運命の日(1)
ついに、アシュリーとの婚約を発表する日になった。
昼過ぎ頃にアシュリーの離宮に連れて行かれ、全身を磨かれた。
三度目もそうだったが、メイド達のやる気がすごくて気圧されてしまう。
わたしが適当に「それくらいでいいんじゃないか?」と言うと「完璧に仕上げなければいけません」とピシャリと返された。これから結婚式を挙げると言われても納得してしまいそうな気迫だった。
美容に良いという飲み物を飲みながら入浴し、全身に香油をすり込みながらマッサージをされて、上がったら爪先から髪の先まで丁寧に整えられて、気付けば夕方になっていた。
服は三度目と同じデザインのものを作ってもらった。
仕立て屋を呼んだ時に、アシュリーと揃いの衣装で、と注文したらアシュリーが喜んで、とてもご機嫌な様子だったのが可愛かった。
わたしが『可愛い』と言うと最初は微妙な顔をしていたアシュリーだったけれど、段々それが褒め言葉として定着してきたらしく、最近は『可愛い』と言うと「あら、ありがとう。レティも可愛いわよ」と返すようになってきた。
……わたしに可愛さなんてものはないと思うが。
二度目の人生に可愛げは置いてきてしまった。
服を着て、髪を結い、今日は薄く化粧をして身支度を整える。
やはり、三度目同様に化粧をすると二割り増しくらい美しく見える。
王族に仕えるメイドはさすがだなと思っていれば、部屋の扉が叩かれ、アシュリーが来た。
わたしを見たアシュリーが「まあ!」と声を上げる。
「普段のスカーレットも格好良くて美しいけれど、今日は一番素敵だわ」
わたしも立ち上がり、アシュリーに近づいた。
「アシュリーも格好良い。その服、よく似合っている」
「スカーレットが決めてくれたのだもの、似合わないはずがないわ」
こうして三度目と同じ装いをしていると色々と思い出してしまう。
だが、今回は違う。わたし達は狙われることを知っている。
会場もそうだが、会場の外にも密かに警備を増やしてあるはずだ。
もしもまた狙われたとしても、今度はアシュリーを死なせない。
わたしもアシュリーも帯剣している。
差し出された手にわたしは自分の手を重ねた。
離宮を出て馬車に乗り、王城に向かう。
そろそろ爵位の低い者から招かれ始める頃だろう。
「スカーレット、緊張してる?」
アシュリーの問いにわたしは首を振った。
「いえ、アシュリーとの婚約発表は二度目ですので」
「……やっぱり、前のアタシが羨ましいわ。スカーレットの『初めて』は全部前のアタシが知っているのに、今のアタシは知らないんだもの」
「前も今もアシュリーはアシュリーだ」
「そうだけど、アタシにその記憶がないのが問題なのよ」
拗ねたように窓枠に肘をついて車窓に視線を向けるアシュリーが可愛い。
……だが、前の記憶なんてなくていい。
死ぬ瞬間なんて覚えていないほうがいいのだ。
「今は同じ時間の中にいるけれど、今日を越えれば、そこからは新しい時間だ。わたしの色々な『初めて』は今のアシュリーのものになる。……それではダメか?」
「その訊き方はずるいわ」
アシュリーがこちらを見たので、手を伸ばしてアシュリーを引き寄せ、口付ける。
「すまない。こう見えて、わたしは性格が悪いらしい」
アシュリーが両手で顔を覆ったが、見えている耳は赤い。
どうやら照れているようだ。可愛い。
「……アタシの婚約者がとっても格好良くて困っちゃうわ……」
そういえば三度目でもそんなことを言っていた気がする。
こほん、と向かいの座席に座るシェーンベルク殿が大きく咳払いをした。
「あ〜、まだ婚姻前ですので、あまり過度な触れ合いをしないか目を光らせておくように……と陛下より申し付けられております。スカーレット様、ほどほどになさってください」
「口付けもダメなのか?」
「……それは許容範囲、かと……?」
シェーンベルク殿が小首を傾げるので、わたしも首を傾げてしまった。
シェーンベルク殿の横にいたバネッサが言う。
「人前で出来ないことはしてはいけない、ということです」
「では、口付けは問題ないか」
この二人には以前も見られている。
……まあ、三度目での話だが。
「……スカーレット様はたまにサラッとすごいことを言いますよね」
何故かバネッサが呆れたような顔をして、アシュリーが「そうなのよ」と微笑む。
そんなことを話しているうちに馬車は王城に到着した。
バネッサとシェーンベルク殿が先に降り、アシュリーとわたしも降りる。
会場である舞踏の間に行く途中、警備の騎士達の視線を感じた。
舞踏の間の手前でアシュリーが角を曲がり、別の方向に向かう。
「今日はこっちよ。スカーレットもアタシ達と一緒に入ってもらうわ」
アシュリーの言葉に頷き返す。三度目と同じだ。
騎士達が守護する扉の前に着くとアシュリーが扉を叩き、中から扉が開けられた。
中へ通されれば、国王陛下と王妃様、王太子殿下がいた。
礼を執ると王妃様が「あら……」と小さく声を漏らす。
「アシュリーは素敵な騎士様を射止めたのね」
「ええ、アタシの婚約者は世界一格好良いでしょう?」
「まあ、これではどちらがどちらに嫁ぐのか分かりませんわ」
三度目と同じやり取りに少しだけ不安を感じた。
このまま三度目と同じ道を辿ってしまうのではないかという、不安。
もちろん今回は三度目と違うから同じ道を辿るわけではないが、今日を越えない限り、わたしは心から安心出来ないのだろう。
アシュリーと繋がった手がキュッと握られる。
アシュリーに目を向ければ、微笑み返された。
「大丈夫よ、スカーレット」
不思議だが、アシュリーに『大丈夫』と言われると本当にそんな気がしてくるのだ。
その後、王妃様に挨拶をして、警備の話を聞いているうちに時間を迎えた。
……これから、またあの場所に立つ。
舞踏の間はわたしにとって特別な場所である。
アシュリーとの婚約を発表した場所であり、アシュリーを失った場所でもある。
しかし、いつまでも怖がっていては前に進めない。
両陛下と王太子に続き、アシュリーと共に部屋を出る。
舞踏の間に続く廊下を進み、そして、扉の前に立つ。
扉が開けられると王族が入場することを告げる声が響く。
アシュリーと手を握ったまま入り、階下の貴族達を見る。貴族達が驚いていないのは、アシュリーが帰国してすぐの謁見の場で、わたしを婚約者に迎えたいと皆の前で陛下に伝えたからだろう。
「今宵は皆、よく集まってくれた──……」
国王陛下の挨拶が始まり、それが落ち着くと陛下がわたし達を見た。
「──……今宵は皆に伝えたいことがある。我が息子、アシュリー・ヴィエ=ミレリオンは本日をもってレンテリア王国公爵令嬢スカーレット・レヴァインと婚約する。アシュリーとスカーレットが婚約することで、ミレリオン王国とレンテリア王国の関係は更に深まるであろう。我が国の、そして二人の今日、この良き日を、どうか皆も祝福してほしい」
王妃様と王太子殿下が拍手をして、貴族達にもそれが広がる。
アシュリーとわたしは貴族達に一礼した。
「これでアタシ達は婚約者ね、レティ」
こそりと囁かれてわたしは笑った。
「ああ。……改めてよろしく、アシュリー」
微笑むアシュリーの表情は幸せそうで、今度こそこの笑顔を守りたいと思う。
それから、階下に降りて貴族達から挨拶と祝福の言葉を受ける。
しばらく挨拶を受け、それらが終わるとホッと息を吐く。
舞踏の間の中は以前と違い騎士の数が多い。
壁際にいる騎士達の配置を見ているとアシュリーに声をかけられた。
「スカーレット」
振り向くと、アシュリーがわたしの前で一礼し、手を差し出した。
「アタシと一曲踊っていただけるかしら?」
それにわたしは笑顔で頷いた。
「喜んで」
アシュリーの手に自分の手を重ね、二人でダンスの輪に向かう。
人々が自然と避け、わたし達は舞踏の間の中央に出て、ダンスの輪に交じった。
曲に合わせて動き出す。
踊ったのはたった三度だけれど、それでも、アシュリーの動きは覚えている。
目の前のアシュリーは記憶の中のアシュリーと同じ動きをする。
……ああ、もうすぐだ……。
震えそうになるほどの感情の昂りを感じた。
「……前もアタシと踊ったのね?」
アシュリーの言葉に頷いた。
「ああ。……たった三度だけだが、忘れていない」
「特別だったから?」
「そうだ。わたしはこの六年、アシュリーと過ごした時間を頼りに生きてきた。あなたはたった二月でわたしの心を奪って、そしてわたしを庇って死んだ」
アシュリーを引き寄せ、顔を寄せる。
「あなたは悪い人だ」
アシュリーが驚いたように目を丸くし、そして微笑んだ。
「ええ、そうね、アタシは悪い男だわ。スカーレットを苦しめたのに、あなたに消えない傷を残したことを嬉しいと思ってしまうの。……ねえ、スカーレット、アタシはあなたが好きよ」
「知っている。わたしも、アシュリーが好きだ」
「ふふ、知ってるわ」
ダンスを踊りながら、どちらからともなく笑みが浮かぶ。
わたしも大概愛が重いけれど、アシュリーも似たようなものなのかもしれない。
ダンスは基本的に踊れるのは一曲だけ。
婚約者は二曲続けて踊れ、夫婦だと三曲続けられる。
だから、続けて踊れるのはそれだけで特別なことなのだ。
二曲続けて踊り、ダンスの輪から離れた。
壁際の少し目立ちにくい場所に移動する。
「アタシの踊りの癖もしっかり覚えているみたいね」
「何度も思い出していたからな」
近くの給仕からアシュリーが飲み物を受け取り、片方をわたしに差し出した。
口をつければブドウジュースだった。
酒は飲めるけれど、この後のことを考えると飲むのを控えてしまう。
「だが、記憶の中よりも今のアシュリーのほうがダンスは上手い気がする」
「この日のために特訓したのよ」
「努力家だな」
密かにダンスの練習をするなんていじらしい。
ふと視線を感じて顔を動かせば、やや離れた場所にテセシア侯爵令嬢がいた。
バートランド公爵令嬢がいないからか一人で壁に寄りかかり佇んでいる。
やや俯き加減のせいか表情は窺えないが、強く手を握り締めている様子だけは見えた。
不意に顔を上げたテセシア侯爵令嬢がこちらを向く。
無表情に近い顔に驚きが浮かぶ。
そして、視線を一度外したものの、壁から体を離してこちらに向かって歩いて来る。
わたしの視線に気付いたアシュリーも振り返った。
テセシア侯爵令嬢はわたし達のそばまで来ると礼を執る。
「第二王子殿下、レヴァイン公爵令嬢、ご婚約おめでとうございます」
「ええ、ありがとう、テセシア侯爵令嬢」
「ありがとうございます」
アシュリーと共に答えたが、テセシア侯爵令嬢の様子が少しおかしい。
ドレスのスカートを握り締め、何かを堪えるように口を引き結んでいる。
よく見れば微かに体が震えていた。
「テセシア侯爵令嬢、大丈夫ですか? ご気分が優れないようでしたら控え室でお休みください」
ハッと顔を上げたテセシア侯爵令嬢が俯き、ボソボソと何かを言う。
「レヴァイン公爵令嬢、その、私は……あの……お話ししたいことがあって……っ」
「落ち着いてください。テセシア侯爵令嬢、こちらに」
近くの椅子に座らせるとテセシア侯爵令嬢の顔色の悪さに気が付いた。
今にも倒れてしまうのではというほど青白い。
そばに膝をつき、テセシア侯爵令嬢の手を握る。
昔、熱を出して体調を崩した弟がなかなか寝付けない時に『手を握ってもらうと落ち着く』と言っていた。体調が悪い時や不安な時は人の体温があったほうが安心するのだろう。
バートランド公爵令嬢が欠席して色々な噂が飛び交っているのかもしれない。
テセシア侯爵令嬢はいつもバートランド公爵令嬢についていたから、彼女もあれこれと噂の的にされている可能性は高い。一人でいたのは周囲から距離を置かれていたからか。
「……第二王子殿下、レヴァイン公爵令嬢……っ」
俯いたテセシア侯爵令嬢の表情は悲痛なものだった。
「父を止めてください……父は、第二王子殿下のお命を狙っています……っ」
囁くような掠れた声に、思わずアシュリーと顔を見合わせた。
そしてすぐにテセシア侯爵令嬢の手をしっかりと握り返す。
「教えていただき、ありがとうございます」
「テセシア侯爵令嬢、あなたもここにいるのは危険よ。騎士に従って、控えの間に下がったほうがいいわ。……そこの者、テセシア侯爵令嬢を『ブローディアの間』で休ませてあげてちょうだい」
アシュリーに声をかけられた騎士が「はっ!」と返事をし、近づいて来る。
「大丈夫よ、騎士達があなたを守るわ。……あなたの勇気に感謝を」
テセシア侯爵令嬢は騎士に支えられて舞踏の間を後にする。
それを見送り、アシュリーと顔を見合わせる。
……テセシア侯爵家が黒幕なのだろうか?
そもそもテセシア侯爵令嬢の言葉を信じるべきか悩むけれど、でも、彼女のあの様子が演技だったとしたらわたしの負けである。
第一、本当の黒幕ならば自分に疑いがかかるようなことはしないだろう。
アシュリーを見れば頷き返される。
「そろそろ、外に出ましょうか?」
「ああ、そうだな」
グラスを給仕に返し、二人でバルコニーに向かった。
ドキドキと心臓が高鳴る。
それが緊張からなのか、恐怖からなのか──……それとも今日を越えられるかもしれないという期待からなのか。ただ、アシュリーに手を引かれて歩くこの時間は嫌ではなかった。
窓からバルコニーに出て、そこから繋がる階段を下りて庭園に出た。
バルコニーよりも庭園のほうが戦うのに適している。
狭い場所では剣が振りにくく、互いの動きを邪魔してしまうため、出来るだけ広い場所に出るということは事前に話し合っていた。
庭園の噴水のそばまで来て、足元が明るいことに気付く。
見上げた空には満月が浮かんでいた。




