157
寝室に入るなり後ろから抱きしめられる。
いつもの抱擁じゃなく、きゅうっと縋りつかれるように強く。
「…ねぇ、どうしたの?」
「…怖くなったら、すぐにクリスのところに逃げてくれ。」
「え?」
「これから…初夜の儀をするんだ。俺とソフィアで。」
「初夜の儀?昨日クリスとは何もしなかったよ?」
昨日クリスと初夜の儀をすると言われたものの、いつも通りに寝ただけだった。
だからカイルともそうなるんだと思ってたのに。
「クリスは閨は共にしないって言ったんだろう?」
「あぁ、うん。そう言ってた。」
「今からするのは閨ごとだ。」
「閨の練習?」
「練習じゃない。俺は…ソフィアを抱きたい。」
「え?」
「ずっと前に聞いたよな?大人になったら自分を抱くのかと。
もうソフィアは大人になったし、婚姻式も終わった。
…もう、待たなくていいよな?」
閨ごと…私を抱く。
想像できなくて、頭の中が真っ白になる。
うれしいはずなのに、どうしていいかわからなくて身体が強張る。
「…嫌か?」
「嫌…じゃない。けど、何もわからなくて…少し怖い。」
「うん…ゆっくりでいい。俺を見て。」
振り向いたら、カイルが片膝をついて私の顔を覗き込む。
真剣な青い目に吸い込まれそうで、見つめてしまう。
やっぱり綺麗だな。カイルの目。澄んでいて、まっすぐで。
この目に見つめられ、頬にふれられるのが、
私以外だったら嫌だと思ったのはいつだった?
気がついたら、くちびるが重なっていた。
何度も何度も、角度を変えて、くちびるの感触を確認するみたいに何度も。
少しだけ冷たかったカイルのくちびるが私と同じ温度になる。
二人のくちびるが溶けていくみたいで気持ちいい。
「…愛している。」
「カイル?」
「ソフィアをずっとずっと。
今までもこれからも、ソフィアだけを愛すると誓う。
だから、今は俺だけに愛されて?」
「カイルだけに?」
「そう。クリスもソフィアのことを愛しているけれど、
こうして抱くのは俺だけの役目だ。
誰にも譲らない。俺はソフィアの心だけじゃなく、身体も欲しい。」
「心だけじゃなく…身体も?」
「ああ。ダメか?」
両手をつないだまま、もう一度くちびるが重なる。
ゆっくりと離れていくカイルの目が私が欲しいといっているように見えた。
「…うん。カイルが欲しいというなら、全部あげるよ?」
「あぁ、ようやくだ。ようやく俺のものにできる。」
カイルの震える指が私の夜着のボタンにふれる。
壊れ物を扱うみたいにひとつずつ外していく。
少し硬い手のひらが私の肌にふれて、閨ごとを一つ一つ教えてくれる。
怖くないわけじゃないけど、カイルになら何をされてもいい。
すべてをカイルにあげたあと、緊張と疲れでぐったりして、
少しだけ目を閉じたつもりだったのに…目を開けたら暗闇の中にいた。
ここはもしかして塔の中?
夢を見ているんだ…またあの塔に来てしまった。
暗く…冷たく…何者の気配もなく…ってあれ?
小さなため息が聞こえた。
驚いて目をこらしたら、すぐ隣に人がいる。
「灯りを…。」
塔の中にある灯に魔術で火をともす。
小さな寝台の上、膝を抱えた少女がこちらを見ている。
向こうも信じられないものを見るように、驚いた顔をしていた。
「「…だれ?」」
誰なのかと問う声が重なる。
少しだけ近づいてみて、少女というには落ち着いた気配に、
相手が魔女なのだと気がついた。
こんな顔の魔女はいただろうか…柔らかそうな金の髪に、紫の目。
小さな身体に異常なほど多い魔力。
…え?もしかして?
「…あなた、リリア?」
「…そうだけど、あなたは誰?どうしてこの塔にいるの?」
まさか自分の前世に出会うとは思わなかった。
いくら夢の中だからといって、こんな不思議なことが起きるとは。
「…私はソフィア。あなたが死んだ後、二百年後に転生したあなたの魂よ。
といっても、信じてもらえるかどうか、あやしいわよね?」
「…確かに信じられない話だけど、そっかぁ。
私は死んだはずなのになって思ってて。
確かにあの時、最後の魔力が消えたのを感じて…目を閉じたの。
やっとこの人生を終えられる、役目が終わると思って。
あのまま死んだんだね。私は最後まで役目を果たせたの?」
死ぬのを感じた…?そういえば私は自分が死んだときの記憶がない。
リリアの記憶全てを持ったまま生まれたと思ったけれど、違うようだ。
最後、死ぬときに何を思っていたんだろう。
こうしてリリアと向き合っていると、
自分が死んだことよりも役目を果たしたのか不安に思っているようだ。
「…私が聞いた話だと、最後まで結界を張り続けたと。
五十年もの間結界は壊れなかったらしいわ。」
「そうなんだぁ…この国は今も平和?」
「…何度か戦争もあったけれど、今は平和よ。
平民が焼き菓子を食べられるくらいに豊かになってる。」
「本当に!?焼き菓子って、砂糖が使われているのでしょう?
貴族じゃなくても食べられるようになったなんて。
すごく素敵な国になったのね!」
まるで目の前に焼き菓子を差し出されたかのように喜ぶリリアに、
焼き菓子や氷菓やジャガイモのスープを食べさせてあげたくなる。
リリアのおかげで国は豊かになったのに、一度も口にしないまま亡くなってしまった。
「リリアのおかげよ。結界だけじゃない。
あなたが伝えた魔術のおかげでもあるわ。」
「本当に!?…よかったぁ。私、ちゃんと役に立ったのね。」
「リリアに何かお礼ができたらいいんだけど…。」
夢ならここにすぐお菓子が出てきてもいいはずなのに、何一つ出せない。
せっかくこうして会えたのだから、一つでも食べて喜んで欲しいのに。
「私にお礼?じゃあね…あのね、もういいかな。ここから出ても。」
「え?」
「もうずっとここにいたでしょう?
死んだ後もここにいたみたいだし。もういいかなって。
平和になったのなら、私は消えてもいいんじゃないかなって。」
「消える?」
「ここから出たら、消えるかもしれないって思うの。
でもね、ずっとここにいるのはつらいわ。
ずっと一人でここで座っているだけなの。
今はソフィアと話せているからうれしいけれど、
あなたはここにずっといてくれるわけじゃないのでしょう?」
「それは…。」
私がここに居続けることは不可能だ。
目を覚ましてしまったら、いつこの塔に来るかわからない。
夢だからこそ、自分の思い通りにはできない。
「だから、ここから出てもいい?
ずっと勇気が出なくて、閉じこもっていたけれど…。
ソフィアがいてくれたら、外に出られるような気がする。」
「私と一緒に外に?」
「だめ…かなぁ?」




