想いの行き先 力の向く先
王妃は驚いていた。
ずっと、セアラとレンカートは想い合っているのだと思っていた。
けれど今日、セアラが発した言葉の端々から、レンカートには不利な状況が見えてくる。
もしかして、セアラはレンカートを好きではないのかしら。長年ずっと、まわりが勝手にそう思い込んでいただけなのかしら。
そう思うと、そういえば、という気持ちも生まれる。
セアラがレンカートに見せる穏やかさは、リリエルに見せるものと同じではないか。王弟妃のまだ幼い子供たちに見せる顔と、どこかに違いがあっただろか。
レンカートを幼い子供と思ってはいないだろうが、彼女の笑顔は、心を許している友人たちに見せるものと同じでないだろうか。
まさか、すべては幼馴染みに見せる親愛の情だったのか。
陛下を見るが、宰相とセアラの話に聞き入っておられるようだった。
セアラが宰相から目を逸らすことなく言っている。
「つまり私には、学友方に責任を問うことが出来ないと言うことですか。それでは、全権の意味がありません。私は、全員が一律に責めを負うのはいかがなものかと存じます。兄はいつもカディール殿下の引き止め役でした。一緒に同行しているレイオンもそうです。この留学中、ふたりは同じように努めたはずです。結果はこうなっていますが、状況によっては酌量を頂きたい。それを決めさせて頂くのも、全権の内ではありませんか。」
宰相が眉をひそめていた。
「セアラ、あなたは旅程に関する全権を持っているだけです。誰かを裁断する権利はありません。」
「誰を守る権利もないと?」
「有り体に言えば、そうなります。」
「それでは殿下を守れません。」
セアラがきっぱりと言い切った。
宰相の眉間のしわがますます酷くなる。
王妃は、はらはらとした気持ちでやり取りを聞く。セアラが王命を受ければ、今日は散会のはずだったのに、なんだかまた拗れはじめた。
「守れるつもりですか。」
宰相がそう返した。セアラは平然としている。
「邪魔をしている者がいるはずです。」
その彼女の言葉に、またこの場を沈黙が包む。
邪魔をしている者とは、一体誰の事なのか。リザル王国が何かを仕掛けて来たというつもりか。それともローザ王女のことか。
リザル王国王女だった王妃は、いつのまにか肩に力が入ってしまっていた。
けれど少なくとも、一番最近に届いた兄であるリザル王からの手紙には、異変を伝える暗号は何もなかった。
ローザ王女の件も、リザル王の手紙により、早い段階でだいたいの事情は知っていた。子供の恋だと聞いていたし、絶対にカディールに手は出させないと約束もしてくれていた。ローザ王女がカディールを追いかけるとは思っていなかったかもしれないが、こんな醜聞はリザル王家もなかったこととして扱いたいに違いない。
沈黙は、セアラが破った。
「リザルの王都は予定通り出立されたのでしょう? けれど今は予定外の事をされています。違いは何かを考えれば答えは出ます。」
「ローザ王女のことか。かの方が追いかけて来られたから。」
宰相の言葉を切って捨てながらも、セアラは淡々と言う。
「十七才の第三王女にどれ程の事が出来ますか。違います。外からの目が届かなくなったと言うことです。リザルの王都を離れてから、アディードの高官たちとは会っていないでしょう。面倒を煽っている方が、内側にいるはずです。殿下ご一行の中です。」
王妃は、やっとセアラの言いたいことがわかった。
誰か、カディールを止めない者がいると言いたいのではないか。話の流れから鑑みるに、それはカガント侯爵の息子アレドだと思っているはずだ。
セアラの落ち着いた声が、王妃の考えを肯定した。
「アレド・カガンドではなく、カイル・キルティを加えて頂きたいと、兄ゼフィルは嘆願したと存じますが。」
一番最初に同行者に決まったゼフィルは、かなり必死な顔で学友にはアレドではなく、カイルをと願ってきた。
滅多に自分の願いを口にしないゼフィルの言うことだから、その方向で話しは進んでいたのだ。
けれど絶対にアレドだと言ったのは、カディールだ。
アレドは昔からヴィエラが好きだった。その気持ちを隠してもいなかった。ヴィエラが迷惑そうにしていたことも含めて、社交界では有名な話だ。
カディールは、自分がいない間に、ヴィエラをさらわれないか心配したのだ。
それならいっそ、自分と一緒にアディードからアレドを出す。それがカディールの考えだった。
カディールにうるさくまとわりつかれて、宰相が折れた。
同行者にアレドが決まれば、後の一人はリングード子爵家のレイオンとすぐに決まった。
レイオンは、ゼフィルやアレドのようにカディールの幼馴染みではない。王立学院でカディールと同じ講義を受けていた成績優秀者だ。アレドが騎士で、勉学にさほど熱心ではない事を考慮しての人選だ。カイル・キルティも優秀な人材だが、勉学に熱心かというと疑問視されてしまったのだ。
そうして決まった学友たちの中で、アレドだけが次男で爵位を継げない。
三人の序列は、親の身分や、本人たちの立場から、難しいものになっているだろう。
王妃は、つい宰相を見つめてしまった。
最終的に承認したのは陛下だが、王妃は宰相の最終決定前に、ゼフィルの願い通りにした方がいいと言っておいたのだ。
王太后にも、王弟妃にも愚痴を言った。今、そのふたりも冷めた視線を宰相に送っている。
宰相はこちらの視線に気づいたが、すぐに逸らされ、セアラに向き直ってる。
「アレドのことは、カディール殿下の強いご希望だった。」
「終わったことはもう結構です。」
自分で持ち出しておいて切り捨てるセアラに、王妃は、やはり相当怒っているわねと心の中で思った。
会話の主導権は、セアラが握ったままだ。
「先のことを確認させていただきます。アレドが殿下を諌めることなく、反対に煽っていた場合です。東の国境警備に行って頂くと、言ってもよろしいでしょうか。」
宰相がわずかに身を引いた。そして大将軍を見る。
東のジゼット王国との国境線は、常に臨戦態勢だ。ジゼットが領土拡張を狙い続けているからだ。
「アレドは次男だったな。」
大将軍が怖い笑顔を見せて、話に入っていった。
「さらに下に弟がふたりいただろう。それなら問題ない。東の国境線には、交代を待ちわびている者たちが大勢いる。」
「ありがとうございます。」
セアラがやっと笑みを見せた。そして、大将軍とふたりで視線を陛下に移し、無言でご様子を伺う。
陛下が小さく頷かれ、言われた。
「もう全権を託している。」
宰相がため息をついた。
セアラは、この言質が欲しかったのだろう。たいしたものだ。同行者たちの処分決定権を手にした。
意志の強そうな目で微笑む、彼女の姿は頼もしい。
そして陛下はこの機を逃されなかった。
「セアラ、無事に戻れ。」
そう言って立ち上がられる。
この先は、事務的な相談だけだろう。自分たちが口を出さなくてもいい。
王妃は、陛下に続いて立ち上がりつつ、ヴィエラにさり気なく目をやった。
今日のセアラほど苛烈でなくてもいい。けれど、ヴィエラにはただ優しい淑女でなく、強い気持ちを持って欲しい。彼女はアディードの王妃になるのだ。
ヴィエラは、しっかりと顔を上げてこちらを見ていた。口元には微笑みがある。昨日までよく見せていた困惑の表情はなかった。
今回の件で、一番変わるのはヴィエラかもしれない。そうなってくれればいいと思う。
兄リザル王が言っていた『子どもの恋』をしていたカディールが、二年ぶりにヴィエラに会って、どんな顔をするか。楽しみができた。
王妃は、宰相に声をかけておく。
「宰相。心配をしなくても、大丈夫ですよ。きっとすべて上手くいきます。」
見送りのために立ちあがっていた宰相が、王妃に向かって頭を下げる。
彼は納得していないようだけれど、王妃は大丈夫だと信じることにした。
レンカートへの気持ちについては、考え違いをしているかもしれないが、セアラの緊急時の処理の手際は、この二年で格段のものになったのを実際に見ている。
陛下も、十日で帰って来いとは言われなかった。
それなら、今回もきっと大丈夫。
王妃の心配は、彼らが無事に帰って来た姿を見るまでは無くならない。恐れがなくなったわけでもない。
だが、解決のために前には進んでいる。それが心を支えてくれる。
ただしと、もう一人の息子を振り返る。
レンカートは、少し俯き、どこか悄然として見えた。本人もセアラの気持ちが分からなくなっているのだろう。
恋の行方はわからない。
昨日レンカートが持ち出した、セアラを花嫁にする条件が満たされたとしても、ゼフィルの引責問題は彼女自身の手の内なのだ。
あれほど宰相に対して、ゼフィルを擁護していたセアラだ。兄ゼフィルを内宮に残そうとするなら、それはレンカートとの未来を考えていない事の意志表示とも思える。
レンカートは、昨日より確実に不利になっている気がする。
宰相はセアラを妃にすることに難色を示していた。今日はセアラに言い負かされる形で終わったが、目先の勝負では負けても、将来に向けた大きな勝負には勝ったのかもしれない。
そんな事を考えていると、王弟妃が後ろから追いついて来て、そっと耳打ちしてきた。
「このあと少しお時間を頂けますでしょうか。」
「よろしくてよ。」
即答した。王妃も誰かと話したい気持ちが大きい。レンカートとセアラのこと。今日のヴィエラの変化についても。
「お母さま。」
娘のリリエルがすぐ隣にやって来て、王妃の腕をとる。
「なんだかすっきりしないわ。」
そう言うリリエルは、随分勢い込んでいる。
「あなたたち。」
王太后が振り返り、王妃たちを見て微笑んだ。
「もう夜遅いけれど、私の部屋で、心を落ち着かせるお茶をいかが?」
三人で、了承の意味を込め、小さく頭を下げた。
こうしてこの後、王族の女性たちは、心を落ち着かせるどころか、セアラの気持ちが分からなくなったことや、ヴィエラが少しばかり気丈なところを見せた事について、熱く語り合い、不安な夜をひとつ減らした。




