懐かしのミレリオン / スカーレット・レヴァインという人物
そして、ついにミレリオン王国の王城に到着した。
わたしは客室に通され、三度目と同様に入浴と着替えをして身支度を整えてから、国王陛下との謁見に望むこととなった。
待っているとアシュリーが部屋に来る。
「準備はいいかしら?」
「ああ」
秘密を打ち明けた時に呼び方や言葉遣いは普段通りでいいと言われた。
その通りに言葉遣いを崩して返事をすれば、アシュリーが嬉しそうに微笑む。
立ち上がったわたしを見て何故か頷いている。
「スカーレットはいつ見ても格好良いわね」
陛下との謁見なので私服の中でも華やかなものを選んだのだが、アシュリーのお気に召したらしい。
アシュリーは普段通り王族としての装いである。そちらも華やかだ。
「アシュリーも格好良いと思う。少なくとも、わたしが知っている男性の中では一番だ」
「あら、本当? すごく嬉しいわ」
近づいて来たアシュリーがニコニコしながら腕を差し出した。
「スカーレットにエスコートは必要ないかもしれないけれど……」
エスコートされながら謁見の間に入れば、わたしがアシュリーの特別な相手だと分かる。
わたしと婚約したいという気持ちを伝えるためにもそうしたいのだろう。
そっとアシュリーの腕に手を添える。
三度目ではエスコートをされることはなかった。
その時はそれでいいと思ったけれど、今はエスコートを申し出てくれる気持ちが嬉しかった。
「ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。……ところで皆の前であなたをこの国に招いた経緯を話すことになってしまうけれど、大丈夫かしら? もしつらいようなら、説明中は下がっていてもいいのよ?」
「心配は要らない。あの日、何があったのかアシュリーから見た通りを全て伝えてほしい。わたしのこれまでの人生に恥じることはなかったし、これからもそうあろうと思っている」
四度の人生、全てでわたしは自分に出来ることをしてきたつもりだ。
わたしの言葉にアシュリーが頷く。
「分かったわ。……それでは行きましょう」
客室を出ればバネッサとシェーンベルク殿がいて、歩き出したわたし達に付き従う。
すれ違う使用人達が廊下の端に寄り、礼を執りながらもこちらを窺うような視線を向けてくる。
きっと誰もが『第二王子が連れている人物は誰だろうか』と思っているだろう。
謁見の間の扉の前に着き、中へと通される。
アシュリーの入場を告げる声が高らかに響き渡った。
同時に、玉座の前まで続く道の左右には大勢の貴族達がいた。
二度目ともなれば緊張はない。
しっかりと前を見据え、アシュリーと共に謁見の間に入る。
まっすぐに進み、アシュリーと共に玉座の前まで進み、片膝をついて頭を下げる。
「アシュリー・ヴィエ=ミレリオン、レンテリア王国より帰還いたしました」
アシュリーの声に、国王陛下の声が返事をした。
「使節団の任、ご苦労であった。レンテリア王国との友好を深めるという目的は達成出来たか?」
「はい、問題なく。我が国とレンテリア王国の交友関係は今後も支障はないでしょう」
「そうか。……ところで、その者は?」
その言葉にアシュリーが答える。
「レンテリア王国レヴァイン公爵家の長女、スカーレット・レヴァイン公爵令嬢でございます」
「ふむ、面を上げよ」
国王陛下の許しにゆっくりと顔を上げる。
一度だけ国王陛下と目を合わせ、視線を伏せた。
アシュリーがレンテリア王国の王太子が夜会で起こした騒ぎについて説明を行う。
「陛下、アタシはスカーレットを妻に望みます」
アシュリーの言葉に謁見の間がざわついた。
王太子が公衆の面前で婚約者に婚約破棄を言い渡したこともそうだが、その婚約破棄された令嬢を第二王子が婚約者に望んだことも驚くべきことだっただろう。
国王陛下がわたしに視線を向けた。
「レヴァイン公爵令嬢も、それに同意しておるのか? 直答を許す。申してみよ」
わたしは視線を上げて国王陛下と目を合わせた。
嘘偽りのない気持ちを伝えるべく、口を開く。
「はい、わたしもアシュリー殿下と結婚したいと考えております。婚約破棄されたから殿下に鞍替えをすると思われても仕方のない状況ですが……短い間とは言え、殿下と接する中で素晴らしい方だと感じておりました」
「ふむ……」
国王陛下が考えるように自身の顎を撫でる。
「陛下、スカーレットは優秀です。騎士としての才能も、王族の一員になるに相応しい知識と教養も持ち合わせています。元より、王太子の婚約者であったので教育に抜かりはないでしょう。何より、彼女は以前からお話ししていましたアタシの恩人でもあります」
「なるほど、そうであったか」
アシュリーの言葉に納得したふうに国王陛下が頷いた。
「詳しい話しは改めて聞こう。だが、そなた達の婚約は前向きに考えよう」
それに貴族達がまた騒めき、アシュリーが頭を下げる。
ここで否定しないということは婚約を認めるのとほぼ同義である。
わたしによほどの瑕疵がなければ婚約しても良い。そういう意味だ。
「ありがとうございます、陛下」
「ありがとうございます」
わたしも頭を下げて感謝の言葉を伝える。
その後はアシュリーが報告を行い、何事もなく謁見は終わった。
謁見の間を出ると客室までアシュリーが送ってくれる。
「父上と兄上に話を通してくるわ。多分、すぐに会えると思うから。もう一度、あの話を今度は二人にしてもらえるかしら? どうしてもつらければアタシから伝えることも出来るわ」
心配そうな眼差しを向けられ、わたしは微笑みを返した。
「アシュリーがそばにいてくれるなら大丈夫だ」
「そう?」
「ああ。それに、陛下と王太子殿下にはわたしの口から説明したほうがいい」
「……それもそうね」
アシュリーの手が伸びてきて、わたしの頭に優しく触れた。
「それじゃあ、また後で。……バネッサ、アタシが来るまでスカーレットについていてあげて」
「かしこまりました」
バネッサが胸に拳を当てて頷く。
アシュリーが廊下の向こうに消えていくまで見送ってから、バネッサに声をかける。
「アルウィン殿、中で話し相手になってもらえますか?」
「はい、私でよろしければ。それから私のことはどうぞ『バネッサ』とお呼びください。言葉遣いも崩していただけますと幸いです。我々騎士に丁寧な対応をされる必要はありません」
ようやく言えたという顔のバネッサにわたしは笑ってしまった。
確かに、アシュリーには砕けた言葉遣いなのに、騎士に丁寧な言葉遣いをするのは変だ。
四度目の人生ではバネッサやシェーンベルク殿と話す機会があまりなかったので、砕けた言葉遣いにならないように気を付けていたのだが、バネッサ達からすると落ち着かなかっただろう。
「ああ、そうさせてもらう。改めてよろしく、バネッサ」
「はい、よろしくお願いいたします、スカーレット様」
* * * * *
バネッサは向かいのソファーに座る赤髪の令嬢を見た。
鮮やかな赤い髪に神秘的な紫色の瞳をした、男装の麗人である。
騎士として鍛えられた体付きもあって、時々、細身の中性的な男性のようにも見える。
貴族の男性は中性的な顔立ちが好まれるので、スカーレット・レヴァイン公爵令嬢の容姿は女性に好まれやすい。レンテリア王国では王城の使用人や貴族令嬢達が彼女を見て、密かに黄色い声を上げていた。
男装というだけでも目立つ上に、王太子の婚約者であり、王妃の近衛騎士も務めていた驚くべき経歴の持ち主で、情報を集めるのは容易かった。
男装令嬢スカーレット・レヴァイン。レヴァイン公爵家の長女。
十二歳で王太子の婚約者となり、その後、剣を習い始め、十四歳の時には騎士の試験に合格して入団する。十七歳の頃には剣武祭で第三位の座を得て、王妃の近衛騎士となった。しかも王太子妃教育は受ける前から試験を全て合格しているという、文武共に優れた人物らしい。
事実、アシュリー殿下との手合わせを見て、バネッサは勝てないと感じた。
ミレリオン王国でも随一の剣の腕を持つアシュリー殿下に引けを取らない強さだった。
女性はどうしても男性に比べて筋力で劣るのだが、性差を技量と素早さで埋めている。
その動きは熟練の騎士のようで、十二歳からの六年でどれほどの研鑽を積めばそれほど強くなれるのか。
剣の才能もあるのだろうが、毎日、実直に訓練に励む姿は好感が持てた。
けれども、初めて彼女を見た時にバネッサが感じたのは『弓』だった。
ギリギリまで引き絞られ、弦がピンと張った弓のようだと思った。
手を離せばいつでも矢を放てるという、常に戦える状態を維持し、気を張っている。
だが、ほんの少しでも力加減を誤れば壊れてしまうそうな危うさもあり、凛とした面差しにはどこか陰を感じる。男性的な振る舞いをする中でふとした瞬間に垣間見える、憂いを帯びた表情や雰囲気は人目を引いた。本人はそのことに気付いていないようだが。
そして、一月ほど前に婚約者の王太子から、婚約破棄をされた。
普通の令嬢であったなら耐えられないであろう屈辱だ。
しかし、彼女は平然とそれを受け入れたそうだ。
その後の様子を見ても揺らいだ様子はない。
……きっと分かっていたのね。
王太子が彼女を嫌っているという話を城内でよく聞いた。
男装や男性的な振る舞いが嫌がられているとか、優秀すぎて疎まれているとか、その理由については色々とあったものの、貴族や王城の使用人ですら不仲を知っているなんて……。
話を聞く限りは確かに冷え切った関係のようだが、主に王太子が彼女を嫌っていたようだ。
しかも王太子は他の令嬢に執心で、婚約者である彼女を蔑ろにしている。
王太子がそのような態度を取ることで、彼女を馬鹿にする者や下に見る者もいただろう。
完璧な経歴も、もしかしたらそういった者達を見返すためだったのかもしれない。
「──……それで、私の兄弟も騎士なのです。腕は確かですが、少々性格に難がありまして」
「一度会ってみたいものだ。バネッサは実力があるから、きっと兄弟達もとても強いのだろうな」
「本当に色々と問題がありますよ?」
何か想像したのかスカーレット様が、ふっ、と微笑んだ。
「大丈夫だ。元婚約者に比べれば、大抵の者は常識的だ」
……まあ、それはそうかも?
兄弟達は性格に少々問題はあるものの、非常識なことはしないし礼儀も弁えている。
スカーレット様はレンテリア王国を出て、ミレリオン王国に入ってから、こうして柔らかな表情を浮かべることが増えた。あの国にいる時は無表情か、控えめに微笑むことが多く、稀に勝ち気な表情を浮かべることもあったけれど、やはり常に気を張っていた。
元が美しい顔立ちをしているので、柔らかく微笑むと一気に華やかに感じる。
冗談を言えるくらいだから、婚約破棄については本当に気にしていないのだろう。
ただ、あのまま国に残るのは彼女にとっても公爵家にとっても、良い結果にはならなかった。
これまでの努力を一瞬で壊され、憤っても不思議はないのに。
スカーレット様は王太子に怒りすら感じていないように見えた。
「レンテリア王国の王太子について、怒りを感じないのですか?」
唐突なバネッサの質問にも、スカーレット様は微笑んでいた。
「ないな。政略で決まった婚姻であったし、興味もなかったし、ああなることは予想がついていた。王太子が特定の令嬢と深い仲になっていることも既に知っていた。正直な話をすれば、婚約破棄には感謝すらしている」
「大勢の前で宣言されたのに?」
「だからこそ婚約を破棄せざるを得なくなった。もし王太子が内々に話をしたとしても、陛下は頷かなかっただろう。王太子は勉学が少し苦手でな、その苦手分野をわたしが全て補う予定だった」
思わず顔を顰めたバネッサに、スカーレット様が苦笑する。
「今頃、王太子と侯爵令嬢は苦労していると思う。それが分かっているから、呆れはあっても怒りは湧かない。わたしが何かをしなくても、あの二人の関係はそう遠くない未来に破綻する」
王太子が苦手分野を克服出来なければ令嬢にその負担がかかる。
それを令嬢が乗り越えられない限り、王太子と令嬢の結婚は許されないだろう。
令嬢が普通の貴族の令嬢であるなら苦労するはずだ。
何より、スカーレット様と比べられるのはきっとつらい。
スカーレット様が困ったように眉尻を下げ、けれども表情はすぐに明るくなる。
「わたしはこう見えて、性格が悪いんだ」
そう言って笑う姿を見るのは初めてで、バネッサは見惚れてしまった。
まるで悪戯っ子のような、楽しげな笑顔だった。
「アシュリーには秘密な」と言われて頷き返す。
……アシュリー殿下が惚れるのも分かるわね。
スカーレット・レヴァインは魅力的な人物である。
* * * * *




