異世界人曰く
森には意志が宿っている。
といっても、人間と同じように会話が出来るという意味ではない。
人間には魔力が通っているが、森にもその規模に釣り合う量。
つまりは、人間と比較すると桁違いの魔力が、木の葉の一枚一枚にまで通っている。
それだけの膨大な魔力であると、言葉という高度な意志疎通手段は持たないにしても、「好き」「嫌い」「嬉しい」「嫌だ」といったような意志を表すかのように、森は鼓動する。
森の魔力は強大であるから、森がその気になれば我々人間などひとたまりもない。
だから、森の意志を尊重し、森が保ちたいのであろう環境を保持することが必要だった。
森と相性の良い人間が王城より選出されると、その者は、森へと移り住む。
そして、森の意志を感じ取るのである。
その一人である俺も、例外ではなかった。
人間嫌いであると有名だった森が、唯一許容したのがどうしてか俺だったのだ。
当然のことながら、一人きりで静寂なる森で暮らすことになる。
退屈な毎日を過ごしていたのだが…といっても、森に異変なく平和であるということなのだが。
ある日、森が妙に騒めいているのに気が付いた。
拒絶や嫌悪ではない。
驚きや戸惑い、そしてむずがゆそうな何とも言い難い意志を、森は示していた。
何が言いたいのかはっきりしない。
こういう場合、正確に意志を受け取るために森の奥へと進むことがマニュアルだった。
数日間野宿となっても大丈夫なように荷物をまとめ、森の深く深くへと進んでいった。
森は、言葉という高度な意志疎通手段は持たない。
それが世界共通の常識にも関わらず、俺の耳に届くのは。
『タロちゃーん、お父さーん、帰りたいよー』
という、明らかに人間の泣き声だった。
反響したそれは、どこからともなく聞こえてくる。
初めて遭遇する出来事に戸惑いつつも、足を進めていくと。
それには規則性がある、というか。
間違った方向に行こうとすると声が小さくなり、正しい方向に行こうとすると大きくなることが分かった。
声の持ち主の場所へ、森が連れて行こうとしている。
ようやく察した俺は、勢いよく進行していった。
とはいえ、捜索は困難を極めるものだった。
森の意志という後押しがあるものの、声の主は移動しているようなのだ。
その上、泣き止んでしまったらしい声の主。
俺に聞こえてくるのは、荒い息遣いのみとなり、ボリュームの大小までを判断しきれないことがままあった。
それでも、根気強く探し続け。
『タロちゃん、お父さん』
という弱弱しい声を確かに聞き、そちらの方へ急いだ俺が衰弱し切った少女を発見したのは、捜索開始から五日目のことだった。
------------------
少女を抱え、慌てて家へ戻った俺は彼女をベッドへ寝かせ、暖炉に火を灯す。
見る限りでは、疲労の蓄積と、水分・栄養不足のようだ。
森の恵みであるユイの実――淡泊で無味無臭に等しいが、栄養が豊富だ――を潰し、液状にする。
それを眠ったままの彼女の口へとそっと運ぶと、よほど喉が渇いていたのかするする飲んだ。
何度も何度も繰り返し、拳大ほどのユイの実、三個分の液体が無くなったところで、俺は食器を片すために寝室を出た。
ふらふらと誰かが迷い込めるような森ではない。
人間嫌いの森に人間が入らないよう、森の周囲には柵が立ててあるのだ。
だというのに、どうして彼女はあそこにいたのか…。
疑問はあるが、何はともあれ。
こうして看病しつつ、目覚めるのを待つしかないだろう。
「ん…?」
「目が覚めたか」
付き添っていたうちに、いつの間にか眠っていたらしい。
目を瞑っていた俺を起こしたのは、少女が起床時に発したうめき声だった。
「ここは…」
「俺の家だ」
ぼんやりした様子の彼女に伝えるが、いまひとつピンと来ていないようだ。
意識をはっきりさせるために水を差しだすと、喉が渇いていたのか一気に飲んでしまった。
再度水差しから水を注ぎ入れると、彼女はベッドから身体を起こしている最中だった。
落ち着いた所で水を渡すと、「ありがとう」と言われる。
「何か食べるものを持ってくる」
「ありがとうございます」
動揺したことを悟られないように、室外へ出る口実だったはずなのに。
再び礼を言われてしまう。
一人で生活をしているのだ。
そのようなことを言われるのは、随分昔に感じられる。
じんわりと胸に広がる温かさを、止めようがなかった。
彼女に用意した食事は、干し肉と切ったユイの実。
俺がいつも食べているものと変わりないのは、仕方がないことだった。
病人食を作れるほど俺の家には食材がないのだ。
俺の家の真ん前に育っているのがユイの木であることから、ユイの実は山ほど手に入る。
あとはせいぜい、森へ偶に迷い込んできた動物を捕獲し、処理した残りがある程度。
それに、俺は料理が得意ではない。
それを克服してまで細々とやるほど、食に対する情熱も関心もなかった。
要するに、食べられればなんだっていいのだ。
だが、それが今は裏目に出てしまったようで、若干の心苦しさを感じる。
ユイの実はいいとして、胃が弱っている相手に肉はないだろう。
干し肉は固いというのに、文句ひとつ言わずにしゃぶっている彼女に、声を掛ける。
「森にいたのを覚えているか」
「森……あ、は、はい」
恐怖を思い出したのか、食の手は止まる。
小刻みに震える身体を見て罪悪感を覚えるが、それでも聞かなければならないだろう。
「助けて下さったんですよね。ありがとうございます」
「いや、それはいいのだが…なぜ森に?」
「それが、よく分からないんです」
「分からない?」
「はい。私、森になんて行った覚えがないんです。一瞬前まで家にいた筈なのに、いつの間にか…」
そんなことがあり得るのか。
森の中は強大な魔力によって、移転魔法が使えない環境にある。
だが事実、彼女は今ここにいるのだ。
何か理由があるはず、と考えた所で。
俺はあることに気が付いた。
「――なぜ魔力がない?」
「はい?」
人間の身体に血液が巡っているのと同じように、赤ん坊であっても老人であっても、例外なく魔力が体内で通っているはず。
だというのに、目の前の少女には一片の魔力の欠片すらも感じ取れなかった。
「魔力ってなんですか?」
それどころか、魔力の存在すらも知らないという。
有り得ない存在に、俺は目を丸くしてしまう。
「家にいた、と言っていたな。家族は?」
「は、はあ、父と弟がいます」
「二人に魔力について教えてもらわなかったのか?」
「魔力…が何かは知りませんけれど、家族にも学校にも教えてもらわなかったと思います」
その言葉に、ますます訳が分からなくなり、頭痛がしてくる。
これはきっと、俺一人で対応しきれる問題ではない…。
明日にでも王城に報告しなければならないな。
王城に勤める古くからの友人に何か言われることを思うと、憂鬱だ。
知らず知らずのうちに、俺は溜息をついていた。




