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確かに恋をした

 春一月十八日。午後。

 いったい何が起ったのだろう。

 アディード王国第一王子カディールは、椅子から立ち上がれず、視線も上げられずにいた。

 騎士たちの気力に満ちた動きを感じる。

 それでやっとそれまでが、停滞した沈んだ空気だった事に気づいた。

 首長が自分だった時は沈んでいたものが、セアラにそれが移ったとたん、闊達に動き出した。

 椅子を持って部屋を出て行く者に気付いて、そういえばこの部屋に全員が座れるだけの椅子はなかったと思いついた。どこかから持ち出したのだろう。セアラの到着前から準備されていたということだ。

 広間の椅子の位置が、最初にあったであろう場所に戻っていく。

「ジグドさん、割れた花瓶って高価なものだったのでしょうか。弁償代、足りますか?」

 セアラが小声でジグドに聞いている。

 カディールのすぐ側に、彼女と一緒にやって来た迎え役の騎士と護衛役侍女、留学同行者の騎士長サザル・ラクレス、会計係の侍従ロベル・ジグドらが集まっていた。

 ジグドがセアラの心配に答える。

「ひとつだけのようですから、大丈夫です。セアラさんがおっしゃったように、領主のカルア子爵は我々が出て言ってくれるのを喜ぶでしょうしね。」

「いえ、ことお金が絡むと、性格が変わる人もいますから、要注意です。」

 明るいジグドに、セアラが真面目に言っている。

「わかりました。善処します。」

 ジグドに、カディールに帰国を進言して来た時の焦燥感は無くなっていた。

「では後は、ラクレスさんとジグドさんにお任せしてしまってもいいですか? お迎え役の騎士も疲れているの。ここで休ませてもらえる? 私は、立ったままでも眠ってしまいそう。」

「それは大変だ。どうぞお任せを。」

 ラクレスが冗談まじりに応じている。

「我々は大丈夫ですよ。」

 迎え役の誰かが言っている。

「駄目。休んで。そうでないと、私も安心して眠れないわ。」

 誰かのため息が聞こえる。

「わかりました。」

 騎士たちは壁際へ行ったようだ。

「お兄さま。」

 セアラが、ゼフィルに呼びかけた。全員が集まっている間は、常に淡々と名前でと読んでいた。今は、心配そうだ。

「私は、殿下が出立されるのを見送ってから、領主館に行くよ。」

 ゼフィルは任務の話なのに、労わるように言っている。

「わかった。」

「大丈夫だよ。」

 兄と妹は短い言葉だけを交わし、私的なことは全く話さななかった。

 ゼフィルが、領主館に同行するフェナン・ソウザと一緒に離れていく。

 カディールは急に心細さを感じた。

 思えば、ゼフィルは、子どもの頃からずっとカディールの味方だった。セアラが扇で打つような乱暴を行うと、ゼフィルはカディールに説教らしきことを言った後で、必ずセアラに謝るように注意した。

 それが、今は完全にセアラ側だ。

 カディールにはひと言もなく行ってしまった。

「ラクレス隊長。」

 レイオンが、落ち着いた声で呼びかけている。

「私も近衛騎士たちと行動を共にします。出来ることがあったら言ってください。まずは、自分の荷物を持ってきます。」

 セアラの青いドレスが動く。アレドの前で止まった。

「アレド、あなたも自分の荷物をまとめなさいな。」

 いつもの淡々としたセアラの声だ。

「私を糾弾しないのか。」

 低くアレドが尋ねた。

「私は疲れてるの。そんなことに労力を使う気はないわ。荷物をまとめて。早くしないと、他の誰かが勝手に始めるわよ。見られたら困る日記とか、あるのではないの?」

 椅子を蹴り倒す勢いでアレドは立ちあがり、出て言った。

「本当にあるみたいね。」

 セアラがぽつりと言う。

 ラクレスが大きくため息をついた。

「莫迦な事はしないと思うが、見張りをつけるように言ってくる。ここで雲隠れなどされたらかなわん。」

 そう言って、行ってしまった。信用がない。

「ジグドさん、この部屋の椅子、残りはこの位置のままでいいの?」

 セアラが確認する。

 カディールは、今動けと言われても、動きたくない。

「そうは動かしていませんので、最後に整えればよろしいでしょう。」

「ありがとう、じゃあ、少し眠らせて。」

 眠る?

 カディールがその言葉に引っかかりを感じているうちに、セアラがソファに戻って座り込んだ。

「ミリアとジェインは大丈夫?」

「私たちはそれなりに鍛えてるから大丈夫。セアラはもうすこし、お茶を飲んで。」

 男爵夫人が気を使わない話し方で、セアラに茶を勧めている。

「側にいるわ。安心して。」

 ジェインも彼女の隣に座りながら、気心のしれた友人のように話す。

「ありがとう。」

 セアラが言って、それから、静かになった。

 ジグドも部屋を出たようだ。

 誰も、カディールに声を掛けなかった。まるで、もうどうでもいい人間になってしまったようだ。

 遠く、近く、声を掛け合い、行き交う音がしている。

 帰らなければいけない。

 ローザを置いて。

 ただ一人、心から愛したひと。今は会いに行ける距離にいるが、国境を越えてしまったら、きっともう、二度と会えない。

 どうして早々に婚約者なんて決めてしまったのだろう。何故、帰国したらすぐに結婚するなどと言ってしまったのだろう。そうでなければ、ローザとの将来があったはずなのに。

 たとえどんなに醜くても、ふたりの明日のために足掻こうと思った。

 足掻けただろうか。

 いや、セアラに、一方的に畳みかけるように話されて終わった気がする。

 どこで挫けてしまったのか。

 カディールは額に手を当てて、考える。

 そうだ。民の話だ。

 戦争になるかもしれないと心配している民の話。そして、約束を反故にした者を信用できないと言われた。それが楔だった。

 静かに、すぐ目の前にテーブルが置かれた。

「どうぞ。」

 男爵夫人が、短い言葉と共に、その上にお茶のカップを乗せた。

 それから、静かな声を向けて来た。

「カディール殿下、お声掛けさせていただく無礼をお許しください。」

 ふたつに破られた紙が差し出される。

「これを、書いて頂きたいとは申しません。ただ読んで頂くことは出来ませんでしょうか。」

 ローザに別れを告げるために、セアラが書いたものなど見たくもない。

「これは、迎え役六人で書きあげたものなのです。」

 六人。そう聞いて、カディールはつい視線をその紙に向けたが、すぐに逸らす。

「私たち、ずっと考えながら参りました。ローザ王女さまのお気持ちを思いながら、お別れを告げる、その手紙のことをです。」

 この痛みが誰にわかると言うのだ。

「もちろん、私共は殿下とは全く違います。ひと言しか考え出せなかった方もいますし、セアラなんて、まるで報告書のようなことを言いだしました。最初の言葉をどうするかで大喧嘩をした方々もいますわ。でも、どの言葉も、すべてローザ王女さまと殿下のためのものです。」

 男爵夫人の声は穏やかで、優しい歌のような柔らかさがあった。

「四日間、ローザ王女さまと殿下の事ばかり考えていたような気がします。気持ちだけで突き進んで行く恋。夢のようですわね。この手紙は、その夢の残照です。私共六人が、ローザ王女さまと殿下に、こうあって欲しいと願う夢です。」

 控えめに出されていた破られた手紙が、目の前に持ってこられた。

「つたない言葉ですが、私共の夢を、お読みいただけませんか。」

 しばらくそれを見ていた。

 男爵夫人は引く気はないようだ。

 差し出されていることがいらつく。

 そう言い訳のように思って、カディールはその手紙を乱暴に掴んだ。

 いつの間にか何度も深呼吸をしていた。

 馬車の車輪の音が聞こえる。

 ここを離れる時間が、容赦なく近づいてきている。

 怒りと情けなさと、この先への不安がのしかかる。それを振り払いたくて、顔を上げた。

 手紙を読むのはそのついでだ。

 読むと、何とも言えない気分になった。言葉の一つ一つは悪くないが、並べるとどうしてこうなおかしな文になるのか。

「酷い出来だ。六人がかりでこれか。セアラも大したことないな」

 はっきり行ってやれて、少しだけ胸がすく。

 そして、カディールが顔を上げた先に、ゼフィルがいた。

 静かな面持ちだ。恐れも、困惑もない。まっすぐなカディールを信頼している目だ。まだ行っていなかったのか。勝手に行ってしまったわけではなかったのか。

 思い切って立ちあがった。手紙を持った手を、ゼフィルに突きだす。

「待ってろ! これを書いてやる。持っていけ!」

「え、何?」

 セアラが驚いたようにまわりを見回している。本当に眠っていたのか、セアラ・ディパンド。

 男爵夫人が、微笑んで彼女に伝えた。

「殿下が、あのお手紙を書いて下さるそうです。」

 驚いてこちらを見上げているセアラを、カディールは鼻で笑ってやる。

「お前には、文才がない。」

「はぁ。」

 間抜けな返事だ。

 カディールは思いっきり顔を逸らして、男爵夫人に告げた。

「ペンを持て。」

「只今。」

 自分ならもっといいものが書ける。だが、急がせるから仕方ない。

 こんな出来損ないの手紙、一生の汚点だ。時間が許す限り、手を入れてやる。

 カディールは、心の中で思いつく限りの悪態をつきながら、絶対泣くかと目を見開いた。


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