【第18回】ファースト・マン
『たった一つのフィクショナルな要素にハッとさせられる映画』
あるいは、
『死に取り憑かれた男が、疑似的な死と葬式を経験し、命を取り戻す映画』
上野のTOHOシネマズで鑑賞してきましたので、軽くレビューを書きたいと思います。
月面着陸を主題とした映画は山ほどありますが、これはちょっと一味も二味も違う作品です。
【導入】
アメリカが推し進めた宇宙開発事業の一つ『アポロ計画』の従事者で、人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長の伝記『ファーストマン: ニール・アームストロングの人生』を基に描かれた、月面着陸までに至る一連の流れを描いた映画。
監督は『セッション』『ラ・ラ・ランド』でトンデモない才能を世界中に見せつけた、若干34歳の俊英デイミアン・チャゼル。私は実写映画におけるミュージカル演出が苦手で『ラ・ラ・ランド』は未視聴なんですが、『セッション』の衝撃が半端なかったので期待している監督の一人ですね。
物語の主役であるニール・アームストロングを演じるのは『ブレードランナー2049』や『ラ・ラ・ランド』で主演を演じたライアン・ゴズリング。
この人の顔、ジョセフ・ファインズに似ていると感じるのは私だけだろうか? あっちよりもニヒルっぽさは少し抑えめかな。売れっ子だよねーと思って調べてみたら、去年は主演作品が一本もないってマジかよ。今後のご活躍を私は応援しますよー。
アームストロング船長の奥さんジャネット・アームストロング役を演じるのは、ただいま絶賛公開中のスパイ映画『蜘蛛の巣を払う女』で主役を演じるクレア・フォイ。メイクとか髪型の関係なのかなー。最初そうとは気づかなかったです。
【あらすじ】
スプートニク1号の打ち上げ、ライカ犬の地球軌道周回、ガガーリンの有人宇宙飛行が成功……華々しい成果を上げるソ連の宇宙開発事業に対して、ケネディ政権率いるアメリカは大きな溝を開けられていた。
時は東西冷戦の最中。宇宙の覇権を握る争いで敗北することはアメリカの政治的な死を意味していた。
遅れを取り戻さなければならないと焦るケネディは、1961年の議会演説で『1960年代の終わりまでに月面着陸を成功させる』という無謀な挑戦を宣言してしまう。
そして、1961年。
カリフォルニア州のエドワーズ空軍基地に勤めるニール・アームストロングは、軍用機のテスト・パイロットとしての仕事に打ち込んでいた。
その体に沁み込んだ類まれな操縦技術は同僚達からも高く評価されていたが、ニールの私生活は平穏からは程遠かった。
彼にはまだ幼い息子と娘がいたが、娘のカレンは脳に腫瘍を患っており、妻のジャネットと懸命に看病を続けていた。
絵本を見せて読み聞かせてみても、病気に侵されたせいで何の反応も見せないカレン。そんな彼女を抱きしめ、精一杯の愛情を注ぐニール。
しかしながら現実は非情である。両親の看病も虚しく、カレンはたった二歳でその命を終えることになる。
葬儀の当日。小さな棺に納められ、暗い地中の奥深くに沈められていく娘の亡骸。
普段は冷静沈着なニールもあまりのことに現実を受け入れられなかった。彼は葬儀の最中に部屋に籠り、涙を流しながら愛娘の冥福を祈るのだった。
それから一年後の1962年。
NASAはケネディが掲げた月面着陸を実現するための前段階として、マーキュリー・セブンに続く『ジェミニ計画』を発足させる。
月軌道のランデブーや無人衛星とのドッキングを主な任務とするこの計画にニールは応募し、ケネディ宇宙センターでの面接において月面着陸を何としても成功させなければならないと発言する。
ニールの理路整然とした言葉に思わず唸らされる面接官たち。だが彼らは知っていた。ニールが幼い娘を亡くした事実を。
『娘さんのことは気の毒だ。そのことが影響を与えると思うか?』
面接官の一人がこう尋ねると、ニールは落ち着き払った様子で答えた。
『影響を与えないと思う事は難しいでしょう』
ニールはNASAの選抜に合格し、民間人から選ばれたパイロットのエリオットや、ご近所付き合いのあるエドらと共に、厳しい訓練を重ねていく。
そして、1966年。
ソ連が宇宙空間で初の船外活動に成功するなど、どんどん宇宙事業の溝を明けられていく中、NASAはジェミニ8号による無人衛星アジェナとのドッキングを試みる。
月面着陸のためには従来の着陸船のみでの飛行は重量の関係で不可能である。そう判断したNASAは、月面探査に必要な飛行船を着陸船と司令船の二つに分け、司令船は軌道上に留まり、着陸船が月面に到達する方針で進めるよう決定したのだ。
帰還時にはこの二つをドッキングさせることが必要不可欠であるから、ジェミニ8号に課せられたミッションは月面着陸のかなり重要な部分を占めていると言えた。
そのジェミニ8号の船長に選ばれたのは、ニールだった。
しかしその一方、ジェミニ8号のパイロットから外されたエリオットが、訓練中の事故で死亡してしまうという惨事が起きる。
同僚の死を受けて心を閉ざしつつも、ニールは副船長のデイビットと共にタイタンIIGLV型ロケットに乗り込み、宇宙へ飛び立つ。すべては、あの無慈悲なる月へ旅立つために必要なことなのだ。
宇宙空間に辿り着いたニールの目の前に飛び込んできたのは、真空の世界だった。宇宙服がなければ即死してしまう音無き暗黒の無限空間でニールは船長としての冷静な判断を発揮し、無事に無人衛星アジェナを発見。宇宙管制センターの職員らが見守る中、ついにドッキングを成功させる。
だがその直後、ロケットが突然予期せぬ回転運動を始めた。軌道姿勢を確保するためにアジェナを切り離すも、それでも回転は止まるどころかますます加速し、一秒間に一回転という速度まで高まる。
副船長のデイビットが気絶し、死の予感がすぐ傍に迫る中、ニールは大気圏再突入システムのスイッチを入れ、軌道姿勢制御システムのスイッチを切ることで難を逃れ、無事に地上へ着地する。
なぜ突然回転運動が始まったのか。原因がジェミニの軌道姿勢制御システムにあるのは明らかだった。
莫大な予算を投資しておきながら未だに未熟なままのアメリカ宇宙工学。
それにも関わらず国家の威信を賭けて月面着陸計画を進めるNASAと政府に対して、マスコミや国民は厳しい言葉を浴びせ続ける。
だが、ニールの優れた判断によって無事にドッキングは成功し、死傷者を出さなかったのは事実だ。NASAはこれを手土産に『ジェミニ計画』を次の段階に進める。
すなわち『アポロ計画』の始動。
その第1号の船長に任命されたのは、ニールと家族ぐるみの付き合いのあるエドだった。
名誉ある役目を背負う事になったエドを祝福するニールと同僚たち。
しかし、月面着陸ミッションの困難さは、彼らの想像を遥かに超えていたのである。
【レビュー】
アポロ11号は、本当に月に行ったのか行って無いのか。
キューブリックのスタジオで撮影したんじゃないのぉ~? なんで空気がないのに星条旗がくるくる回るんだよぉ~。
私みたいなオカルト好事家たちの心をときどき賑わせる、この証拠があるのか無いのか分からん都市伝説が生まれた背景には、アームストロング船長が寡黙過ぎたからというのが理由の一つにあります。
彼が月面着陸に関するエピソードを何も語らないから、それはきっと月に行って無いから語ることがないんだ! という理論? ですね。いやー、実にアホらしい理論で、私好きですw
アームストロング船長はとても冷静で思慮深くて寡黙な、度胸の据わり過ぎた男であると、多くの同僚達が証言しています。
その性格を裏付ける有名なエピソードとしてこんなのがあります。彼がある日、自宅の農場で農作業をしていた時に、刈取機に指が挟まってしまい切断してしまうんですが、彼は慌てることなく千切れた指を拾うと氷水に漬けて病院へ向かい「千切れちゃったんでつけてください」と言って縫合してもらったそうです。これには愚地独歩もニッコリ。
というように、外的な目線からは今一つ何を考えてアポロ計画に従事しているのか分からない人物です。
アメリカの威信のためか。仕事と割り切っていたのか。それともただ月に行きたかっただけなのか……
このいまいち何を考えているのか分からない、まるでマシーンのような男に、しかし流石はデイミアン・チャゼル監督。見事な血肉を通わせていることに成功しています。
巨大な組織の下で、前人未到の大きなプロジェクトに挑戦するという映画は、フィクションであろうとノンフィクションであろうと、これまでに欠伸が出るほど沢山作られてきました。
特に米ソ冷戦時代の宇宙開発事業は、それが計画されるに至った政治的な背景を正当化し、計画達成により確立された国家の栄光をことさら強調する上で最適なものとして素材化され、多くの『国家万歳!』『人類万歳!』な映画が製作されてきました。
ですが本作は、それらの作品とはまるきりテイストが異なります。この映画は「プロジェクトもの」を題材にした映画のほとんどに見受けられる「達成感のカタルシス」がかなり控えめです。
この映画はアメリカの過去の威光も、困難を打ち破る人類の賛歌も、何一つ描いてはいません。宇宙に対する憧れなんて捨てきっています。むしろ、ちょっと馬鹿にすらしています。
アームストロング船長の冷たく険しい表情。棺のように狭く息苦しいコックピット。軌道を確保できずに回転し続ける宇宙船。これからの数々をほとんどすべてアップで撮影するその絵作りから見えてくるのは、アームストロング船長個人の目線から語られる、犠牲と死の物語です。
もっと言ってしまえば『犠牲を積み重ねてもなお栄光を掴むことが正しいことなのか?』という、あの『セッション』と全く同じテーマがこの作品には内包されています。
だからこそ、栄光の象徴たるロケット打ち上げのシーンも、カッコよさからは程遠いカットで撮られています。
国がぶちあげた無茶苦茶な計画の犠牲となった人達。たったの36週間で62名ものパイロットを亡くしても、それでも止まらず、むしろ『想定の範囲内』として済ませるNASAの職員たち。我々は事態を正しく管理できていると言い聞かせなければ乗り越えられない障害の数々。
その果てに描かれる月面着陸のシーンは、人類が未踏の地に到達した喜びよりも、むしろ未踏の地に『立ってしまった』事実に対する、ある種の申し訳なさを呼び起こしてきます。
あれだけの犠牲を強いてまで掴んだもの。それは生物ひとつとして存在しない、無味乾燥な灰色の星。
地表をまんべんなく覆い尽くす月の砂はさながら遺灰のようで、地平線の彼方までが先の見えない暗黒で塗り固められている。
目に見えて『成功』であると分かるようなものがあれば、まだいい。しかしあの静かすぎる空間はなんでしょう。さながら墓標が立つのをじっと待ち続けている、名も無き墓地さながらです。
しかし、この地球から遠く離れた異郷の墓地が、なんだか観ているとどんどん美しいものに見えてくるから不思議です。
音もなく、ただアームストロング船長の呼吸と宇宙センターとの通信のみが支配する空間を息を呑みながら観察しているうちに、『2001年宇宙の旅』のオマージュを越えた何かがあるのは確かです。
目と耳と肌で感じる映像作り。さすがは美術監督に『インターステラー』のネイサン・クロウリーを呼んだだけのことはあります。
宇宙船の『見るからに安っぽそうな』コックピット再現も素晴らしいものがありましたが、この月面シーンでもその美的センスが存分に発揮されていると言えます。
探査機から降りる際の目線も含め、全てが船長の目線で繰り広げられるから、臨場感は抜群なのですが、前半はどちらかというとジェミニ8号やそれに準じる計画のトラブルを描いているので『動』の情景に酔わされます。
ですが、後半の月面着陸では打って変わって『静』の世界。それも、月面に降り立って暫くは船長の表情が伺えないため、ついにここに来て観客は『極限の客観的視点』に立たされ、墓標のように佇む月を前に、呆然として画面を観ざるを得ないのです。
私、さっきから墓標だ墓標だと言っていますので、もうお分かりかと思いますが、この映画における『月』というのは『死の国』を明確に暗喩しています。
そもそも、物語が船長の愛娘の死を強く描いていることからもそれは明らかです。
地中に潜っていく娘を収めた棺と、月を目指して飛び立つアポロ11号は対比的に描かれつつも、それが到達する先が示すメタファー的な意味合いは同じです。
死の国へ旅立った娘に、同じく死の国へ旅立つアームストロング船長。
彼は一体、どんな想いを抱えてアポロ11号に乗り込んだのか。それは物語のラスト近くまではっきりと描かれることはありません。
そもそもが伝記映画を元にしているために、ただただ事実をレイヤーのように積み重ねていくことしか出来ませんし、なにより前述したアームストロング船長の性格も相まって、本当に淡々と物語は進んでいきます。
訴求力となるのは、アームストロング船長の視線で描かれる宇宙訓練の過酷さや、同僚達が見舞われる悲劇的な事故の数々(しかもこの事故シーンがまた怖いんだよな)ですが、最後までそんな調子だったら、ただの『凡作の伝記映画』として終わってしまいます。
ですがそうはさせません。デイミアン・チャゼル監督は史実におけるアームストロングを映画的キャラクターとして確立させるために、彼の『謎』に注目しました。
アポロ11号の搭乗員たちには、月面に降り立つ際に記念品などを持ち込むことが許可されていました。
残る二人の搭乗員、すなわちコリンズとオルドリンは、計画で犠牲になった同僚達が身に着けていた私物を持ち込んでいます。
ではアームストロング船長は何を持ち込んだのか。それは今になっても分かっていません。
本人曰く何かを持ち込んだのは確からしいのですが、それが何なのかはついぞ語られることなく、2012年に息を引き取りました。
このミステリー部分をデイミアン・チャゼル監督は独自の観点で掘り下げました。
しかしそれは、物語を劇的に見せるための奇抜なアイデアが生み出したものではありません。
アームストロングという人間を理解しようと努めた結果、自然と零れ落ちてきた、物語の枠から決してはみ出すことのない『回答』。その『謎』に対するフィクショナルな回答が物語のラスト付近で明示された瞬間、私たちは理解するのです。
同僚たちの死を乗り越え、人類として初めて月面に降り立った『英雄』が胸の内に秘めていた感情の雫を、しかと目にするのです。
それを観客が目撃した瞬間、ニール・アームストロングは『ファースト・マン』の物語全体に血肉を通わせる存在として昇華するのです。
これをまだ経歴の浅い監督がやってのけるかね普通。怖くて出来ないのが当たりまえですよ。こんなの巨匠のやり方ですよ。ヤバすぎるよデイミアン・チャゼル監督。あんたスゲーよ。食わず嫌いせずに『ラ・ラ・ランド』観ますよ。
総合しますと、これは華々しい映画ではありません。暗くて死の匂いに包まれた、新しい時代のジャンル映画です。
しかし世間を見回してみると、何やらトランプ大統領は激怒しまくりだし、ツイッターの感想とか見ても「盛り上がりに欠ける」なんていう、おまえ二時間以上も何見てたの?と言いたくなるような感想で溢れているのが悲しいです。
確かに『セッション』と比較すると地味な映画ですけれども、それでも間違いなく良作です。
全ての人に、おススメします。




