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見守るちから

 空は明るく晴れているが、内宮の重い空気は晴れない。

 カディールが国境を越えようとしないと知った日からずっとそうだ。

 アディード王国の王妃は、気を抜くと出てしまいそうになるため息を避けるため、ただ目を閉じて深呼吸を繰り返していた。

 大将軍が、剣を交える前に深い呼吸をすると、気持ちを集中させることができると言っていたのを思い出したからだ。

 全然だめじゃないのと、王妃は千々に乱れる思いを抱えたまま、それでも深呼吸を続ける。

 次の公務まで時間がある。

 いつもならお茶やお菓子を楽しむのだが、その余裕が、今はない。

「母上、お疲れになっておられますね。」

 息子に声をかけられて、王妃は飾りのない笑顔を見せた。

「レンカート。大丈夫よ。次の公務のために集中しようと、深呼吸をしていたの。」

「そうですか。」

 優しい息子は、理由を聞かない。

 王妃が座るように勧め、それに王子が応えると、侍女の指示で女官たちがすばやくお茶や軽食を並べた。

 三か月後には王太子となる第一王子が、留学先の国から帰って来ない。

 それを聞かされた日から、王妃の食は細くなった。誰も王妃を責めない。けれどその留学先は王妃の母国だから、強い責任を感じる。

「このマフィン、おいしいですよ、母上。もうカレイド・ジャムの季節なのですね。」

 レンカートが、気持ちが晴れるようにと気を使ってくれているのがわかる。

 女官たちが軽食を出してきたのも、子どもたちと一緒なら少しは食するからだ。

 こんな時ほど強くあらねばならないと、今日何度目かの決意でまた気持ちを奮い立たせる。

「頂くわ。」

 カレイド・ジャムは薄く切られたオレンジの皮が入っていて、ほろ苦く美味しい。

 これを持ちこんだのはセアラ・ディパンドだった。

 先月の終わりまで『行儀見習い侍女』をしていたセアラは、王妃のお気に入りの伯爵令嬢だ。レンカートと同じ十八歳の彼女は、物語を読み解く力に長けていて、話すと心の中の靄が晴れるようで楽しかった。

 内宮には、貴族の侍女と、その侍女の指示を受けて働く庶民からなる女官がいる。この女官たちへのセアラの采配も見事なものだった。信頼関係をきちんと作っていたのだろう。

 レンカートにだけ聞こえるように、王妃は小さく愚痴をこぼした。

「セアラがいてくれたら、きっと気持ちがすっきりするようなことを言ってくれたでしょうね。」

「すっきりですか?」

 レンカートは苦笑している。

「何を言い出すかわかりませんよ。」

「それがいいのよ。」

 王妃はそっと息をつく。

「セアラと言葉を交わすのは楽しかったわ。」

「確かに、突拍子もない事を言いだすのは面白いですよね。」

 レンカートがとても優しい笑顔を見せる。冷淡な王子を装って作られた笑みではない。

 セアラのことを話す時だけ見せる顔だ。そしてセアラにだけ見せる笑顔があるのを王妃は知っていた。

 王妃だけではない。内宮の多くの者が知っているはずだ。そして黙って行方を見守っている。

 ふたりが子どもの頃、いつもとても真剣な顔で何かを話し合っていたのを思い出す。

 並んで座ったふたりの小さな肩、一冊の本を一緒に読んでいた姿。

 おおらか過ぎるカディールに対し、冷静すぎるレンカート。

 レンカートは諦めがよすぎる。

 マフィンをなんとか食べながら、次の公務の事を考えつつ、王妃は年頃の息子たちのことを心配した。

 


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