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謁見室で今日の出来事をお祖父様に報告し、今後についても話し合った後、
王太子の仕事をするために王太子室に来たのはいいが、さすがに疲れていた。
お祖父様の怒りようもすごかったし、レンキン先生やオイゲンも怖かった。
カイルが責められているわけじゃなかったのが幸いだけど、
クリスも他のみんなも誰一人アンナを庇うものはいなかった。
すぐさま退学させて辺境伯領へ送り返せと言われたのは、
なんとか思いとどまってもらったものの、学園長からの注意は免れない。
次何かあれば即退学という警告をすることで一旦落ち着いた。
「ソフィア様、とりあえず少し休憩しましょう。
このまま仕事しても進まないと思いますよ。」
「そうね…。」
謁見室に立ち会っていたディビットも事情はわかっている。
王太子室の奥の小部屋に入り、ソファに沈むように座る。
カイルとクリスも座ると、ディビットがお茶を淹れて戻ってきた。
「今からソフィア様の侍女を呼んでも時間がかかりそうだったので、
私が淹れてきました。
それほどまずくはないと思うので我慢してください。」
「ありがとう、ディビット。大丈夫、美味しいわ。」
リサとユナを呼ぶよりも自分で淹れたほうが早いと思ったんだろう。
王太子室付きの侍女がいなくても文句も言わずに働いてくれるディビットには、
いつも本当に助かっている。
「さきほど立ち会っていた文官が学園に向かいました。
学園長と一学年の教師に報告されることになります。
近衛騎士も増員されるので、今日のようなことは起こりにくいとは思いますが…。
必要でしたら護衛騎士も増やします。」
「今のところは増やさなくていいよ。俺とカイルがついているし、
ダグラスもそばにいる。直接姫さんに何かしてくることはないだろう。
カイル…今回は手紙で連絡来てなかったのか?」
「夜会の件でイリアを助けなかっただろう?
そのあと辺境伯から抗議の手紙が届いた。
イリアを助けないとは何事だと、な。
だから、今後は一切手紙を受け付けないと返信しておいた。
王宮に届いてたとしても送り返されているよ。」
「……あぁ、そういえば。
カイル様宛ての手紙は受け付けないようにと言われてましたので、
すべて送り返してあります。
辺境伯からよりも令嬢たちからの手紙がほとんどですけど。」
カイルの父親は孫が産まれないからとカイルに愛人を作らせようとしていた。
イリアのことがあって連絡を絶ったのもあるだろうけど、
きっと愛人の件も頭にきていたんだろう。
手紙の受け取り拒否は今後一切関わらないと宣言したようなものだ。
「それにしても学園から注意を受けたくらいで、
あの令嬢の行動が変わると思う?」
「俺は変わらないと思うな。
気に入ったからといって護衛騎士を金で買おうとするなんて、
どうやったらあんな傲慢な令嬢に育つんだか。」
「…きっとアンナは辺境伯領地が世界で一番豊かな土地だと思ってる。」
「は?」「え?」「…それは、またすごい誤解ですね…。」
「嘘だろう。悪いが、あの領地はお荷物でしかない。」
私とクリスとディビットは領地の税などの数値をすべて把握している。
当然、辺境伯領地が豊かではないことも知っている。
もちろん同じ仕事をしているカイルもわかっているはずなのだが…。
「俺は領地にいた頃、ずっと自分の部屋に閉じこもっていたけど、
外から使用人たちの噂話は良く聞こえていた。
だから俺も王都に来て学園で学ぶまでそう思っていた。
アーレンス領はチュルニアとユーギニスが奪い合うほど大事な土地なんだと。
だからユーギニスになった後も王族と対等の地位を与えられていると。」
「あー知らなければそう誤解しても仕方ないかな。
だが、チュルニアからユーギアスになった時に文句を言われなかったのは、
アーレンス領が役に立たないお荷物だったからだろう。」
カイルの故郷だとしても遠慮がないクリスがはっきりお荷物という。
確かに辺境伯領地はそう呼ばれている。
そのことは学生ですら学んでいくうちに気がついてしまうほどだった。
「それはそうだと思う。
チュルニアだった時は、有事の際に辺境騎士団を派遣するということで、
かなり優遇されていたはずなんだ。
それが実際に戦争が起きて王都に騎士団を派遣しろと言われて、
裏切って他国に加わるような領地…もういらないだろうな。」
「チュルニアから補償金を求められなかったのも、
アーレンス領がお荷物になると知ってるからだろうな。
それがよくもまぁ豊かな土地だから奪いあいになったと勘違いできるもんだ。」
カイルから説明されてクリスは呆れた顔を隠さない。
聞いているディビットも苦笑いしている。
だけど、なんとなくそう思ってしまうのも無理はないと思ってしまった。
「前辺境伯はアーレンスの姫と呼ばれていたそうよ。
一人娘で大事に育てられたということもあるんだろうけど、
もともとは少数民族が追われてあの地域に国を作ったと聞いているわ。
それがチュルニアに落とされて属国になった。
ずっとずっと昔のことだけど。
それでいまだに娘が産まれると姫と呼ばれるとか。」
おそらくチュルニアの史実にも載っていないくらい昔。
アーレンスにだけ黒髪黒目のものが多くいるのはそういう理由だ。
その上、他の領地とはほとんど交流せず、
アーレンス家の本家のものが学園に来る以外は領地の外に出ようとしない。
婚姻も領地内の者とだけし、王宮に勤めるようなものもいない。
勘違いしたままでも何の問題なく生活していけるのだから…。
「アーレンスの姫ね。
じゃあ、もしかしたらあの令嬢もそう思ってるかもな。
自分は姫だから、王族と同等の立場だ、とか。」
「そう思っているから強気なのかもしれないわね。
今のところ辺境伯領は公爵領の扱いになっている。
特別扱いされていることには違いないもの。」
アーレンス領がユーギニス国となると正式に書類を交わした時には、
もうすでに王弟と辺境伯を継ぐ一人娘は恋仲になっていた。
当時の国王はそれを知って、アーレンス領を公爵領にするつもりだった。
そのため交わされた契約では公爵領と同じように税などが優遇されている。
ユーギニス国に加わってから五十年間は公爵領と同じ扱いとすると。
期間が五十年だったのは王弟の子が当主でいる間ということだったんだと思う。
だけど、実際には王弟は亡くなり、アーレンス領は公爵領とはならなかった。
アーレンス辺境伯領となったが、産まれた息子は王弟の子だった。
公表はできなかったが、国王はその子がいるならと公爵領扱いのままでいいとした。
アーレンス領はチュルニアの中でも貧しい領地だった。
魔獣が出る森があり、田畑にできるような平地はほとんどない。
チュルニアが簡単にアーレンス領を手放したのはそういうこともある。
ユーギニス国になって、国境騎士団の一つがアーレンス領に派遣されている。
国境を守るためということになっているが、実際には魔獣の討伐が主な仕事になっている。
討伐した魔獣はそのままアーレンス領の領民に配られている。
この魔獣の肉があるから領民は飢えることなく生活できている。
それでも食料が足りないため、冬になる前には王領から小麦が無償で届けられている。
これだけ特別扱いだったのは、
戦死した王弟の子が辺境伯だったから、それだけが理由だった。
お祖父様は亡くなった叔父様の子だということで、
そのまま特例を続けて辺境伯領に支援していたらしい。
だが契約された五十年は過ぎていて、もう一度契約を結び直す時期が来ている。
このままユーギニス国に残るのであれば、今後は侯爵家と同じ扱いになる予定だ。
数年前にそれを辺境伯に通達したところ、
今後の方針がまだ決まっていないので決まり次第連絡するという返答だった。
ユーギニスに残るのか、チュルニアに戻るのか、
それとも独立してアーレンス国となるのか。
どれを選択したとしても、これから生活が厳しくなるのは間違いない。
領民が誤解したままで大丈夫なのだろうか…。
そんなことを考えていたが、ディビットは別なことが心配なようだ。
「大丈夫でしょうか。このまま学園内であの令嬢が暴走していると、
隣のミレッカー侯爵家に取り付けた話も無くなってしまいそうですよ。
ソフィア様が苦労して説得してくださったというのに…。」
「あーそうだった。ミレッカー家の令嬢も一学年にいるんだわ。」
「そうなんですよね…そのうえディアナ嬢は次席です。
エディ様とアルノー様の真ん中に座っているのでしょうし、
教室内で何かあれば気が付かないわけないでしょうね…。」
「ええぇ…エディとアルノーに言っておかなきゃ…。」
「あれか。王領から辺境伯領地まで小麦を運ぶのは遠くて大変だからって、
ミレッカー侯爵領で収穫した小麦を辺境伯領地に安く売るって話?」
「ええ。その話よ。
これから辺境伯領地は生活が苦しくなるでしょう?
でもこれ以上特別扱いして補助するわけにはいかないから、
隣のミレッカー領に補助を出して小麦を増産してもらうことにしたの。
小麦の生産にかかるお金は国が出して、戦争時のために蓄えておいてもらう。
…蓄えていたものは古くなったら処分しなきゃいけないからね。
安く隣の領地に売ってもらうことで消費する。
ハンベル公爵領も近いしね。冷害があった時に対応できると思って。」
辺境伯領をあからさまに助けるわけにもいかない。
表向きはココディアとの戦争に備えるという名目で、
余った食料は近くの領地に安く流通させるという手を思いついたのだった。
思いついた時はすごくいい手だと思って浮かれていたのだけど…。
「でも、ミレッカー侯爵が厳しくて。説得するの大変だったんだから~!」
「だろうな。アーレンス領とミレッカー領は本当に仲が悪い。
違う国だった時には真っ先に争っていた地域だから仕方ない。
少し考えればアーレンスを助けるための政策だとわかるだろうし、
絶対に手を貸したいなんて思わないだろう。
良く説得できたと思うよ。」
「ディアナが侯爵を説得してくれたみたいなの。
ミレッカー領だけじゃなく、国全体の安定も考えて受け入れるべきだって。
ディアナって、エディの婚約者候補にあがってるのよ。
成績だけじゃなく考え方もしっかりしているみたい。」
「え?令嬢が父親を説得したのか?
入学時に次席の成績といい、なんだか姫さんに似ているな。」
「まだ会ったことは無いんだけど会うのが楽しみだわ。
エディが落ち着いたら婚約者選びのお茶会を開くことになる。
そこには顔を出すことになると思うし、会うのはその時かな…。」
「…それまでアンナ嬢が何もしないでいてくれますかね。
エディ様と結婚する気なんですよね?
ディアナ嬢に何かしたりしませんよね…?」
「「「……。」」」
ますます心配そうなディビットの質問には誰も返事ができなかった。
エディを追い掛け回すような令嬢がライバルに何もしないわけがない。
しばらく続いた沈黙の後、
「近衛騎士を増員しておいてくれる?できれば女性騎士を。」
言えたのはそのくらいだった。




