おまけ 十年振りの再会~松永視点~
十一月二十七日木曜日の十五時過ぎ。
この日、訓練学校はツクヨミから公式視察隊を受け入れた。視察隊の公式人員は三名と少ないが、中将一名と大佐二名で構成されていた。
その夜。
松永は新学長の如月に招かれ、彼の自室を訪れていた。
「――と言う訳で、公式に訓練学校にやって来た人数は三人にしようかと思っている」
「前触れも説明も無く、随分と唐突だな。その手の相談は佐久間支部長にしろ」
松永はショートブーツを脱いで室内に上がるなり、如月の口から公式に残す文章内容を語られただけでなく、意見まで求められた。如月と付き合いの長い松永は、困惑すらせずに判断を別のところに丸投げした。
意見を求めたのに速攻で拒否された如月は、不満を顔に出すどころか、松永の反応を無視して備え付けの冷蔵庫からワインボトルを取り出した。
冷蔵庫から出て来たワインボトルを見た松永の眉根が寄る。
「これは美味しい国産の葡萄ジュースだ。流石に、未成年がいる訓練学校にアルコール飲料は持ち込まないさ」
「ならば良いが、本当に葡萄ジュースなんだな?」
「ははは。お前を酔い潰して私に一体何の得が有るのか、教えてくれないか?」
「……それもそうだな」
松永は、如月が酒に強く無く、また好む訳でも無い事を思い出した。
それでも松永は『かつての癖』で、如月の手からワインボトルを取り上げて、ラベルに書かれている内容を読んで『アルコールが含まれていないジュース』である事を確認した。
松永の行動を見た如月が小さく噴き出した。
「その癖は直らないのか?」
「直さなくても困らない癖だ。直す必要は無いし、今は身を守る方を優先した方が良いからな」
「あれ? 試験運用隊に女性は一人しかいないんだろう? しかもまだ十五歳」
戸棚から二人分のワイングラスを持って来た如月の発言通り、試験運用隊に所属している女性は星崎一人だけだ。星崎は未成年者なので、アルコール飲料物とは無縁でいなくてはならない。
だが、ルピナス帝国にいる星崎の知り合いは、そんな事など知らぬと言わんばかりに、大量のアルコール飲料物を彼女に送って来た。星崎は送られて来た殆どの品を送り返し、他のものに飲ませるなどの対応を取った。松永的に、星崎の対応が手馴れているところが気になる。
如月がシックな色のラグマットの上に設置されているローテーブルにワイングラスを置いた。スツールなどは無いので、二人ともラグマットの上に並んで座った。椅子代わりにするクッション類は無いので二人とも胡坐をかいた。
「最近になって、状況が色々と変わった。変に高級な酒が大量に来て、工藤中将が一度悲鳴を上げた」
「工藤中将が悲鳴を上げた経緯は聞かないでおくよ。酒瓶と触れ合う機会が増えたんだね」
「酒瓶を小動物と一緒にするな」
松永は指摘ならぬ突っ込みを入れながら、如月にジュースのボトルを返した。松永からボトルを受け取った如月は、ボトルの栓を抜き、ローテーブルの上に置かれた二つのワイングラスに中身を注いだ。
ワイングラスに澄んだ赤い液体が注ぎ込まれるので、一見すると赤ワインにしか見えない。だがこれは、果汁百パーセントの葡萄ジュースだ。
「それじゃ、十年振りの再会を祝って」
「確かに、お前とこんな風に何かを飲むのは十年振りだな」
二人はワイングラスを手に取り、グラスの縁を軽くぶつけて乾杯した。
松永はワイングラスに口を付けて、一口飲んだ。アルコール特有の苦みは無い。赤ワインの特有の渋みも無い。甘味料の入っていない上品な甘さの葡萄ジュースだ。
「私も何か持って来れば良かったな」
「ははは、ジュースを飲むだけなんだぞ。酒のつまみは要らないだろ」
「クラッカーも要らないか?」
「夜も更けて来たから要らないかな」
二人で軽口を叩きながら、少しずつ葡萄ジュースを飲み、互いのこれまでを語り合う。
この十年間は色んな意味で長かった。
大量の負債を残し、無謀な作戦で多くの人材を無駄死にさせ、三代目上層部が立て直した日本支部をボロボロにした、先代上層部の負の遺産を全て帳消しにするのに時間が掛かった。
その負の遺産の影響は、未だに残っている。
十年前まで『同期で上官と部下だった』松永と如月も、先代上層部が残した負債の影響を受けた。
「いやぁ、教員免許を取って士官学校で研修を受けたら、母校に行けるのかと思っていたのに、本国の無能政治家共の妨害が酷かったんだよねぇ」
「下手をすれば中国支部のようになりかねないと言うのに、よくもまあ、ここまでの事が出来るものだ」
「ん~、多分だけど、支部長を取られた事が原因じゃないかな? 嫌がらせしか出来ない無能の報復って奴?」
「お前は何を言っているんだ? 佐久間支部長を防衛隊から引き抜いたのは初代支部長だ。しかも、その頃の佐久間支部長は、まだ防衛隊育成学校の『事務科』に通っていたんだぞ?」
「当時の支部長は事務科の生徒だった!? ……それで初代支部長は『名伯楽』って言われていたのか」
「私が聞いた限りだと、体育の授業をサボる口実で、道に迷った来客の老人の将棋の相手をしていたら、士官学校の艦長育成コースに強制的に編入させられたらしい」
「うん。お前の言っている意味が解らない。将棋を指しただけで引き抜かれるとか、訳が分からん」
「当然の反応だな。ま、一番困惑したのは佐久間支部長だろうな」
話を聞かされた当時を思い出した松永は、ワイングラスに残っていた残りの葡萄ジュースを一気に飲んだ。空になったワイングラスに、松永が二杯目の葡萄ジュースを注いでいると、如月が小さく声を上げた。
「そうそう、我が日本支部で『優秀』とされる人には、変な共通点が多いんだよね」
「共通点? 何が在るんだ?」
日本支部の優秀な人材の共通点が存在すると聞かされて、咄嗟に松永は二人の人物を思い浮かべた。
その二人の人物は、佐久間支部長と星崎だ。
だが、この二人に共通点が在るとは思えず、松永は『間違いでは無いか』と首を捻った。
「運動が苦手なのに逃げ足だけはやたらと速いとか。日頃から手抜きかサボり癖が有るとか。同年代の同性と比べて、変に小柄だとか。外見年齢と実年齢が噛み合わないとか」
「……一体何の冗談だ」
耳を疑う内容だった。同時に思う。誰がこんな共通点を見出したんだ?
「おや? 該当するのに喜ばないのかい?」
「どこをどう喜べと言うんだ。遠回しに私を貶していないか?」
「ヤダなぁ。お前を貶すとあとが面倒だからやらないって」
「こいつで一発殴っても良いか?」
「中身が勿体無いから止めなさい」
松永はボトルの首を掴んだが、如月に手をゆっくりと剥がされた。
葡萄ジュースをほぼ飲み終えてボトルは空になった。松永が『そろそろ引き上げるか』と考え始めた頃。
如月が酔っぱらってもいないのに顔を緩めて、松永と肩を組んだ。
「そー言えばさ、お前は何で髪を切ったの?」
「髪を切るのに一々理由が要るのか?」
「だってさ……。誰に何と言われようとも、理由を無理矢理こじ付けて髪型を維持していた奴が、急に髪を切ったらどうしたんだって思うのが、人情だろ?」
「何が『人情』だ? 『下世話な勘ぐり』の間違いだろ? 単に見分けと言うか、区切りが付いただけだ」
松永が如月から視線を逸らして回答した。如月にとって、この回答は予想外だったのか。三度も目を瞬かせた。
「あれ? 顔以外全く似ていないのに、そんなに意識していたの!? どこまで拗らせてんのさ」
「喧しいっ!」
言い返せなかった松永は如月の頭を手で叩いた。如月が頭部の痛みに気を取られた瞬間、松永は肩の腕を振り払ってボトルに手を伸ばしたが、寸前のところで如月に奪われた。
ボトルを両手で抱えた如月は俊敏な動きで壁際まで退避する。
「待った! 流石にコレで頭を叩いたら、殺人事件になる」
「お前の頭はそこまで軟じゃないだろ!」
「いやいや、人間の頭蓋骨は思っている以上に薄いんだよ!? あと、変に騒ぐと武藤教官が呼び出されるからね!」
「………………ちっ」
「舌打ちするまでの時間が長いぞ」
「だったら挑発をするな」
「コレが挑発になるって……、もういいや」
「何が『いい』んだ? 何が?」
「あー、はいはい。他の教官の迷惑になるからここまで! 明日は無いからな」
「だったら今、一発殴らせろ」
「もう一発殴ったじゃないか。大体、ず――おっと」
如月が口を滑らせ掛けた直前、松永の拳が鳴った。松永の拳が鳴った音を聞き、如月は口を閉ざした。これ以上松永が暴れると、近隣の部屋に迷惑が掛かると判断した如月はボトルを持ったまま片手を上げた。
「あー、はいはい。私が悪かった」
如月が観念した事を確認した松永は拳を解いた。
「下世話な勘ぐりも大概にしろ」
「はいはい。悪かったって。でも、そこまで怒る必要は無いだろ?」
「……減らない口はどこだ?」
松永が目を光らせると、今度こそ、如月は黙った。その様子を見て、松永は鼻を鳴らした。肩を竦めた如月を無視して、松永は座っていた場所に戻り、ワイングラスに残っていた葡萄ジュースを飲み始めた。
松永が再び立つ気配が無い事を感じ取った如月は苦笑しながら席に戻る。
「藍沢が絡むと過剰反応するところは変わらないな」
「喧しい」
「あの別れじゃ無理ないけど、彼女の事は『調べた』のかい?」
「……一応は調べた」
何をと言う、大切な単語をを抜いて如月は松永に問い掛けた。足りない言葉が何かを察した松永は嘆息を零してから短く回答した。
如月は松永が浮かべた表情から、調べた事で抱いた彼の感想を読み取った。
「感想は聞かないぞ。私も調べたが、遺伝子って凄いな」
「確かに、そうだな」
松永は如月の感想に同意した。そして、顔を見合わせた二人は同時に嘆息した。
「他の支部の奴に会わせたか?」
「偶然会わせる事になった。クライン少佐に『隠し子』扱いされたな」
「ここまで似ていると、そう勘違いされるのはしょうがないだろ」
「夜の魔王だの、夜の帝王だの、言われなければ、苦情は入れなかったな」
「妄想癖は直っていなかったのか」
「しかも、その場には意味を知らない子供が一人いてな。意味を聞かれたクライン少佐は『若い子は知らなくても良い』と墓穴を掘った」
「ははっ、随分と痛い墓穴だね。四十路に入るとこうなるのかな」
「それは知らん」
松永のにべも無い回答に、如月は再度小さく笑った。
そのまま、互いに最後の一杯を飲み干し、天井を見上げた如月がポツリと零す。
「この十年間、たまに『十年前、お前の副官を辞めないでいたらどうなっていたのかな』って、思う時が在った」
「確かに如月がいたら楽だったと思うが、代わりに訓練学校の方が大変な事になりそうだな」
松永はこの十年間を思い出した。
誰かの手を借りたいと思う程に、毎日が大変だった。余りにも忙し過ぎて、松永が覚えている範囲では、過去を振り返り感傷に浸る時間すら無かった。その日の仕事が終わったら、泥のように眠っていた。
「そう言えば知っているか? 法律上、私立の学校では限定的な扱いだけど、教員免許が無くても教員になれるんだ。あと、校長になるにも教員免許が要らないらしい」
「何の冗談だ?」
「始めは私もそう思った。ま、ここは色んな意味で例外的な学校だから、これまでは見逃されていたらしい。本国に苦情を入れて、二度と見逃さないように『次は阿修羅を背負った武藤教官と二者面談だよ』と、忠告した。今いる教官の中で、免許を持っていないものにはちゃんと取得させる予定だ。夜間に武藤教官が教鞭を取って、勉強会を開いている」
「それは忠告では無く脅迫だ。教員免許取得に関しては良いと思うぞ。だがな……、飯島大佐から聞いたんだが、武藤教官が背負うのは『般若』では無かったか?」
「それがね。この十年間で身長が十センチ伸びると一緒に謎の進化を遂げたらしくて、武藤教官が怒髪天を衝く勢いで怒ると、阿修羅が出現するようになったんだ」
訳が分からないねと、声を上げて如月は笑った。
松永は般若の面がどんなものか知っていたが、流石に阿修羅の姿は知らない。
如月に尋ねると、『インド神話では悪神か鬼神扱いだけど、仏教界では守護神として扱われている。見た目は、三つの顔を持った人間みたいな姿』だと、教えられた松永は『言い得て妙』だと納得した。
疚しい心を持った男性から見ると悪神・鬼神に見えるだろう。だが、女性(特に女子生徒)から見ると、自分達を守ってくれる素晴らしい存在になる。
松永は武藤教官に対して『普段から阿修羅を背負えば良いのに』と素直に思った。けれど、面と向かい合ったものに対して威嚇するのなら、般若の方が最適だ。
「話は変わるけど、夜間の勉強会は見るか?」
「視察で来ているからな。見るに決まっているだろう」
「じゃあ、行こうか。松永の激励は効果が有りそうだな」
「……ほぅ。ならば、激励を確りと行わなくてはならんな」
効果の意味に気づいた松永は笑みを浮かべた。如月は松永の目が笑っていない事に気づいたが、特に何も言わなかった。
顔を見合わせた二人は声を上げて笑い、どちらからともなく立ち上がり移動した。
そして、この日の教員免許取得勉強会は、緊張感溢れる時間となった。
松永は激励を言うついでに『私が支部長だったらこんな状況は許さない』と、免許未取得者達の顔を見回した。
この発言がフラグだったと松永が知るのは、何年も先の事だ。
松永の発言は、如月がこっそりと佐久間に知らせました。
ネタバレになりますが、六代目の日本支部長は星崎佳永依ではありません。




