第3章 ① ここから異空間?
第3章の1 ここから異空間?
夕焼けチャイムが聞こえてベットから「ハゥ!」と起き上がると、もう母親が帰宅する時間だった。リビングのテレビの音を聞きながら夕食を食べ終えると、ばあちゃんから話しがあると、和室に呼ばれた。
「カケル、まぁお座り。」
「なに?ばあちゃん?」
「明日からと言っておったんじゃがの。急遽、今晩神様からの課題を受ける用意ができたみたいなんじゃ。」
「え?」
「それでな。お前さんの禊を済ませんといかんじゃけ。急いで準備できるか?」
「まあ、大体は覚えがあるけど。しかし何でまた早まったの?」
「あの神使様は仕事が早くてな。もう準備できたから、早く来いって急かされしもうてな。」
あいつ、仕事だけは速いのか。と思わず心で呟く。自分は、黒猫は「飽き性」で「せっかち」と脳内メモリーに記憶する。
「まあ、わかった。急ぐよ。」
そう言うと自分は禊の準備をし、取り行う。自らの穢れを落とし、神様に会う準備をするのだ。
それが終わるとせわしなく、ツトメの準備をする。一応正装に着替えてみるが、久しぶりすぎて手間取ってしまう。見た目は平安貴族って感じだ。
「終わったよ。ばあちゃん。」
「そうか、そしたらの、社殿の方、中に上がったところに鏡があるじゃろ。」
「うん。」
「そこにもう神使様は待ってるじゃろうて、早く行っておあげ。」
「わかった。ばあちゃんは?」
「ばあちゃんは行かれん。そういう掟じゃけんの。」
「わかった。そしたら、行ってきます。」
「ほいよ、怪我なくな。」
「あのさ、杓っている?」
という自分のささやかな疑問は、ばあちゃんの無言の首肯によって裁断された。
自分は、ばあちゃんに見送られてバックに詰めた小道具とともに社殿に向かう。傍から見れば神主の格好の人間がバックを背負ってピクニック。と言ったところだろう。そんなやり取りを知ってか知らずか、社殿の中には黒猫が既に業腹といった表情で待っていた。
「おっせえな、相手方待たせてんだからな。なかなか予定を取るの大変だったんだぜ。これでも。」
「何か、仕事が忙しくてなかなか会えない社長に会いに行くみたいな口ぶりだな。」
「まあ、今回の神様はそんな感じだわ。」
「さあ、行くか。黒猫さんよ。」
「おう。」
黒猫と自分は鏡に触れると、溶けるように鏡の中に吸い込まれていった。
時間や空間がグニャグニャ曲がる感覚に襲われ、物凄く気分が悪い。しばらくすると視界が開けてきた。
「よっしゃついたぞ。土の神に分類される神。その中でも有名中の有名神ウカノミタマノカミを祀る神社だ。」
見渡すとどうやら大きな鳥居の下のようだが、あたりは薄暗く、向こうの境内に二つの灯りがぼんやりと見える。どうやら向こうが本殿の方らしい。
「うぇ、なんだこれ、気持ち悪い。」
と思わずうずくまる。さっきの移動が思いの外、体にきてるみたいだ。
「あーやっぱりダメか、やっぱり人間の姿では負担が重いみたいだな。」
その様子を見ていた黒猫はいたって冷静で、まるで想定していたかのような口ぶりだ。
「どういう事?」
ウッと吐きそうになるのを杓で口元を抑える。どうにも限界突破してオロオロと決壊するまでの猶予は、喉から口元の感覚から推察するに30~40秒がいいところだ。事態は急を要するが、黒猫は何らかの方策を授ける雰囲気は全くない。
「あー、あの鏡ってのは本来なら霊体の状態で通るのが普通なんだわ。それを無理やり実体を持った状態で通過したもんだから体が拒否反応を示しちゃった。ってわけ。つまり重量オーバーだわ。」
本気で吐きそうなのをジェスチャーで伝える。
「(なんでそれをもっと早くに話さない。)」
すると悪びれる事もなく、
「いや~ごめん。ごめん。最初はこれで我慢して。それにお前のカバンのポケット見てみな。さっきいい物入れといたから。」
そう言われて、バックの外ポケットに片手を入れる。何か薬でも入れてくれたのかと思い、期待して手に触れた物を取り出す。
「(何これ?)」
取り出した物を期待したものとは違った。ただの袋だ。
「えっ?エチケット袋だけど、吐けば。」
憫笑しながら、水をかぶった人間に思いっきり冷風を浴びせるような冷酷な黒猫の仕打ちに自分は愕然とした。それと同時にいつか‥と心に誓った。そうこうしてオロオロした。
オロロの時もあったかもしれないが、基本的なリズムとしてはオロオロで適切だろう。
以上零れ話。
どうにか自分が落ち着くまで30分くらいはかかっただろうか。すると黒猫は
「よし!行くか、汚いからそこにトイレと水道あっから、手ついでに洗ってこいよ。」
体調がまだ万全でない自分を気に掛ける素振りも見せず、先にスタスタと本殿の方へと歩いていく。アイツそこまで分かってんなら早く言えってんだ。水道で手を洗っているがせっかくの禊の儀式はなんだったんだ。まさに自分は穢れだらけで、神様に会うことになろうとは。それにこの装束のせいでいちいち袖が気になる。
前途多難な船出で、神様に会う前からすでに弱りつつあるが、臥薪嘗胆の思いで黒猫の方へと向かう。
「えぇーと、ここらだな。おい、カケル。この石碑に触れてろ、あ!ちゃんと手洗ったよな?」
と茶化してくる。
「バカ、子供じゃないんだから洗ったわ!」
と話しているが、そもそも穢れはそれだけで落ちていない気がする。
内心本当に申し訳ないが、目を逸らして石碑に手を置く。すると、黒猫は何か唱えたかと思うと体がフッと浮くような感覚になった。そう感じた次の瞬間には何らかの力にキュッと引っ張られた感覚と同時に異空間に吸い込まれる。気づくと自分は不思議な空間に既にいた。
地面は土ではない。何と言うのか、淡いオレンジと言うのか、なんとも言えない色の地面と空間が広がり、昔の中国の都の雰囲気に似ている建物が連なっている。そして一本道の向こうには塀に囲まれた大きな宮殿が見える。いや、その以前にこの空間には狐がわんさかといる。どう見ても普通の世界ではない。飛んでいる狐もいれば、人間のような着物を着て、二足歩行をしている狐もいる。
大通りには出店も立ち並び、賑やかな喧噪がそこにはある。
「なあ、ここってどこ?」
と辺りをきょろきょろと見廻す黒猫に聞く。
「あ?ここ?ここは神様が作りだした精神世界だよ。見ればわかるだろ普通。」
いや、まず、どこを普通として基準にしているのかを教えほしいが。
まあ、そこを突っ込んでいては話にならないので、あえて放っておく。それよりも気になるのはこの世界だ。外は夜なのに、昼間のように明るいが太陽は見当たらない。風も感じられず、空には雲もない。
「あのさ、ちなみに精神世界って?」
「おいおい、精神世界もわかんないのか?」
「いや、言葉の意味は何となくわかるよ、だから精神世界って存在するの?」
「あたりメーだ。神様が現実の世界にいるわけないだろ。つまり神様が作りだした別世界。厳密にはウカノミタマノカミ様がお作りなった世界ってわけだな。」
「それで、あの狐さん達は?」
「ああ、あの狐さんね。ウカノミタマノカミの神使だよ。神の使。俺とおんなじ。まあ、格が違う神使も中にはいるけど‥まあそんな事はいいや、あっ!いたいた。どうも。」
と急に自分をほっぽりだして検問所の前で待ち構えていた和服の装いの狐に話しかける。
話しかけられた狐は辺りを見回して目線の下にいる黒猫をわざとらしくみつける。検問所で槍を持って武装してる狐も外からの来訪者を歓迎していない様子だ。
「ああ、あなたはクグス様の神使でいらっしゃる。という事はそちらの方が今回の挑戦者ですね。」
「はい、そうなんですよ。今回は不躾な申し出を受けてくださり、本当に感謝申し上げます。」
「いえ、主神もそれを承知でお受けになったのです。まあ、主神は少しばかりか機嫌が悪くしておりますが、ご容赦ください。それではこちらに。ああ、あとお荷物はこちらにてお預かりします。」
和服の装いの狐は丁寧に荷物を受け取ってくれると、一際目立つ大きな宮殿の方へと案内してくれる。移動の合間に周りを見るが、狐ばかりだ。こっちが物珍しいのか、歩いていると目線を感じる。メインストリートらしき道を歩いていくと30段ほどの石階段がある。
その石階段を登り終え、ふと、塀の向こうを見ると何やら石碑や石像?らしきものがズラリと並んでいる。パッと見ただけでもかなりの数だ。どこを見ても異様な世界に自分は少し緊張気味になり、気を紛らわせようと黒猫に話しかける。
「なあ、それでさ、さっき言ってた不躾な申し出を受けて何とかかんとかってどういう事?」
「え?ああ、そりゃ神様は指名制だからな。」
「なんで?その指名制が問題なわけ?」
「そりゃそうだろ、あんたの課題ならクリアできますって真正面から言ってるようなもんだからな。」
「へ?」
「いや、だから、神様からすれば、課題クリアできるって舐められてる。そう考えてるのが普通だろ。」
「いや、普通なの?それ?第一に掟で決まってることなんだからしょうがないじゃん。」
「おいおい、神様にそんな人間の常識が通用するわけないだろ。」
「マジか!そしたらもしかして、さっき機嫌が悪いとかって言ってたのはそういうこと?」
「そう、そういうこと。あ、それと神様に会うときは目を合わせ続けてると失礼だからすぐにひれ伏すようにな。」
冷静に言っている黒猫は正気なのだろうか?もはやそんな事をしても神様を怒らせてる時点で天罰確定なのでは?と余計に不安になる。
「まあ、今回は女神様だし、比較的大丈夫だろ。それにこの神様にしたのはもっと重要な理由もあるんだが‥」
黒猫と話していると宮殿の主神の間に着いたみたいだ。
この主神の間までの廊下は大理石に、豪華な装飾と、普通に中国の宮廷にしか見えない。
「神使のお方、使者のお方、ここからはお二人のみとなり、我々はここまでとなります。どうぞごゆっくり。」
そう言って扉を開けると玉座と言っていいのかわからないが、大理石の椅子に座っていて、狐の神使を侍らせている女神がいる。
ウカノミタマノカミは黒髪の長い髪に、ききりとした目つきのように思えた。ほんの少し見ただけで、自分は黒猫に言われた通りにすぐ礼をする形をとる。すると黒猫は
「今回は、我々の申し出を受けてくださり、厚く御礼を申し上げ奉ります。これは我が主神、クグス神よりの土産にござります。どうぞお納めください。」
と言うとポンッと紫色の風呂敷に包まれた何かが神様の前に現れ、床に置かれる。
「ふむ、で?そちらが私を指名してきたわけだな?」
「はい、失礼ながら。」
「そうか、ではわが課題は簡単だとそうお考えか?」
「いえ、決してそのようには‥」
ウカノミタマノカミは話始めた黒猫を、制するように話すのを遮る。
「まあ、いい。課題は決めている。課題は我に最高の米を食べさせる事。それが課題だ。わかったか。」
その口調は穏やかな中にもトゲトゲしさを感じた。それに対して黒猫は
「かしこまりました。必ずやご期待に添えるように致します。」
と恭しく答えた。
「では、またその時に。」
との言葉を聞くと、そのまま後ろに下がり、また礼をして主神の間を出る。出でしばらく宮廷の廊下を歩いてから黒猫はいつもの口調に戻って話しだした。
「はぁ、意外に怒ってたな。」
黒猫は体を伸ばしては、なんとも呑気な感じに話す。
「意外にってなんだよ。普通に怒ってたよ。しかも喋る事って普通にあれだけなの?」
「まあ、お喋り好きな神様じゃないんだからこんなもんだろ。まあ、最初はこんなもんでいいと思うぞ。」
「え?何がいいんだよ。神様が怒ってるのがか?」
「いやいや、そんな事じゃない。最初にここの神様を選んだのには理由があるって言っただろ。」
と言われ、主神の間に至るまでに何を言っていたのを思い出す。
「ああ、確かに。何かその理由が重要なのか?」
「ああ、もちろん。特にお前にとってはな。」
「どういうことだ?教えてくれよ。」
「はぁ、あのなぁ、よーく思い出してみ。お前は今日、ここに来るのに、辛い思いをしなかったか?」
「は?辛い思い?ああ、そりゃ覚えてないわけないだろ。あれだけ吐いたら。」
ちなみに今でも思い出すだけで気持ち悪い。
「そう、人間の姿では現実世界を移動するには重量オーバー、尚且つお前の魂も削られてる。」
「う?魂も削られてる?おい!そんなのさっき言ってないぞ!」
「えっ?言ってなかったけ?あんまりあの状態で移動しまくると、最終的に‥」
「最終的に?」
「そりゃまあ、‥死ぬかも(笑)」
と残酷なことを笑い話のように言う。アイツにとっては完全に他人事のようだ。
どうにもこの時点で前途多難な夏休みになる。そんな予感はしていたのに…。




