【第89回】わたしの幸せな結婚
『実写版ハガレンが本来目指すべきはずだったモノ』
今回レビューするのは、和風ファンタジー要素のある恋愛映画です。しかも、ここ「小説家になろう」で生まれたWEB小説を原作とした映画です。
えー、私こと浦切三語はなろうに登録して今年で7年くらい経つんですけれど、常になろうの潮流から大きく外れた作品ばっかり書いてきたというのもあり、いまのなろうのランキング上位作品の傾向だったり、流行だったり、そういうの全然わからないタチです。研究する気もあんまりありません。だって研究して流行に乗った作品書いてPV数伸びなかったら、それはそれで傷つくじゃん! 傷つくのヤダ!
しかしながら、そんな風に「なろう」の本流から外れている自分でも、「なろう」で「恋愛」といえば、その最前線に立っているのが「悪役令嬢モノ」であることくらいは、なんとくなく知っています。「悪役令嬢モノ」のテンプレートがどんなものか知らないんですが。いまこうして文章書きながら思うのは、どちらかというと今回紹介する作品は「悪役令嬢モノ」ではなく「パーティー追放モノ」に近い感じがします。つまりは、シンデレラストーリーというわけですな。
そう、シンデレラストーリー。人によっては「テンプレ」と呼んでバカにするタイプの話なんでしょうけど、テンプレもなにも物語には「類型」という、ある程度の決まった型というのが昔からあるのですから、そういう悪態をついてくる奴には「いまさら何を言ってるんだお前は」という感じです。
ま、早い話が「かなり面白いファンタジー・ロマンス映画」ってところです。
【導入】
異能者の名家の出自ながら、生まれつき異能を持たないがために虐げられてきた少女が、冷酷無比ながらも朴訥とした優しさを持つイケメン軍人と婚約を結び、未熟な心を成長させていく「和風ファンタジー・ラブストーリー」
監督は塚原あゆ子。『重版出来!』『最愛』『アンナチュラル』などの人気テレビドラマの演出を手掛けている方で、劇場公開映画の監督としてはこれが二作目。この人が過去に手掛けたドラマにウチの会社が結構深く関わっている作品があり、そういうのもあって気にはなっているんですけど、正直なところあんま期待していなかったんですよ『わたしの幸せな結婚』を観るまでは。
だって、ねぇ。この人の初監督作品って『コーヒーが冷めないうちに』ですからね。『コーヒーが冷めないうちに』といえば、広告代理店が考えた「3回泣けます」なんて愚にもつかないキャッチコピーが「客をバカにしてんのか」と映画愛好家界隈でプチ話題になり、お話の内容もクソつまんない(主人公が基本「コーヒー淹れる」か「彼氏といちゃつく」か「泣く」かしてない)ときて、だから期待値おもいっきり下げて鑑賞したんですがね……いや、マジでこんなイイ作品を撮る人だったとは思わず、びっくらこいてます。まーね! あのジェームズ・キャメロンですら初監督作品はしょーもない映画撮ってるし、一発目から傑作撮れる人のほうが稀なんでしょうな。
主役の「シンデレラ」齊森美世を演じるのは今田美桜。役が役なので、今回の今田美桜はスゲー芋ッぽい。だけでなく、唇はカサカサで手の指はあかぎれ・ひび割れが目立つなど「幸薄い感」マシマシなんですけど、化粧をするとたちどころに美人になるという、ひっじょーに見どころのある演技してます。笑顔カワイイ。
齊森美世と婚約することになる冷酷無比な軍人・久堂清霞の役にはSnowMan(つづり合ってる?)の目黒連。一日だけでいいから顔を貸して欲しいくらいのイケメン。Twitterで知ったんですが、ファンの間では「めめ」と呼ばれているらしい。「なんだジャニーズ主演かよ」と冷笑するそこのアナタ! あまり軽んじない方がいいですよ。最近は『#マンホール』の中島裕翔といい『ホリック xxxHOLiC』の松村北斗といい、ジャニーズであっても抜群の演技力を持つ若手がかなり台頭してきている。もう「ジャニーズだから」を枕詞にジャニーズが出ている映画を忌避する時代じゃとっくになくなってるんですな~。
さて、本作は「シンデレラ」ストーリーなので、主人公と敵対する、いじわるな継母も登場します。演じるのは山口紗弥加。まぁイヤな奴なんですけど、コイツはコイツで自らの(おそらくは卑しい)出自に物凄いコンプレックスを持ってるんだな……というのを匂わせる演技はさすが。そして継母の連れ子で齊森美世を虐め倒す小憎たらしい(いかにもパパ活してそうな雰囲気の)妹役には『ベイビーわるきゅーれ』で一躍人気若手俳優の仲間入りを果たした髙石あかり。
齊森美世に接近する謎の貿易商人・鶴木新の役には渡邊圭祐。『実写ハガレン』でリン/グリードの役を演じた方。時の最高権力者「帝」の役には石橋蓮司。その帝の息子・堯人役には、ジャニーズ俳優の大西流星。顔のパーツが貴族っぽいのか、めっちゃくちゃ雰囲気出てます。何気に佇まいだけで言うなら、本作で一番「それっぽい」佇まいをしていたのは、この大西さんだったかもしれません。
他にも、帝都の中枢と深いかかわりを持つ一族を率いる長老役に「平成の色男」こと火野正平……もうすっかりおじいちゃんです。更には、ツダケンこと津田健次郎も「役者として」バリバリ出てきます。相変わらずのイケボです。てか、この人最近出過ぎじゃない? ようやくこの人の凄さに気付いたか世間。遅すぎるぞ。
【あらすじ】
男は刻む。不吉なタップを。男は囁く、不可解な言葉を。
男の思惑に操られるかのように、高き天井から垂れさがる幾つもの花房は、その花弁を禍々しく開花させると、ひとつ、またひとつと、この世ならざる異形の「蟲」を地に落とし、帝都のあちこちへと散開させていく……
文明開化もめざましい近代日本。古来より超常の力【異能】を受け継ぐ家系の者たちが代々、国を治める帝と共に【異形】と呼ばれる災いから人々を守り続けてきた時代。
帝を頂点として、帝都には国を支える三つの家があった。ひとつは立石家、ひとつは久堂家、ひとつは齊森家。そのうちのひとつ、齊森家の長女・斎森美世は、生まれつき異能を持たない「無能」として、継母や義妹から虐げられる毎日を送っていた。幼い頃にこの世を去った実母への想いだけを胸に秘め、来る日も来る日も、先の見えない生活に耐え忍ぶしかない美世に命じられたのは、突然の政略結婚だった。
嫁ぎ先は久堂家。その長男にして現当主の久堂清霞は、若くして陸軍特殊異能部隊の隊長を任せられるほどの秀才でありながら、冷酷無比な性格であると噂されていた。清霞の冷酷ぶりは人々の口の端にのぼること数知れず、これまで何度も婚約者を募りながらも、誰ひとりとして見初められることなく、三日と持たずに逃げ出したという。
「ここでは私の言うことに絶対従え。出ていけと言ったら出ていけ。死ねと言ったら死ね」
政治と軍事。腹に一物を抱える者たちとの仕事を通じ、人を信じることを恐れる清霞は、挨拶もそこそこに美世へ辛辣な言葉を投げかける。だが、半ば家を追い出されるかたちで嫁に出された美世にとって、逃げ出す先などどこにもない。自分に出来る限りのことを尽くそうと、良家の令嬢に似つかわしくない献身さで尽くしていく。やがて美世は、久堂家の清霞が悪評通りの人物ではないことに気づいていく。そして清霞もまた、美世の心遣いに触れ、いつしか2人は互いに心を通わせるようになる。
その頃、帝都では謎の病が流行していた。原因は「蟲」と呼ばれる、鉱石のような小さな甲虫にあった。それは、かつての昔に異形との戦いで命を落とした異能者たちの魂が祀られている「奥付都」に安置されていたものであり、何者かが帝都の警備を掻い潜り、蟲を市中に解き放ったのである。
事態を重く見た宮内省は、蟲の捜索および排除の役目を、陸軍特殊異能部隊、ひいてはその隊長である清霞に一任し、民間の協力者として、鶴木貿易の御曹司である鶴木新を引き合わせる。
飄々とした態度の鶴木に警戒心を抱く清霞。一方、鶴木は清霞の目を結んで、無能力者であるはずの美世へと接近していく。やがて事態は、美世の心の中に眠る「真の力」の覚醒を巡る、帝都に潜む怪人たちの暗躍へと繋がっていくのだった……
【レビュー】
あんまり期待せずに観に行った、というのもあって、かなりいい意味で驚きの連続だった本作『わたしの幸せな結婚』……まぁ私が取り上げるくらいですから、ただの恋愛映画じゃないのは本レビュー集をお読みいただいている好き物な読者の方々ならおおよそ予想がついているでしょう。
本作は異能バトル要素のある恋愛映画です。「異能」という、まーこれまたよくある設定っちゃ設定なんですが、この「異能」を使ったバトルシーンを味付けに、久堂清霞と斎藤美世の二人の恋愛生活を軸に物語が進んでいくってのが基本的な流れ。味付けとはいっても決して「おざなり」になっていない異能バトルシーンのVFXの巧みさが。二人の恋愛物語と上手いこと融合しているので、率直に言って「面白い」映画です。
まず異能バトルシーンのVFX。コイツが非常に秀逸です。そりゃーね。流石にハリウッドとかMCUとかと比べたら、邦画ですから、そりゃあ質的には劣りますよどうしたって。それでも、少なくともファンタジー要素のある邦画で、これだけのモノが観れるのはなかなかないでしょう。つまりVFXそのものの質が高いというよりも、フレーム内における役者の身体を邪魔しないギリギリのレベルで効果をつけたり、カメラスピードの変化と合わせてVFXにメリハリをつけたり、シーン単位におけるVFXの「塩梅」が上手い。これはもう職人芸の領域ですね。リアルな身体運動をVFXでデフォルメした漫画原作実写の成功例『るろうに剣心』の小坂順一がVFXスーパーバイザーを担当しているだけのことはあります。予告編でも、久堂清霞が敵対する人物の頭をむんずと掴んで地面に叩きつけた際に、掌を中心に発火の異能が発現するシーンが使われてますが、あのシーンの炎のVFXひとつとっても「お?」と感じる人は多いと思います。
SNSなんかを見ていると、この映画を魔人・加藤の話と見せかけての「実は都市風俗の物語だったんだよ」的なオチを仕掛けてくる『帝都物語』とテイストが似ているという意見を多く見かけます。確かに「帝都」が舞台だし世界観のデザインも近しいものがありますが、どちらかと言えば私は「実写版のハガレンが本来目指すべきだった姿」といった印象を持ちました。あのー、本当にこんなこと言いたくないんですけどね、清霞が炎の異能でバチバチバトルしているシーンでテンション爆上がりしたのは間違いないんですが、一方では萎えてたんですよ。「なんで実写ハガレンはこうならなかったんだろうな」って。あの炎のVFX、俺はああいう炎を『実写版ハガレン』で見たかったんだよ! マスタング大佐に必要なのはあの炎なんだよ! なんで和風ファンタジーの炎の描写に錬金術漫画の匂いを感じなきゃいけないんだよ!(笑)
というのも、なまじこの映画のVFXには品があるからなんですよ。押井守の言葉を借りれば「CGを道具ではなくテーブルとして使っている」好例のひとつと言っていいでしょう。架空の世界を創造するからといって、なんもかんもCGひとつでゼロからやってしまおうとする「愚かな怠惰さ」というのは一切なく、実写ベースでどこでどうVFXを使えば演出が効果的に働くかを見定めて使っている。いまのところ、予算的にも技術的にも、その質的面において邦画がハリウッドのVFXに追いつく可能性というのは低い訳ですから、ディズニーのフルアニメーションに対抗するかたちでリミテッドアニメーションが生み出されたように、邦画のVFXも「邦画ならではのVFX」を目指した方が得策だと思うんですが、本作はその最も良い例を示して見せたといってもいいんじゃないかと私は考えてます。
しかし、個人的にはこのVFXつまりCG合成が最も「活きてんな~」と感じたのは、実は異能を使ったバトルシーンじゃありません。それは帝都の空撮。おそらくは実写背景にCGで加工を施しているとは思うんですが、これがねぇ、イイんです(笑)。パッとみたところは高層建築がまばらに立っているのもあって、そこだけは現代の東京っぽいんだけども、仔細に観てみると高層建築にも大正モダンな意匠がほどこされていたり、カメラがグーッとクローズアップしていくにつれて見えてくる街並みにも、大正~昭和初期の雰囲気を感じ取れたりして「あぁ、異世界だなぁ」ってワクワクがひしと伝わってくる。その異世界の佇まいは「ここではない、どこか」というより「我々が暮らしている“いま”とは絶妙に異なる歴史を歩もうとしている“過去の風景”」という印象を感じさせるものであり、異世界の風景が大好きな自分は、これだけで涎が出ます。この空撮の「和風ファンタジー感」は一見の価値ありです。
こうした空撮の美術ひとつとっても、清霞が読んでいる新聞や、陸軍庁舎の内装や、久堂家の外灯などなど、セットや小道具にも細やかな「気遣い」が感じられていて良い。だけでなく、この映画は役者のメイクも素晴らしいんですな。『AI崩壊』のレビューでも書いたけど、どうにも海外と比べて邦画のメイクは手緩い傾向にあると個人的に感じてるんですが、『わたしの幸せな結婚』はそのあたりも手抜かりがない。その最も顕著なのは今田美桜演じる齊森美世の唇と着物にある! とかく意地悪な継母と血の繋がらない妹に幼い頃から虐められ続けてきて、その心労が肉体に出てきてしまったんでしょう。序盤の齊森美世は唇がカッサカサです。もうすんごいカッサカサ。「大丈夫? おじさんリップクリーム貸そうか?」って思わずキモイアクションを観客席で取りそうになってしまうくらいにはカッサカサです。これ、何気ない描写だけど今田さんは結構堪えたんじゃないかな。
更には、嫁入り道具の貧相さもさることながら、その嫁入り道具が全部「臭そう」というのも、美世の薄幸さを高めます。女の子の匂い~って感じは微塵もなく「それタンスの奥でずっと放置されてたろ?」とツッコミを入れたくなるぐらいには「臭そう」な着物を着て炊事場に立つ美世。これなんですよね。異世界映画に必要なものって、大仰な設定や奇抜なキャラクター設定ではなく「その異世界で暮らしている者のリアルをどう演出するか」という部分にあり、それをフレームの中に実現できるだけの基礎的な演出の教養を塚原監督が身に着けているのはもとより、テレビドラマという「各話にフックを設ける」ことが半ば必然とされている業界で働いていたこともあり、なろうに始まるWEB連載小説との親和性が、もともと高いんじゃないですかねこの人。なろうも連載形式ですから、PV数を稼ぐためには各話に強烈なフックが必要なわけですが、そういうのも関係しているんじゃないのかなぁ。そう考えると、前作『コーヒーが冷めないうちに』は、あれは連作短編集だったわけだから、そもそも塚原あや子が得意とするフォーマットではなかったのだろう。あの映画では、塚原あや子のポテンシャルは半分も発揮されていなかったのかもしれない。
原作は未読ですけど、おそらく書籍化の際に多少の改変はあったにしろ、そのフックの掛け方、各ポイントポイントで物語を駆動させる要素というのは損なわれていないのだろうし、そこを塚原あゆ子は上手いこと拾って映像化に成功している。映画は的確に三幕構造を意識したつくりになっている一方で、異能者同士の腹の内を探る権謀術策な展開と、美世と清霞が徐々に親愛関係を結んでいく流れとが、分断されることなく流暢に展開されていく。ここで注目すべきは美世と清霞の関係性すなわち俺がここ最近何度も他映画のレビューの中で口にしている「パワーバランス」の上手さである。自己肯定感の低い薄幸な少女は、清霞との出会いを通じて「自分の新しい居場所」を見つけ、精神的に成長する一方で己の力を自覚する。他方で、政治と軍事の世界で生きてきて人を信じることを恐れていた清霞は、真心を以て接する美世と出会うことで、自分がこれから先、軍人として・人として、真に守護らねばならない存在を自覚して成長する。つまり、美世の成長と清霞の成長は相互補完の関係にあり、その関係性を加速させるキーとして異能者家系の策謀や帝都壊滅を企む謎組織を配置している。
美世と清霞の心の通わせ方は、ひとことで言って「いじらしい」ものがある。これって、現代か、あるいは現代に近しい、通信手段に事欠かない時代を舞台にすると「いじらしさ」より「もどかしさ」ばかりが優先してしまって、次第に「ダルさ」を感じてしまう恐れがあると思うんですが、大正~昭和初期という「奥ゆかしさ」がある時代背景だからこそ、心の距離の縮め方、その緩やかさに説得力がある。ここで、前述した美術やメイクの徹底ぶりが生きてくる。つまり、この映画ではただ単に「異世界感」を引き出すためだけに美術やメイクのリアリティを動員したのではない。他ならない物語の主役。その二人の「心の描写」を補助する存在として、この映画はこれだけのリアリティを獲得せざるを得なかったのではないでしょうか。
共依存の関係に陥ることなく、互いが互いの生き方を尊重し合い「並び立って歩く」までに至る過程を、たった二時間でここまで描き切るというのは、これは本当に見事なものです。これでもこの作品を「ただのなろうテンプレ」とバカにする人は、「テンプレ」と「王道」の違いも分からない腑抜け者です。
というわけで、プロ・アマ問わず、なろう作家は全員観に行くべし。全くなろうの流行に疎い俺でも楽しめたということは、物語の基礎力がしっかりしていることの証左であるし、少なくとも「和風ファンタジー映画」として見事な出来栄えです。家族で見るもよし、恋人同士で見るもよし。おススメです。
しかし、これ続編はあるんでしょうな。なきゃ困るぞ(笑)。




