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「それね、もう二年ほど申請を却下しているのに、見ていないの?
ちゃんと却下理由も書いて送り返しているのに。」
「ええ!どうして却下などと!」
「だって、やってもいない工事に補助金なんて出せないわ。」
そうでしょう?と首をかしげたら、すーっと公爵の血の気がひいていくのが見える。
浅黒い肌の公爵の顔がどす黒くなっていく。
倒れる前に話を終わらせたいけど、それまで持つだろうか。
そう思っていたら、クリスが公爵に治癒をかけているのに気が付いた。
…これ、優しさじゃないな。クリスを見るとにやりと笑ってる。
倒れてうやむやになんてさせるかとか思ってそう。
「ここ十年ほどさかのぼって申請書を確認したら、
公爵領は異常に工事が多いのよ。災害も起きていないのに。
河川の氾濫を防ぐための工事、干ばつに備えてため池を作る工事、
土が流出しないように防風林を植える工事…他にもいっぱい。
だから、王宮から文官を派遣して確認したの。工事した所どうなってるのか。」
「え…確認…?」
「そうしたらね、おかしいのよ。
どこも工事した形跡が無いの。取り壊したとか、無くしたとかじゃないの。
最初から何の工事もしていませんって領民は言うんですって。
だから、ここ二年ほど私に来た申請書は却下したのよ。
だって、やってもいない工事に補助金は出せないじゃない?」
お父様は申請されればそのまま許可していたようだけど。
あまりにも申請内容も金額もおかしかったから調べさせたら全部が嘘。
どうやら公爵夫妻がお金を使いすぎて、税まで使い込んでいるらしいとわかった。
このまま公爵を見捨てて爵位と領地を没収しても良かったのだけど、
クリスの弟のデニスは誠実で、この件には何も関わっていなかった。
それならこれを利用して公爵夫妻を遠くにやり、
デニスを当主にして立ち直させたほうがいいと判断したのだ。
「……。」
「ねぇ、公爵。お金払えるの?二年分の税だけじゃないわ。
今、計算させているけれど、十年分の補助金も返してもらうわよ?」
「そ、そんな!無理です!」
「でも、返せなかったら横領だわ。
このまま公爵夫妻を牢にいれなきゃいけなくなるのだけど。
それでいいかしら。」
「牢に!…クリス、お前から何とか言ってくれ!
お前だって公爵家の仕事に関わっていただろう?」
我慢しきれなくなったのか、クリスの仕事机まで行って懇願し始めた。
もしかしてクリスも同罪だから許せとか言い始める?
「…祖父母が亡くなって、急にあんたらは金遣いが激しくなった。
お茶会を開くたびにドレスだ手土産だ。
お互いに愛人を囲って、贅沢三昧。
俺が次期当主として仕事していたころは架空の工事なんてでっちあげていない。
あんたらの贅沢にうるさく口を出していた俺が邪魔になって追い出して、
その後は好き勝手し放題だったんだろう。
バレるとまずいと思ったのかデニスには領地経営に関わらせなかったようだしな。」
「うるさいうるさい!こういう時にお前が役に立たなくてどうするんだ!
お前なんて出来損ないのくせに!」
「俺が出来損ないだとして、牢に入れられそうになってるあんたはどうなんだ?
義父と妻に頭が上がらないで、こそこそと愛人のところに通うだけ。
何にもしていないくせに威張るだけは立派だな。」
「…!この!」
「取り押さえて。」
頭に血が上った公爵がクリスの服をつかみ殴りかかろうとしたところで、
近衛騎士たちに取り押さえさせた。
両側から押さえつけられ、無理やり立たせられる。
血走った目で鼻息が荒いが…今の状況を理解しているのだろうか。
「で、公爵は今すぐ牢に入るつもりなの?」
「…お許しください…ソフィア様。」
「ねぇ、クリスはフリッツ叔父様の息子で、私の婚約者なのだけど。
今、王族に殴りかかろうとした罪だけでも処罰できるのよ?」
「……。」
忘れていたのか、しまったという顔になる。
クリスはもう自分の息子ではないと何度も言われているだろうに。
どうしてすぐに自分がどうにでもできる存在だと思い込んでしまうんだろう。
「で、かなりのお金だけど、払えるわけないわよね。
だから、公爵夫妻がココディアの大使になってくれたら、
そこから支払えるようにしてあげる。」
「え?」
「ココディアに行くということは人質になりにいくわけでしょう。
危険手当もつくし、国の代表としてかなりの給金がでるわ。
断れば、このまま牢にいれるだけだけど。どうする?引き受けてくれる?」
「…………わかりました。」
ぐったりとうなだれたまま了承した公爵に、そのまま書類に署名させる。
ココディアへ大使として行けという任命書。
税と補助金の返還は大使としての給金から支払われるという契約書。
そして、公爵家はデニスが受け継ぐという書類。
「では、このまま公爵はココディアに向かってもらうわ。」
「え!このまま!?」
「そうよ。だって、ココディアに向かわなければ罪人なのよ。
自由にできるわけないじゃない。ずっと護衛という名の監視がつくわ。
あ、すぐに公爵夫人もココディアに送るから安心してね。
フリッツ叔父様が使っていた屋敷がそのまま使えるから、何も持っていかなくて平気よ。」
「…あ…あぁ…」
「じゃあ、気を付けていってらっしゃーい。」
にっこりわらって見送るが、公爵は一度もこちらを見ようとしないで、
近衛騎士たちに引きずられて連れて行かれた。
王宮から馬車に乗せられ、そのままココディアに向かってもらう予定になっている。
別部隊が公爵家の屋敷に向かっていて、夫人もすぐに送る。
余計なもの、つまり財産は持ち出させない。
今までの税と補助金の返還は夫妻だけの責任となる。
新しく公爵家の当主となるデニスに支払い義務は生じない。
「なぁ、姫さん。どのくらいの期間大使でいたら支払える契約になってるんだ?」
「えっとね、二十年。二人とも死んだら無しになっちゃうから、
なるべく長生きして頑張ってほしいかな。」
「死んだら無しなのか?」
「うん。だって、デニスにも公爵領にも責任は無いもの。
真面目なデニスなら良い当主になってこの国を支えてくれるでしょ?」
「…うん、そうだな。………ありがとな。」
「ふふ。どういたしまして。」
めずらしく照れたようなクリスに笑っていると、強く頭を撫でられた。
髪がぐちゃぐちゃになったのを、慌ててカイルが直してくれる。
三人で笑っていたら、デイビットがお茶にしましょうかと微笑んでいた。




