78話 三文の徳
ミーンミーンと甲高い蝉の鳴き声が聞こえてくる。
夏の風物詩であるそれを今は少しだけうっとしく感じた。
吹き出る汗をシャツで拭うと、うだるような暑さが夏の到来を実感させてくれる。
その強烈に過ぎる太陽光を避けるべく俺は木陰へと移った。
「あちー、これも地球温暖化の影響か?自然は大切にしなきゃな」
そう呟く俺の目にはあたり一面木々やら蔓やらで覆われた大自然が広がっていた。
少なくともこのあたりには自然保護の必要性はないらしい。
「こんなに暑いならやっぱプールにしとけば良かったかなあ?でも今度小太郎と川に行く予定だし」
いつも遊ぶ小太郎は夏休みの自由研究で服を作ると息巻き、家に引きこもって出てこない。
一度言い出したら聞かない奴だ、服が出来上がるまでは一人で遊ぶしかないだろう。
「しゃーねーし俺も自由研究やるかー」
宿題はさっさと終わらせて残りの夏休みを満喫するというのも悪くないとそう思った。
小太郎には負けてられない、自分もまた何かをやってやろうと子供心に闘志を漲らせていた。
「つっても俺って特に何かやりたい事があるって訳じゃねーんだよなー」
例えば小太郎なら実家の家業を継ぐためにやることもあるのだろうが、俺には継ぐべき家業などない。
というか親が何してるか聞いても「ガキが気にすることじゃねえよ」と一蹴されるのがオチだ。
「やるべきこととか言われてもピンと来ないし、今は自分のやりたいことやるかな!」
そう考えた俺はこうして汗だくになりながらも町外れの山へと来ていた。
小遣いをバス代にもっていかれるのは痛いが、それを差し引いても調べたいことがあったのだ。
「町外れの山の中にあるボロ屋敷には幽霊が出るってほんとかなー?」
その筋では有名な話なのだが。
郊外にあるボロボロのお屋敷、誰もいないはずのそこで最近人影を見たらしい、その人影というのが着物に袖を通した顔も覆い隠すほど長い黒髪をしていたとか。
「幽霊だ、きっと幽霊に違いない、もしそうなら友達になろう」
物心ついたときからこういう不思議に心惹かれることが多かった俺はこの時もまた調査に乗り出したのだ。
自由研究を兼ねて自らの好奇心も満たす一石二鳥の作戦、我ながら完璧である。
「おっと、見えてきたなー、あれが幽霊屋敷か」
生い茂る樹々をかき分けて進むことどれほど時間が経っただろうか?
山の中に建てられたその屋敷は子供から見てもかなり大きく映り、そして寂れてもいた。
なるほど、確かにこれは何か出そうな雰囲気がある。
そうこなくては面白くないと、舌なめずりしながら塀近くに生えている木をするすると登っていく。
枝が伸び、屋敷の中まで侵入しているものを選んで堀を超えて屋敷内へと侵入していく。
太い枝も子供の体重では折れることなくしっかりと支えてくれた。
「さーて、中はどんな様子かなっと」
立派な不法侵入だがそれ以上に好奇心が優った。
堀の上から屋敷を一瞥し、縁側に座っている一人の少女が居た。
(あれが噂の幽霊か?)
人形のように整った顔立ち、艶やかな黒髪と憂いを帯びて瞳を伏せる仕草が妙に心を引き寄せる。
今まで出会ったことのないタイプの美少女に思わず目を奪われていた。
「はー、友達が欲しいなぁ」
「じゃあ俺が友達になってやろうか?」
少女に見惚れていると、その可愛らしい口から溢れた願いに思わずそう答えていた。
「誰っ!?」
突然話しかけられた声に少女は驚き、声の持ち主を探している。
どうやらお目当ての幽霊ではないようだが、これはこれで面白そうだ。
「どこ見てんだよ? ここだよここ!」
そういって少女が木の上にいる俺を見上げた時の表情は、今でも覚えて……覚えて?
ーーー
ーー
ー
「うわぁあああああ!?」
叫び声をあげながらベッドから飛び上がる。
怖い夢を見ていたわけではなかったはずなのに、とてつもなく大きな喪失感が胸を焦がす。
「なんなんだ一体?」
最近妙な夢を見る。
いつからこんな夢を見始めたのだろうか?
確か星見ヶ原アリーナから戻ってきた次の日からだったか。
「とりあえず水でも飲むか」
寝汗でベタベタになった服を脱ぎ捨てて着替える。
失った水分を補給するように蛇口を捻ってコップ一杯に注ぎ込み、一気に飲み込んだ。
「ふぅー、生き返った……」
カラカラに乾いた喉を潤し、一息つく。
しかし未だ取れ切れない不安だけが胸に残った。
「そうだ、ナニィは今日……どうすんのかな?」
今日も学校はある。
きっとメチアもそこに来るだろう。
昨日はまさかプリンセスが学校に現れるとは思っていなかったが、この状況なら出来るだけ近くに居てもらいたいが。
そう考えてナニィに当てがっている一室に足を運ぶ。
理由をつけているが、この時の自分は不安を解消するために誰かの声が聞きたかったのだろう。
「ナニィ? 今起きてるか?」
「ムクロさんですか?起きてますけど、ちょっと待っててくださいね、ちょうど今は……」
若干焦ったような声が聞こえた気がしたが、余裕のない俺にそれを考慮する余裕はなかった。
「悪い、入るぞ?」
「へっ?ちょっ、待っ!?」
ドアノブに手をかけて軽く捻るときぃと軋む音を立てながら扉が開かれる。
「おはよう、今日のことなんだけ……ど?」
貸し与えられた時のまま、綺麗に片付けられている部屋の中。
こちらに来てから未だ日数が少ないためかいくつかの衣服が置いてあるだけでナニィの私物はほとんど置かれてはいない。
殺風景ともいえるその部屋で、今まさにピンク色の下着を履こうとしているナニィが居た。
突然の侵入者に固まっている少女の白い肌、柔らかそうな双丘に、日光を浴びてキラキラと反射する美しい白銀の髪が辛うじて見えたらまずいところを覆い隠していた。
「いつまで見てるんですか!?早く出て行ってくださーい!!」
羞恥に染まるナニィの一喝で慌てて退散して、部屋の扉を閉める。
ぼーっとしていたとはいえ、いきなり扉を開けてしまったのは失敗だった。
「早起きは三文の徳……かぁ」
この後でめちゃくちゃ怒られるだろうなーと思いながら苦笑する。
その時にはもう胸にあった不安は不思議と薄れていた。




