嫉妬心
「おお!鍛冶屋のニーシャさん!」
「俺の剣見てくれませんか?」
「俺のも!」
ニーシャがノアールのいる騎士団寮に来てから数日が経ち、ニーシャの周りにはいつの間にか騎士のひとだかりができていた。
ニーシャの鍛冶屋としての腕前は騎士団の中でも有名で、腕がいいゆえに予約が絶えず、若い騎士たちはなかなかニーシャに剣を見てもらうことができない。
それゆえ、皆ここぞとばかりにニーシャに群がり剣を見てもらおうとしていた。
「あの、順番に見ますから!あと、ここでは応急処置程度にしかならないので、状態の酷い剣はちゃんと鍛冶屋に持って行ってくださいね」
騎士たちの勢いにたじろ気ながらもニーシャは文句も言わず一人一人に丁寧に対応していた。それを、ノアールは壁に寄り掛かり腕を組んでつまらなそうに眺めている。
(あいつ、あんなに人気あったんだな)
ノアールは普段さぼってばかりいるのであまり騎士団員たちと話をしない。仲がいいのは団長のアスール、あとは若い騎士のブランシュがなぜか懐いているくらいだ。
他の若い騎士たちに囲まれたニーシャを見ながら、ノアールはなんとなく胸の奥がモヤモヤとするような、嫌な気持ちを味わっていた。
「ニーシャさん、人気ですね」
ふと、隣から声がして横を見ると、いつのまにかブランシュがいた。
「……そうだな」
「いいんですか?うかうかしてると他の若い騎士に取られちゃいますよ」
「は?なんのことだよ」
ブランシュを冷ややかな目で見下ろすと、ブランシュはニヤリと口の端を上げた。
「ニーシャさんて見た目若いけどノアール先輩とあまり年が変わらないんですよね。小柄で可愛い見た目の優しい年上のお姉さんは、きっと若い騎士に人気がありますよ」
「……何がいいたいんだよ」
「さあ?俺も後でニーシャさんに剣を見てもらおうかな」
そう言って、ブランシュは楽し気にその場を立ち去って行った。
(なんなんだよ)
ブランシュの言葉にノアールはなぜか苛立ちを隠せない。確かに、見た目は若く可愛らしいが年上で包容力のある優しいお姉さんは、きっと若い騎士たちには人気があるだろう。だからなんだというのだ。俺には関係ない、ノアールはそう思おうとした。
モヤモヤとした気持ちを抱えながらニーシャを見ていると、ふとニーシャが顔を上げノアールに気付く。そして、そこにいるのがノアールだとわかると嬉しそうに笑って会釈をした。その瞬間、ノアールの心臓がドンッと大きく唸る。
(は……?)
一瞬のことにノアールは混乱するが、ニーシャはノアールのそんな状態には全く気付かず、またすぐに若い騎士たちに絡まれて忙しく対応し始めた。
(いや、まて、まてよ、おかしいだろ)
ノアールは自分の感情に追いつけず混乱したままだ。この気持ちに気づいてはいけない。気づいたら最後、後戻りできなくなる。だから、気づいてはいけないのだ。
そう自分に言い聞かせ、ノアールはもうニーシャの方を見ずにその場から立ち去った。
◇
目の前に、ニーシャの顔がある。じっと見つめていると、ニーシャが不思議そうな、でも嬉しそうな顔でノアールを見つめていた。
「ノアールさん?」
ニーシャに名前を呼ばれて、ノアールの胸はなんとも言いようのない幸福感に包まれる。そっとニーシャの白い頬に手を添えると、その柔らかさにノアールは身体中の血液がドクドクと流れるのを感じる。
ほんのりと色づいた唇に、もしも自分の唇を重ねたらどんな感触だろうか。ニーシャはどんな反応をするだろうか。今なら、それができる。
そっと、その唇に自分の唇を重ねようとニーシャに顔を近づけて……。
「うああっ」
ガバッ!と起き上がると、ノアールは自分の心臓がドクドクと激しく鳴り響いていることに気付いた。寝ていて、どうやら夢の中でニーシャにキスをしようとしていたようだ。ノアールは両手で顔を覆って大きくため息をつく。
(なんて夢みてんだよ俺は……ガキじゃねぇんだから)
気づいてはだめだ、そう思っているのに、いい加減自分の気持ちに気付けといわんばかりの夢を見る。夢の中でニーシャに触れていた感触が、まだ自分の掌に生々しく残っているようで、ノアールは自分の手を見つめてまた大きくため息をついた。
◇
ニーシャの夢を見た次の日、ノアールはなんとなくニーシャを避けてしまっていた。ニーシャの顔を見たら、夢を思い出してしまいそうで怖い。
そう思ってずっとニーシャを避けていると、避けられていることになんとなく気づいたのだろう。ニーシャがノアールを追いかけてくる。いつのまにかノアールとニーシャの静かな追いかけっこが騎士団寮内で起こっていた。
「何やってるんですか」
鍛錬から戻って来たブランシュが、あきれたようにノアールを見ている。めんどくさい奴に遭遇したな、とノアールは渋い顔をしたが、そのノアールの背後を見てブランシュは珍しく笑顔になった。
「ニーシャさん」
「げっ」
ブランシュがニーシャの名前を呼ぶと、思わずノアールは変な声を出してしまう。
「何がげっ、なんですか」
背後からニーシャの静かな声が響く。ノアールは振り返らないようにしてその場を立ち去ろうとするが、目の前には笑顔のブランシュが立ちはだかっていた。
「おい!どけろよ」
「嫌です。ニーシャさん、先輩のこと探してるみたいでしたし」
「ありがとう、ブランシュ君。おかげでノアールさんと話ができます」
「は?なんでブランシュの名前を知って……」
思わず振り返って、ノアールはしまったと思った。そこにはニーシャが張り付いた笑顔で仁王立ちしている。
(こえええ)
「それじゃ、邪魔者は消えますので、ちゃんと話してくださいね」
ブランシュはそう言って二人に背中を向けてその場から立ち去っていく。
(俺もこの場からいなくなりたい)
ノアールは心の中で呟くが、そんなことはできない。諦めてニーシャを見ると、さっきまでの張り付いたような笑顔ではなく、どことなく悲しそうな表情をしていてノアールは胸が痛んだ。
「朝からずっと私のこと避けてましたよね?」
「いや?そんなことは、ない……はず」
ノアールはなんとかごまかそうと思ったが、ニーシャの顔はどんどん悲しさを増していて嘘がつけない。すると、ニーシャは小さく深呼吸して悲し気に微笑んだ。
「ここにいるとノアールさんにご迷惑がかかってしまうようですし、私やっぱり家に帰ります。申し訳ありませんでした。それだけ言いたかったんです、それじゃ」
ペコリ、とお辞儀をしてニーシャがその場からいなくなろうとする。
(あれ、俺、怒られるんじゃないのか?いや、家に帰るってそんな)
呆気にとられていたノアールだったが、いなくなろうとするニーシャに気づいて咄嗟に手を掴む。
「っ、離してください」
「離したら家に帰ろうとするんだろ?危ないからダメにきまってるだろうが」
「でも」
「ノアール?」
突然自分の名前を呼ぶ声がして咄嗟に振り向くと、そこにはアスールと不思議そうな顔をした一人の女性が立っていた。
「アスール、と……ユリア」
「ノアール、元気そうね。何してるの?」
屈託のない笑顔をノアールに向けてユリアは尋ねる。
「ユリアこそ、この寮で何してるんだよ」
「レティシアに届け物があって持ってきたの」
隣のアスールを見ると、静かにうなずく。ノアールがユリアとアスールに気を取られていきる隙に、ニーシャはノアールの手を払いのけるとお辞儀をして走り出す。
「あっ、おい!」
ノアールはニーシャの背中へ呼びかけるが、背中はどんどん遠ざかっていく。
「行かなくていいのか?」
アスールが静かにそう聞くと、ノアールは払いのけられた手を見つめてからギュッと握り締める。
「……せっかく会えたのに悪い、またな」
ノアールはユリアをジッと見つめてからそう言って、すぐにニーシャを追いかけた。




