道中
レンテリア王国の王城を出て、ミレリオン王国に向かう馬車の中。
王都から離れると、アシュリーが不満そうな顔で車窓を睨んだ。
「結局あの王太子、謝罪一つなかったわね」
両陛下と王太子がアシュリー殿下を含む使節団の見送りに立ったけれど、王太子は最後まで、わたしと目を合わせようとしなかった。
まるでわたしという存在そのものがいないかのように振る舞う様子にアシュリーは怒ったようだ。
「いつもああでしたから、気にするほどのことではありません」
「レヴァイン公爵令嬢、あなたはもっと怒ってもいいと思うわ」
「スカーレットとお呼びください、アシュリー殿下。……わたしとしては、別に王太子にどのように思われても、扱われても、どうでも良かったので。あれで完全な無関心であれば尚良かったのですが、気に入らない相手に突っかかる質の方だったので何かと面倒でした」
「スカーレットもなかなかに言うわね」
わたしの言葉にアシュリーが小さく笑う。
向かいの座席に座る騎士二人──……バネッサとシェーンベルク殿は目を丸くしている。
わたしが思いの外、傷付いていないことに驚いたのかもしれない。
目が合うと二人がお辞儀をする。
「そういえば紹介していなかったわね。女性騎士のほうがバネッサで、男性騎士のほうがリシアンよ。アタシの近衛騎士の中でも一、二を争うくらい強いわ」
「バネッサ・アルウィンと申します」
「リシアン・シェーンベルクと申します」
二人が座ったまま、右手を胸に当てて騎士の礼を執る。
それにわたしも同様に返した。
「改めまして、スカーレット・レヴァインです。スカーレットと呼んでください。いきなりわたしのような者が殿下の婚約者になるというのは受け入れにくいかもしれませんが、これからよろしくお願いいたします」
三度目でも、シェーンベルク殿と手合わせをするまで警戒されていた。
今回も恐らく、わたしがどんな人物か調べて、観察しているだろう。
それすらも懐かしさを感じる。
「いえ、スカーレット様が殿下の婚約者になられることに異論はありません」
「殿下の昔の恩人でいらっしゃることは聞き及んでおりますので」
そう言った二人からは、確かに、警戒するような気配は感じられなかった。
それにアシュリーが満足そうな顔で頷いていた。
「そうよ、アタシの恩人だもの。反対なんてされないわ」
「何より、殿下の初恋の人ですからね」
「もう、リシアン、それは言わない約束でしょう……!」
アシュリーが少し顔を赤くしてシェーンベルク殿に言い返す。
それにシェーンベルク殿が小さく肩を竦めてみせた。
バネッサが無言でシェーンベルク殿の脇腹に肘打ちをして、シェーンベルク殿が「うっ……!」と呻く。そのやり取りも懐かしくて、わたしは不覚にも泣きそうになってしまった。
潤みそうになるのを笑って誤魔化した。
「殿下の初恋をいただけるなんて、光栄です」
そして、今更ながらに自分の初恋に気付く。
……わたしの初恋はアシュリーだ。
「恥ずかしながら……わたしもこの歳で初恋を知りました」
アシュリーが「え?」とわたしを見る。
その綺麗な翠色の瞳をジッと見つめ返す。
「この初恋をあなたに捧げます」
アシュリーの手を取り、その手の甲に口付ける。
人生十八年。巻き戻った時間を考えればもっと生きてきたというのに、わたしの初恋は三度目でようやく花開き、四度目の人生でやっと伝えることが出来た。
わたしの言葉にアシュリーが目を丸くし、そして顔を赤らめ、空いているほうの手で口元を覆う。
「……アタシの婚約者、格好良すぎるわ……」
そんな呟きをするアシュリーがおかしくて、わたしは声を上げて笑った。
こんなふうに声を上げて笑うのはいつ以来だろうか。
「わたしの婚約者は照れ屋で可愛いですね」
アシュリーがそばにいるだけで、世界が色鮮やかに見える。
あなたがいないとダメになってしまった。
この幸せをわたしは知ってしまったから。
* * * * *
不意に感じた肩の重みに、アシュリーは顔を横に向けた。
ここまでの道中は平和なものだった。
ミレリオン王国の王都までの道のりで言えば、丁度残り半分まで来ており、つい二時間ほど前に国境を越えたところである。
近衛騎士であるバネッサとリシアンと共に今後の旅程について話していたのだが……。
「あら、寝ちゃったわね」
アシュリーの肩に、スカーレットが寄りかかって眠っていた。
ここまでの道のりではこのようなことはなかったので驚いたが、普段は凛として落ち着いた様子の彼女が居眠りをしてしまう姿は何だか微笑ましかった。
車内が暑くならないように窓を開けていて、そこから吹き込む風が心地好かったのだろう。
スカーレットの正面に座っていたバネッサが微笑み、座席下から膝掛けを出した。
それを受け取り、スカーレットにかけてやる。
よほど深く寝入っているらしく起きる気配はない。
「起きている時は格好良いのに、寝ている時は可愛いなんて……最高ね」
寝ていると少し幼く見える。
スカーレットの調査結果は聞いているので、年齢も知っているけれど、出会った時から年齢以上に大人びていたので、こういう歳相応なところを見るとどことなくホッとする。
「殿下、女性の寝顔はまじまじと見てはいけません」
「分かっているわよ」
バネッサに指摘されて顔を前に戻す。
けれども、肩にかかるほどよい重みについ口元が緩んでしまった。
……あの時はどうにもならないと思ったのに。
神は自分に味方してくれたようだ。
王太子の婚約者であったスカーレットにとって、人々の前で婚約破棄を宣言されるのはつらいことだっただろう。それを喜んではいけないと分かっていても、この奇跡に感謝してしまう。
昔、アシュリーを助けてくれた赤髪の少女がここにいる。
少女は成長し、女性になっていたが、アシュリーの想像していた姿とは違った。
貴族の令嬢らしい淑やかさはなく、どちらかと言えば男性的で、まるで何年も騎士を務めた者のような威厳すら感じるけれど、想像と違ったことについて気落ちするようなことはなかった。
それどころか、想像と違って凛とした格好良い姿にときめいてしまう。
アシュリーが女性口調や仕草を使うようになったのは、いつか赤髪の少女と再会した時に、あの頃より背が高くて体付きも良くなったことで怖がらせたくなくて、同性のような口調や仕草をしていれば少しはいいのではと思ったことが始まりだった。
……今はこれが当たり前になったけど。
女性口調や仕草を使うアシュリーを馬鹿にする者もいるが、これは相手の人間性を見る良い指針にもなる。馬鹿にする者とは関わりを持たなければいいし、相手を油断させることも出来るので、意外とこれは役に立っている。
それにアシュリーがこのような振る舞いをすることで、兄こそが王太子に相応しいと周囲が思うことも大事であった。アシュリーは王になるつもりはなく、優秀な兄が王位を継ぐほうがいい。
いまだにアシュリーを次代の王にと推す者もいるのが頭の痛い話である。
「それにしても『初恋は実らない』となんてならなくて良かったですね、殿下」
リシアンがニコニコしながら言う。
「しかも『初恋を捧げる』なんて……あれは男のオレでもグッと来ました」
「そうよね、男前だわ……! あんなの落ちないほうがどうかしているもの……!」
実を言えば、もしかしてと思う気持ちがあった。
初めて会った時からスカーレットの視線はいつもアシュリーを追いかけていて、他の騎士達と話している時も、手合わせをしている時も、その視線が外れることのほうが少なかった。
そして、その視線は今思えば、熱のこもったものだった。
スカーレットが最初からアシュリーを昔助けた相手だと気付いていたかどうかは分からないが、何かしら想いを寄せてくれていたことは確かである。
婚約破棄をされるまで、スカーレットは王太子の婚約者であった。
だから、アシュリーも想いを伝えられなかった。
……もし、スカーレットも同じだったなら……。
互いに両想いで婚約を結べるのであれば、それはとても幸せなことだ。
「にしても、随分ぐっすり寝てますね」
リシアンの言葉に、バネッサが返す。
「きっとミレリオン王国に入って安心したんですよ。あのままレンテリア王国にいても、スカーレット様はどうしようもなかったでしょうし……王太子の様子からしてスカーレット様に何もしないとは思えません」
それにはアシュリーも同意の頷きを返した。
「ええ、そうね。何かしらの罪状を作り上げて、スカーレットやレヴァイン公爵家を陥れるくらいのことはやるかもしれないわ。だからこそ、他国の王家と繋がりを持たせるのは大事だわ」
「簡単には手出し出来なくなりますからね」
リシアンが言い、バネッサも頷く。
婚約を申し込んだのはスカーレットと結婚したい気持ちがあったからだが、彼女やレヴァイン公爵家の今後がどうなるか想像した時、どうしても許せなかった。
婚約者がいながら浮気をした挙句、衆人環視の中で婚約破棄をした身勝手な王太子。
そんな男に恩人とその家が潰されるなんて考えたくもない。
……アタシなら助けられる。
そう思ったからあの時、声を上げたのだ。
結果として、それは正解だった。初恋の少女を助けることが出来た。
「思えば、スカーレットは常に気を張っているようだったわ。……王太子の婚約者でありながら、騎士になるなんて普通は許されないもの。それが許されるほど優秀だと聞いたけど、本当は見えないところで必死に努力をしてきたのでしょうね」
スカーレットの手は皮が厚く、マメもあり、爪も短く整えてある。
その手の皮の厚さから、マメの出来具合から、彼女の努力が窺える。
この道中もスカーレットはずっと毎朝、欠かさず鍛錬を行っているし、剣を手放さない。
だが、ミレリオン王国で騎士になりたいとは一言も口に出さない。
「もしスカーレットが『ミレリオンでも騎士になりたい』と言ったら、アタシは応援するわ」
きっと、スカーレットはミレリオン王国の騎士服姿も似合うだろう。
第二王子の婚約者にも王族の公務はあるが、王太子妃に比べれば少ないものだ。
騎士の仕事をしたいと言えば、ミレリオン王国で続けることも可能だと思う。
……スカーレットの剣の腕を皆が知ったら、稽古をつけてほしがるわね。
きっとスカーレットはそれに付き合ってくれる。
……でも、そうなるとアタシとの時間が減るのよね?
それは少し面白くない。
「殿下、お顔が怖いですよ」
「あら」
慌てて顔の表情を微笑みに変える。
「何にせよ、それを決めるのはスカーレットだわ」
出来れば、スカーレットの希望は全て聞いてあげたい。
「ところで、今更の疑問なのですが、勝手に婚約を申し込んで良かったのですか? 陛下や王太子殿下に反対されたとしても、なかったことにするのは難しいですよね?」
バネッサの問いにリシアンが言う。
「それは大丈夫だと思う。殿下は昔から『恩人以外と結婚する気はない』と陛下と王太子殿下にいつも言っているから、説明すれば頷いてくださるさ。そもそも、スカーレット様は王族の結婚相手として申し分のない方だしな」
「なるほど」
むしろ、レンテリア王国にとっては大きな損害だろう。
王太子妃の器に相応しい優秀さを持つ、家柄も血筋も問題ない令嬢を失うのだ。
今から王太子に釣り合う令嬢を探しても、年齢の合う令嬢はほとんど婚約してしまっているだろうから、条件に合ったとしても年齢が離れている相手になってしまう。
……そういえば、王太子のそばにいた令嬢には婚約者はいないのかしら?
普通の貴族なら成人前にはある程度、婚約が決まるものだ。
そうでなかったとしたら、政略結婚をする必要がないか、令嬢か家に問題があるか。
婚約の決まった王太子を横から奪い取るような人物なので何かしら問題があるのかもしれない。
「父上と兄上なら『よく優秀な人間を引き抜いてきた』と褒めてくれるわよ」
ミレリオン王家に嫁ぐために、こちらの国で改めて学ぶ必要のあることも多いだろうが、そこは焦る必要はない。
「アタシのほうこそ、スカーレットに釣り合う努力をしなくちゃいけないわね」
「殿下はまだ剣の腕を鍛えるおつもりで?」
「当然でしょう? それすら負けてしまったら、アタシの良いところなんて顔しかなくなってしまうじゃない。婚約者として恥ずかしくない力量がなくちゃ、スカーレットの隣に立てないわ」
レンテリア王国での手合わせではアシュリーが勝っていたが、スカーレットは剣術に対する学ぶ意欲がとても強いので、気を抜いていたら追い抜かれてしまう。
けれども、それは決して嫌なものではなく、良い緊張感を与えてくれる。
負けられない相手がいるというのは張り合いがあっていい。
「アタシももっと強くならないとね」
それにバネッサとリシアンが苦笑する。
スカーレットはこの二人よりも強いので、そのうち、二人がスカーレットに手合わせを頼む日も来るだろう。アシュリーと手合わせをする機会もきっと増えていく。
……負けたくないし、こんなアタシでも男の矜持ってものがあるもの。
本気で剣を交わせる相手がいることも嬉しい。
帰ったら訓練をする時間を増やそうとアシュリーは決めたのだった。
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