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いつものようにお祖父様へ報告をしようとお祖父様の私室に入ったら、何かが違う。
少しだけ考えて、いつもいるはずのレンキン先生がいないのだと気がついた。
「お祖父様、今日はレンキン先生はどうしたのですか?」
「ああ、ディアナのところに行っている。すぐに戻るだろう。」
「え?ディアナ?」
「ああ、ディアナ付きの侍女から報告が来たのでな、
レンキンが診察に行っている。」
ディアナ付きの侍女からの報告でレンキン先生が診察に行くって。
…それはもしかして。
「お祖父様、それは身ごもったということですか?」
「侍女からの報告だとそうかもしれんと。
だが、ディアナは子がなかなかできないことを不安に思っているようだ。
他の医師に診せて違ったら落ち込んでしまうかもしれないと。
だから、レンキンに診に行ってもらったんだ。
レンキンなら治癒をかける間に診察ができる。
もし違っても、そのまま体調不良を治しただけだと言えばいいからな。」
「そうですか。身ごもっていればいいですが、
違ったらよけいに不安にさせてしまいますものね。」
エディとディアナは結婚してまだ二年たっていない。
本当ならばそこまで気にすることは無いのだけど、
王太子である私に妊娠する兆候がないことから、
どうしても王子妃であるディアナに期待する声が出てしまっている。
真面目なディアナはその期待に応えられないことに落ち込んでしまっている。
普段の仕事に差し支えは無いのだが、軽いめまいがするらしいとは聞いていた。
それが身ごもったことによる不調なのだとしたら、喜ばしいことではあるが…。
確定するまでは騒ぐわけにもいかない。
「…ソフィアはやはり子を産まない選択をしたのだな。」
「…はい。」
「儂があの時ココディアとの同盟の条件を変えていたら、
こんな風にお前を困らせることは無かったのかもしれないな。」
眉間のしわを深くして、困ったように笑うお祖父様の手を取る。
大きな手もしわだらけで、ここまで一人で苦労してきたのがよくわかる。
「いいえ、お祖父様。きっと私でも同じ条件で同盟を結んだと思います。
その時はそれが最善だったのです。
そして、今も私の選択が最善だと思っています。」
「ソフィア…お前は幸せか?」
「はい!もちろんです!」
「…うむ。そうか。…それならいいんだ。」
力いっぱい返事をしたら、やっと満足そうに笑ってくれた。
お祖父様が後悔しなければいけないようなことは何もない。
同盟が無かったら、きっと私はここにいない。
お祖父様にも、クリスとカイルにも会えなかった。
「お前に王位を譲るまであと三か月か。あっという間だろうな。」
「そうですね。もう三か月しかないんですね。
まだ実感はないですけど…。」
「もうすでに実権はお前にあるんだ。自信を持ちなさい。
お前なら、お前と王配たちならこの国を守れるだろう。」
「はい。」
あと三か月。私が二十二歳になるのを待って戴冠式が行われる。
もうすでに実務的なものはすべて引き継いでいるので、特に問題は無いけれど。
戴冠式の準備に追われ、あたらめて女王になると考える時間も無かった。
「お前に王位を譲った後、半年くらいは王宮に残るが、
その後はラシャンの離宮に移るつもりだ。」
「ラシャンですか?」
「ああ、最後は妃たちと一緒に過ごそうと思う。」
ラシャンは王都から一番近い王領で、王家の墓がある場所だ。
お祖父様の妃だったお祖母様と側妃様もそこに眠っている。
「お祖母様と側妃様も喜びますね。」
「どうだろうな。うっとおしいと思われるかもしれん。
儂は国を立て直すのに必死で、妃たちを大事にできなかった。
子を産んでくれた時も、よくやったと声をかけただけだった。」
「それは…仕方ないことだと。」
お祖父様が即位したころはまだ戦争が終わっていなかった。
妃を娶った頃はおそらく戦争が終わるかどうかの頃。
そんな時期に妃を優先するような余裕はなかったはずだ。
「儂は…お前を抱き上げた時、初めて幼子とは愛しい存在なのだと知った。
あんなにも壊れそうで壊したくない存在があるのだとわかった。
…こっそり耳打ちされた時は顔に出さないようにするのが大変だったがな。」
「ふふ。あの時のお祖父様、驚いたはずなのに平然としてました。
さすが国王陛下なんだと思っていましたよ。」
初めてお祖父様に抱き上げてもらった日。
私がソフィアとして目覚めた日だ。
「儂はお前と過ごして、愛するという感情を知った。
人に優しくすることも抱きしめてやることも大事なんだと。」
「お祖父様、私もです。
大事な孫姫だと言ってもらえて、本当にうれしかった。
お祖父様がいてくれたから、お父様たちがいなくても平気だった。」
「うむ。お前を大事に思うのと同時に、
今まで大事にできなかった者たちのことを考えるようになったんだ。
王宮は、この国は、お前に任せても大丈夫だ。
後の人生は妃たちに毎日花を手向けて過ごそうと思う。
向こうに行ったら責められるのを覚悟しながらな。」
「お祖母様も側妃様も怒っていないと思いますよ?」
「そうか。まぁ、少しのんびりしてから向こうに行くつもりだ。」
「まだお祖父様には、いてもらわなくては困ります。
何かあったらラシェンに早馬を出しますから戻って来てくださいね?」
「わかった。いつでも頼ってきなさい。」
ラシャンは王都からそれほど遠くない。馬車でも半日もすれば着ける場所だ。
王家の墓もあることから、これまでも一年に一度は行っている。
少しだけ離れてしまうけれど、これからも会いに行けると思えば大丈夫。
笑いあっていたら、レンキン先生が部屋に戻って来た。
入ってきた時の表情で聞かなくてもすぐにわかる。
「レンキン先生!」
「ああ、間違いないでしょう。」
「あぁぁ。良かった!」
侍女の報告は思い過ごしではなかった。
ディアナに会いに行こうかと思ったら、レンキン先生に慌てて止められる。
「まだダメですよ?ちゃんと体調が安定してからの公表になります。
本当なら陛下にもソフィア様にも報告されていない時期なんですから。
ソフィア様も知らないふりしていてください。」
「あ、そうよね。わかったわ。」
そういえば身ごもってもちゃんとお腹の子が育っているか、
大丈夫だと医師たちが確認して、それから公表になるのだった。
待っていればディアナからきちんとした形で報告がくるはずだ。
それまでは言わないようにしないと。
「お祖父様…言いはしませんけど、
どうしてもうれしくて顔が笑ってしまいます。」
「…まぁ、笑っている分には問題ないだろう。」
「ソフィア様は笑っていたほうが周りが安心します。
そのままで大丈夫ですよ。」




