四度目の婚約破棄
そして、ついに王家主催の『あの夜会』の日が訪れた。
わたしは三度目と同じ──……というより、普段通りの男装である。
王太子は相変わらず不機嫌さを隠しもせず表情に出しているが、わたしももう慣れたもので、わざわざそれについて何か感じることもなかった。
舞踏の間に入場し、国王陛下の挨拶が済むと、わたしと王太子が最初のダンスを踊る。
……相変わらずだな。
王太子のダンスは良く言えばリードに力が入っていて、悪く言えば強引なものだった。
一度目も二度目も、そして三度目も王太子とのダンスは楽しめなかった。
自分の行きたい方向に行くし、自分を良く見せようとするし、華やかさを演出したいのかターンが多くて女性側の負担など全く考えていない。一度目など、あまりにクルクル回るので目が回ってしまい、ダンスの後に休憩したら『この程度で情けない』と王太子に愚痴られたこともあった。
しかし、こちらが下手にリードしようとすると反発される。
だからいつも、王太子の気が済むように踊る。
そのせいか王太子はいつもわたしのことを『面白みがない』と言った。
こちらが動けば怒るくせに、動かなくても文句を言われるのだから理不尽である。
婚約者として二曲続けて踊った後、王太子は義理は果たしたとばかりにさっさと離れて行った。
こういうところを貴族達に見られているという意識がないのだろう。
それとも、わたしに気遣いなどする価値もないと思っているのか。
……まあ、わたしも似たようなものか。
貴族達と挨拶を済ませると、令嬢達に声をかけられ、ダンスを踊る。
一人よがりな王太子のダンスに比べれば、令嬢達と踊るほうがずっと楽だ。
夜会には両親も来ており、挨拶はしたが、それだけだ。
両親は貴族の在り方としては正しいのかもしれないが、親としては少し思うところがあった。
……今更仲良くなりたいとも思わないし、今後もそのようなことはない。
令嬢達とのダンスを終えて一息吐く。
この後、王太子に婚約破棄宣言をされるだろうが、四度目ともなればもう緊張すらしない。
ただ、来るべき時が来るのを待つだけだ。
給仕から飲み物をもらい、飲んでいると声をかけられた。
「レヴァイン公爵令嬢、素敵なダンスだったわ」
それにわたしは一瞬、驚いてしまった。
……いや、アシュリーと再会してから驚くことばかりか。
何故かアシュリーは初めて出会った日から、頻繁に訓練場に現れた。
三度目と違う流れは少し怖かったが、それよりも、アシュリーと会って話す時間は何よりも嬉しかったし、これまでずっと訓練場に通っていたのをいきなりやめるのも変なので、結局わたしはアシュリーが来ると知っていながら訓練場に通い続けた。
「ありがとうございます」
礼を執り、改めてアシュリーを見る。
ジッと見つめてくる視線に含まれた感情に気付かないふりをした。
「第二王子殿下もどなたかと踊られてはいかがでしょうか?」
「アタシはやめておくわ。ダンスは苦手なの」
「そうですか」
軽く肩を竦めるアシュリーにわたしはそれ以上のことは言わなかった。
ダンスが苦手というのは嘘だ。
三度目で踊った時は上手だったのに、四度目の今は下手ということはないだろう。
二人でダンスの輪を少し離れたところから眺める。
「明日、ミレリオン王国に帰るわ」
その言葉に驚くことはなかった。
「そうなのですね。……第二王子殿下と剣を交える日々はとても楽しかったです」
「アタシも、レヴァイン公爵令嬢との手合わせが一番楽しかったわ」
アシュリーがこちらを見たので、わたしも顔を戻す。
そうして、アシュリーの口が開きかけたところで、わたしは手でそれを制した。
「どうやら時間切れのようです」
「え?」
アシュリーが不思議そうに目を瞬かせ、わたしの視線を辿って振り返る。
そこには王太子がウィルモット侯爵令嬢と共にこちらに歩いて来るところだった。
王太子のエスコートで歩くウィルモット侯爵令嬢の姿に人々が騒めいている。
明らかに目立っていると理解した上でこちらに近づいて来る二人に、アシュリーが眉根を寄せるのが見えて苦笑してしまった。
夜会で婚約者がいながら、婚約者でない女性を親しげにエスコートしている男を見れば、普通の感覚ならそういう表情をするのも頷ける。
「スカーレット、話がある!」
わざと響くようにか大きな声を出す王太子に表情を引き締める。
「このような大勢の前での話とは、何でしょうか?」
「以前も言ったが、貴様は特定の貴族に対して差別的な態度を取っている! 注意したにも関わらず、変化が見られなかった! そのせいで苦しんでいる者がいることすら理解出来ないのか!」
それに溜め息が漏れてしまう。
「以前も申し上げましたが、わたしはそのようなことはしておりません」
「嘘を言うな! ウィルモット侯爵家の主催する茶会や夜会には出席していないではないか! ここにいるウィルモット侯爵令嬢は涙ながらに訴えて来たのだぞ!? 気に入らないからと言って差別するとは、人として恥ずかしくないのか!!」
「その言葉、そっくりそのままお返しします。殿下こそわたしが気に入らないからと、婚約者でありながら、その立場にあるまじき言動を取っておられる自覚はありますか?」
分かってはいたが、何度経験しても呆れてしまう。
大勢の貴族や他国の来賓がいる中で、王家がまとめた婚約を己の独断で破棄しようとしている。
王太子は自分の立場ならそれが許されると勘違いしているのか、理解していないのか。
どちらにせよ、他国は次代の王の底を知ることになるだろう。
両陛下が頭を抱えるのは間違いなしだ。
「婚約者のいる身でありながら、このような公の場で婚約者でもない女性をエスコートし、あまつさえ抱き寄せているなど……どう考えても浮気現場としか言い様がないのですが」
王太子がわたしを睨んだ。
「浮気などではない!」
ビシリと王太子がわたしを指差した。
「スカーレット・レヴァイン公爵令嬢! 私、エミディオ・ルエラ=レンテリアは貴様との婚約を破棄し、ここにいるエイリーン・ウィルモット侯爵令嬢と婚約する!!」
はあ、ともう一度溜め息が漏れる。
「一応、お訊きしますが、国王陛下の許可は得たのですか?」
「王太子である私が決めたことだ!」
「そうですか」
わたしと王太子のやり取りを聞き、周囲の貴族達は事の次第を理解したようで、白い眼差しを王太子とウィルモット侯爵令嬢に向けた。
家同士の契約である婚約を己のわがままで勝手に破棄するなど、信用を失うだけだ。
「第一、貴様こそ人のことは言えないだろう! ここ最近、ミレリオン王国の第二王子と随分親しげではないか! 今もこうして第二王子と共にいるのが事実であろう!!」
呆れすぎて一瞬、絶句してしまった。
よりにもよって己の婚約者と他国の王族との仲を違うなど、相手国に喧嘩を売っているようなものである。
唖然としていれば、アシュリーが口を開いた。
「なるほど。……他国の王族に不貞の疑いをかけるのが、レンテリア王国の流儀なのかしら?」
明らかに怒りのこもった声にわたしは即座に頭を下げた。
「第二王子殿下、不快な思いをさせてしまい申し訳ございません」
「レヴァイン公爵令嬢が謝罪することではないわ」
ジロリとアシュリーが王太子を睨み返す。
それに王太子が僅かに身を引いた。
しまった、という顔をしているけれど、もう遅い。
「まず、レヴァイン公爵令嬢の名誉のために言っておくけれど、彼女は常に騎士という立場に恥じない振る舞いをしていたわ。アタシがよく声をかけたのは彼女が騎士の中で非常に腕が立つ人物だったから、その力量を知って、相手をしてもらっていたのよ」
「しかし、アシュリー殿、他の騎士でも良かったのではないか?」
王太子の言葉にわたしが付け加える。
「第二王子殿下は剣に優れた方です。剣を交えて感じた限り、一般騎士では相手になりません」
王太子がわたしを睨んで来るが、わたしは事実を語っているだけだ。
「第二王子殿下への無礼はともかく……王太子殿下の命、承りました。婚約破棄を受け入れます」
「ウィルモット侯爵家への差別を認めるのだな!?」
「いいえ、殿下の婚約破棄は受け入れますが、侯爵家に対する差別はしておりません。これで二度目の説明ですよ。ウィルモット侯爵家は元より我がレヴァイン公爵家との関わりが薄く、わたしと令嬢も付き合いがなく──……そもそも、わたしは騎士の仕事もあるので、あなたの婚約者として必要な社交以外は忙しくて出られません」
わたしの言葉に貴族達が近くの者同士でひそひそと話し、頷き合っていた。
貴族派のウィルモット侯爵家と王家派のレヴァイン公爵家。当然ながら、派閥が違えば関わりもそれほどなく、レヴァイン公爵家からすればウィルモット侯爵家は数ある侯爵家の中の一つに過ぎない。
「しかし、本当にわたしと婚約破棄をしてよろしいのですか? 殿下はまた一から王太子教育をやり直さねばいけなくなるかもしれませんね」
「なっ……!?」
三度目と同じく、王太子が顔を赤くする。
「ですが、それはそちらにいらっしゃる方がきっと愛の力で乗り越えてくださるでしょう。……そうですよね? ウィルモット侯爵令嬢」
ウィルモット侯爵令嬢は肩を振るわせて、わざとらしいほど怯えた表情をする。
けれどもすぐに王太子に縋りついた。
「エミディオ様ぁ、これではレヴァイン公爵令嬢がお可哀想ですぅ。彼女はこれまで努力しておりましたしぃ、このまま側妃となって支えていただくというのはどうでしょうかぁ?」
ウィルモット侯爵令嬢も三度目と変わらない反応を示す。
相変わらず、王妃の身分とうまみだけが欲しいようだ。
「そ、そうだな! 喜べ、優しいエイリーンがこう言っている! 特別に側妃として迎えてやろう!」
「お断りします」
「そうだろう、嬉しい──……え?」
ポカンとした顔をする王太子の表情に、つい笑ってしまった。
「ウィルモット侯爵令嬢は殿下のために努力はしたくないようですね。王太子妃教育は大変ですから、気持ちは分からなくはありませんが」
「そ、そのようなことはございませんわっ! エミディオ様への愛を否定しないでくださいませ!」
「では、わたしなど必要ないでしょう。ウィルモット侯爵令嬢、是非頑張ってください。お二方の未来を応援しております」
「っ……!」
ウィルモット侯爵令嬢が僅かに顔を歪める。
王太子妃教育は大変だが、彼女の言う『王太子への愛』とは『王太子妃という立場への執着』だろう。
本気で王太子を愛しているなら、こんなふうに王太子の印象が悪くなるようなことはさせない。
最も確実に婚約破棄出来て、手っ取り早く、そして周囲に見せつけるような行為から、ウィルモット侯爵令嬢の性格の悪さを感じてしまうのはわたしだけだろうか。
どちらにしても、王太子との婚約は破棄されるしかない。
もう一度、無意識に溜め息が漏れる。
カツ、と音がして顔を上げれば、わたしの目の前にアシュリーが跪いていた。
三度目との違いに驚いて、反応が遅れてしまう。
「スカーレット・レヴァイン公爵令嬢、このような場で言うべきではないと分かっているわ」
跪いたアシュリーがわたしを見上げる。
鮮やかな水色の瞳と目が合った。
「アタシの婚約者として、ミレリオン王国に来ていただけないかしら?」
どうかしら、と訊かれて一瞬、言葉に詰まった。
三度目とは異なる誘い方だったが『騎士として』ではなく『婚約者として』と言ってもらえたことが嬉しくて、嬉しくて……体が震えそうになる。
わたしは剣を鞘ごと抜いて、そばのテーブルに置いた。
「今ここにレンテリア王家に仕える騎士の栄誉を返還いたします。……男装をして、剣を振って、気が強い……こんなわたしでも、よろしいでしょうか?」
剣から手を離して振り向くと、アシュリーが頷いた。
「ええ、もちろん。アタシは、あなただから、婚約したいと思ったのよ」
「ありがとうございます、第二王子殿下」
「あら、アシュリーでいいわ」
少しだけ、呼びかけるのに勇気が要る。
わたしはアシュリーに手を差し出した。
「よろしくお願いいたします、アシュリー殿下」
三度目とは少し違うけれど、アシュリーの婚約者になることに否やはない。
アシュリーがわたしの手に触れたので、引き上げれば、アシュリーが立つ。
周囲の貴族達が予想外の出来事に驚き、騒めく。
「っ、やはり繋がっていたではないか!!」
王太子の言葉にアシュリーが振り返る。
「エミディオ殿、婚約破棄をしてくれてどうもありがとう。おかげで、アタシは彼女を連れて国に戻ることが出来るわ。騎士としても、王族になる者としても優秀な令嬢は得難い存在よ。……エミディオ殿と彼女が結婚するなら身を引くしかないと思っていたから、機会をくれたこと、感謝するわ」
ニコニコと良い笑顔でアシュリーが言う。
それが嫌味だと分かったのか、王太子が更に顔を赤くしたが、言い返せない。
その頃になってようやく騒ぎを聞きつけた国王陛下が現れ、わたし達は控え室に移動することとなった。




