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家族会議

 ディパンド伯爵家は、特に目立ったところのない家だ。

 当主は内務部で街道係を勤めている。

 街道係は、アディード国内にある全ての道を知りつくしておくのが役目だが、直接手を出せるのは、国が整備した『街道』だけだ。あとはそれぞれの領主の責任となる。

 新しい街道を作るのに参加できれば名を知られることもあるが、ディパンドの役目は北方にあるいくつかの街道の管理だ。

 道を作れば、補修が不可欠になる。橋には特に注意がいる。盗賊対策の警備も必要だし、急ぎの知らせを届けるための換え馬にも気配りをする。交渉や仲裁、雑多な出来事。街道に関することならすべて街道係の担当だ。

 街道沿いの町や村の者たちが、農耕地を広げるために勝手に道幅を削ることもあれば、通行に邪魔な建物を建てたりすることもあるので、純朴そうな人々にも油断はできない。

 向き合う相手は、領主や騎士、ならず者たちに限らないのだ。

 この仕事には、『忍耐』が必要だ。

 理不尽な事に腹が立つこともしばしばあるが、ディパンド伯爵は立ち直りが早い。仕事とはそういうものだと思っているので不満はない。

 それでもこれ以上の忍耐を強いられたくないから、国の中央に対して野心はない。

 伯爵の妻も、社交界の中心にいたいと思う人ではない。

 刺繍をしたり、絵を描いたりすることは好きだし、新しい詩集はすぐに欲しい。けれどドレスや宝飾類で、流行の最先端にいたいという欲求はない。様子を見て、後からついて行く方だ。

 だからディパンド伯爵夫人は保守的で、夫にも従順な妻だと思われている。

 単に、常に誰かの顔色を読み取り、派閥の動向に気を使っていては、友人と楽しく語ることなどできないと思っているだけなのを、知っているのは家族と親しい友人だけだ。

 そんな中央から少し離れたところにいたディパンド伯爵家に変化が起ったのは、長男が生まれてからだ。

 偶然、第一王子と同じ年に生まれたが、他家と違って遊び相手に名乗りを上げたりしなかった。

 それなのに選ばれてしまったのは、第一王子と同じ薄茶色の髪と目を持っていたためだ。それは危機が迫った時には、王子の代わりに身を差し出すことを意味する。

 ディパンド家が望んだわけではない。

 けれど、長男と王子は同じような優しい雰囲気の顔立ちで、成長期にも同じように背丈が伸びた。離れる時期を逸し、そのまま学友となってしまった。

 幼い頃には、遊び相手の弟妹もたびたび内宮に招かれる。

 ディパント家には、その後、娘と次男が生まれた。三人の子供たちは皆、王族や公爵家の子どもたちと幼馴染みになるという環境に置かれることになったのだ。

 母親似の優しい風貌で、大人しく辛抱強い長男ゼフィル。母の金髪碧眼と父方の祖母の美貌を受け継ぎ、時々驚くほどの根気を見せる娘セアラ。父親に似て大柄で我慢強い王都見廻り騎士の次男ハルジェス。

 長男ゼフィルと第一王子の歳が近くなければ、ディパンド家に宰相や大将軍が特別な目を向けることはなかっただろう。

 少なくとも、娘セアラが誰にも気を配らない歴史論文を書き、社交界で過去の栄光を盛りまくって自慢していた人たちが、恥をかかされたと大騒ぎをするまでは。


 ディパンド家の子どもたちは、幼い頃、父である伯爵の自室の広い居間に『冒険』と称してよく入り込んで遊んだ。使用人たちが何か壊しはしないかとしっかり見張っていることに、まだ気付けなかったほど幼い時だ。

 壁には天井まで、絵画や剣、不思議な顔をした古いお面など、色んな物が飾られている。それをひとつひとつ眺めるのが楽しかった。

 大人になってしまってからは、子どもたちは、なんでこんなものが飾ってあるのだろうと首を傾げる事の方が多い。

 春一月七日、夜。

 人払いがされたその部屋の真ん中に、家族だけが膝を突き合わせるように椅子やソファを寄せて集まっていた。

 全員ではない。長男ゼフィルはいない。留学中の第一王子カディールの一行に加わっているからだ。

「王子が国境を超えていない。」

 ディパンド伯爵が、疲れて沈んだ表情を隠さず、単刀直入に切り出した。

 見つめてくる妻や子供たちに問いかける。

「リザル側の国境の街、バンデルに滞在しているそうだ。お前たち、何かゼフィルから連絡を受けていないか?」

 聞かれた方は皆同じ仕草を返した。首を横に振る。

 ただ表情は違う。伯爵夫人は泣き出しそうな顔になり、セアラは眉をひそめ、ハルジェスは騎士らしく感情を隠してしまっている。

 長男ゼフィルは慎重な性質だ。元々移動中には手紙を寄こさなかった。王子の安全を考えての事だ。一定期間過ごすことが決まった場所でしか、手紙のやり取りをしない。しかも、そろそろ移動が始まる頃だと、こちらが思うより随分前に返事が来なくなる。

 伯爵が大きなため息をついた。

「そうか。」

「何が起っているのですか?」

 低く抑えた声で、ハルジェスが聞き返す。

「わからない、ということになっているが…。」

 言葉を濁し、伯爵はまた大きなため息をつく。

「何なのです?」

 心配に声を浮つかせた伯爵夫人が先を急がせた。

「リザルの第三王女が、バンデルの領主館に滞在しているようだ。」

 沈黙が場を制した。

 カディール王子とリザル第三王女ローザが随分親しくしているとの噂は、この半年で誰もが知るものとなっている。貴族も、王都の庶民もだ。もしかしたら、国中の民に知れ渡っているかもしれない。

 王子が自分で選んだ婚約者、オルゼナ公爵令嬢ヴィエラも当然知っている。彼女の心中は計り知れない。

 伯爵家の人々は、これがセアラならカディール殿下を殴っても驚かない。同じ幼馴染みでも、ヴィエラは幼い頃から淑女だったが、セアラは乱暴者だった。

 内宮で、セアラが五歳の時に、八歳だったカディール殿下に頭突きをするという前代未聞の事件を起こしている。

 セアラの言い分は、傍にべったり近づかれて気持ち悪かったから、立ち上がろうとしてぶつかっただけだというものだったが、これはこれで誰にも聞かせられない。

 子供の事だからと許され、内宮で起きたことは外に出さないという誓約が守られて、今も事無きを得ている。

「まさか、ふたりが同じ館に滞在しているなんてことはないですよね。まさか、殿下が、そんな……」

 母の震える声が、とんでもない憶測を導き出しそうなことを言い出す。

 セアラが慌てて口を挟んだ。

「大丈夫ですよ。ゼフィルお兄さまがついているのですから、ローザ王女が領主館にいるなら、カディール殿下一行は他の場所にいるはずです。」

「そうよね。ゼフィルは慎重で真面目な子ですものね。」

 母は気を取り直したように見えたが、またすぐ別の不安に取りつかれる。

「あなた、ゼフィルは大丈夫ですよね。」

 父は答えを口にしない。

「どうなのです。」

 泣きそうな母の肩に、セアラがそっと手を置いている。

「無事に帰ってきますよ。それだけでいいではありませんか。」

 慰めたつもりだった。しかし、母は動揺した目をセアラに向けて問いただしてきた。

「どういう意味なの? それだけって、どう言う意味?」

 珍しく助けを求めて、セアラが父と弟を見たが、弟ハルジェスは目を逸らし、父も視線を上に向けたまま何も言わない。

「セアラ?」

 涙が潤み始めた母に見つめられて、セアラは微笑んだ。笑ってごまかし、言葉を繋ぐ。

「たとえ、到着が、予定より遅れてしまっても、という意味です。旅程は公表されていないのですから大丈夫です。問題ありません。」

 ゼフィルが責任を問われるかもしれないとは言えない。ゼフィルが何らかのトラブルに巻き込まれ命にかかわる状態に陥るかもなど更に言えない。

 伯爵夫人は釈然としない顔をしたが、繰り返し問い質しはしなかった。

 落ち着いたところを見計らい、今度はハルジェスがセアラに問う。

「姉上は本当に何も知らないのですか?」

「知らないわ。王子の一行の旅程は極秘だったもの。」

「本当に? 内宮のことは外で話さないっている誓約があるのは知っているけど、非常事態だよ。知っていることがあれば、言ってくれてもいいじゃないか。」

 セアラは先月まで内宮の行儀見習い侍女だった。何か耳に入れていてもおかしくない。

 彼の言い分は家族全員が思っていたようで、セアラに視線が集まる。

 少し諦めたようにセアラが小さく息をつく。

「私に言えるのは、カディールに怒ったヴィエラが、他では言えない怒りを王城の私の自室でぶちまけたって事くらいよ。」

 王子に敬称をつけないあたり、平静な顔の下でセアラが相当怒っていると分かる。

「でも絶対、他では言わないでよ。私はヴィエラの味方だから。」

 伯爵が片手をあげてセアラの発言を制する。

「今のは聞かなかったことにする。ヴィエラ嬢は淑女だ。皆いいな。」

「つまり、セアラは何も知らないのね。」

 気落ちしたように母は言い、今度は息子に縋る視線を向けた。

「ハルジェスはアコード辺境伯の所にいたでしょう。あの辺りの国境のことはよく知っているわよね。どれくらい危ないの?」

 ハルジェスの頭の中では、姉と話したザッハ砦とベグニタ城砦のことがどうしても大きな危険として居座っているが、母に心配はさせたくない。アコード伯爵の事も信頼したい。

「大丈夫です。王子たちがいるのはバンデルという街でしょう。アディードとの国境まで馬を飛ばせば二時間とかかりません。アコード辺境伯もバンデルには人を潜ませているはずです。」

 力強く断言した。けれど母の心配は深い。

「何事もなく出発できればいいけれど、王子を逃がすために事を起こすとなったら、ゼフィルはおとりになるのではない?」

 ないとは言えない。

「覚悟は出来ている。」

 伯爵の静かな声には、否定を許さないものを感じさせた。

 初めて王城に召された時に、まず両親が覚悟をした。

 ゼフィル自身もいつの頃からか自覚をしていた。

 妹と弟も、口にしたことはなかったが、そういうこともあるとわかっていた。

 それに、王家の人々の側で盾となるのは、ゼフィルだけではない。

「そうでした。」

 母が小さく言って、俯く。

 沈んだ雰囲気で沈黙を破ったのはセアラだった。

「今回は危険な事にはならないと思う。」

 家族の視線を受けてもセアラは動じない。

「リザル王国の王子たちは無駄な権力争いをしているし、ローザ王女は考えなしだと思うけど、リザルはちゃんと国王が掌握しているもの。」

 さり気なく酷い事を言う長女に、家族はそれぞれ遠い目をする。セアラは自国の王子にも容赦ない。

「カディールって、昔からふわふわしたところがあったでしょう。伝説の剣を探して旅に出るとか、どこかに潜んでいる幻の竜を退治しなければならないとか。夢物語を真剣に話してた。」

「そういうことは、男の子なら誰でも言うよ。」

 ハルジェスが擁護にまわる。

「あら、ハルは言わなかったわよ。ねぇ、お母さま。」

 急に話を向けられて、母が首を傾げた。

「そうだったかしら。そういえば、そうね。」

「ディパンド家の者は、現実的だからな。」

 父も苦笑して頷く。

「ゼフィルも当惑していたわ。いつか囚われの姫を探しに行くとか言いながら、ヴィエラに運命の人だと言って迫ったりして。運命の人がいながら、囚われの姫を探してどうするのよ。」

「セアラ、子どもの頃のことだから。」

 弟に言われても、姉は止まらない。

「十五を過ぎた頃からこう言いだしたわ。ヴィエラは運命の人だ。だけど本当の恋をしていない気がするって。ヴィエラって本当に心が広いわ。それでも頬をつまむくらいで許したんだもの。」

 つまんだんだ、と家族全員が知りたくなかった事を知ってしまった。

「婚約だって、留学から帰って来てから、正式に発表しようって貴族院が申し入れたのに、ひっくり返したのはカディールでしょう。自分がいない間にヴィエラを誰かに奪われたくないとか言って、留学前に婚約した。帰ってきたらすぐ結婚だって決まったのも、カディールが強引に言い張ったからでしょう。それなのに、ローザ王女と必要以上に親しくなるってどういうこと? 本当に殿方は胸の大きな女性が好きよね。」

 最後の言葉は、男性全般に対する不信感だった。ローザ王女が可愛らしい笑顔と豊かな胸の持ち主だというのは、今回の王子との噂と一緒に広まった話だ。

 男二人は視線を逸らし、母は自分の胸を見下ろす。

 父が咳払いをしてから、セアラに真面目な顔を向けた。

「セアラ、今のようなことは絶対外で話すな。いや、うちの中でも禁止だ。」

 娘は、父の言葉をさらりと流して中空を睨む。

「カディールにはきついお説教が必要よ。」

「殿下と言いなさい。」

 額を押さえた伯爵に、妻と息子は同情に満ちた目を向けたが、言葉添えはしなかった。娘の怒りはそんなに持続しないのを知っているからだ。

 今回もここでセアラは平常に戻った。

「カディール殿下一行に手を出す者はいないと思います。そんなことをすれば、リザル王が許さないでしょう。」

「そうだ。」

 すかさす父が、家長らしい風格を取り戻して、言い渡してくる。

「必ず帰って来る。我々は連絡を待つだけだ。どこで誰に聞かれても、王子一行の話題には口を噤んでいなさい。」

 母が小さく息をついた。

「私、しばらくどこからのお誘いも遠慮することにしますわ。うまくかわせる自信がありませんもの。」

「私もそうします。ただお母さま共々家に籠っていては、誰に勘ぐられるかわかりませんから、王立学院通いはします。」

 セアラが調子よく、自分に都合のいいことを言った。

 王城帰りのセアラには、あちらこちらから招待状がきている。面倒がっていたのを屋敷中の者が知っていた。

 一方で、ハルジェスは腕を組み、少し途方にくれたような顔をした。

「私は、勤務を休めないからなぁ。黙っていられるかなぁ。」

 つい口にしたことで、家族の険しい視線が一斉に集まった。ハルジェスは慌てて前言を撤回する。

「黙ってます。絶対無言で通します。」

 ディパンド伯爵家の家族会議は、今後の行動方針を確認したところで散会となった。



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