罪に願い、生まれる物
ナトミーの町外れにて。
「い、いたいワァ……ヘルプみー…………ア……ちゃん」
上空にて竜に跨がる悪魔が見据えたのは頭髪を毟り取られ、全身に噛まれた傷跡を幾つも付けた女だった。
稚拙な言葉を吐く女は歪む視界の中、少しでも竜と悪魔から逃れるために四つん這いで必死に手足を動かす。
「ティアマト……。
戒律が無ければ人間態になって知性が低下する事も、サンに負ける事も無かった……」
見下ろし眺めていたサタンは深い憐れみで地を這うティアマトを見つめる。
「おやおやぁ……サン様ったら、仕事が速いですねっ!」
そんな折、自由気ままに行動をしていたバアルがベルフェゴールを引き連れ、サタンの元へと現れる。
「なに? 速いと不都合なの?」
(うわぁ……不機嫌だぁ……。 私、気に障る事言ったかなぁ……)「いえっ、とんでもないですよぉ!」
「何で分離してるって分かったの?」
「えぇ〜……企業秘密って言ったら怒りますぅ?」
「怒らないけどドラゴンの餌にする」
「わーいっ! ガチギレだぁ!」
「で、どうして分かったの?」
「……単純にティアマト様の半身と遭遇したんですよぉ。 それで触れてみたら、本体の魔力も感知できたので、そちらにサン様を派遣した……って感じですかねぇ」
「あっそ……」
無愛想に答えるサタン。
「バアル、アンタにとってサンは道具なんだ」
「おや? 何やら雲行きが怪しい発言ですねぇ?」
バンッ!
瞬間、サタンが跨がる竜の尾がバアルを地面へ叩き落とす。
「いったぁ〜……んもぅ! 何する――――」
地上へと落ちたバアルが千鳥足ながら、立ち上がろうとするその時に肩を押さえつけるサタン。
「さようなら、バアル」
その言葉から間髪入れずに放たれたサタンの拳がバアルの首から上だけを彼方へと飛ばした。
「…………」
首の失くなったバアルの体からサタンが手を離した事で、バアルの体はその場に倒れ伏す。
「じゃあ、ティアマトを……って」
サタンの視線の先には、バアルが地面に叩きつけられた余波で飛んだコンクリート片で脳天を殴打し、ピクリとも動かなくなったティアマトの姿だった。
「あんなので死ぬなんて神様も……。 あ、いや、神様って結構呆気ない死に方していたっけ……。
ま、やる事はやったし、どうでも……!?」
頭に激痛が走るサタン。
(魔転化と支配者の権能を同時に使うのは間違いだったか……。
なんにしても……ちょっと辛い……)「っ? 何してるの、ベルフェゴール……」
「…………」
バアルと共にやって来たベルフェゴールは何をするでもなく、ただ静かに立っている。
「……聞いてる? 何をしてるのかって――――」
「邪奥解放っとぉ……」
途端、散漫する黒霧の濃度が高まる。
「!?」
不愉快な言い回しに嫌悪し、聞こえるはずのない声に恐怖するサタン。
「酷いじゃないですかぁ……サン様ぁ……」
「どうして……」
首から上が無いはずのバアルの遺体は元通りの姿に戻り、いつもの様にニヤけ顔で偽りの愛嬌を振る舞う。
その歪さに後退るサタン。
「どうして逃げるんですかぁ……?」
「っ……! 邪奥解放!」
バアルを牽制しようと邪奥を唱えるサタン。
「…………え。 邪奥解放……邪奥解放!
うそ……なんで……」
しかし、何度声を上げようとも最奥の力は発動しなかった。
「邪奥が使えないならぁ……眷属呼んだりぃ……魔転化すればいんじゃないですかぁ?」
「ぐ……ぅっ!」
「そーれーとーもぉー……出来ない理由でもあるんですかぁ?」
「サンをバカにするのもいい加減に……!」
「静かに」
目を閉じたバアルが人差し指を唇の前に立てる。
「…………!?」(え……声が…………でな……)
「声が出ませんよねぇ? はいっ!旧支配者の力の前では、失敗作の新支配者の力なんて無意味なんですよ……。
わかります?」
「ヒっ!?」
瞼が開くと黒色の眼球と赤の瞳に変容していたバアルを前にサタンは言い様のない恐怖に苛まれた。
「黙って私のオモチャとして、動いててくれてれば良いのに……。 どうして誰も彼も上手く動かないんでしょうねぇ……」
(何……なんなのコイツ…………)
「なにと問われれば、私は神です」
(っ! 心を読まれてる!?)
「読まれてたら不都合な事でもあるんですか……って、さっきのサン様みたいな事を言ってみたり!」
戯け混じりに笑顔で問いかけるバアル。
「あ、そうだ!
その肉体の主は願いを叶えたので、権能の力も完全な物になっていますよね?」
「……どうしてそれを」
「確か肉体主の願いは、自分をイジメから救ってくれた王子様と再会したい……ですよね?
よかったですね、ベリさんと……王子様と再会できて、チューまでしちゃって……ねぇ?」
「っ…………」
全てを見透かしているような口ぶりのバアルが首を傾げ、サタンに笑顔を振り撒く。
ドズっ!! 直後、サタンの腹部に重苦しい痛みが走る。
「ウ゜ッ!?」
彼女の腹にはバアルの腕がめり込んでいた。
「憤怒の権能、いただきますね?」
「あ…………あ……」
サタンの腹から腕を引き抜くと、バアルの手には超高濃度の魔力の塊が握られていた。
「願いが成就した大罪の権能がこれで二つ目……。 この魔力の塊をアザトゥス様に七つ捧げる事で、創造神アフラ・マズダ・スプリウムをも凌駕する力をアザトゥス様は手にする……。
だから、ベルフェゴール様を死なせるわけにはいかなかったんです。 あ、もうお喋りも動くのもオッケーですよっ!」
「あ、アあ、アアアアアアアア……!?」
核である憤怒の権能を無理矢理取られた事で、肉体が急激に壊れだすサタン。 肉体の崩壊を止めようと穴の空いた腹部に魔力の膜を張るも、その魔力すら維持できずに空気中へ溶けていく。
(ヤダ……ヤダやだやだ! 死にたくない……だって、まだ……)「うぅ……」
「……サン様、泣いてるんですか?」
素っ気無い態度から一転し、感情を抑えられずにいるサタンを見たバアルは……。
「可愛い……すっごく可愛いですよ!」
弱々しい姿に恍惚として心をときめかせていた。
「大罪の権能を失った事で肉体主の精神に引っ張られた結果なんでしょうかね? だとしたらアスモデウス様も永遠に殺して廃人にするなんていう勿体無い事をするんじゃなかったなぁ……!」
「な……ッ!」(アスモデウスが……こいつに……!?)
「はいっ、殺しましたよ! それが何か?」
サタンの心を読み取り、満面の笑みで答えるバアル。
「そんな事より苦しいですか? 苦しいですよね?!
あぁ〜っ! 精神面は中学生なのに、悪魔としての記憶を持った女の子……是非とも研究したい!
こういう生き物の尊厳を奪うのってワクワクしちゃいますっ!」
(この女……イカれてる……)
「あ、安全面は保証しますよっ! 私、これでも頭が良いので命の扱いは得意なんですっ!」
嬉々とした態度のまま、バアルはサタンの腹部に手を当てる。
「だから、研究が終わるまでは……」
「な……何を…………」
サタンの腹部を触れる手から溢れてきたのは闇だった。
「イヤ……やめて…………助け……て、ベリアル……」
「あはっ☆ 大丈夫ですよぉ……」
怯えたサタンなんて意に介さず、バアルは闇をサタンの腹部へと染み込ませるように送る。
「う…………あっ! ヤ……ら…………あっ……ィ!」
「もう少し…………うん!」
すると、壊れかけていたサタンの体はみるみる修復し、腹部の傷口を塞いだのだ。
「もうっ! 怖がりすぎですよぉ?
……って、あれ? あ、あちゃぁ……」
異物を体に詰め込まれたサタンは蕩けた表情で横たわったまま失禁をしていた。
「はぁ……はぁ…………」
「やれやれ……これじゃ、すぐには利用できませんねぇ……」
そう呟くと、こめかみに指を当てる。
「あ、しもしもバアルちゃんでーすっ!
単直なんですけど、研究材料としてそっちに女子中学生とインキュバスを送るので、ベリさんに見つからないよう私の部屋に入れといてもらえます?
……え? そんな事をしたらインキュバスが食べる?
はいっ! それが目的なので全然ケーオツですっ!
じゃ、そゆことで〜!」
通話を終えたバアルはこめかみから指を離すと、その指で虚空を軽くなぞってインキュバスを召喚する。
「後は転移魔法を使ってっと!」
黒霧はサタンとインキュバスを包み込むと同時に消失。 黒霧は一瞬で二人を別世界を転移させた。
「じゃ、ルキさんの願いを成就させるために洗脳を解きますか……」
バアルは瞬きをし、眼球をもとに戻すと、今度は瞳を銀色に染め上げ、ベルフェゴールと見つめ合う。
「…………よしっ、これで終わりっ!」(ルキさんは間違いなく璃空さんの幸せを最優先にする行動を取り、そしてベルフェゴールという悪魔の正体が姉だと知った璃空さんもまた救おうとするはず……。 姉弟喧嘩の果ての和解でも、喧嘩せずに和解でも願いは成就し、大罪の権能は完全な物となる)
「………っ! 私は……」
自我を取り戻したベルフェゴールが周囲を見渡す。 しかし、そこにはもう誰も居なかった。
(!……。 黒霧の中なのに魔力を反応が……璃空の魔力が……)「璃空を……助けなきゃ……」
バアルにより一部記憶を消されたベルフェゴールは、当初の目的であった弟の救済のために動き出す。
「あはっ☆ この黒霧の中でも魔力を感知できるように調整したんですから、ちゃ〜んと助けなきゃですよねぇ……ルキお姉さん?」
残された記憶がバアルの企みである事も知らずに……。




