説得と出立
別室に移ると、すぐにレヴァイン公爵夫妻とウィルモット侯爵夫妻、王妃様も来た。
ソファーに両陛下とアシュリー、そしてレヴァイン公爵夫妻が座る。
ウィルモット侯爵と王太子、ウィルモット侯爵令嬢、そしてわたしは立ったままだ。
事の次第を説明すると国王陛下はこめかみを手で押さえ、息を吐く。
「エミディオよ、これはどういうことだ?」
国王陛下の問いに王太子が答える。
「父上、私はスカーレットとの婚約を破棄し、ここにいるウィルモット侯爵令嬢と婚約します! それにスカーレットはアシュリー殿からの婚約を受け入れました! きっと以前より通じ合っていたのです!!」
「っ、この愚か者!!」
陛下の、今まで聞いたことがない怒声に王太子がビクリと体を震わせる。
三度目は平然とした様子だったウィルモット侯爵夫妻だが、今回はそうではないようで、表情が強張っている。
王太子がどれほど無礼で国同士の関係を悪化させることを言っているのか、ウィルモット侯爵夫妻は理解しているらしい。王太子の腕の中のウィルモット侯爵令嬢は王太子の言葉に頷いた。
「そ、そうですわ! だからエミディオ様に冷たかったのです……!! エミディオ様に対して不敬な行いばかりして、それでどれほどエミディオ様が心を痛められたか……」
「ああ、エイリーン、君はなんて優しいんだ……!」
まるで流行遅れの古くさい劇でも観ているかのような気分になってくる。
本人達は真面目なのかもしれないが、両陛下の表情が更に険しいものに変化していく。
陛下が口を開いた。
「と、愚息は申しているが、アシュリー殿……」
「それにつきましては、あらぬ疑いですわ。レヴァイン公爵令嬢には何度か手合わせをしていただきましたが、エミディオ殿が婚約破棄をするまで、アタシと彼女の間には何もありませんでした」
「では、何故急にスカーレットに婚約を申し込んだのだ?」
アシュリーがそれに、少し困ったように微笑んだ。
「実は、昔、あることでレヴァイン公爵令嬢に助けていただいたことがあったのです。今までその恩人がレヴァイン公爵令嬢だとは分からなかったのですが、先日、そのことに気付きまして──……」
「それでスカーレットと通じ合ったのだな!?」
「違うわ。……エミディオ殿と婚約しているなら、身を引くしかないと思っておりました。しかし、こうして婚約破棄された彼女はこの国にいても苦しむだけでしょう。この機会を逃すには、あまりにも惜しかったのです」
国王陛下がもう一度、大きく息を吐いた。
「……確かに、スカーレットはこの国にいるのは難しいだろう。愚息がすまない……」
「スカーレット、本当にごめんなさい……」
両陛下の言葉にわたしは首を振った。
「お二方が謝罪することではございません。それに、この婚約は上手くいかないと分かっておりました。いつか、このような日が来るかもしれないという予感もありました。……ですが、お許しいただけるのであれば、わたしはアシュリー殿下の婚約者としてミレリオン王国に参りたいと思います」
わたしがそう言えば、両陛下が悲しそうな顔をした。
レヴァイン公爵夫妻──……両親は何も言わなかった。
元よりわたしのことなど何とも思っていないだろうし、家の恥にならないなら、口を出す必要はないとでも考えているのかもしれない。
……両陛下のほうがまだわたしを思ってくれているようだ。
「……分かった。スカーレットよ、そなたの望むようにするがいい」
「ええ……ここで引き留めても、あなたが苦しい思いをするだけね……」
両陛下の決断に、わたしは頭を下げた。
「ありがとうございます」
わたしの横で、アシュリー殿下も頭を下げる。
「スカーレットの願いをお聞きくださり、ありがとうございます」
「アシュリー殿よ、どうかスカーレットをよろしく頼む」
「はい、お任せくださいませ」
王太子とウィルモット侯爵令嬢は不満そうな顔だった。
わたしを陥れるつもりが、予想外のことで納得が出来ないのだろう。
陛下が「良いな?」と両親に問えば、両親は「陛下のご判断に従います」とだけ言った。
そこにはわたしへの関心が欠片も感じられず、少しだけ笑ってしまった。
「明日、アシュリー殿下の帰国に同行いたします」
「まあ、そんなに急いで……いえ、そうね、そのほうがいいでしょう」
王妃様の残念そうな表情に、わたしは少しだけ罪悪感を覚えた。
近衞騎士として取り立ててくれたのも、社交で色々とおしえてくれたのも王妃様だった。
実の両親よりも王妃様と過ごす時間のほうが長かったかもしれない。
そうして、わたしは急ぎ旅支度をするからと先に退出させてもらえた。
その後、両陛下と両親、そしてウィルモット侯爵夫妻の間で話し合いがされたようだが、あれほど大勢の前で宣言してしまった手前、どうしようもない。王太子とウィルモット侯爵令嬢の婚約は認められた。
だが、ウィルモット侯爵令嬢の能力次第ではどう転ぶか分からない。
王太子は『ウィルモット侯爵令嬢と婚約する』とは言ったが、彼女を『王妃にする』と明言したわけではない。
いざとなったらウィルモット侯爵令嬢を側妃にして、もっと能力と家柄を重視した相手と王太子を結婚させ、そちらを王妃に据えることも可能だろう。
……わたしがそこまで気にすることではないか。
公爵邸に向かう馬車の中で、手を握る。
……まだ、どこか実感が湧かない。
三度目と違い、アシュリーはわたしに婚約の申し入れをした。
三度目は騎士として迎えられたけれど、今回は婚約者としてミレリオン王国に行く。
「……また、一緒にいられるんだ……」
嬉しさと懐かしさ、ここまで来たのだという感動が込み上げてくる。
だが、まだ目的を達成したわけではない。
アシュリーを死なせないというのがわたしの一番の目標である。
やっとそのために動くことが出来ると思うと、安堵した。
今日までの六年、それだけを願って生きて来た。
気合いを入れ直していると、馬車が停まる。
いつの間にか公爵邸に到着していたようだ。
馬車から降りて公爵邸に入り、部屋に向かう。
「お帰りなさいませ、スカーレット様」
侍女達の出迎えに頷き、それから伝える。
「わたしは明日からミレリオン王国の第二王子殿下の婚約者として彼の国に行く」
「え? ……その、王太子殿下との婚約はどうなさるのですか……?」
「それについては破棄された。すまないが、すぐに旅支度をしてもらえるか? 侍女を連れて行くことはないから、恐らく、皆は母の侍女になるだろう」
「そんな……」
侍女達が戸惑い、けれどもすぐに頷いた。
「かしこまりました。こちらにお戻りになる予定はございますか?」
「いや……多分、よほどのことがない限り、もうこの国に戻るつもりはない」
「そうですか……」
侍女達の悲しそうな様子に、わたしも申し訳なく思う。
その後、侍女達と共に旅支度を行なった。
ミレリオン王国に持って行けるだけ、カバンに身の回りの物を詰め込んだ。
装飾品は少なく、衣類や剣、多少の化粧品などくらいである。
……ミレリオン王国で服は新しく買い足せばいい。
こちらの国とあちらの国では流行りも違うし、そもそもドレスは着ない。
あれを詰め、これを詰めとしていれば、部屋の扉が叩かれた。
「どうぞ」
と声をかければ、扉から弟のリックスが顔を覗かせた。
「姉上、早く戻って来たみたいだけど、どうしたんだ?」
「リックス……丁度いい、こっちにおいで」
手招きしてリックスを部屋に入れると、リックスはソファーに腰掛けた。
それから、わたしの様子に目を丸くした。
「姉上、どこか行くのか?」
「それについてだが──……」
リックスに事の次第を説明した。
王家主催の夜会で王太子に婚約破棄されたこと。
ミレリオン王国の第二王子に婚約の申し込みをされたこと。
両陛下が認めてくれたので、ミレリオン王国に向かうこと。
今、わたしはその準備をしていること。
「今回の件で、もしかしたら王太子の態度が悪くなるかもしれない。……それなのに隣国に逃げてしまうわたしを恨んでいい。公爵家のことも、王太子との関わりも、リックスに任せてしまうことになる。……すまない」
王太子がこのまま王になれば、確実にレヴァイン公爵家への態度は硬化するだろう。
王の態度を見た貴族達から舐められるかもしれない。
そうと分かっていて弟に公爵家を任せ、わたしは他国に行ってしまうなど無責任だ。
立ち上がったリックスがそばに来るとわたしの手を握った。
「姉上は悪くない。婚約中に浮気する王太子が悪いんだ。父上が決めたけど、姉上と王太子の気が合わないことは分かっていたし。むしろ、あの王太子と結婚しなくて済むなんて良かったな」
「リックス……」
「ミレリオン王国の第二王子と婚約するって言ったけど、そっちは大丈夫なのか?」
何がと訊き返さなくても分かった。
「ああ、大丈夫だ。アシュリー殿下は誠実で、剣の腕なんてわたしより強くて素晴らしい方だ。婚約破棄をされたわたしと公爵家のために、動いてくれた恩人でもある。何度か剣を交わして思ったが、アシュリー殿下ならば同じようなことは起こらない」
「姉上がそこまで誰かを褒めるとこ、初めて見たな」
リックスが小さく笑ったので、わたしも笑う。
「そうだな。……それくらい、良い方だ」
そしてわたしはずっとこれを望んでいた。
……アシュリーとまた婚約出来る。
「ミレリオン王国の第二王子のこと、慕ってるんだな」
リックスの言葉にドキリとした。
やはり、家族だと分かることもあるのだろう。
「……ああ、わたしはアシュリー殿下のことが好きだ」
そう言えば、リックスに背中を叩かれた。
「良かったな、姉上! 好きな相手と結婚出来るなんて、貴族じゃ珍しいぜ!」
「どうやら、今回は幸運が味方してくれたらしい」
「こんかい?」
不思議そうな顔をするリックスに、何でもないと首を振る。
確かに、今回は三度目と違うところもあったが、結果としては上手くいっている。
……本当に幸運が味方してくれているなら……。
「それにしても出立が明日って急だな」
「アシュリー殿下の帰国に合わせたほうが旅も安全だからな」
「ああ、なるほど」
カバンに荷物を詰め込むわたしをリックスが眺める。
それからしばらくの間、リックスと話をしながら旅支度を整えたのだった。
* * * * *
そして翌朝、馬車に荷物を積み込んでいると声をかけられた。
「スカーレット」
振り向けば、そこには両親がいた。
リックスとは先ほど別れの挨拶を済ませたものの、両親とは昨夜も今朝も会っていなかった。
三度目と同様に、このままミレリオン王国に行くことになるだろうと思っていたので驚いた。
「何かご用でしょうか?」
正直、今更この人達と話すことはなかった。
愛情を与えてはもらえなかったけれど、暮らしの上で苦労はなかったし、わたしが剣を習いたいと言ってからすぐに騎士達に話を通してくれたので、全く関心がないわけではなかったのかもしれない。
そういう点では親として子供に必要なことはしてくれた。
……一度目のことがなければ、わたしは今もこの人達を愛せていただろう。
たった一度のことだけれど、毒を飲め、と言われたことはあまりにつらかった。
だから、わたしは苦痛から逃れるために両親からの愛情を諦めた。
愛されていないと思ったほうが苦しまずに済むから。
相変わらず、貴族らしく表情の変化に乏しい人達だ。
父は厳しそうな顔つきで、母はいつも同じ笑みを浮かべている。
しかし、今だけはいつもと少し表情が違うような気がした。
……もしかしたらわたしの勘違いかもしれないが。
「……気を付けて行きなさい」
「ミレリオン王国でも健康に過ごすのよ」
両親からかけられた言葉を理解するのに数秒かかってしまった。
てっきり、ミレリオン王国でも粗相をしないように、的なことを言われると考えていたので、それは予想外だった。まるでわたしの身を案じているかのような言葉に感じられた。
「お気遣い痛み入ります」
わたしの口から出たのは他人行儀な言葉だった。
物心つく頃から両親はいつも忙しそうで、食事か廊下ですれ違う時くらいにしか顔を合わせることがなくて、それでも昔のわたしは両親を愛していた。
……もう、過去の話になってしまったが。
「……スカーレット、私達は──……」
「申し訳ありません、そろそろ王城に行かなければ。よほどのことがない限り、帰って来ることはないと思います。……十八年、今までありがとうございました」
荷物を積み終えた馬車に向かえば、後ろから名前を呼ぶ声がして、立ち止まる。
「父上、母上、以前のわたしはあなた方を愛していました」
背を向けたまま言う。
「でも、それはもう過去の話です」
「……それほど王太子との婚約は嫌だったのか……」
思わずといった様子で訊き返され、わたしは笑いそうになってしまった。
「いいえ、王命に近い打診でしたから断れないと理解しています。……そうではなく、わたしはただ、あなた方に愛してほしかったのかもしれません」
「わたくし達はあなたを愛しているわ……!」
「そうだったとしても、わたしはそれを感じ取ることは出来ませんでした」
振り返り、両親に向かって微笑んだ。
「もっと早く、その言葉を聞きたかったです」
さようなら、と両親に言って馬車に乗り込む。
今のわたしはもう、両親の愛をほしいとは思えなかった。




