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お手本にならないお手本

「セアラのようになってはいけませんよ。」

 まわりの大人たちは皆、リリエルにそう言う。

 それなのに、リリエルから、セアラを遠ざけようとはしない。

 子どもの頃、それがずっと不思議だった。

 不思議と言えば、ヴィエラのこともそうだ。

 ヴィエラは完璧な淑女と称されている。だけど誰も、ヴィエラのようになりなさいとは言わない。

 疑問に答えてくれたのは侍女長のファゼット侯爵夫人だ。

「世の中には、いろんな人がいるとおわかり頂くためと存じます。」

 その時は、答えになっていないような気がしたが、それ以上は笑顔でかわされた。

 でも、十四才になった今ではわかる。

 セアラは分け隔てがなさすぎる。

 ヴィエラは臆病だ。

 どちらも『王女のお手本』にはならない。

 他にもわかったことがある。

 リリエルの次兄、レンカートはセアラが好きだ。内宮でも少なくない数の人たちが、ふたりを見守っている。

 そのレンカートが、大騒動の最中にセアラを娶りたいと公言し、自分の要求を紛れ込ませてきた。

 次兄のレンカートは、誰より冷静な人だと思っていたのに、呆れた方法だ。リリエルはこんな賭け事をするような相手は絶対に好きにならないと、心に決めた。

 でもその大騒動で、一番驚かされたのは、ヴィエラだ。彼女が各上の人々の中で、自分の意見を言ったのは、リリエルが知る限り初めてだ。

 臆病だと思っていたのに。

 人は変われるのだと知った。


 春一月十三日。

 直面している一番の問題は、次兄のレンカートの結婚相手ではなく、長兄のカディールの暴走だ。

 カディールが、自分で決めた婚約者ヴィエラがいるのに、隣国のローザ王女と結婚したいと手紙を寄こし、隣国の街バンデルから動かない。

 当然、許されない。

 陛下の命を受け、迎えに行く役目をセアラ・ディパントに与えると決まった。

 昨日と同じ顔ぶれが、同じ場所でディパンド伯爵親娘を待ち構える。

 今日は、昨日招かれる側だったオルゼナ侯爵とヴィエラも『こちら側』だ。

 リリエルと大将軍の間にオルゼナ侯爵が座り、ヴィエラは王弟妃と宰相の間の席に着いている。

 リリエルは、ヴィエラが昨日とは印象が違うことに気づいた。

 ドレスの色が、昨日の淡い緑と違って、はっきりと濃い緑だけれど、それだけではない。凛として見える。昨日の気弱さが嘘のようだ。

 その気になれば、こんなに変われるのか。

 母の王妃と目が合った。扇を少しヴィエラの方に傾け、首を傾げる。

 王妃が、微笑んで小さく頷いた。リリエルが気づいたのだから、王妃ももちろん気づいただろう。この場にいた全員がわかっているかもしれない。

 もしかしたら、今日一日だけの事かもしれない。けれどリリエルは、ヴィエラにはぐらつかない強さを身につけて欲しいと思う。

「ディパンド伯爵とご息女がみえられました。」

 侍従の言葉の後に、ディパンド伯爵親娘の姿が現れた。

 昨日のオルゼナ公爵親娘がそうだったように、ドアの一歩向こう側で、足が止まる。

 けれど、オルゼナ侯爵親娘とは違う事を、彼らはした。

 互いに顔を見合わせたのだ。表情に変化は見られなかったが、しっかりと視線を合わせていた。

 これだけで、この親娘関係が良好だとわかる。少なくともオルゼナ侯爵家よりは。

 その後、彼らはすぐに部屋に入ってきて、型どおりの挨拶をする。

 今日のセアラのドレスは紺だ。今は礼儀上伏し目がちになっているので、普通の美しい令嬢に見える。

 リリエル自身は薄紅色のドレスで、胸元と袖に大きなリボンがついている。とても大人っぽい装いとは言い難い。まだ十四才だもの、これからよと、誰にともなく心の中でリリエルは思う。

 今日の集まりも、手順は昨日と同じだ。

 父である国王の言葉も同じ。

「見当はついていると思うが、カディールの事だ。手紙を送って来た。ローザ王女と結婚したいと言っている。もちろん許さない。」

 さすがにディパンド伯爵親娘はこれくらいでは顔色を変えたりしない。

 次は宰相だ。

 彼が立ちあがり、後ろのテーブルに準備してされていた文書を取り上げた。

「セアラ・ディパンド嬢。」

 名を呼ばれて、セアラが立ちあがる。突然のことなのに、動揺を見せず対応するのはさすがだ。

「カディール殿下の旅程について、本日より、全権を与える。これは勅令である。」

 宰相が文書を差し出した。

 が、セアラは受け取ろうとしない。

 普通、こう言われたら、誰でもすぐに畏まって受け取るものだ。

 セアラは、宰相が持つ書面をしばらく見つめて動かない。

 どうなるの? どうするの、セアラ?

 リリエルが我慢しきれず他の人の反応を確認しようとした時だった。

 セアラが顔を上げ、真っ直ぐに宰相を見た。

「宰相閣下。カディール殿下が帰国後最初に外部の方と会うお約束は、今月二十四日だったはずです。城下には戦争を心配する声もあります。この不安を消すには、殿下に予定通り、二十四日の予定を行って頂く他ないと存じます。今日は十三日。中、十日しかありません。アコード城砦までは、急いでも馬車で六日。十日では帰れません。よってお役には立てないと存じます。」

 断った。

 でも、『十日』と言う言葉が出た。昨日、レンカートが条件として持ち出した日数だ。

 リリエルは思わず、兄レンカートの方を見そうになった。なんとか平静を保って、まわりをそっと見回す。

 誰も顔には出していないが、身動ぎひとつしないのが逆に変だ。

「セアラ。」

 静かに宰相が話しかける。

「勅命です。」

 繰り返されても、セアラは変わることなく淡々と反論する。

「他の、馬を操れる方に行って頂いた方が、早く着くと考えます」

「この件は内密に行いたいと言うことはわかっていますね。王城は今、どこも儀式の準備で忙しい。誰が抜けても怪しまれます。」

「こんな時期だからこそ、誰が地方へ出張に行かされてもおかしくないと存じます。」

 間髪いれずに返されるセアラの言葉に、リリエルは確かにそうもいえると思ってしまった。

「セアラ。」

 宰相の声が低くなる。怒りの兆候だ。この声で話しかけられると、リリエルは我儘を言えない。

「僭越でしょう。より深い考えによって決められたこととは思えませんか。」

 嘘だ。昨日、成り行きで決まったようなものだ。その上、兄のレンカートがかなり話を面倒にしている。

 リリエルなら大人しくなる場面だが、セアラは違った。それまでの淡々とした口調でなく、とても優しく穏やかな声になった。

「宰相閣下。私が今まで、自分に与えられた仕事に異を唱えたことがありましたでしょうか。行儀見習い侍女だった私が、行政部門へのお手伝いをするようにと命ぜられた時も、仰せのままに従いました。そこで、お前など役に立たない、目障りだ、小賢しい女など不要だ、などと嘲られ、果ては、まるで存在しないかのごとく扱われても、また次に依頼受けた時、お断りしたことはございません。宰相閣下が仰せになった通り、きっとお深い考えがあって私にご依頼下さったのだと思ったからです。」

 語られる内容は、全く穏やかではない。

 聞いていて胸が痛む。

 けれど怖い。セアラが怖い。ひとり侮辱に耐えて来た彼女は、多少のことではくじけたりしないだろう。

 行政部門の仕事が辛いものだと言うのは、他の侍女からも聞いたことがある。けれど、具体的にどんなことが起っていたのかは知らなかった。大人の男の人達に、こんなことを言われたら、泣き出してしまってもおかしくない。

 セアラの全く責めない口調からは、怒りの深さが分からない。

 ちらりと兄の方を見た。

 リリエルは今までずっと、セアラは兄のレンカートが好きだと思っていた。けれど、行政部門への仕事を持ちこんだ数では、レンカートが一番多いはずだ。もしかして相当恨まれているのではないだろうか。

 両想いだと思っていたけれど、もしかしてレンカートは片想いをしているのではないか。

 セアラの話は途切れない。

「しかし今回は違います。私ひとりが侮辱を受けるだけで済むことではありません。殿下の名誉が掛っております。民たちの、陛下や国の中央に位置する方への不安が、不審に変わらないために万難を排さなければならないことです。ご再考いただきたく存じます。」

 セアラが頭を下げる。

 宰相がどう出るか、リリエルは見守った。陛下に話を差し戻すかもしれない。

 しかし、宰相は一度出した勅令を遂行する方を選んだようだった。

「セアラ、大変な役目だということはわかっています。けれど、あなたも内宮の方には恩義があるでしょう。二年前の事件で、早々にあの本の存在をお認め下さらなければ、あなたは今、社交界にはいられないはずです。」

 義理を持ち出した。

 頭を上げたセアラの視線が、あきらかに冷たいものになっている。

「あれは、王立学院と学長、そして教授方の名誉を守るためにされたことでしょう。本は発禁にして回収してしまえばよかったのです。そうされなかったのは、利があったからでしょう。誇張して先祖の話を吹聴していた方々が、あれから大人しくなられましたもの。あの事件の真実が明るみに出ても、私、全く困りません。」

 口調も淡々としたものに戻っている。

 あの事件は、教授達が酔っぱらった末の失態だと、リリエルも聞いている。どちらかというと、セアラにはお願いして、黙っていて貰わないといけない話かもしれない。

 そう言えばディパント伯爵は、このやり取りをどう思っているのか。

 リリエルは少し座り位置を変えた。セアラが立っているせいで、半分ほど姿が隠れていたのだ。

 伯爵は視線を落とし、変わらず平静な顔を見せていた。でも怪しい。あれは、笑い出しそうになるのを堪えているのではないだろうか。

「私なのです。」

 突然、ヴィエラが声を上げ立ち上がった。思いつめたようなものを感じさせる声に、リリエルは思わず彼女を見た。

 一同の目がヴィエラに集まる。

 それにひるむことなく、ヴィエラは、セアラだけを見ていた。

「私が、セアラにお願いしたいと言ったのです。あなたは私の気持ちを一番よく知ってくれています。カディール殿下も、あなたの言葉になら耳を傾けられるはずです。だから、お願いしたいのです。」

 ふたりは幼馴染みだ。けれど、活発なセアラと大人しいヴィエラは特別親しいわけではなさそうだった。

 それが変わったのは、最近だ。とても親密そうになっていた。

 きちんと表現するなら、リリエルには、ヴィエラの方が積極的にセアラと繋がりを持とうとしているように見えた。

 今、目の前にいるヴィエラは、いつもの物静かな完璧淑女のヴィエラではない。

 必死に窮状を訴えかける姫君だ。

 男なら、即承知しただろう。

 でも相手はセアラだ。

「ヴィエラ。ごめんなさい。出来ないことを、出来るとは言えません。」

 語りかける横顔は悲しそうで、声は思いやりに満ちている。さすがのセアラも宰相に対するような冷たい言い方はしない。

 けど、断られたのには間違いない。

 義理にも情にもぶれないセアラが、リリエルは少し心配になってきた。

 国王陛下の前なのだ。少しは譲歩しようと思わないのだろうか。

 このままだと膠着状態に陥ると思った時だった。

「四日で、アコードまで行ける。」

 力強く言い切ったのは、大将軍だった。これぞ武人という感じの大柄な大将軍が、椅子にゆったりと座り、自信に満ちた不敵な笑みを見せている。

 リリエルは、反射的に大将軍から身を引く。

 この笑みはちょっと怖い。新人騎士にこういう笑みを見せて、直立不動にさせていた。リリエルには、威嚇にしか見えない。ご婦人に見せる笑顔ではない。

 けれど大将軍は、その笑顔のまま言った。

「さっき、セアラは、アコードまで六日掛ると言ったが、実際には五日半だ。馬換えの数を増やして飛ばせば、四日で行ける。十日もあったら、充分だろう。」

「恐れながら、五日半は、六日です。」

 恐れていないセアラの冷静な指摘に、父親のディパンド伯爵は顔を俯ける。伯爵は絶対笑いを堪えている、とリリエルは確信する。昨日、話の行方をただ見守るばかりだったオルゼナ侯爵親娘とは随分違う。

 セアラの冷静な指摘はまだ続く。

「馬換えをして四日で到達できるのが証明されているとして、それは、ご婦人が乗られた馬車だったのでしょうか。馬を走らせれば、その分揺れます。私の体は鉄で出来ているわけではございません。体調を崩したら、それまでです。早い馬車に乗ることに慣れた方をお探し下さい。」

 大将軍が反論しない。

 整備された街道を行くにしても、五日半の距離を四日で行こうと思ったら、馬車は相当揺れるだろう。絶対に馬車酔いをする。リリエルなら試そうとも思わない。

 またその場に沈黙がやって来た。

 セアラの完全勝利だ。

 リリエルは素直にすごいと思う。セアラのようになってはいけませんと言われ続けてきたが、なれなくていいと思った。

 そんな中、国王である父の落ち着いた声が響いた。

「ディパンド伯爵。」

「はい。」

 呼ばれた伯爵が顔を上げた。真面目な顔だ。陛下の声に背筋が伸びている。

 セアラは逆に少し顔を伏せて、陛下に向き直った。

 ふたりを順に見てから、陛下が静かに話し始めた。

「セアラは、二年間、内宮でよく務めてくれた。また無理をさせてしまうが、必ずよい結果を出してくれると信じている。十日で帰って来いとは言わない。無事であればよい。やってくるな、ディパンド伯爵。」

 陛下にここまで言われて否と言える臣下はいないだろう。

 ディパンド伯爵が席を立ち、二歩ほど前に出てくる。その二歩の間に、父と娘が視線を交わした。伯爵に、セアラがわずかに頷いたように見えた。ディパンド伯爵が立ち止まった時、娘を従える状態になっていた。

「お言葉ありがたく存じます。」

 リリエルも、父に褒められると誇らしい気持ちになる。きっと伯爵もそうに違いないと思った。

 伯爵が、僅かに娘のほうに顔を向けた。

 そしてセアラが、陛下に向かって最大礼をして言った。

「謹んで、拝命いたします。」

 美しい礼だった。ゆっくりと立ち上がる姿も申し分ない。あの礼が、存外力技なのをリリエルは身を持って知っている。

 セアラが宰相から、勅命の親書と、全権を示す陛下のご紋章をかたどった金のペンダントを受け取る。

 この場にいた全員がそれを見て、安堵の息をついた。

 これで国王陛下が閉会を告げておしまいだ。

 リリエルがそう思った時だった。

「兄のゼフィルは責任を問われるのでしょうか。」

 セアラが、宰相に向かって問いを投げかけた。

 終わりだと思っていたリリエルは、少し目を見開いて、またセアラと宰相を見比べることになった。

 伯爵の方は、そこへ割り込むことなく、自分の席に戻っている。

 リリエルは昨日の記憶をたどる。そして、学友たちに責任を取らせると決めていない事に気づく。セアラが十日以内に帰って来るかどうかが話の中心になってしまっていた。

 宰相の返事をまたず、セアラは自分に与えられていた椅子に戻り、問いかけを続ける。

「兄をお許し頂くことはできないでしょうか。」

 レンカートの方を見ることが、リリエルには出来なかった。そのかわり、母である王妃や、叔母の王弟妃、祖母の王太后と視線を交わし合う。そこにヴィエラもそっと入って来た。そのやりとりの忙しなさに、みんな同じ疑問を持ったのではないかと、リリエルは思う。

 ゼフィルが内宮に勤めている限り、セアラがレンカートに嫁げる可能性は低い。

 レンカートにとって、セアラはただ一人の愛する相手かもしれない。

 けれどゼフィルは、内宮でただ一人、忍耐強くカディールにお説教が出来る人なのだ。ゼフィルに残って欲しいと思っている人は多い。

 つまり、セアラはレンカートの事を何とも思っていない。

 まさかと言う気持ちがある。

 どう見ても、想い合っているようだったのに。

 そして今、セアラに問い質されている宰相。彼は昨日、セアラが王子妃になることに難色を示していた。ゼフィルを選び、学友に責任を負わせないと言うかもしれない。

 だが、宰相は明言しなかった。

「無事に戻って来る事をまず考えられよ。」

 リリエルはほっとしたが、これが第二幕の始まりだった。


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