四人の令嬢
「スカーレット、ちょっと話があるの」
お茶をしているとアシュリーが申し訳なさそうな顔をする。
「どうした?」
「実は父上から、婚約前の根回しのためにスカーレットには力のある家のご令嬢達と顔合わせをしておくようにと言われたのだけれど……その、招待する令嬢の中でもバートランド公爵令嬢は少し問題があって……」
言い淀むアシュリーに、三度目の婚約発表の時のことを思い出した。
「そういえば、バートランド公爵令嬢はアシュリーの婚約者に自分が選ばれると思っているんだったな」
「前もそうだったのね。話が早くて助かるわ。……きっと、スカーレットに嫌がらせをしてくるでしょう」
「問題ない。前回も特に困るようなことはなかった」
わたしの言葉にアシュリーが困り顔で微笑んだ。
「スカーレットは強いわね」
……そんなことはない。
ただ、人は守るべきものを見つけた時に『強くなりたい』と思うだけだ。
* * * * *
アシュリーの話から三日後の午後。
王城の庭園、そこにある目立ちにくい場所にあるガゼボで令嬢達を待つ。
最初に来たのは艶やかな黒髪に赤い瞳をした令嬢だった。
歳の頃は十五、六歳くらいだろうか。淑やかな笑みを浮かべている。
わたしは立ち上がると騎士の礼を執った。
「初めまして、レンテリア王国レヴァイン公爵家の長女スカーレット・レヴァインです。本日は突然の誘いにも関わらず、お越しいただき、ありがとうございます」
「初めまして、レヴァイン様。アヴェラ公爵家の長女、リーシア・アヴェラと申します。どうぞ、私のことはリーシアとお呼びください」
「では、私のこともどうかスカーレットと」
ニコリとリーシア嬢が微笑む。その笑みから敵意は感じられない。
席を勧めれば、リーシア嬢が座る。
年齢的にはアシュリーの婚約者として名前が上がっても不思議ではない令嬢だが、三度目では全く名前を聞かなかった。
目が合うとリーシア嬢はまたニコリと微笑む。
「ご心配なく。私には既に心に決めた方がおり、その方と婚約する予定です」
「そうなのですね。少し早いですが、おめでとうございます」
「ふふ、ありがとうございます」
リーシア嬢は何故ここに呼ばれたかきちんと理解しているようだ。
今回の茶会は、わたしがアシュリーの婚約者になる際に発言力のある家から反対意見が出ないように根回しをするためのものだ。力ある家の令嬢達が認めれば、他の家が声を上げるのは難しい。
……リーシア嬢は反対しないだろう。
そうしていると、生垣の向こうから二つの人影が近づいて来るのが見えた。
わたしが立つとリーシア嬢も立った。
「ご機嫌よう、リーシア様」
現れたのはバートランド公爵令嬢とテセシア侯爵令嬢だった。
柔らかく巻かれた白金色の髪に、淡い水色の瞳のバートランド公爵令嬢は不機嫌さを隠しもしない表情である。三度目と変わらず、少し子供っぽいところがあるようだ。
その後ろに控えるようについているテセシア侯爵令嬢は、まっすぐな銀髪に青い瞳をして、物静かそうだ。そういえば三度目で彼女が話していた記憶はない。
「ご機嫌よう、イレーナ様、ルヴェナ様」
「……ご機嫌よう、リーシア様」
初めてテセシア侯爵令嬢の声を聞いた。
静かで落ち着いた、あまり感情のこもっていない声だった。
それから、バートランド公爵令嬢の視線がわたしに向く。
「あなたがアシュリー殿下の婚約者になるという方?」
その問いにわたしは騎士の礼を執る。
「初めまして、バートランド公爵令嬢、テセシア侯爵令嬢。ミレリオン王国レヴァイン公爵家の長女、スカーレット・レヴァインと申します。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
「バートランド公爵家の長女イレーナ・バートランドよ」
「テセシア侯爵家の次女、ルヴェナ・テセシアと申します……」
二人にも席を勧め、ガゼボの中で四人で座る。
少し離れた場所にはバネッサとシェーンベルク殿を含めた護衛が数名いる。
よほど小さな声で話さない限り、わたし達の会話が聞こえる距離だ。
ここでの会話はそのままアシュリーや国王陛下の耳に届くだろう。
控えていたメイドがお茶の用意をすると、また下がっていく。
……このメイド、よく見かけるな。
部屋付きのメイドなのだから当然だが、大抵、メイドを呼ぶとこの女性が来る。
「まさか、アシュリー殿下の婚約者がこんな方なんて。公爵家とは言え、令嬢にはそれに相応しい装いや立ち居振る舞いというものがあるでしょう。それなのに男性と見紛うような装いと仕草……いくら国同士の友好を深めるためであってもアシュリー殿下がお可哀想ですわ」
はあ、とバートランド公爵令嬢が溜め息を吐く。
「全くもってその通りです。わたしは令嬢である以上に、騎士として過ごした時間のほうが長いのもあり、令嬢のように淑やかな立ち居振る舞いは苦手です」
「アシュリー殿下はお優しい方ですから、たとえ好ましくない相手でも婚約者となれば大切にしてくださるわ。……それにしても、隣国で婚約破棄された令嬢が婚約者とは驚きましたわ」
どうやらわたしについて事前に調査をして来たらしい。
その辺りは貴族として当然のことなので、気にするほどではない。
しかし、リーシア嬢が眉根を寄せてバートランド公爵令嬢を見た。
「イレーナ様、婚約破棄についてスカーレット様に非はないですわ。私はレンテリア王国に親戚がおりますけれど、あちらの国の王太子殿下が婚約期間中に浮気をした挙句、一方的に婚約破棄を突き付けたとのことでした。レンテリアの国王陛下も『婚約破棄の騒動については王太子に全面的に非がある』と明言したそうです」
……そうなのか。
レンテリア王国を出てから、あちらのことは全く気にしていなかった。
そこで不意に弟を思い出した。ミレリオン王国に来てから手紙すら出していないことに気付き、しまった、と思う。両親はともかく、弟には手紙くらい出すべきだった。
恐らく国王陛下のほうからレンテリア王国の国王陛下やレヴァイン公爵家に、アシュリーとわたしが婚約する旨の手紙が送られているだろう。
あのような別れ方をしたわたしに両親が手紙を送ることもない。
リーシア嬢の言葉にバートランド公爵令嬢がムッとした表情をする。
「レンテリア王国の王太子もお可哀想に。自分の婚約者が剣を振り回す気の強い、男性みたいな方が相手で嫌だったのでしょう。もし、わたくしが婚約破棄をされたら恥ずかしくて、人前になど出られませんわ」
「そうかしら? 今も似たような状況ですけれど。……あれほど第二王子殿下の婚約者になるのだと息巻いていらしたので、てっきりこのお茶会は欠席なさるかと思っておりましたわ」
「何ですって?」
澄ました顔のリーシア嬢と不快そうに眉根を寄せるバートランド公爵令嬢の間で、火花が散っているように感じた。
「確かに第二王子殿下とスカーレット様の婚約は、ミレリオン王国とレンテリア王国の友好関係を深めるためというものではありますが、お二方は想い合っての婚約だと聞き及んでおりますわ。もしかして、イレーナ様はご存じありませんでしたか?」
「っ……!」
これは答えに窮する質問だった。
『知らない』と答えれば、公爵家の令嬢でありながら王家に関する情報に疎い──……立場的に知っていて当然のことすら知らないなんてと失笑されても仕方がない。
『知っている』と答えれば、両想いだと知りながら横槍を入れようとする人物だと言われるだろう。
「そういえば、レンテリア王国の王太子殿下とスカーレット様は婚約していたのに、そうと知りながら王太子殿下に近づいた侯爵令嬢がいらしたとか。まさか、我が国に似たようなことをする恥知らずな方はいないとは思いますけれど、私達も気を付けないといけませんわね」
バートランド公爵令嬢は押し黙った。
……いや、言葉を失ったというべきか?
要は『婚約しているのに横から奪うなんて恥知らずな真似はしないよね?』と言われたのだ。
「……わたくしのほうが先にアシュリー殿下と出会って、想いを寄せていたのに……!」
ギッとバートランド公爵令嬢に睨まれてしまう。
「申し訳ない気持ちはありますが『先に出会って想いを寄せていた』から『バートランド公爵令嬢がアシュリー殿下の婚約者に相応しい』という理屈は通らないかと。わたしと殿下の婚約に異議があるのでしたら、ミレリオンとレンテリア、両国の国王陛下に申し出てください」
「っ、この卑怯者……!」
「アシュリー殿下と共にいられるのあれば、いくらでも謗りを受けましょう」
わたしは多分、アシュリーが思う以上に彼のことが好きだ。
六年前にたった二月を過ごしただけなのに。
相手はその記憶すらないのに。
それでも、アシュリーに心預けると決めたから。
……そう、わたしは卑怯者だ。
バートランド公爵令嬢と戦うこともせず、両国の国王陛下という強い盾を使っている。
たとえ公爵令嬢であっても両国の国王が決めた婚約を覆すことなど出来はしないと分かっていて、言うのだから、わたしは相当性格が悪いのだろう。
バートランド公爵令嬢がそばにあったグラスを掴み、わたしにその中身をかけた。
バシャッと音がして、一瞬、目を閉じる。
そして目を開ければ、透明な雫が前髪の毛先からポタリと落ちた。
「イレーナ様、なんてことをなさるのですか……っ!?」
悲鳴のような声をあげてリーシア嬢が立つ。
バネッサ達が慌てて駆け寄って来ようとしたが、それを手で制した。
濡れた髪を掻き上げ、ハンカチで顔を拭う。
「……バートランド公爵令嬢はお優しい方ですね」
もし、本気でわたしを害したいと思うなら、一番手元に近いティーカップの中身をかけたはずだ。
紅茶の色は服の染みになるし、冷めていなければ相手に火傷を負わせることも出来て、見た目にも一目で紅茶をかけられたと分かる。
しかし、バートランド公爵令嬢がかけたのはただの水だった。
腹立たしくて仕方ないだろうに、それでも彼女は水を選んだ。
わたしを嫌っていて、憎いとすら思っているかもしれないのに、怪我を負わせるようなことまではしない。これが熱い紅茶でわたしが顔に火傷を負えば、婚約の話が流れる可能性もある。
だから、つい、微笑んでしまった。
感情的になっても暴力で人を傷付けるという一線だけは踏み越えない。
この水はバートランド公爵令嬢の中では精一杯の嫌がらせなのだ。
「バートランド公爵令嬢、すまない」
わたしに出来るのは謝罪することだけだ。
「わたしはアシュリーを唯一と決めてしまった」
目が合うとバートランド公爵令嬢が僅かに身を引いた。
わたしが怒ることも、悲しくこともなく、微笑んだから驚いたのだろう。
「だから、婚約者の座は誰にも譲らない」
グラスを持つバートランド公爵令嬢の手は震えていた。
それが怒りからくるものなのか、驚きからくるものなのかはわたしには分からない。
けれども、その顔がカッと赤くなったのだけは見て取れた。
「たとえあなたに決闘を挑まれたとしても、命を狙われても、変わることはない」
「〜〜っ!!」
ガタリとバートランド公爵令嬢が立ち上がった。
そして挨拶もなくガゼボから出て行く。
恐らく、そのまま帰ってしまうのだろう。
テセシア侯爵令嬢も立ち上がると一礼し、バートランド公爵令嬢を追って行った。
わたしはそれを見送り、苦笑する。
「リーシア嬢、驚かせてすみません。水はかかっていませんか?」
「え? ええ、私はかかっておりませんが……スカーレット様は大丈夫ですか? まさかイレーナ様がいきなりあのようなことをするなんて。申し訳ありません、私が色々と言ったから……」
「いいえ、リーシア嬢は悪くありませんよ。悪いのはわたしです。バートランド公爵令嬢にはどうしようもないと分かっていて『両国の国王陛下に異議を申し立てろ』と言ったのです。あれは、我ながら底意地が悪い言葉でした」
それに、水をかけられたけれど、量は多くない。
今の時期は少し暑いくらいなので、外にいればそのうち乾くだろう。
普段は化粧をしていないから水をかけられたところで問題なかった。
「ここでのことは秘密にしていただけませんか?」
わたしの言葉にリーシア嬢が目を丸くする。
「バートランド公爵家に抗議しないのですか?」
「歳下の令嬢に意地の悪いことを言って怒らせた結果、水をかけさせてしまったなんて、むしろわたしのほうが恥ずかしいです。……まあ、陛下や殿下には隠せませんが」
バネッサ達は絶対にこの件を報告し、アシュリーは怒るだろう。
……出来れば、なかったことにしたいが。
王族の客人であるわたしに水をかけたとなれば、バートランド公爵令嬢はお咎めなしとはいかない。もしかしたら、しばらく謹慎を言い渡されるかもしれない。
「リーシア嬢も本日はお帰りいただいたほうがいいでしょう」
「スカーレット様……」
「わたしは大丈夫です。ただ、このままだと目立つので、乾くまで今しばらくここにいるだけです」
そう伝えれば、リーシア嬢はホッとした様子で立ち上がった。
「スカーレット様、お手紙を書いてもよろしいでしょうか?」
その問いにわたしは笑顔で頷いた。
「はい、わたしもリーシア嬢に手紙を書きます」
リーシア嬢が微笑み、そして綺麗に一礼すると「それでは失礼します」と去って行った。
ガゼボにわたしだけが残されるとバネッサ達が近づいて来る。
「スカーレット様、わざと水を被りましたね?」
怒った様子のバネッサがハンカチでわたしの顔や髪を拭う。
水をかけられる時、わたしが全く顔などを庇わなかったことを分かっているのだろう。
顔にかからないようにするのは簡単だが、それでは、きっとバートランド公爵令嬢の気が済まなかっただろうし、腕で受けて払ったらリーシア嬢にもかかってしまっていた。
あの場では何もせずに受けるのが良かったのだ。
「大丈夫だ。この時期なら風邪は引かない」
「そういう問題ではありません。アシュリー殿下、きっと怒りますよ」
バネッサの言葉にわたしは微笑んだ。
「ああ、分かっている」
怒ってほしいと思うわたしは、やはり性格が悪いのだろう。




