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自分の中にある可能性

 俺って何の取り柄もないよなぁ、というのがロッド・ランクールのささやかにして重大な悩みである。器用ではあるが、特筆できる特技はない。

 ロッドには、兄がふたりと妹がいる。

 ふたりの兄は対照的だ。長兄は頼りがいがあり、次兄は面倒ばかり起こす。

 祖父が興したランクール商会は、今は兄が仕切っている。父は貴族相手の仕事で失敗してから、大きな取り引きから手を引いている。

 ロッドは、次兄ほど莫迦ではないつもりだが、妹には負けていると感じる。悔しいから、もちろん絶対口には出さない。

 妹のアミタは、とても頭がいい。アディード王立学院に入れてしまうほどだ。

 王立学院は、学力さえあれば、貴族だけでなく庶民も入学出来る。授業料が全額無料なのも魅力だ。

 女性に学問など必要ないと考えられているアディード王国で、女性が高等教育を受けられる数少ない学校のひとつでもある。

 アミタはそこで勉学に励むだけでなく、結婚相手まで見つけた。その相手が学者だから、稼ぐのは自分の役目だと宣言し、独立して始めた店は、恐ろしいほど順調に大きくなっている。

 妹は立派な商店主なのだ。兄の手伝いをしている自分とは大違いだ。

 アミタは王立学院で人脈も作った。その一人が今目の前にいる。

「ごきげんよう。ロッド。」

 どこから見ても麗しいセアラ・ディパンド伯爵令嬢。

 ロッドは、商品見本を渡すために立ちよったアミタの店のドアをそっと閉めた。

 見なかったことにしよう。

 美人は好きだし、金払いの良い客も大好きだ。だけど、妹以上に頭の回るあの伯爵令嬢は、どこか得体のしれない感じがする。ただ素直なところもある。

 初めて会った時、彼女は町娘のような格好をしていた。お忍びのつもりだったようだ。けれど、その美貌は隠しきれない。

 それで、ロッドは言ってしまったのだ。

 町娘の格好でいる方が、男たちが不躾に見ますよ、と。

 妹の友人でなければ黙っていた。貴族のお嬢様のご機嫌は、良いか悪いかどちらを向くかわからない。

 セアラ・ディパンドはその時はただ、そう、としか言わなかった。

 けれどそれからは、ロッドの忠告を聞き入れ、お供を連れて、貴族らしい装いでやってくるようになったとアミタに聞いた。

 次にロッドが彼女と会った時には、親しみのこもった笑みを見せてくれた。すぐに取り澄ました表情に戻ったけれど、それで十分だった。忠告に感謝していると、ロッドにわからせてくれたのだ。

 それでも、やっぱりあの伯爵令嬢は苦手だ。

 ロッドはアミタの店から逃げるべく一歩を踏み出したと同時に、その店のドアが勢いよく開かれた。

「ロッドさん!」

 呼び止めてきたのは、アミタの店で会計係をしているキールだ。妻とふたりの子供を持つ実直な男である。

 その彼に、がしっと腕を掴まれた。

「今、店主いないんです。私には、あの方のお相手は無理です。」

 気持ちはわかる。ロッドは自分も無理だと言いたい。

「店主はすぐに帰ってくると言ってました。言ってたんです! でも無理です!」

 懇願されたら、仕方がない。すでに、知らんぷりをしてドアを閉めてしまった身だ。どんな仕返しをされるか分からないが、アミタがとりなしてくれると信じよう。

「わかった。お相手するよ。」

 キールの肩も眉も下がる。その安堵がうらやましい。

 ロッドは覚悟を決めて、何事もなかったかのように店に戻った。

「おひさしぶりです。セアラ様。」

「元気そうね、ロッド。お仕事は順調?」

 返って来たのはごく普通のやり取りの言葉だ。見た所、怒っているふうでもない。

 油断はできないと思いつつ、ロッドは平静を保ちつつ答える。

「おかげさまで、何とか過ごさせて頂いております。」

「アミタに少し聞きたいことがあって来たのだけど、先触れをしていなかったから留守なのよ。それでキールに聞こうとしたのだけど。」

 ロッドの背に隠れるようにいたキールを見ると、勢いよく首を横に振っていた。

 覚悟を決めよう。ロッドは手に持っていた商品見本をキールに渡すと、セアラに向き直った。

「奥の応接室へどうぞ、セアラ様。ここで待たれては、客が逃げます。」

「はっきり言うわね。わかりやすくていいわ。」

 セアラは気を悪くした様子はない。セアラの相手をするときは、バカがつくほど正直に出た方がいいというのは、妹のアドバイスだ。

 この店で一番広く、格の高い調度品を備えた応接室に案内した。

「絵が変わったわね。前よりいいわ。部屋が明るくなった。」

 早々に気付いて感想をくれた。

 これはロッドが持ち込んだ物だ。まだ若く名の知れていない画家のものだが、アミタも気に入ってくれている。

 他にも、アミタが手掛けている商品の内、最新のものが置かれている。退屈はしないはずだ。

「どれでもご自由にご覧になってください。では、私は失礼します。」

「ロッド、あなたに聞くわ。」

 優雅にソファに座ったセアラが、まっすぐにこちらを見ていた。侍女が後ろに控えているその様子は、まさしく『貴族』だ。

「アミタでなくていいのですか?」

 断ったつもりだが、微笑まれて聞かなかった事にされた。やっぱりバカ正直に言った方がいいようだけど、さすがにあなたと話をするのは怖いですとは言えない。

 仕方がないから、ロッドは黙ってお言葉を待つ。それはすぐに来た。

「薬の話なの。」

「薬、ですか?」

 ドアを大きく開けたまま、ロッドは許可を得て、向かい側に座った。

「どのような薬が御入用なのでしょう?」

 聞くと、そうではないと言われた。

「去年の話なのだけど、『リザルのタチキリ草』の入荷が減った時期があったはずなの。薬の値段に変わったことが起きなかったかしら。」

 嫌な話を持ってこられた。アミタがいない時に居合わせた不運を嘆きたい。

「上がりましたよ。」

 セアラがどうして今頃そんなことを聞いてくるのか知らないが、このことは秘密でも何でもない。ロッドは起ったままを話す。

「元々高価な薬も、手の届きやすい値段の物も、一時期軒並み上がりました。けれど少ないのは『リザルのタチキリ草』だけだと分かっていましたから、商会の会合で申し合わせをしたんです。他の薬の値段は上げないと。何人かの貴族の方のお力もあって、値段は早々に元に戻りました。」

「そう。その一時期というのは、どれくらい?」

 セアラは詳細を求めてくる。

「最初に入って来なくなってから、ひと月半ほどですね。」

「地方もすぐに治まった?」

「少々ばらつきはありますが、それから更にひと月ほどかかったでしょうか。」

「他国はどうだったのかしら。」

 セアラの淡々とした調子は変わらない。けれどこの質問の後ろには、いろいろ憶測したくなるものがある。

「アディードだけだったようです。」

「確かなの?」

「商売仲間の情報ではそうです。」

「理由はどう考えてる?」

「さぁ、それは我々にはわかりません。ただ、リザルとの商売は今まで通りです。途絶えていません。」

 そう、と言ってセアラが壁の絵に視線を向けた。けれど絵を見ているのではいないだろう。

 仲間内では今でも時々、あれはなんだったのだろうと推理合戦が行わることがある。

 セアラの視線が戻ってきた。話は戻るけど、と前置きされて質問が続く。

「どうして『リザルのタチキリ草』の入荷が少なかったのかしら。」

「それもわかりません。」

「メサン地方のものだそうだけど、オレンジも名産物のひとつよね。そちらは減ってないわよね。」

「減ってません。おかしいと言えば、おかしいのですけど、元に戻ってしまいましたし。」

「リザルの商人も理由を知らないかもしれないし、ね。」

「セアラ様は、何が気になっておられるのですか?」

 伯爵令嬢が無言になった。じっと見つめられると、目を逸らすと負けのような気になる。意地になってロッドも見つめ返した。

 セアラが小さなため息とともに視線を絵に戻す。勝負をしていたわけではないが、少し気分がいい。

「何かしらね。」

 小首を傾げている姿は可愛い。ずいぶん大人っぽく見えるが、実は妹より三つも年下なのだ。

「昨日初めて『リザルのタチキリ草』のことを知ったの。そうしたら、確認せずにはいられなくなったのよ。今日の午前中には、王立薬事院にも行って来たわ。薬事院にどうして知らせなかったの?」

 突然質問になり、彼女の視線が戻ってきた。

「え、聞きましたよ。『リザルのタチキリ草』が、いつも通り納品されているかどうか。薬事院にはいつも通り納められていたようですが。」

「薬事院は、貴方たちの話しあいに加わっていないわよね?」

「薬事院は、商売をしているわけではないですから。」

「なるほど。確かに、あそこは研究機関よね。」

 どこか呆れたように言われた。

 その意味を考える暇はなかった。

 セアラが立ちあがり、軽やかな動きで部屋を見まわし始めたのだ。

「この部屋を整えたのは、ロッドでしょう?」

 全く違う話になった。薬の話はもういいのだろうか。

 絵の前で、彼女は立ち止まった。

「こんな絵が、私も欲しいわ。」

「無名の画家ですよ。」

「別に構わないわ。冬三月で、王城の行儀見習い侍女をお役御免になるの。春一月には王立学院の研究室に帰るから、その部屋の調度を誂えたいのよ。今は間に合わせの物しか置いていないから。」

 振り返ったセアラは、楽しそうだ。無愛想で有名な彼女も、他の女性と同じで買い物は好きらしい。

「全部新調するわ。奥の研究室には作りつけの書棚があるのだけど、それだけじゃ足りないと思うのよ。書き物机も大きい物が欲しいわ。応接室は華美にならないようにしてね。ケルター領の組み細工の幾何学模様、好きなのよ、忘れないでね。他の私の好みの色や形は、ここにいるリレナが良く知っているわ。」

 セアラが侍女を振り返り、それに応えて侍女がロッドに向かって会釈する。

 任せるとは、研究室の調度をすべて請け負わせてくれるということだろうか。

「ランクール商会からご購入いただけるのですか?」

「ランクール商会が扱っている物で、私の望む部屋が整えられる?」

 出来るとは言い切れない。けれど無ければ他から調達すればいい。

 ロッドは仕事用に頭を切り替える。

「お任せください。ランクールが、セアラ様のご期待に添うよう努力いたします。」

「あら、違うわよ。」

 否定された。今、任せてくれると言ったばかりなのに。

 セアラが、からかうような目をして微笑んだ。

「あなたに任せるのよ、ロッド。あなたの感性を、私は気に入っているわ。」

 感性と言われて、ロッドは戸惑う。

「帰るわ。忙しいのに、時間を作ってくれてありがとう。」

 突然やって来た伯爵令嬢は、帰る時も唐突だった。


 妹のアミタが店に帰って来たのは、それからすぐのことだ。

 セアラと会えなかった事を残念がり、ロッドへの依頼の話を聞くと、目を見開いた。

「なるほど。それはいけるかも。『お部屋まるごとお召し変えを致します』って宣伝を打つのはどう? ロッド兄さんは、場に合わせて調度品を揃えるのが得意よね。相手の好みを知るのも早い。新しい物を見つけてくる目も確かだわ。」

 アミタが早口で言い始めたのを、ロッドはついぼんやり見てしまった。

 場に会わせられる? 相手の好みを知るのが早い? そんなことは商人なら当たり前のことだろう。

「セアラに言われるまで、その売り方に気付かないなんて、本当に私は間抜けだわ。」

 アミタが、大きなため息をついて、肩を落とした。けれどそれも一瞬のことですぐに立ち直る。

「すぐにランス兄さんと相談しましょうよ。ロッド兄さんの美的感覚と、現実的な発想を生かせるいい仕事だわ。」

 美的感覚と聞いて驚く。

「俺にそんなものがあったか?」

 つい聞き返した。ロッドは自分のことを、何の取り柄もない、ただの手堅い商売人だと思っている。

 アミタが呆れた。

「何を言っているの。私の店の応接室、いつもロッド兄さんに設えてもらってるじゃない。お客様によく褒めて頂くのよ。」

 悔しいとアミタが言う。

「本当に私ったらロッド兄さんにお願いした時点で、どうして気付けなかったの? またセアラに先に気付かれた。」

 アミタは嘆くが、ロッドには、単にセアラは自分で選ぶのが面倒だから、全部投げてよこしたとしか思えない。

 それでも。

「やってみようかな。」

 そう呟いた。

 自分にその感性とやらがあるのなら、試してみるのも悪くない。

 セアラが好みそうなものなら、ロッドもいくつかはわかっている。頭の中には、すでにいくつもかの案が浮かんでいた。

 あの侍女と早々に連絡を取ろう。

 何より先に、画家に注文を出さなくてはいけない。

 楽しくなってきていた。


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