第12.5章 ⑦ 偽りの理想 (注)残酷表現あり
若干の残酷表現あります。
第12.5章 ⑦ 偽りの理想
小倉は自室に戻り、ターゲットを確認する。
どうやら仕掛けたカメラやマイクによれば、よろしくやったあとで、眠りについているらしい。
小倉は一先ず煙草に火をつけて一服する。
呼吸に合わせて赤く灯る炎と、吐き出す煙は、小倉の心を落ち着かせる。
包み込んだ煙を洗い流すためにシャワーを浴びて仕切り直す。
そうやってホテルの従業員の制服に着替えると、黒革の手袋をつける。
小倉は下準備に抜かりはなかった。
女は手筈通りに睡眠薬を飲ませた様で、ターゲットの蓮水の意識はない。
既に蓮水一人となった部屋へと向かい、細工したカードキーを使い、部屋へと入る。
何も知らずにこの世への終わりを告げるこの男は何をやったのか?そんな事を気にする事はしない。
第一にこの仕事は黒猫の小遣い稼ぎの一つ。
しかしそれはコンキリオ機関においての諜報活動や退屈な市政を凌駕する、感情の昂りがあったのも事実だった。
やるべき事以外は何も考えずに、小倉は蓮水の首に縄をかけて、浴室に運び入れる。そうして黄金色の曲線を描くランプの根本にしっかりと縄を結び付けては蓮水に吊り下げる。
そうやって自重で首が絞まっていくのを見届ける。顔が徐々に鬱血し、全身から生気が抜け出る
のを小倉は浴室の入口に肩を付けるようにもたれかかっては、見届ける。
ようやく脈が止まったのを確認して、右の衣嚢に入れた黒のフィーチャーフォンでコンキリオ機関に連絡する。
死体処理には専門部隊がいる。問題を増やさないように警察が介入する前に処理を終える必要があるのだ。連絡を受けた部隊が到着すると、自殺に見せかけた死体処理を行う。
小倉は部隊の職員に後処理を任せると、再び自室に戻る。
黒革の手袋を外して鞄に仕舞うと、小倉は眠りについた。
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眠りに入ったはずの小倉は驚いたと同時に己の鍛錬の不足をひしひしと感じる。
夢を見たのだ。
小倉は自己の精神と肉体を完全に制御する鍛錬を積み重ねており、不必要な脳内活動が起こらぬ状態を保っていたにも関わらずにだ。
その夢は夢想ではない。紛れもなくあった世界の記憶だ。幼少期、まだ母親と暮らしていた頃の記憶。
小倉は昔、古い公営住宅に住んでいた。
5階建てのその住宅は戦後間もなくに建てられ、既にモルタルの外壁は長年の経年劣化でひびが入っては、ポロポロと落ちていた。
もちろんエレベーターなどはなく、階段だ。その階段の手すりも、ペンキが剥げて鼠色の層が露わになっていた。
錆びついた郵便受けを開ける度に、ギィギィと郵便受けの悲鳴が聞こえたし、しばらく住んでいるとポッキリと外れてしまい、ガムテープで補修せねばならなかった。
扉のチェーンロックにしてみれば、錆びついた差し込み口に引っかかり、家から出られず、また肝心の母親でさえ閉め出される事件もあった。
そんな古びた住宅の5階に住む少年であっても、幸せは確かにそこにあったのだ。
「ただいま」と言えば、
「おかえり」と返す人がいる。
その声を生涯忘れたことはない。
「成ちゃん、あなたは凄い人になるわ。お母さん楽しみにしてるからね。」
そう言って頭を優しく撫でる母親の右手の温かさ。
そしてあなたの言葉はどこまで行っても消えることがない。
「もちろん!僕はね、将来この国の皆んなを守る偉い人になるんだ!」
過去の自分の言葉が小倉の心を歪ませる。
「あなたの名前にはね、凄いおまじないがかかってるの。知ってた?」
母親は自分の手を取り、胸に当てさせる。
「心を作りて、人と成す。」
「どう言うこと?」
「心のある人になって初めて人になれるの。心のない人では、温かみのある人になれないから。」
母は俯きながらそう言った。
その鋭敏な才を持つ小倉は母の言った前後の行動がどうにも気になりその意味を調べた。
ある立場にとらわれた見方、企みのある心。下心とあった。
その言葉に疑問を抱いた。
どうしてこんな名前を?
母さんは全然違う事を言っていたのに。
本当はどっちなの?
幼心に名が表す意味に苦しみと猜疑心が芽生える。
ある日、母親は死んだ。
薬を飲んで自殺した。布団に臥したその顔は青白く、生気が消えていた。
母親は憎んでいた。この世界を。
母親は捨てられた。男に。
母親は見捨てられた、行政に。
母親は放り出された、社会に。
母親は殺された。こんな世界に。
この名の意味は母親が死んですぐに理解した。
母親に変わって世界を壊す。
死んだ母親の夢を見るのは一度や二度ではない。
しかしコンキリオ機関での鍛錬の結果、己の精神をコントロール出来ていたはずだった。
それ以降夢に見る事はなかった。それが今更なぜ?
小倉には疑問が解決できなかった。
ベットから降りて、煙草に火をつける。
立ち上がる煙と、吐き出される煙が、渦となって消えていく。
こぼれ落ちる灰を灰皿に落としては、もう一息吸う。
口から溢れる煙が、頭まで染みると、自然と元のクリアな思考も取り戻し始める。
スマートフォンの画面を見ると、非通知設定の着信が表示されている。
「はい。」
「小倉君、昨日はお疲れ様。佐伯です。」
「どうも。わざわざお電話なさらなくても。」
「いいや、私の様な身分では動きづらい。昨日の答えを知りたくてね。YesかNoか。」
10秒ほど考え込んだ小栗は結論を出す。
「分かりました。受けます。」
「それはよかった。そしたらまた何かある時には連絡するよ。君の働きには期待してるよ。小倉君。」
電話は短く、それで切れた。
スマートフォンをベットに投げると、
小倉は灰皿に置いた煙草を強く擦り付け火を消すと、その吸い殻を握り潰した。
小倉の闇…大人の闇…
怖い…
ということで追加章終わりました!
この章はもともとの設定ではあったものの、追記する形での掲載になりました。
前後して申し訳ございません。
次章13章に戻ります!




