【第51回】透明人間
『見えぬ者こそ』
ことわざに「鬼に金棒」ってあるじゃないですか。あれと似たような言い回しって映画の世界にもあると思うんですよ。「ブルース・リーにヌンチャク」とか「シュワちゃんにロケットランチャー」とか「マイケル・ベイに爆発」とか、この要素にこの要素を掛け合わせたら凄い事になるんじゃね?という凄まじく意識の低い、おバカなんだけど、どこか愛嬌を覚えるメソッドで成り立っている映画っていくつかあると思うんですね。
そんで今回この映画を観て、私はまた一つ、映画界に新たな(それでいておバカではない)至極真っ当なホラーの定石が築かれたんじゃなかろーかと思うのです。
つまり「サイコパスに透明スーツ」ってこと。
【導入】
1933年のユニバーサル・クラシック・ムービー『透明人間』を現代版にリブートさせた本作。監督は一部のサイバーパンク・フリークのハートをガッツリ鷲掴みした『アップグレード』を手掛けたリー・ワネル。ジグ・ソウでお馴染みの『ソウ・シリーズ』や、Jホラー要素を取り入れた悪霊系ホラー映画『インシディアス・シリーズ』の脚本家としても知られています。
主演は『アス』で被害者と加害者の一人二役を演じたエリザベス・モス。このモスの演技が今回、かなりイカしてます。決して男ウケの良い顔立ちじゃないんですが、それがこの映画では見事にハマっています。必見です。
透明人間にして光学分野における天才的科学者役をオリヴァー・ジャクソン=コーエン。つっても透明人間役なので顔はほっとんど出てきません。こういうのって役者的にやってて辛くならないんだろうか。
【あらすじ】
ある日の夜。岸壁に根差す広大な屋敷の寝室で、セシリアは「その時」が来るのを待っていた。
ベッドにうずくまり、隣で眠る「彼」の寝息に、じっと耳をそばだてる。時刻は、月明りがほんのりと差し込む深夜。それなのに、セシリアの目は驚くほど冴えていた。ずっと以前から立てていた『計画』を実行に移すその時が、いよいよ目前に迫っていたからだ。
彼が完全に熟睡しているのを確認すると、セシリアは恐怖と緊張感を押し殺しながら、そろりとベッドから抜け出し、必要な荷物をまとめはじめた。屋敷の至る箇所に設置された「逃亡監視用」カメラのセンサーを切り、セキュリティの警報がならないように細心の注意を払って屋敷を抜け出し、森の中へと逃げ込む。セシリアは、あらかじめ示し合わせていた妹の車に乗り込むと、狂暴な形相で追いかけてきた「彼」の怒号を必死になって振り切り、悪夢のような屋敷からの脱出に成功する。
光学分野の若き天才科学者・エイドリアン。それが「彼」の名前。セシリアの恋人。だがその実態は、あまりにも傲慢で独善極まりないものだった。セシリアの為す事全てにルールを設けて束縛し、少しでも気に食わない態度を取ると激しい折檻を加えるのだ。これまで何度も何度も、彼の手で酷い屈辱を味わってきた。そんな惨めな生活に耐え切れなくなって、セシリアはエイドリアンの元から逃げることを決意したのだ。
事情を知る親友にして警官のジェームズと娘のシドニーが暮らす家に、居候というかたちで匿われたセシリア。今は安全なこの場所も、いつかエイドリアンに知られ、またあの屋敷へと連れ戻されてしまうのではないか。そんな恐怖に苛まれながらも、どうにか普通の暮らしを取り戻そうと頑張っていたある日、一通の手紙が届く。差出人はエイドリアンの兄であるトムからだった。
トムの口から語られたのは、衝撃的な事実だった。セシリアが屋敷を脱走してから数日後、自宅でエイドリアンが自殺したというのだ。部屋には彼が書いたと思しき遺書が残されており、そこには、セシリアが心神喪失になり犯罪行為に手を染めないと約束してくれるなら、自身の莫大な遺産の全てを彼女に譲ると記されていた。
脅威は去り、それどころか思わぬかたちで大金を手に入れたセシリア。だがその日を境に、徐々に彼女の周囲でおかしな事態が発生していく。コンロの火が突然燃え上がったり、ベッドで寝ている時にいつの間にか体にかけていたタオルケットを剥がされていたりといったものから、再就職先の面接試験に持っていくはずだった資料がいつの間にか紛失していたりなど、説明のつかない不可解な現象に苛まれる。
そしてある日のこと。セシリアは洗面所に置かれた「あるもの」を見て、決定的な違和感を抱く。その「あるもの」とは、避妊のために飲んでいたジアゼパムの薬瓶。子供を欲しがるエイドリアンにバレないように密かに摂取し、屋敷を脱走する際に道端で落としたそれが、いま、目の前にある。自分のものではない「誰か」の血痕がべっとりと付着した状態で……
もしかすると、エイドリアンは自殺を偽装しているのではないか。疑心暗鬼に陥ったセシリアはジェームズの立ち合いの下、トムと面会して自身の考えを伝えた。しかし、自殺したはずの人間が生きて家の中を物色しているという彼女の突拍子もない言い分を、トムはおろか、友人のジェームズですら信じてくれず、セシリアは孤独を深めていく。
何かがおかしい。きっとエイドリアンは生きて、私には理解できない手段で姿を隠しているに違いない――恐怖と疑念に追いやられていく中、誰かが勝手にセシリアのパソコンメールを弄って、思ってもない悪口の数々を妹へ送信していた事態が明らかになる。弁解するセシリアだったが時すでに遅く、妹とセシリアの関係は決定的な亀裂を迎えてしまう。
更に、セシリアの目の前でシドニーが何者かに暴力を振るわれる事態が発生。現場にはセシリアとシドニーの二人しかおらず、しかしセシリアは何も手を出していない。だがシドニーは「セシリアが暴力を振るってきた」と訴え、ここ最近の彼女の言動に不信感を抱いていたジェームズは「二度と娘に近づくな」と警告し、セシリアはますます孤立していく。
全てはエイドリアンが仕組んだことに違いない。逃げ出した私に復讐するために、彼は「見えない存在」となって、私のすぐそばにいるのではないか。しかし、一体どうやってエイドリアンは姿を隠しているのだろうか。
全ての謎の答えを求めて、セシリアは一人、あの忌まわしき屋敷への潜入を決行するのだった。
そこで彼女が目にしたものとは――
【レビュー】
透明人間。
映画の世界における彼らは、そのほとんどがシリアスな描かれ方をしてきました。
発展し過ぎた科学技術の犠牲者であり、何か高尚な使命感を以て悪事を暴かんとするヒーローであり、時に「孤独」のアイコンとして描かれる透明人間。そんな従来の透明人間観を斜め上の方向で打ち破ったのが、バーホーベンの『インビジブル』でした。登場人物全員が科学者のくせにどうしようもないクズで自己中心的で、全く感情移入なんてできない。そんな彼らが痴情のもつれやら嫉妬やらで、ケビン・ベーコン演じる、自己中で中二的思想のエロスケベな下心丸出しの下衆な透明人間に殺されていく様は、可哀想とか恐ろしいとか以前に「そりゃそうなるわ、ガハハ」という、ある種のブラックな笑いを演出するのに一役買っていました。
そうした先例がある中で公開されたこの『透明人間』は、しかし「透明人間への変遷」をビジュアル的なインパクトで印象付け、従来の透明人間像を打ち破った『インビジブル』とは、全く真逆の方向で新しい透明人間像を印象づけることに成功した、と言ってもいい作品だと思います。
つまり、「ホラーの小道具」としての「透明人間」を確立させてしまった、ということです。
でもね、私は最初全く期待してなかったんですよこの映画。「透明人間+ホラー」と聞くと、いかにも面白そうな匂いがプンプンしますが、よーく考えてみてくださいよ。
透明人間が透明人間としての特性を発揮できるホラー演出ってなんでしょうか。それは「一見すると物理的に不可解な現象が引き起こされているように見せる」ってことで、ようはそれ、ポルターガイストの真似事に近い。そこに何もないのに、いつの間にかベッドシーツが剥がされている。いつの間にかキッチンのコンロの火力が弄られてる。手に取っていない包丁が突然宙に浮いて襲い掛かってくる……こういった透明人間としてのスキルを活かした恐ろしさを描くと、どうしてもポルターガイストに代表される「科学的に説明不可能な怪奇現象」そのものを彷彿とさせるんじゃないかと、浅はかにも私は考えていたわけ。
だから「今どきポルターガイストチックな演出をされてもちょっとなぁ」と、舐めた姿勢で鑑賞しに行ったわけですが……やられました。
この映画は怖いです。真っ当にホラーです。舐めてかかると痛い目を見るタイプのホラーです。
ホラー映画ではあまり使われない演出を駆使して「不気味さ」を生み出し、観客をじわじわと恐怖の奈落へ突き落していくのが『ミッドサマー』だとするなら、この『透明人間』はホラー映画的なカメラワークや音響に満ちた(それでいて安っぽくない)ドストレートなタイプのホラー映画です。おそらく『ミッドサマー』を観て「こんなのどこが怖いんだ」と感じた方ほど、この映画の恐怖演出にハマるんじゃないでしょうか。
「そこにいるはずなのに目に見えない」「目に見えてないのに、たしかに“そこにいた”痕跡がある」「そこにいるのか? それともいないのか?」っていう実存の不確かさにクローズアップする恐怖演出は、はっきり言ってしまえば幽霊系ホラーで良く見られる演出とほとんど大差ありません。
しかし、理不尽な呪いや災いを降り注ぐ肉体なき「幽霊/悪霊」と、因果関係に紐づけられた悪意の下で他人を傷つける「肉体のある」透明人間とでは、明確な違いがあります。
この作品の恐ろしい部分は、主人公のセシリアと肉体関係を結んだ科学者が透明になり、明確な悪意を抱いて、セシリアや周囲の人々に危害を加えていくという点。そのただ一点にあります。
この透明人間の動機が分からないから、怖いのです。
可愛さ余って憎さ百倍とはよく言ったものですが、自分を捨てたセシリアを殺したいのか、それとも復縁したくて、振り向いて欲しくて彼女を追い詰めるようなことをしているのか。最初のうちは透明人間の動機が分からないから、次に何をしてくるか予想が立てられない。どうにも要領が掴めませんので、すごくイヤーな気分になるし、恐怖心が刺激されます。
その一方で、この透明人間はセシリアを匿う友人の刑事やその娘、セシリアの妹に対しては、平然と過激な暴力手段を行使するので、「なんなんだコイツは」と困惑しきり。「危害を加えるくせしてその動機が不明」という点は「幽霊」と大差ありませんが、この映画はあくまでも「透明人間」の話です。幽霊とは違って実在している、いま、ここにいる肉体ある人間。それなのに、何を考えて行動しているかわからない、つまり「動機が透明」なのですな。
暴力装置としてシリアルキラー、サイコパスを登場させて、彼らの心理描写を全く描かない「動機が透明」なサスペンス映画ってのも今まで沢山作られてきましたが、その手の映画における犯罪者たちの「肉体」は、はっきりとスクリーンに映されています。ですが今作の『透明人間』は、その名の通り犯人は透明な訳ですから姿が見えない。
幽霊と同じく「透明」なのに、幽霊と違って確かな「肉体」を持つ。一方で、「肉体」を持つサイコパスな犯罪者と同じく「動機が透明」でありながら、通常の人間と異なり「肉体も透明」と化している。
幽霊とサイコパス。この両者を融合させて肉体も動機も透明にして「ホラーとしての透明人間」を誕生させたってのが、いかにもリー・ワネルっぽい。「心の底が見えないサイコパスに、ボディを透明にするギミック装着させて幽霊みたく演出したら最恐のホラー映画になるんじゃね?」という、「カレーにトンカツ乗せたら美味いんじゃね?」的な発想を、そんなに大したことのない予算で、これだけ見事に仕上げるとは、本当に参ったぜという気分です。
いやね、リー・ワネルっつったら『ソウ』の脚本家なんだしそりゃ力あるだろとは思うんだけど、でも『ソウ』だって一作目こそ良質なホラーミステリだったけど、二作目、三作目となるにつれてどんどんゴア描写が強まって陳腐化していったし、インシディアス・シリーズなんて、完全にJホラー演出がスベっていて全然怖くなかった。こんなのどこが怖いんだよと、公開当時は腹立たしさを覚えたくらいなんですよ。
リー・ワネルが監督としてどれだけの技量を持っているかは『アップグレード』で証明されたと思うんですが、いま思うと、あれも実にヘンな映画だったなぁ。好きだし面白いんだけどさ、基本的には私の敬愛するロバート・ロドリゲスめいた「(良い意味での)おバカなノリ」の映画なんですよ。あんなにスタイリッシュな未来的デザインの車登場させて、やたらとお洒落な3Dアートめいたもの出して、表向きには「この映画、スマートなSFですから!」と主張している割に、口からナノマシン入りの息を吹きかけて対象を殺害! とか、腕に埋め込んだ銃へ弾薬を装填して手の平から一斉射撃! とか、やってることがギターケース・マシンガンと大して変わらねぇじゃねぇかと(笑)。なんだこの人、結構おバカな娯楽映画を撮るタイプの人だったの? と微笑ましい気分でいたわけです。
そんな監督が満を持して、こんな職人的気質の映画を撮るなんてフツ―思いませんよ。『アップグレード』に見られたB級臭さはかなり抑えられていて、非常に手堅く纏まっているんじゃないでしょーか。
いやでも、これを書いている時に思ったんですが、演出やカメラワークはスマートそのものなんだけど、キャラクターがやっていることは根本的におバカなのかもしれない(笑)。天才科学者がセシリアにやっていることって、簡単に言えば「好きな女の子に構ってほしくて意地悪したくなる」という、思春期の男子あるあるな行動ばっかりだし。でもその嫌がらせがマジで洒落にならんから、笑いたくても笑えないってところがミソですね。
映画秘宝で高橋ヨシキさんも言っていたけど、今回の透明人間のやってることってのが、姿が見えないことをいいことに「匿名性」に乗っかった陰険極まる嫌がらせだから、すごーくタチが悪い。セシリア本人になりすまして悪口メールを家族に送るわ、セシリアが再就職先に持っていくはずだった資料をどっかに隠すわ、ぱっと見はしょーもないんだけど、実生活でやられたらたまったもんじゃない、ボディブローのようにじわじわと効いてくる嫌がらせばかりなわけです。この「洒落にならない嫌がらせ」と「嫌がらせを仕掛けて楽しむ厄介極まるキャラ」が出るってところが、もしかするとリー・ワネルの作家性なのかもしれません。
で、そんな洒落にならん嫌がらせを繰り返されていくうちに、どんどんセシリアは孤立化していくわけですが、ここにおけるエリザベス・モスの鬼気迫る演技が凄い。顔はどんどんやつれていくし、目の下には濃いクマが出来上がり、髪はボサボサ。観ていて痛々しいというより、狂気へ陥っていく人の姿をありありとカメラに収めているせいか、居心地の悪い緊迫感に包まれます。目に見えない存在に追い詰められ、それを必死に周囲へ訴えるんだけど、事が事だけに誰も真剣に耳を貸してくれない。どんどん精神が摺り減らされていって、信頼している人たちから「お電波な人」扱いされていくシーンは、なんだか『ターミネーター2』の精神病院に閉じ込められたサラ・コナーを彷彿とさせていて、とても見応えがあるんです。
この映画における透明人間の描き方に、何かビジュアル的な驚きや発見があるのかと言ったら、そんなものはありません。それはすでに『インビジブル』がやっています。たしかに透明スーツのデザインなんかは凝っていますが、『インビジブル』ほどビジュアル的なインパクトがあるかと言われると首を傾げます。
でも、それでいいんです。だって焦点がそこにはないから。人間の肉体から皮膚が消え、筋肉が消え、血管が消え、骨が消え、最終的に透明になっていく姿を段階的に見せていくことで、『インビジブル』はそこにあったはずの人間の視覚的な消失、つまり「そこにあるモノが消えていく」描写の極北に至った感じがあります。
それから二十年が経過した現在、この『透明人間』は「最初から見えないんだけど、でも確かにそこにいるんだよ!」という、すでに消失している“はず”の存在の雰囲気や気配を強調するかのような演出をとっています。
そういう意味でも、本作は『インビジブル』とは真逆の発想を出発点として、新たなホラー映画の定石を築いたと言えるかもしれません。
幽霊系のホラー映画あるあるの一つに、カメラをパンして、何もない部屋の片隅や廊下を見せるというお決まりのシーンがあります。そこにいる!……と思って振り向くと、いない。ホラー映画の文法に慣れた人ほど飽きてしまっている演出だと思いますが、この『透明人間』では「実在するのに透明」という特性ゆえに、何もない空間を映し出された時に「何もないけど、そこにいるんじゃないのか?」と、観客を疑心暗鬼にさせ、決して安心させてくれないんですわ。だから全編に渡ってエグイほどの緊張感に包まれっぱなしで、一瞬も気を許してくれません(笑)。
たぶん、ウルサがたのSF論客は「ちょっと待って!スーツ着て透明になるって、じゃあそのスーツは光の屈折率ゼロの機能があるわけだよね! じゃあ透明人間側からも何も見えないわけだよね! おかしくない? 何も見えないはずなのになんで人を襲えるの!?」とか言うんでしょうが、そういう細かいツッコミは置いときましょう。
そーいうわけで、とにかく今年公開されたホラー映画の中では『ミッドサマー』と同クラスの、しかしまた別種の怖さがある映画です。ホラー映画好きなら、是非とも劇場へ。
ラストの「サプライズ」には、度肝を抜かされることでしょう。




