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馬車が王宮に着いた後、いつも通り東宮で王太子決裁の書類を確認していると、
書類を受け取りに来た文官に小さな声で聞かれる。
「あの…クリス様はどうしたんですか?何かありました?」
「あぁ、うん。ちょっとね…。」
いつもならクリスが書類分けをしてから私の決裁に回してくるのだが、
今日のクリスはソファに座ったまま考え込んで動かない。
おそらく学園での私の悪評をなんとかしようと考えているんだろう。
カイルは王宮についてすぐにお祖父様に報告に行ってしまっている。
カイルの弟がイライザのそばに居ることで問題が起きるかもしれないからだ。
王太子付きの文官であるディビットとは一年ほどの付き合いではあるが、
まだ若いのに王太子付きになるだけあって優秀で真面目だ。
普段は仕事以外の話を時間内にするようなことは無い。
そんなデイビットがこっそりささやいてくるほど、
クリスのこの状態は見過ごせないものだったらしい。
しばらくクリスはこの状態かもしれないと思い、デイビットに今日あったことを話す。
学園で広まっているだろう私の悪評についても説明すると、
いつも穏やかなデイビットの表情が曇り出す。
「どうかした?」
「いえ…わたしも最初はその悪評を信じていましたので…。」
「あぁ、そういうこと。仕方ないよ。
でも、今はそんな風に思っていないんでしょう?」
「それはもう。ソフィア王女と一緒に仕事していればわかります。
どれだけ王女が誠実にこの国の民に向きあって…あぁ、そうです!」
突然大きな声を出したデイビットにクリスも驚いてこちらを見た。
物静かなデイビットがこんな風に大声を出すなんてめずらしい。
「何?どうしたの?」
「ソフィア王女、クリス様、その悩みはすぐに解決できますよ!」
「え?どういうこと?」
「すみません、ちょっとだけ仕事を中断しますが、いいですよね?
クリス様がこの状態でいるほうが仕事が進みませんから。」
「あぁ、うん。そうだよね。でも、何をするの?」
「すぐに戻ります…後で説明しますね!」
バタバタと部屋から出て行ったデイビットを私とクリスが見送る。
デイビットが何をしようとしているのかはわからないけれど、
私の悪評をどうにかしようとしてくれているのはわかる。
十数分後戻ってきたデイビットは廊下から私を呼んだ。
「廊下にお呼びするなんて申し訳ないのですが、
思ったよりも人数が多かったものですから…。」
「え?」
廊下に出てみると、文官と女官がずらりと並んでいる。
二列になって整列しているようだが、これはいったい?
「今、東宮で働く文官と女官で学園に子どもを通わせている者を呼びました。」
「子どもたちが学園に?」
「えぇ、ちょっと見ていてください。」
何をするんだろうと思って見ていると、デイビットは全員が整列している前に歩いていく。
真ん中あたりで向き合うと、全員に聞こえるように大きな声で話始める
「仕事を途中で抜けてきてもらってすまない。
だが、重大なことなのでよく聞いてもらいたい。
ソフィア王女が学園に入学したのは皆知っていると思うが、
実は学園ではソフィア王女の悪評が信じられているそうだ。
覚えがあるはずだ。
ソフィア王女が王太子の代理として東宮に来るとわかった時、
我々はハズレ姫が来るのだと信じ切っていた。そうだろう?」
ハズレ姫とはっきり言ったことで文官と女官たちがざわつきだす。
だが、皆心当たりがあるのか、ばつが悪い顔をしている。
「今、学園で同じことが起きている。
そうだ。あなた方の子どもたちが信じ切ってしまっている。」
「あぁ、そんな。」とか「そういえば…」なんて声があちこちから聞こえてくる。
学園で悪評が広まっていることに、王宮で働くものが気がつくのは難しいだろう。
自分たちの子どもが悪評を信じている、
もしかしたらそのことで不敬なことを言っているかもしれない、
そのことに気が付いたのか顔色が悪くなっていく。
「王宮での仕事について他で話してはいけないことになっている。
皆それを守っていたためにこのようなことが起きたのだろう。
…確かに仕事について話してはいけないと規定がされている。
だが、ソフィア王女がいかに誠実で仕事熱心なのか、
使用人に対してもわがまま言わずお優しい方だということは、
家族に話してはいけないという規定はないはずだ。そうですよね?」
話している途中で急に私に話を振られ、驚きながらも考える。
「え?…私のことを話してはいけないという規定は…無いかも?」
クリスに確認すると、少し悩むようにした後で頷く。
「そうですね。王女を褒めてはいけないという規定はないですね。」
「今聞いた通りだ。家でソフィア王女を褒めたたえても規定違反にはならない。
学園での間違った噂を正すことは、この国を正すことにつながるだろう。
それがわかったら解散して仕事に戻ってくれ。以上だ。」
私がいたことに気が付いた文官と女官たちは、私に向かって深く一礼して仕事へ戻っていく。
私たちも部屋に戻ると、クリスが満面の笑みでデイビットの肩をたたいた。
「…デイビット、よくやってくれた!」
「ええ、あのままクリス様が悩み続けていられると仕事がはかどりませんからね。」
「はは。すまない。今から頑張るよ。」
「デイビット、さっきのはどういうこと?」
「私たち東宮で働く者たちは、ソフィア王女の悪評が嘘だということがわかっています。
そのことを学園に通う子に伝えることができれば、噂は落ち着くと思ったんです。
実際に王太子代理の仕事をしている王女を知っていれば、あんな悪評は嘘だとわかります。
それを親から伝えられて信じない子は少ないでしょう。
学園でも本当の王女のことが広まっていけば、噂なんてすぐに消えると思いますよ。」
「あ、ありがとう!」
「いいえ。私も最初は信じていた側ですからね。
少しでも罪滅ぼしになればと思いまして。
さ、仕事しましょうか?
明日もソフィア王女は学園ですから、早く終わらせましょう。」
「ええ!」




