはいけないなんて、どうかしている。
彼女も、わたしも、貴族の令嬢だって人間だ。
泣いてはいけない。動揺を見せてはいけない。常に優雅に微笑む姿こそ淑女の鑑。
……そんな常識こそがあり得ない。
そんなものは、ただの都合の良い人形である。
しばらくの間泣いていたテセシア侯爵令嬢であったが、それによって気持ちの整理がついたのか、まだ少し泣いていたけれど表情は明るくなり、顔色も僅かだが良くなっていた。
テセシア侯爵令嬢がわたしの手をしっかりと握り返す。
「……ありがとうございます、レヴァイン公爵令嬢、第二王子殿下……」
顔を上げたテセシア侯爵令嬢の目には強い光が宿っていた。
「父のこれまでしてきたことを全て、お話しします」
「大丈夫ですか?」
「はい、第二王子殿下の暗殺については王太子殿下にお話ししましたが、父は他にも罰されなければいけない罪を犯しています。そして罰されるべき人々もいます。……私は誰かの顔色を窺って生きるのはもう嫌です」
わたしはつい、笑みが浮かんだ。
その言葉はわたしが三度目の人生で思ったことと同じである。
一度目と二度目は両親の顔色を窺い、王命に従い、王太子の婚約者として生きた。
けれども、そのせいでわたしは全てを失った。
他者の望むように生きても自分の幸福には繋がらない。
たとえ誰かに嫌われたとしても、疎まれたとしても、自分の望む生き方を選ぶほうがいい。
後悔しながら死ぬのは、わたしももう嫌だ。
「ええ、わたしも同じ気持ちです。だからこそレンテリア王国では王太子の婚約者でいながら、騎士の道も選び……今は第二王子殿下の婚約者の道を選びました」
「……私も自分の道を歩めるでしょうか?」
不安そうに視線を落としたテセシア侯爵令嬢に頷き返す。
「もちろん。あなたは既に自分の道を選んでいます。歩み始める勇気があるあなたなら、きっと、歩み続ける努力も出来るでしょう。……しかし、時には立ち止まったり、振り返ったりしてもいいと思います」
歩き続けるのは大変だ。時には全てを投げ出したいと思うこともある。
立ち止まることで、振り返ることで、逃げ出さずに済むならそれでいい。
また歩き出すための力を蓄えるのに必要な時もあるだろう。
「大切なのは、最後に前を向くことです」
悩んで、苦しんで、立ち止まって、振り返って──……それでも前を向く。
「そしてテセシア侯爵令嬢は既に前を向いています」
「そうよ。陛下も王太子殿下も、あなたの覚悟と勇気をきちんと理解していらっしゃるわ」
アシュリーの言葉にハッとテセシア侯爵令嬢が顔を上げ、そして微笑んだ。
初めて見るテセシア侯爵令嬢の笑顔はとても綺麗だった。




