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セリーヌに付き添われるように王太子室に入ってきたクロエは、
見るからに緊張しているようだった。
王太子である私の前に出ても堂々としているセリーヌとは対照的に、
おどおどと自信なさげにしているクロエ。
金髪緑目で見た目から高位貴族なのがわかるセリーヌと、
茶髪茶目で平民と変わらない色をもつクロエ。
もちろん女官として採用されているクロエが平民なわけはない。
少なくとも貴族令嬢で、学園で優秀な成績をおさめているはず。
それなのにこの落ち着きのなさはどういうことだろう。
顔色が悪いのかと思ったが、厚塗りの化粧のせいで真っ白に見える。
地味な印象を受けるのに、白粉だけは厚塗りなのが気になる。
「王太子様、クロエを連れてまいりました。」
「ありがとう。それではセリーヌは退室していいわ。」
クロエから話を聞くのにセリーヌを同席させるわけにはいかない。
これから報告書の筆跡が四人も同じことを確認することになる。
どう見てもクロエが清書しただけではないとなると、
誰かが仕事を押し付けられていることが考えられた。
一応はセリーヌも疑わなければいけない対象だ。
そのためクロエだけを残そうとしたら、二人とも動揺している。
セリーヌはクロエを見て心配そうにしているし、
クロエはセリーヌに縋るような目をしている。
…仲良しなのはわかったけど、クロエから話を聞かなければいけない。
少しの間をおいて、セリーヌは礼をして退室した。
最後まで不安そうな顔をしているクロエを気にしながら。
「急に呼び出してごめんなさいね。
この、セリーヌの報告書なのだけど、クロエが清書したので間違いない?」
「えっ。あ、はい。」
「セリーヌが書いた報告書をそのまま清書したということ?」
「は、はい。そうです。間違いのないようにそのまま清書しました。」
なるほど。では、この報告書を作ったのはセリーヌでいいらしい。
では、残りの三人の報告書は誰が?
「クロエの字はとてもきれいな字ね。
丁寧に書いてあってとても読みやすいわ。
セリーヌの他にも清書を頼まれていたりする?」
「……いえ。セリーヌだけです。」
「…そう。わかったわ。」
清書を頼まれているのはセリーヌだけ。
その言葉に嘘はないような気がするけれど、では他の三人はどうして。
聞こうと思ったら、クロエの手が震えているのが見えた。
左手を右手で握りしめるようにぎゅっと押さえつけている。
その手を見て、既視感を覚える。
…これは、クロエから聞き出すのは無理かもしれない。
そういうことなのね。
「ごめんね。クロエの字がとても綺麗だったから気になったの。
セリーヌの清書のことも本人から聞いているわ。
女官長の目が悪いから、読みやすいように清書しているって。
これからも頑張ってね。」
「あ、ありがとうございます…。」
ホッとしたようなクロエに、もう退室していいと告げる。
最後までおどおどした態度のまま、ぎこちなく礼をしてクロエは退室していった。
「すぐ帰しましたね。クロエに聞かなくて良かったのですか?」
なぜクロエに直接聞かなかったのか、デイビットは不思議そうに尋ねてくる。
わざわざ呼び出したのに聞かずに帰したのだから、
デイビットが疑問に思うのも無理はない。だけど…。
「…クロエ、多分誰かに暴力を受けているわ。」
「え?」
「隠してた左手の甲が少し見えたの。痣になってた。
それに、化粧で隠してたけど、頬がはれてた。誰かに叩かれたんだわ。」
「…それがあの報告書に関わっていると?」
「それはまだわからないけれど、かなり怯えていた。
無理に聞き出すのはまずいかもしれないと思って聞かなかったの。」
握りしめていた手が赤黒くなっていたのが少し見えた。
自信の無さそうな態度、怯えて震えていた身体。
…いつかの、前女官長の前に立たされた自分を思い出す。
あれはもうずっと虐げられている者に見えた。
「そういうことでしたか。
クロエの資料ありましたよ。クロエ・バランド。
バランド伯爵家の長女ですね。
女官になってから担当者になったことはないです。
ずっと雑務担当ということになっています。」
「どうしてずっと雑務担当なの?
セリーヌと同期なのでしょう?」
「そうですね…もう女官になって七年もたってますし、
普通ならニ、三年でどこかの担当者になっているはずです。」
デイビットもおかしいと思うのか、首をかしげている。
もっと詳しい資料は無いかとデイビットに聞いたら、
クリスがクロエのことを知っていた。




