26ソフィア十三歳(カイル)
「今日はもう終わりにしましょう。」
「もうそんな時間?わかったわ。」
集中して仕事をしている姫様に時間だと声をかけると、
ようやく暗くなった窓の外に気が付いたようだ。
毎日仕事をするために東宮に来て、仕事が終われば本宮へと戻る。
姫様が王太子の仕事をし始めた一年前、東宮の使用人たちは姫様を歓迎しなかった。
ハズレ姫の評判を信じていた者たちばかりだったからだ。
本宮の使用人たちは姫様がハズレ姫なんかじゃないことはわかっていたが、
姫様に関わることのない東宮の使用人たちはハズレ姫の評判を信じ切っていた。
それが姫様が仕事をし始めたら、王太子よりも早く的確に書類を片付けていく。
さすがに視察には行けないが、代わりに行った文官たちの報告書を読み、
各領地からの要望に応えていく。
言いなりになっていた王太子をなめていた領地からの要望も多かったが、
調べ直しを言い渡し言いなりになるようなことは一切なかった。
次第に使用人たちはハズレ姫の評判がおかしいことに気が付いていく。
王女教育をさぼっていたはずじゃなかったのか。
わがままで癇癪持ちじゃなかったのか。
予算がおいつかないほどドレスを作らせていたんじゃないのか。
…もしかして、すべて嘘だったのか?
そのことに気が付いてから、使用人たちの姫様を見る目は変わっていった。
今では東宮で姫様をハズレ姫だと思う者はいない。
父親の王太子の代理ではあるが、病気で一切公務につけない王太子の代わりに、
姫様が陛下の跡を継ぐことになるとわかっている。
覇気のない王太子よりも、優秀で穏やかな姫様が王太子になることを、
誰もが喜ばしいことだと思うようになっていた。
「今日は魔術の練習する時間無さそうね。」
「今日は無理ですが、明日は時間を取りましょう。」
「本当?約束よ?」
機嫌がよくなった姫様を連れて東宮から出る。
見送った使用人たちの中にエリーがいるのが見えた。
俺と目があったのがわかったのか、すぐにそらされる。
気まずいんだろうな。
姫様をハズレ姫だと思っていたことが俺にバレているんだし。
今さら本当の姫様を知っても、姫様には近づけないだろう。
さすがに俺のこともあきらめてくれたかな。
学園にいた時、俺のことを見ているのは知っていた。
他の令息にからかわれたこともある。つきあっちゃえばいいだろうと。
だけど、なんとなくわかってしまったんだ。
おそらく、エリー嬢は俺の境遇を知って、
同じような人間のそばに居ることで安心したがっているんだと。
クリスは俺と似ていると言っても、嫌な気持ちじゃなかった。
だけど、エリー嬢が俺に似ていると感じるのは、俺自身目を背けたい感情だ。
人に嫌われたくない、目立たないようにすれば蔑まれない、
だけど誰かのそばに居たい、痛みを分かち合いたい。
…そんな弱さを突きつけられるような気がして、エリー嬢と付き合う気にはなれなかった。
姫様の湯あみ中は俺もクリスも護衛待機室で過ごしている。
リサとユナは侍女だが、そういう時の姫様の護衛も兼ねている。
一応は何かあれば駆け付けられる位置に影もついている。
「その手紙、辺境伯からだろう?めずらしいな。何かあったのか?」
父様から来た手紙を読んでいると、クリスから声をかけられる。
いつもなら俺の事情を聞いてこないクリスが聞くほど、
渋い顔になっていたらしい。
「何かというか…弟が学園に入学したから頼むと。」
「頼むってなんだよ。お前の弟なら優秀なんじゃないのか?」
「…異母弟なんだ。魔力が少ないらしい。
魔術の授業がうまくいかないだろうから、教師にかけあえと。」
「かけあえって。ライン先生にか?
それって、評価を甘くしてほしいってことか?…無理だな。」
「ああ。ライン先生がそんなことするわけがない。
無理だと返事を書くしかないな。」
どう考えてもライン先生が不正なんかするわけがない。
俺がライン先生の弟子だと聞いて手紙を寄こしたのだろうけど。
ほとんど話したことも無い三男に頼むくらい、四男が大事だってことか。
…もう痛むことは無いと思っていたが、
まだ少し期待する気持ちがあったんだろうか。
なんとなく息苦しさを感じて手紙をしまった。
「お互い大変だな…俺の弟も今年入学したらしい。」
「クリスの弟もか?」
「…それだけじゃない。入学者名簿、見るか?」
渡された入学者名簿を見ると、途中で見覚えのある名前を見つけた。
「そうか…今年の入学なのか。
王宮には来ないと思うが、気を付けておかないとだな。」
「ああ。」
イライザ・ハンベル
名簿には父親がハンベル領主になったことで、
ハンベル公爵令嬢となったイライザ嬢の名がのっていた。
学園の間だけは王都にいることが許されている。
何も無ければいいがとクリスが言ったが、イライザ嬢が何もしないとは思えなかった。




