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自分が持つ可能性

 アディード王国では、貴族女性が働くことは好まれない。


 王立薬事院での初勤務の日、カリオ・エズルは、ここでは女性も働いているとわざわざ聞かされた。

 カリオは王都の薬屋の息子である。両親はともに薬師である。

 働かない女性なんて貴族だけだ。庶民は子どもだって働く。

 カリオにとって大事なことは、王立薬事院の職員になれる門戸が、貴族だけでなく庶民にも開かれている事の方だった。

 十二年前、十八才で王都学院を卒業したカリオは、薬事院に勤めることを目指した。

 店を継がせたかった父親と大喧嘩をして、カリオはその門をくぐった。薬を売るために誰でもできるような調剤をするより、研究に専念したかったのだ。

 王立薬事院には、国中から薬品や素材が届く。国外の手に入りにくい薬も揃えられているし、薬草畑もある。

 入所して二年後、調剤を任されるようになってからは、カリオは充実した日々を過ごしていた。


 その日。

 カリオが受付係をしていたのは、人手が足りなかったせいだ。

 最近は、半年後に控えた第一王子の結婚式や立太の儀のためにどこの部署も忙しい。事務方の人達が駆り出されたら、研究者も受け付けに座るくらいの仕事は引き受けざるを得ない。

 幸い何の予定もない日が当番で、カリオは喜んでいたのだが、何事にも想定外は存在する。

 昼に近い時刻、何の先触れもなしに貴族の令嬢が女官を一人連れてやってきた。

 医療関係者以外の訪問者は珍しい。

 カリオは、立ちあがって迎えた。

 美しい人だった。目が奪われる。

「お忙しいところ、突然に訪問しました無礼をお許しください。」

 女官に切り出されて、慌てて不躾に向けていた眼をそらした。

「セアラ・ディパンド伯爵令嬢が、薬について、少しご教示いただきたいとおおせです。」

 名前を聞いて、カリオは思わず受付の机から身を乗り出してしまった。

 女官の立ち位置がほんの少し変わる。令嬢が見えなくなった。

 警戒されたと察して、慌てて身を引き謝った。

「カリオ・エズルと申します。不作法をお許しください。」

 思い切り頭を下げる。

 セアラ・ディパンド伯爵令嬢。彼女は成人したばかりだが、王立学院に研究室を持つほどの才媛だ。

 実はカリオは、十歳以上も年下の彼女の事を尊敬している。その思いのたけを、頭を下げたまま発した。

「ディパンド伯爵令嬢が書かれた『アディード建国以後の歴史』を拝読いたしました。すばらしかったです。医療の発展と与えた影響、受けた妨害の事実まで、他の歴史的出来事に交えて書いて下さって、おかげ様で、地味な薬事院の仕事を選ぶ若者が増えています。」

「ありがとう。頭を上げて。」

 女官とは違う声だった。言われた通りに頭を上げると、女官の立つ位置が元に戻っていて、美しい伯爵令嬢の姿が見える。何故だか苦笑していた。

「あの長くて退屈な論文を読んで下さったの?」

「退屈なんてとんでもありません。」

「ありがとう。それで、今日来た理由なのだけど。」

 そうだった。姿勢を正して話を聞く態勢に戻る。

 女官が続きを話し始めた。薬師に会いたいという。

 敬愛する伯爵令嬢のためになんとかしたい。けれど、その薬師である自分まで受付業務に借り出されるほど、みな忙しいのだ。

 困りつつも、何人かの貴族の薬師を頭に思い浮かべていると、伯爵令嬢が聞いてくれた。

「もしかして、カディール殿下の儀式のことで、こちらの皆さんも忙しくしていらっしゃるのかしら。」

「はい。」

 申し訳ない気持ちを込めて返事をする。

「そう、私が突然、お仕事部屋に行ったら、驚かれてしまうわよね。」

「それは間違いなく。」つい力を込めて言ってしまった。事前連絡なしで伯爵令嬢に来られたら、誰だって驚く。

「もしよろしければ、ご用件をお聞かせいただけますか? 後ほどご連絡申し上げます。」

 ディパンド伯爵令嬢は、小首を傾げた。

「早く知りたかったのだけど。薬のことはここに来ればわかると単純に考え過ぎていたわね。すぐに知りたければ、どこにいけばいいかしら。」

 何故そんなに急いでいるのだろうか。カリオは不思議に思いつつも、そんなに急ぐなら、貴族の薬師でなくても許してもらえるかもしれない。

「あの、私は貴族ではありませんが、それでもよろしければ伺います。」

 二秒ほど、ディパンド情がカリオを見つめてきた。カリオは顔が赤くなるのを感じた。

「あなた、薬師だったのですか? 貴族じゃないって、そんなこと関係ないわ。国立薬事院の薬師なのですよね。」

 確認されて、カリオは慌てて二度頷く。

 これは自分が質問に答える立場になったということだ。

 にわかに緊張してきた。心臓が走り始める。 美しい伯爵令嬢は笑わない。まっすぐに見つめられて、自分の知識に不安を感じた。理由は単純だ。カリオはこの、敬愛する伯爵令嬢に頼りない存在だと思われたくない。

 気を引き締めた。自分もこの王立薬事院に属する薬師の一人である。

「私でよろしければ、ディパンド様のご質問をお伺いします。よろしければ、そちらのソファにおかけください。」

「いえ、このままで結構です。長居はしません。」

 貴族を立たせたままで本当にいいのだろうか。カリオはいきなり動揺させられる。迷っている暇はなかった。ディパンド伯爵令嬢が質問を発したのだ。

「タチキリ草のことをお聞きしたいのです。」

 なんだそんなことか、と気が抜けた。

 タチキリ草は、痛み止めとしてよく知られている。北でも南でも育つ強い草だ。世話がかからないから、どこの家でも庭先でも植えられている。摘んですぐ煎じて飲むことができるし、天日に干して乾燥させ、保存することもできる。痛み止めの効果は変わらない。

 庶民には馴染み深い薬草だが、貴族の庭園にはないだろう。

 カリオは微笑み、丁寧に説明を始めた。

「タチキリ草とは、痛み止めに使われる薬草です。」

 育てるのに手間がかからず、重宝される薬草ですと続けるはずだった。

「どこでも手に入れられる薬草だと記憶しています。リザル王国から輸入しているのは何故でしょう。」

 答えを先回りされて、カリオは一瞬、言葉を見失った。

「・・輸入ですか? はい、確かに。」

 どこにでも生えているタチキリ草。けれど特別な物もある。

「『リザルのタチキリ草』はメサン地方だけにある特産品なのです。通常のものより、はるかに効果が高く、多くの薬剤を合わせるとき、このタチキリ草を使う方がより良い効果を上げられる場合があります。」

 伯爵令嬢がつぶやくように言った。

「メサン地方ですか。」

 やや間をおいてから、彼女の質問が続けられた。

「普通のタチキリ草では、同じ効果を得ることはできないのですか。」

「できなくはありません。けれど多くの量を必要としますし、煎じる方法や時間の調整が難しくなります。」

「なるほど。」

 また僅かな間の後、次の質問が来た。

「王立薬事院は毎月同じ量を、同じ金額で購入していますね。量や値段について、リザルの商人から交渉されたことはありませんか。」

 カリオは薬草の調達係ではないが、そういうことが起これば薬事院内で必ず話題になる。

「ありません。量も値段も、ここ数年変わっていません。」

「そう。ここの他にも購入している薬剤店はありますね。」

「大きな店か、裕福な人たちを相手にしている医者か薬師だけでしょう。高価なものですから。」

 澱みなく答えることが出来て、カリオは少し余裕を取り戻した。

「エズルさん。」

 名前を呼ばれた。また心臓が走り始める。敬愛する伯爵令嬢が自分の名を呼んでくれた。

「私は、タチキリ草が輸入されていることを昨日初めて知りました。」

 知らなくても珍しいことではない。知っているのは医療関係者ぐらいだろう。

「それで気になって、過去の国内への輸入量を調べたのです。」

 カリオは返事が出来ずに、ただ驚いて目を見開いた。

 タチキリ草が輸入されていることが、そんなに物珍しかったのだろうか。けれど、それで輸入量を調べようと思いつく発想がよくわからない。調べることができたことも驚きだ。

「去年の冬から春にかけて極端に輸入量が減っていました。夏にはその前の量に戻っています。その後変わりはありません。」

 それは知らない話だ。誰かが話していただろうか。記憶を探るが出て来ない。

 王立薬事院にはいつも通り届けられたので、誰も気にしていなかったのかもしれない。

 カリオは思い付きを口にする。

「不作だったのでしょうか。」

 王立薬事院には、特別にいつも通り納めてくれたのかもしれない。

「理由はともかく、薬事院では、そのことは大きな話題にはならなかったのですね。」

「…はい。」

 少しうろたえてしまった。

「それが、何か問題なのでしょうか。」

 そうねと言いながら、伯爵令嬢は視線を遠くに向けた。

「薬事院にはいつもの量が来ていたなら、アディード国内に出回る『リザルのタチキリ草』は、私が当初考えていたより少なかったことになります。値段は上がらなかったのかしら? 普通のタチキリ草も、きっといつもより多く使われるようになったでしょうね。どこにでも生えている薬草なら、在庫も少ないかもしれない。実際に、不足は起らなかったのかしら。他の高価な薬は、それに乗じて値が上がらなかったかしら。」

 過去に薬草不足は何度も起っている。戦争や災害があった時だ。伯爵令嬢が書いた本にもでてくる。

 けれど今は平時だし、減ったのは『リザルのタチキリ草』だけだ。

「まさか。」

 そんなことがありえるだろうか。

 実家の薬屋が頭の中に浮かんだ。

「ありがとう、エズルさん。」

 答えを求められる事もなく、唐突に話が打ち切り上げられた。

「お仕事、頑張ってください。」

 綺麗な微笑みを向けらた。それで初めてこの令嬢が今まで笑みを見せていなかったことに気付いた。

 その笑みに見惚れて呆気にとられているうちに、セアラ・ディパンド伯爵令嬢は、目の前からいなくなってしまった。

 玄関ホールにひとりきりになり、静けさの中で立ち竦む。

 ディパンド嬢の目的がなんだったのか。

 カリオにはわからなかった。

 たださっきの会話では、市井で薬が手に入りにくくなっているような印象を受けた。

 カリオは、街でどんな薬が売られ、どんな人が買っていくか良く知っている。

 蓄えに余裕のある者は少ない。薬の値が上がれば、生活がすぐに苦しくなる人もいる。

 伯爵令嬢の本にも書かれていて、共感もした。

 けれど特別な時でなくても、それが起るかもしれないなど、考えたことがなかった。

 王立薬事院に集まるのは物だけではない。薬に関する情報も入る。その時に、市井の話も聞くべきではなかったか。

 多くの人に必要な薬が届くことこそ、王立薬事院のすべきことではないか。

 カリオは、どさりと音を立てて椅子に座った。

 考える時間はある。

 今日は一日、受付仕事しかしなくていいのだから。


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