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理想郷で恋を編む  作者: 稲井田そう
天才の初恋
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終わりのとき

 天津ヶ丘高校の美術部員は、毎年人数が少ないらしい。今年も部員数は一年生と二年生、三年生がそれぞれ一人ずつの計三人しかいない。だから四月のうちから絵を描き溜めて、文化祭が盛り上がるようにするそうだ。だから美術室は人こそいないものの、たくさんの絵が美術室の壁一面に展示されていた。大きなクジラや、果物の絵。幻想的な風景画から、肖像画。油や水彩、アクリル絵の具と色んな画材を使って、額縁も立体的なものからシンプルなアルミフレームが並ぶ中、やっぱり一番目立っていたのは、だいちゃん先生の絵だった。


 パネルに描かれた先生のお姉さんは、絵の中で優しく微笑んでいる。柔らかな極彩色の花畑の中で、光を燦々と受けながら、こちらに向かって微笑んでいた。


「お、園村、見に来てくれたのか。よく描けてるだろう?」


 ガチャリ、とドアノブの音がしたかと思えば、先生が美術準備室から出てきた。その笑顔は学校でよく見る溌溂として、太陽みたいな笑顔だけど、どこかうら寂しい。


「先生……」


「今日の明け方まで描いてたんだよ。コンクールは四日後だけど、どうしても文化祭に出してやりたくてな」


 ははは! と笑いを交えて先生は私の隣に並んだ。優しい声が、今朝、確信してしまった結論と剥離して、きゅっと胸が締め付けられた。でも、私はここできちんと先生に問いかけなければいけない。真実を、知ってしまった以上は。


「だいちゃん先生のお姉さんって……もしかして、四つ切高校出身だったり……しますか?」


 問いかけると、先生は隠す素振りもなく「そうだぞ」と肯定した。「俺がOBで、姉貴がOGになるな」と、教卓に立ち、黒板消しで黒板を綺麗にしていく。白っぽくなっていた緑面は、先生が拭く度にきれいになっていった。


「俺のいた頃すげえ荒れてたけど、こんな綺麗になるなんてなぁ……びっくりするわ。バルーンリリースなんて小洒落た行事も無かったし、文化祭もクソだったしな。ちょうど沖田の兄ちゃんの代だったか、始まったの」


「沖田くんの、お兄さんの代……?」


「ああ。始めは文化祭始まる前にやってたんだよ。色々偏差値あげて整わせても、やっぱり近所からの印象は少し悪くてな、だから、カラフルな風船がいっぱい飛んでる学園祭にしたい――って、文化祭委員が企画したらしい。ただ、最初は批判も多かったけどな、危ないって」


 バルーンリリースには、純度の高いガスを使わなきゃいけない。それは火がつきやすくて、爆発しやすい。それもあるけれど、ガスを誤って吸ってしまうと呼吸困難に陥るらしい。昨日の夜、調べて分かった。ガスは無臭で、漏れていても気づきにくいそうだ。味も色もなく、吸っていても気づかない。眠るように意識を失い――死に至る。


 バルーンリリースには風船がたくさん必要だし、膨らましている間に事故が起きない保証はない。それに、純度の高いガスであればあるほど、手に入れることは難しい。簡単に手に入れるなんて出来ないのだ。


「でも、生徒の力ってすごいよな。批判されたイベントが、今は文化祭の目玉だ。バルーンリリースを一緒に見た二人は結ばれるなんてジンクスまであるんだろ? すごいよなぁ」


 先生は、窓の外へ視線を移す。その笑顔は優しい先生そのもので、とても四人の人たちを殺した殺人鬼には見えなかった。


「どうして――先生は、人を殺したんですか? 大家(たいか)先生」


 今まで、こんな質問を人にしたことはない。多分、今日が最初で、最後だろう。昨日まで生徒が授業を受ける為にその役割を担っていた机と椅子は、今は文化祭で皆を愉しませる為に置かれている。だから、私たちを取り囲む机と椅子はところどころ欠落があって、より一層異質な空気を醸し出していた。


「なんだ、突然。面白いことを言うな園村。今流行りのTPRPGってやつか?」


「……青薬荘ってアパートに住んでいる、大家さんってお婆さん、先生のお母さんですよね? 私、見たんです。先生の描いている絵と全く同じ人の遺影が、お婆さんの部屋にありました」


 今朝、私は先生の描いていたパネルを確認した。そして、あの緻密に描かれていた絵の女の人は、やっぱりお婆さんの部屋で一瞬だけ見えた遺影と同じ顔だった。それから、図書室にあった歴代の卒業生が載っているアルバムを見たけれど、そこには連続殺人事件の被害者の人たちと名字が同じ生徒たちの他に――先生の、お姉さんらしき人が写っていた。


「そのお婆さんと俺が親子だからって、何の関係がある?」


 告解をまるで求めていない静かな瞳で、大家先生は首を傾げた。たいかという読みなのに、ダイヤと読んだ生徒がいたことから、先生はだいちゃんと呼ばれることとなった。流石にだいちゃんと呼ぶのが気まずい生徒はだいちゃん先生と呼ぶようになったけれど、ニックネームの元になった宝石と同じくらい、眩しさと強さを持った先生は、もうどこにもいない。


「お婆さんの家の前――青薬荘に向けて、町内会長の梨塚さんが防犯カメラを設置していたんです。お婆さんが、ゴミを捨てる決まりを守らないからと。今朝、その映像をお願いして見せてもらいました。そうしたら、沖田くんのお兄さんが捕まる前、なしづかアパートに向かって歩いていく先生の姿が見えました。沖田くんのお兄さんが捕まったきっかけとなった証拠が入っていたゴミ袋と、監視カメラを照らし合わせれば、先生がそれを捨てたと分かるはずです」


「違法な手段で手に入れられた証拠は、証拠扱いにならないんだぞ?」


「だから、私は自首してほしいとお願いをしに来ました。先生は、ずっとお姉さんの復讐をされていたんですよね……?」


 梨塚さんに、防犯カメラの映像を借りたいとお願いした時、私はそこで、天津ヶ丘高校――昔の四つ切高校が荒れ果てていた時代に起きた事件について聞いたのだ。それは、女子高生がいじめに耐えかね、自殺したというもの。真面目で優しい生徒は、荒れたクラスメイトをまとめようとした。文化祭をきっかけになんとかクラスをいい方向へ持っていこうとした結果――いじめられ、最終的に校内で自殺をした。


 バルーンリリースは、はじめそんな彼女を追悼する目的で行われたらしい。しかしその意図は次第に風化し、今ではただの文化祭のイベントのひとつとなり、さらに学校名や校舎も変わり、学校から彼女の死の痕跡は、跡形もなく消えた。


 そしてその彼女の弟が、大家先生だったのだ。


「大家先生のお母さんは、多分、先生が何をしているか、全て分かっています。ただ、貴方の行動を真っ向から止めることは出来なくて、生徒の家族を犯人に仕立て上げることも嫌で……刃物を捨てたり、自分が目立つ行動を取ろうとしていたんだと思います」


「……生徒の家族じゃねえよ。沖田は、姉さんを殺した馬鹿な奴らの血を引いてる。それも、主犯のな」


 先生が、血を吐くように私を睨んだ。けれど、すぐに悲しげな顔で、視線を落とした。


「もっと、沖田が馬鹿みてえに、呑気に暮らしてたら、復讐し甲斐もあったんだがな……」


「先生……」


「上の兄は、なんとか家出ようと必死に働いて、工場と解体業者かけもちで、財布落とした男見て、盗むか盗まないか悩むくらい追い詰められて、高校生と幼稚園の兄弟養おうと必死でさぁ。クソみたいに苦しんで……」


 先生は、「本当、馬鹿みてえだな」と、黒板消しを手から離した。すぐにサッシに着地したそれは、僅かな粉を舞わせている。


「美術の教師になりたいって夢は、ずっと姉さんの夢だったんだ」


「お姉さんの……?」


「ああ、優しくて、真面目で、絵描くの、すげえ好きでさ。俺が描いてっていったもの、何でも描ける人だった。小さい頃は画用紙に好きな漫画とか、アニメとかのキャラ描いてもらって、幼稚園とか小学校で、皆に自慢してた。でも、俺中学受験失敗してさ、親に、ボロカスに言われて……ガキみたいにグレて、遊び歩いてたりしてたんだよ」


 大家先生が、教卓を降りた。先生はゆっくりとこちらに近づいたかと思えば、飾られたお姉さんの絵の前に立った。


「俺は荒れて学校なんて行ってなかったけど、姉さんはいじめられて――死んだ。美術部で絵を描いてたはずなのに、一枚も返ってこない。燃やされてたんだろうな。それで学校が名前変わったって聞いて、姉さんのこと消そうとしてんのかなって。校舎も変わってさ、姉さんが死んだことすら、皆に忘れられていく。許せなかった。でも、死ぬなんて簡単だろ。姉さんにとって死ぬことは救いだった。俺にとっては地獄だったけどな。だから。だから、姉さんをいじめてた奴らの――家族を殺したんだ」


 その言葉に、最後の疑問が溶けていくようだった。先生のお姉さんの代と、今までの被害者とは致命的に年代が合わない。きっとお姉さんのクラスメイトを殺していたのなら、警察の人だってすぐに犯人に辿り着き、捕まえていただろう。

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