伝える / 愛しい人
ミレリオン王国に入り、もうすぐこの国の王都に到着する。
……そろそろ伝えるべきかもしれない。
この一月近く、アシュリーと過ごして分かった。
彼は真面目で、優しくて、気遣いが出来て──……三度目と何も変わらなかった。
元より明かすつもりではあったものの、きっとわたしがいきなり話をしても信じてくれるだろう。
第一『加護持ち』の話はアシュリーが教えてくれたことだ。
もう三度目に経験済みなので、自分のこれまでを明かすことに不安はない。
休憩中、アシュリーに声をかけた。
「アシュリー殿下、大事なお話があるので、お時間をいただけないでしょうか?」
昼食後の穏やかな時間を過ごしていたアシュリーが振り返る。
「ええ、いいわよ。人払いをしたほうがいいかしら?」
「はい、そうしていただけると助かります」
「それなら馬車で話しましょう。バネッサ、リシアン、周囲の警備をお願いね」
アシュリーの言葉に「はっ」とバネッサとシェーンベルク殿が返事をする。
そうして、馬車の中にアシュリーとわたしが乗り、外で二人が誰も近づかないように目を光らせてくれることになった。
たった二人しか乗っていないのに、当たり前のようにアシュリーはわたしの横に座った。
そんな些細なことがとても嬉しかった。
「これから話す内容は全て事実です。……まずはわたしのことから説明します」
そして、わたしは全てを話した。
一度目、二度目のこと……三度目についても、包み隠さず伝えた。
特に三度目でアシュリーに助けられ、ミレリオン王国に騎士として迎え入れられたこと。
わたしが過去にアシュリーを助けた少女だったこと。
互いに想いが通じ、婚約したこと。
国王陛下と王太子殿下とも話をして、そこで『加護』の存在を知ったこと。
アシュリーもわたしも『加護持ち』であること。
けれども婚約発表の夜会で襲撃され、アシュリーがわたしを庇い、死んだこと。
全てを話したが、特にアシュリーが死んだ時の話をするのはつらかった。
目の前に本人が生きていると分かっても、あの光景は、血の臭いは、忘れられない。
ぐったりと力を失ったアシュリーの体の重さの感触すら、まだ覚えている。
この六年、数えられないほどあの瞬間を夢に見た。
……腕の中でアシュリーが死んでいく絶望感も、何度も味わった。
朝目覚める度に『次こそは』と思い、覚悟を決め、剣を鍛えた。
「スカーレット……」
ふわりとアシュリーに抱き締められる。
頬に触れたアシュリーの服が濡れていて、そこでようやく、自分が泣いていると気付いた。
「今まで、つらくて怖かったでしょう。……一人で背負わせてごめんなさいね」
「……いいえ、これはアシュリー殿下を守りきれなかったわたしの弱さが招いた結果です。……あの時、わたしが剣を振るうのではなく、殿下に渡せば良かった。殿下はわたしより強い……その判断が出来なかったわたしが悪いんだ」
こうして触れ合い、温もりを感じられることがどれほどの奇跡か。
時々、これは夢なのではないかと思うことがある。
あの時、自ら首を掻き切ってから巻き戻るまでの刹那の瞬間に見ている、自分が望んだ幸福な夢を見ているだけなのではないか。瞬きの間に消えてしまう泡のような時間では、と。
それでも、たとえ夢でもいい。
アシュリーの背中に手を回せば、がっしりとした体付きが感じられる。
わたしよりも長い腕が、大きな手が、体が、わたしを包む。
「っ、あなたが死に、わたしは自ら首を掻き切った……」
ギュッとわたしを抱き締める腕に力がこもる。
「スカーレット、あなた……」
「分かっている……! 加護があるとは言え、確信はない。もしかしたら、わたしもそのまま死んでしまっていたかもしれない……」
あくまで『加護持ち』の可能性が高いという話である。
本当にそうかは分からないし、際限なく繰り返せるのかも分からない。
「それでも、っ、それでもあなたのいない世界で生きる意味などない……っ。あのまま、アシュリーを永遠に失いたくなかった……! たとえその選択が間違いだと言われても、わたしにはそうするしかなかった……!」
愛する人が目の前で死に、生き返らせる方法があるなら誰だって可能性に望みを賭ける。
わたしもそうだった。それしか道はなかった。
今、こうして話し、触れ合い、共に生きていることは本当に奇跡なのだ。
自分でも感情的になっている自覚があり、深呼吸をして気分を落ち着かせる。
「……っ、そしてわたしは十二歳まで時間を戻し、この六年、ずっと婚約破棄を待っていた」
顔を上げれば、アシュリーと目が合った。
すぐそばに綺麗な翠色の瞳がある。
「わたしは、またあなたに会うために繰り返した……」
伸ばした手でアシュリーの頬に触れる。
温かく血の通った肌に触れると安堵の溜め息が漏れた。
何度でもアシュリーが生きていることを確かめたい。
「三度目も、今も、わたしはあなたを愛している」
顔を寄せれば、アシュリーの顔が近づいてくる。
目を閉じると懐かしい感触が唇に触れた。
柔らかくて少し乾燥した、その温もりにまた涙がこぼれる。
唇が離れるとアシュリーが微笑んだ。
「スカーレット、あなたの話を信じるわ」
……そう言ってくれると分かっていた。
分かっていても、やはりアシュリーの口から言ってもらえるのが嬉しかった。
アシュリーがわたしの額に口付ける。
「ねえ、スカーレット。これからは丁寧な言葉遣いはしなくていいわ」
言われて、つい言葉遣いを崩してしまっていたことに気付く。
ハッとするわたしの頭をアシュリーが撫でた。
「アタシ達は婚約者になるのだもの。それに呼び方も、そのまま『アシュリー』でいてね?」
「……分かった」
もう一度、アシュリーがわたしの額に口付ける。
「良い子ね」
低く、優しい声で言われて顔が熱くなるのを感じた。
気恥ずかしいような、照れくさいような、何とも表現しがたい気持ちになってくる。
赤くなっているであろう顔を見られたくなくて、アシュリーの胸に額を押しつける。
「……信じてくれてありがとう、アシュリー」
「こちらこそ話してくれてありがとう、スカーレット。ずっと一人で抱えるのは苦しかったでしょう? これからは、あなたを助けて──……いいえ、アタシにあなたを守らせてほしいの」
その言葉に言葉が出ないほど、胸が熱くなる。
「わたしもアシュリーを守る」
「それなら、アタシの背中はスカーレットに任せるわ」
……ああ、やはりアシュリーは変わらない。
「今度こそ、あなたを守ると誓う」
この人を二度も失うなんてきっと耐えられない。
わたしはこの人を守るためなら、どんなことでもするだろう。
* * * * *
よほど緊張していたのか、スカーレットは話を終えると眠ってしまった。
スカーレットを抱き締めたまま、アシュリーは先ほど聞いた話を頭の中で考える。
……『加護』について知っているのはミレリオン王家の直系のみ。
それについて知っているのであれば、国王である父か兄、アシュリーが話したのだろう。
そうでなければスカーレットが『加護』に関する内容を知り得ることは出来ない。
嘘だと断じることは簡単だ。
だが、話している間、スカーレットの手は震えていた。
婚約破棄をされても毅然とした態度を取っていたスカーレットが、涙を流した。
震え、泣きながら話す姿はか弱くて、普段の凛とした姿からは想像もつかないほど頼りなく思えて。思わず抱き締めた。触れた体が思っていたよりもずっと細かった。
騎士として鍛えているので普通の貴族の令嬢よりかはしっかりとした体付きなのかもしれないが、それでも、アシュリーからすれば細くて、この身一つで何年も苦しみに耐えていたのかと思うと切なくなった。
時間が巻き戻ると、スカーレット以外の人間はそのことを覚えていない。
スカーレットだけは繰り返す時間の中で記憶を保持し続けている。
……なんて酷な『加護』かしら。
既に今が四度目だとスカーレットは言っていた。
一度目も二度目も酷い死に方をしたというのに、三度目では婚約者が自分を庇って死んだ。
そうして時間を巻き戻すために自ら死ぬだなんて悪夢である。
それから六年も、アシュリーと再会するために生きて来たという。
誰にも苦しみを打ち明けられず、ただ一人で剣の腕を鍛え、婚約破棄されるのを待つ。
故郷の国にいられなくなると分かっていて、その道をスカーレットは選んだ。
……それが、アタシのためだなんて……。
こんなことを思ってはいけないのかもしれないが、不覚にも『嬉しい』と感じてしまった。
同時にこれまでのことを思い返して納得した。
初めて手合わせをした時にアシュリーの動きを知っているかのようだったのも、自分が恩人の少女だと匂わせたのも──あの時、ミレリオン王国に行きたいと言ったのは本心だったのだろう──、全て分かっていたからだろう。
三度目の人生でアシュリーの近衛騎士になったのであれば、護衛の任務に就いている間にアシュリーの剣を何度も見る機会があったはずだ。
初めて会った時に少し驚いた様子だったのは、他国の第二王子が突然現れたからではなく、アシュリーと予想外の再会を果たしたことで心の準備が出来ていなくて驚いたのだ。
……六年。六年もアタシと再会することを願ってくれていたのね。
アシュリーも昔、助けてもらってからずっと再会したいと思っていた。
それにしても、三度目の自分を殴りたい、とアシュリーは感じた。
スカーレットを守ったことは認めるが、目の前で愛する人が死に、それが自分を庇ってのことだなんて──……心が壊れてしまっても不思議はない。ここまでよく耐えていた。
そっと頭を撫でれば眠っているスカーレットの目元から涙が伝う。
それを指で拭う。
……もう、あなたを泣かせるようなことはしないと誓うわ。
記憶はないけれど、今度はスカーレットの心も守れるように動く。
「帰ったら父上達に話をしないとね」
ミレリオン王家の秘密を知っているならば、スカーレットは確実に婚約者となるだろう。
コンコン、と馬車の壁が叩かれる。
片手で窓を開ければ、リシアンの声がする。
「そろそろ出発の時間です」
座席に置きっぱなしになっていた膝掛けを眠っているスカーレットにかける。
泣いて赤くなってしまった目元を隠すために、頭まですっぽり膝掛けを被らせた。
「話は終わったわ。……スカーレットが休んでいるから、静かに乗ってちょうだい」
「かしこまりました」
窓を閉め、スカーレットを抱えて膝の上に下ろす。
……スカーレットが諦めなかったおかげでアタシ達は出会えたのね。
腕の中の存在が愛おしい。
愛してると言ってくれた時、自分もそうだと言えば良かった。
感動のあまり言葉が出て来なかったのだ。
しばらくして、馬車の扉が控えめに叩かれ、開けられる。
バネッサとリシアンは、アシュリーの膝の上にいるスカーレットを見て一瞬動きを止めたものの、静かに乗り込んで来た。
向かいの座席に座ったリシアンが扉を閉め、壁を軽く叩いて御者に合図を送ると馬車がゆっくりと動き出した。
「体調不良ですか?」
心配そうにバネッサがスカーレットに目を向ける。
「いいえ、話し疲れただけよ」
「そうですか」
「バネッサはスカーレットのことが気に入ったのね」
バネッサが頷いた。
「レンテリア王国での様子を見る限り、スカーレット様は騎士として尊敬出来るお方です。王太子の婚約者に選ばれるほど優秀ですし、どんな状況でも落ち着いており、そうあろうと努力する姿勢は見習いたいと思います」
「スカーレットとバネッサは歳も近いし、きっと仲良くなれるわ」
「そのうち、剣の手合わせをさせていただけたら嬉しいです」
どうやらバネッサはスカーレットを認めているらしい。
横にいるリシアンも「オレもお願いしたいですね」と言う。
……三度目ではスカーレットはリシアンと手合わせをしたというし。
今はそれより強くなったそうなので、リシアンは負けるだろう。
「ん……」と腕の中でスカーレットが身動いだ。
三人揃って会話が止まり、スカーレットに意識が集中する。
しかし、スカーレットはアシュリーにすり寄り、また静かに寝息を立てる。
……可愛いわね。
馬車の揺れで動いてしまったスカーレットの体を抱え直す。
「殿下、顔が緩んでますよ」
リシアンの指摘に答える。
「仕方ないじゃない。スカーレットが可愛いんですもの」
「そろそろ王都に着くんですから、気を引き締めてくださいね」
「分かってるわ」
それでも、もう少しだけ可愛いスカーレットを眺めて過ごしたい。
腕の中に初恋の人がいるこの幸せに、今は浸っていたいのだ。
* * * * *




