とある二人の男の苦難(笑)
十一月二十九日の深夜。
これは、地球防衛軍の日本支部が保有する軌道衛星基地『ツクヨミ』で、二人の男性の割と自業自得な悲鳴が響き渡った時の話である。
とある室内の、逃亡防止で、四方をパーティションで囲まれたそこで、高橋はこの日も引継ぎ作業に追われていた。
何が何でも明日中に、月面基地へ発たなければ……追加のペナルティが課される事になっている。
高橋的には一日ぐらい遅れても良いんじゃないかと、思っている。だが、過去の定例会議で『月面基地に大佐階級以上の人を常駐して欲しい』なる要望が何度も出ていた。
月面基地は人の出入りが激しい。
最終的な判断を仰ぐべき立場の人間がいない場合も多々在る。過去には、『定例会議に参加するものはリモート参加にして欲しい』などの、要望が何度も出た。
そんな要望が出て来る最大の理由は、月面基地は『他支部も利用している』事だ。
要するに、月面基地で支部間のトラブルが発生した場合の、最終的な判断が下せる人間、もしくは、支部長に直接問い合わせる事が可能な人間が、常に一人はいて欲しい……まぁ、そんなところだ。
今回、高橋を四年間常駐させる事で、本当に『常駐要員が必要なのか』を検証する。
本来なら、高橋が月面基地に駐在するのは、まだ先だ。そうなんだけど、駐在の交代ローテーションを組んでいる面々や、高橋の部隊の面々への影響を考えて、姫川が部隊長を代わりに務める事になった。
理解し難いが、『高橋と姫川の立場が変わる』だけで、他の面々に何の影響も与えずに済む。
名案だと頷くものが多い中、高橋は『俺、お払い箱すか?』と真顔で支部長に質問してしまった。
支部長は優しくない事に、『本当の意味でそうなりたくないなら真面目に仕事をしろ』と言い放った。だが、ここで拒否の姿勢を見せたら、高橋は間違いなく尻を叩かれる。
流石に高橋も、四十五歳にもなって、児童のように尻を叩かれるのは、流石に嫌だ。
高橋に残っていた選択肢は『受け入れる』だけだった。
憂鬱になる月初の一件を思い出し、高橋は天井に向けてため息を吐いた。
何で俺ばっかりこんな目に遭うんだと、思ってしまう。だが、姫川から微に入り細を穿つような指摘を受けると、自業自得に聞こえてしまうから不思議だ。
嵐がやって来たのは、高橋が顔を正面に戻した直後だった。
パーティション越しに、姫川が来訪者とやり取りをしているのを聞き流しながら、高橋は仕事に集中した。
けれども、高橋の邪魔をするようにパーティションが動いた。
高橋が『何だ?』とパーティションに意識を向けた瞬間、強烈な悪寒に襲われた。思わず立ち上がって身震いをする。
そして、その人物は出現した。
「ほぅ。貴様が話に聞いていた間宮の元上官か?」
後に高橋は述懐する。
現れた人物を見て、思わず『チビリそうになった』と。
厳つい顔をしているが、辛うじて女性と判る顔をしている。けれど、現れた人物は身長百七十センチ半ば程も有る高橋が立ち上がっても見上げる程の巨体だった。何故かこの人物は大林を従えている。
見下しの視線の圧力は、完全にブチギレた状態の松永といい勝負だ。
高橋は、戦場でどれ程命の危機に瀕しても、震えた事が無いのが自慢だった。その高橋をもってしても、目の前の人物の視線を浴びた瞬間、滝のような汗を掻いて震えてしまった。膝も笑ってしまう。
けれども、高橋の中で正面から迫り来る恐怖よりも、疑問の方が勝った。
「間宮? え? あいつ、また何かやったの?」
元部下の名前を聞き、高橋は嫌な予感を覚えた。先々月も間宮が原因で、高橋は草薙に殴られている。
「やったと言えば、やったな。何度尻を叩かれてもセクハラを止めない、あの心意気は見事だったぞ」
どこが見事なんだと、高橋は疑問に思った。それよりもこの巨体の女性は誰だ?
共にやって来た大林に尋ねると、訓練学校の新任の教官の一人『武藤』と紹介を受けた。ついでに、『ツクヨミにいる二人の人物の尻を叩いて反省させて欲しい』と依頼を受けている事も明かされた。
尻を叩いて反省させて欲しいと、依頼を受けている事を明かした人物が目の前にやって来た。書類仕事は苦手だが、高橋は馬鹿ではない。
馬鹿じゃないので、高橋は困惑しても尻叩きの対象に、自身が入っている事に気づいた。
「不真面目な奴の尻を叩きに来た。ただ、それだけだ」
武藤の言葉を聞いて、高橋の全身に汗が浮かんだ。ぶるりと高橋が身震いした直後、尿意に襲われる。武藤が一歩踏み出した瞬間、高橋は腰を九十度曲げ、頭上で両手を合わせて懇願した。
「待って。漏らしそうだからトイレに行かせて、下さい?」
「高橋大佐。こんな時に何を言い出すんですか」
「良いんじゃないのか。本当に漏らされては、掃除が大変だからな」
姫川は呆れたが、武藤は鷹揚に頷いて許可を出した。許可を得た高橋は脱兎の如く走り出し、部屋から最も遠いトイレに駆け込んだ。
「ふー……、うおおおおぉおおおおおおおおおぉっ!!」
トイレに行って用を足し、手を洗ってハンカチで拭いた高橋は、部屋に戻らずに雄叫びを上げて、廊下を全力で駆け出した。
たまたま居合わせた人々は、必死な形相で全力疾走をしている高橋を見て、ギョッとしてから壁際に寄った。
迫り来る尻叩きから逃げる事で、頭の中が一杯になっていた高橋には、そんな事に気づく余裕は無い。
ツクヨミ内で人気の無いところを目指して、高橋はとにかく走った。
……走れ、走れ俺っ。走れメロン、じゃなかった、メロースッ!!
己の言い間違いを訂正しつつ、高橋は遂に目的地に――格納庫に駆け込んだ。
この時間に人がいない場所として、高橋が真っ先に思い浮かべた場所はここだった。
そして、高橋の予想通りに、ここは無人だった。高橋は急ブレーキを掛けて、床上を少し滑って止まり、周辺を見る。どこをどう見ても、人っ子一人いない。耳を澄ませても何も聞こえない。
額に浮かんだ汗を袖で拭いながら、高橋は安堵から細く長く息を吐いた。
「良し、ここまで来れば――」
「うむ。人目が無くて、尻を叩くには最適な場所だな」
「……」
音も気配も無く、背後からここにいる筈の無い人物の声を聞き、高橋は恐る恐る振り返った。そこには、腕を組んで満足そうに頷いている武藤がいた。
高橋の腰が抜けて、その場に尻餅を着いてしまう。
「な、何で!? ここにいるのよおおおおおおっ!?」
高橋の心の叫び声が無人の格納庫に響き渡った。対する武藤は鼻で笑った。
「お前の副官は優秀だな。発信機の動きから、逃亡先を正確に推測した。部屋に入る前に憲兵部と諜報部の人間を配置していたんだが、発信機のお陰で早々に次の仕事に移って貰えた」
武藤の回答を聞き、高橋は白目を剥いた。武藤の発言が正しいのならば、高橋が部屋から最も遠い場所に在るトイレに向かった時点で、既に行動が読まれていた事になる。
「さて、次が控えているから手短に済ませたいところだが、訓練学校の女子生徒達から『間宮の元上官の尻を念入りに引っ叩いてくれ』と頼まれていてな」
気になる情報と、知りたくなかった情報が齎された。
……訓練学校に乗り込み、間宮をしょっ引く計画を本気で立てねぇと、俺はこれからも、あいつが原因で尻を叩かれるのか!?
何て最悪な未来なのか。
高橋は逃走を試みたが、腰が抜けている状態なので立ち上がれない。抵抗するも空しく、高橋は武藤に捕まった。
前後逆――高橋からは武藤の背中しか見えない状態で、武藤の左小脇に抱えられ、そのまま下着と一緒にズボンを下ろされた。
高橋が狼狽えた時には時遅く、武藤の張り手が高橋の尻に炸裂した。感じた事の無い痛みと衝撃で高橋は悲鳴を上げたが、武藤は無言のまま高橋の尻を叩き続ける。
高橋が暴れても、彼を抱えている武藤の左腕はびくともしない。寧ろ、張り手の威力が増した。
「待って! 痛い! ズボンを下ろさなくても良いでしょ!?」
「何だ? 人目が無いのだから、お前のプライドを心配する必要は無いだろう」
「痛い!? 少しは心配して!? イヤァアアアアアッ!!」
高橋孝介。
この日、四十五年の人生で、初めてズボンを下ろされた状態で、尻を引っ叩かれた。
物陰に隠れて、憲兵部のものが、尻を叩かれる高橋の様子を興奮しながら録画していた。高橋の尻を叩いていた武藤はその視線に気づいていたが、邪魔をしに来ないので無視した。
十分後。
解放された高橋は真っ赤に腫れ上がった尻を突き上げて、床の上に伸びた。
そこへ、アルコール除菌スプレーを持った姫川が、担架を持った憲兵部の面々を連れて来た。高橋はズボンが下りた状態のまま担架に乗せられて、どこかへ運ばれて行く。
「武藤教官、ありがとうございます」
「この程度なら、お安い御用だ。さて、私はもう一人尻を引っ叩きに行かねばならん奴がいるが故に、ここで失礼する」
「興味本位でお尋ねしますが、次は誰の尻を叩きに行くのですか?」
両手をアルコールで消毒している武藤の言葉に、姫川は興味を抱いた。たった一人の尻を叩きに武藤がツクヨミに来た訳でないと知り、姫川は内心で少し安堵した。
「佐藤だ。今は大佐だったな。あれが退役後に教官を希望していると聞いたのでな、諸所色々と確認しなくてはならん」
「成程」
姫川は賢明にも、武藤にそれ以上の質問をしなかった。この手の人物に深入りするのは禁物である。
武藤は姫川に背を向けようとしたが、何かを思い出して向き直った。
「ああ、そうだ。『改心せぬようなら、月面基地にも出向くぞ』とこれに伝えておいてくれ」
「分かりました。ありがとうございます」
遅れてやって来た大林と共に格納庫から去った武藤の背中に対して、姫川は無言で頭を下げて二人を見送った。
その頃。
迫り来る般若の存在を『風邪が原因の悪寒』だと勘違いした佐藤は、角砂糖を五つも入れた甘いホットカフェオレ(三杯目)を飲んでいた。
大林の案内で武藤はツクヨミ内を足早に移動する。
ツクヨミは二十四時間体制で動いている。だが、現在時刻は深夜と言って良い時間なので、普段、多くのものが行き交う通路に、武藤と大林以外で移動している人間はいなかった。
「武藤教官。佐藤大佐は明日でも良いのでは?」
「駄目だ。佐藤は無駄なところで第六感が冴える男だ。あれは今夜中に仕留めねば、明日は一日中どこかに身を潜める」
「成程。来月の定例会議が近づいている中で、仮にそうなったら、あちこちに迷惑が掛かるわ」
「そうであるが故に、今夜中に仕留めねばならん」
武藤の目がギラリと光り、表情も獲物を狙う狩人のようになった。
ここに良識の有る人間がいたら、『仕留めるな』ぐらいは言ったかもしれない。だが、……悲しい事に、この場にいるのはその手の良識を持たない大林だけだった。寧ろ、真面目に仕事をしない奴に『尻叩きによる説教を頼む』側である。
佐藤が仕事中の部屋に辿り着くなり、大林は憲兵部と手隙の諜報部の面々に指示を飛ばそうとしたが、武藤が止めた。
「アレは伊達に尻を叩かれ慣れていない。人目が無い場所でならズボンを下ろして引っ叩いてやるんだが、アレは必ず人目の在る場所で抵抗を試みる」
「そんな法則が存在したの? その法則に従うのなら、高橋大佐は自滅した事になるわね」
大林は意外な法則の存在を知り、驚きと感心で目を丸くした。そこに高橋への同情は一切含まれていなかった。
軽く打ち合わせをしてから、大林が先に入室した。
武藤が共に入室しないのは、単純に室内で居合わせた佐藤以外のものへの配慮だ。大林が先に入室し、居合わせたもの達にこれから起きる惨劇(笑)について説明してから実行した方が、何かと理解が得やすい。
武藤が室内の状況を把握しやすいように、ドアは開け放たれたままだ。武藤は室内から見えない位置に立った。
「大林? こんな時間に何の用だ?」
「佐藤大佐に来客が来ています」
「来客? そんな予定は無かった、は――ずっ!? 待て大林っ!? その来客は、今、どこにいる!?」
「廊下にいますよ」
「おおおぉおおぉ、応接室にご案内しろ!」
佐藤が狼狽えていると判る声を室外で聞き、武藤は『相変わらず無駄なところで勘が良い』と感想を抱いた。
「……佐藤大佐。狼狽え過ぎですよ」
「喧しい! 貴様は尻を叩かれる恐怖を知らんからそんな事が言えるのだ!」
吼える佐藤の言葉を聞き、室内から困惑の声が上がる。
「イイ歳した大人が何を言っているんです?」
「それ以前に、尻を、叩く? 身長二メートルの巨体を誇る、佐藤大佐の尻をどうやって叩くんだ?」
「こいつを小脇に抱えるだけだぞ」
入室するついでに、武藤は困惑の声に回答した。
突然現れた武藤を見て、ギョッとした佐藤が椅子を豪快に蹴り倒して立ち上がった。
椅子が倒れる音が響く室内には、佐藤と大林の他に二人の男性士官がいた。佐藤の部下二名も、武藤を見てギョッとしたが、こちらは腰が抜けたのか、立ち上がろうとするも椅子に落ちた。
「は、般若女帝!? ど、どどどど、ど、どうして、こち、らに?」
「仕事に対して不真面目だと聞く、お前の尻を叩きに来た」
「いやいやいやいや! 俺以外にも不真面目な奴はいますよ!? 高橋とか! 高橋とかっ!!」
「そいつはもう処して来た。だから次は、お前だ」
「……」
武藤の無慈悲な回答を聞き、佐藤は立ったまま白目を剥いた。
「俺、上官が尻を叩かれているところを見たくないんで、席を外しますね」「同じく」
室内にいた佐藤の部下二名が静かに立ち上がり、退室しようとドアへ移動する。薄情な二人の部下の行動を知り、白目を剥いていた佐藤は意識を取り戻して、その目を見開いた。
「待て! ここにいろ!」
「嫌です。何で上官が尻を叩かれているところを見なきゃいけないんです?」
何の罰ゲームなのかと、部下から尋ねられた佐藤は真顔で回答した。
「人目が無いと、ズボンを下ろした状態で叩かれる」
「「お先に失礼します」」
佐藤の回答を聞いた二人は呆れた素振りすら見せずに退室した。
二人を見送った大林は眼鏡の位置を直してから、ドアに向かって歩き出す。
「では、お邪魔になりそうなので、私も失礼しますね。あ、廊下には仕事途中の憲兵部の猛者を数名配置していますので、逃亡出来るとは思わないで下さいね」
言外に『逃げるなよ』と言い残してから、大林も退室した。
ドアが閉まり、取り残された佐藤は武藤の目の前に素早く移動して、素直に土下座した。
己の目の前で土下座をした佐藤の姿を見て、武藤は嘆息を零す。
「佐藤。土下座をすれば許して貰える期間は過ぎているぞ」
「そ、そこを何とか、なりませんか?」
「たわけものっ、何とかなる訳無いだろう。そのザマで、よくもまぁ、教官になろうなどと考えたものだな」
「そ、それは、相良少佐が『狙撃の技術を後輩にも教えるように』と仰っていたので……」
「相良がそんな事を言っていたのか。初めて知ったな」
土下座したままの佐藤から、教官を希望した理由を聞き、武藤の脳裏に十年前に散った同期の姿が浮かび上がった。
相良は女装している訳でも無いのに、一部からは『永遠の美少女』と呼ばれていた。一部の男性兵が『相良に俺の性癖が撃ち抜かれて、歪んじまった』などど戯言を言っていた事も、武藤は思い出した。
「今の訓練学校は立て直している最中だ。教員免許を持たぬお前を受け入れる訳にはいかん。教官を目指すのならば、先ずは教員免許を取得しろ」
訓練学校の現状を考えると、教え下手の佐藤の受け入れは厳しい。そもそも、教員免許を保有していない佐藤の受け入れは不可能だ。
教官を希望するのならば、先ずは教員免許を取得しろ。この文言におかしな点は無い。にも拘らず、上がった佐藤の顔には困惑が浮かんでいた。
嘆かわしい事に、誰かが佐藤に『教員免許は不要』と嘘を吹き込んだのかもしれない。
佐藤の口から、武藤の推測を裏付けるような言葉が飛び出した。
「え!? 免許が要るんですか?」
「馬鹿者! 必須に決まっているだろう!」
「す、すみません」
武藤の一喝を受けた佐藤は竦み上がり、再び土下座をした。
そんな佐藤の様子を見て、武藤は腕を組んで考える。考えると言っても、先に佐藤の尻を叩いて、反省させるか、否かだが。
十秒程度の時間、熟考した武藤は……今ここで、人目が無くて丁度良いだろうと言う事で、佐藤の尻を叩いて反省させる事にした。
武藤は摺り足で佐藤に近づき、身長二メートルにもなる佐藤の巨体を左の小脇に抱えた。
後に佐藤は述懐した。
十年振りに尻叩きを受ける事になると悟った時の絶望は、筆舌に尽くしがたい、と。
暴れて抵抗した分だけ、武藤の張り手の威力が増す事を知っている佐藤は、痛みでうっかり暴れないように我慢した。
二十分後。
武藤から連絡を受けた大林は、佐藤の部下二名を連れて部屋に戻った。
部屋に到着次第、大林はドア横のパネルを操作して、到着を知らせる呼び鈴を鳴らした。
呼び鈴を鳴らして十秒程度の時間が経過してから、すっきりとした顔の武藤が部屋から出て来た。そんな武藤に近づくのは、アルコールが含まれたウェットティッシュを持った大林だ。
「お疲れ様です。こちらをどうぞ」
「うむ。かたじけない。しかし、年は取りたくないものだな。たかが十分で疲れが出てしまった」
「佐藤大佐のような大男を、小脇に抱えて尻を叩いたのであれば、仕方の無い事では?」
「それはどうだろうな。訓練学校でも同じ事をやって疲れが出たからな」
差し出されたウェットティッシュを受け取った武藤は手を拭きながら笑った。大林も釣られてか、『まぁ』と笑顔を浮かべた。
そんな二人のやり取りを見ていた佐藤の部下二名は、戦慄に満ちた表情を浮かべて、ただ震えていた。
「追加で十分程度の説教をした。これで暫くの間は、真面目に仕事をするだろう。佐藤が真面目に仕事をしない時には、私を呼べ。現場が月面基地であっても、必ず出向く」
「もしも、武藤教官が仰った通りになったのなら、必ず連絡を入れますわ」
武藤の提案に、佐藤の部下では無い大林が笑顔で対応する。
二人の女性が笑い合う姿を見て、佐藤の部下二名は、奇しくも同じ事を思った。
……今代の幹部じゃなくて良かったー。俺、あのノリには、絶対に付いて行けねぇわ。
二人の男性にドン引かれているとは、露程も思っていないであろう二人の女性はただ笑い合っていた。
一方、室内では。
尻の痛みで椅子に座れない佐藤が、立ったまま仕事を続けていた。
ツクヨミにやって来た般若は、翌日の夕方発の便に乗って去った。
だが、高橋と佐藤が武藤に尻を叩かれた話は尾鰭を付けてツクヨミ内全域に広まり、何時しか次のような事が語り継がれるようになった。
「真面目に仕事に向き合わないと、般若が尻を叩きにやって来る」
嘘か真か、真偽不明な迷信に近い文言だ。
けれども、この迷信がツクヨミ内に広まる少し前に、二人の大佐が謎の人物に尻を叩かれた事実が広まっていた。その為、迷信にしては現実味が有るように語り継がれ、一種の戒めのように日本支部に残った。
余談になるが、高橋は日付が変わる直前の便に乗って月面基地へ発った。
月面基地へ向かう便へ搭乗間際。
高橋は出発の見届けに来た姫川から武藤の伝言を聞き、尻を押さえて逃げるように搭乗した。
到着した月面基地でも高橋は、『尻叩きは嫌だ』とうわ言のように呟き、多くのものを困惑させた。だが、誰一人として、真相を調べようと動いたものはいなかった。
サブタイトルは『般若からは逃げられない』にするか迷いました。
名前だけ何度か登場している相良の見た目は、黒髪黒目で身長が百六十ぐらい伸びた、ナイツアンドマジックのエルが近いです。




