144(カイル)
熱が上がり続けているのか、真っ赤な顔したソフィアの髪をなでる。
嫌な夢でも見ているのか、うなされて苦しそうにしている。
クリスが治癒をかけているソフィアに俺が何かすることはできない。
魔力を流さないように、そっとなで続けているとソフィアの目が薄く開いた。
目が覚めたのかと思ったが、焦点があっていない。
俺のことが見えていない。というか、目が覚めていないように見える。
ソフィアなのに、ソフィアじゃない。
そんな感じがして、少しだけ焦る。
もしかして、ソフィアはまだ眠ったままの状態なのか?
「…あぁ、また朝が来たの?起きなきゃいけないんだ。
もうやだな。起きても何も変わらないのに。」
…どういうことだ。起きても何も変わらないのに?
言葉が少し違う…古語混じり?
「大丈夫か?」
「…え?誰?なんでここにいるの?」
「なんでって。ここってどこだと思ってるんだ?」
「えぇ?なんで勝手に塔に入ってきてるのぉ?
私が許可しなきゃ誰も入れないんじゃなかったの?」
塔…もしかしてソフィアじゃなくリリアなのか?
だから言葉が少し違うし、目が見えないからここは塔の中だと思っているのか。
ソフィアは転生していると言っていた。
それならリリアとしての意識はないのかと思っていたけれど…。
少し舌っ足らずで古語混じりの話し方…これはソフィアじゃない。
意識下でリリアがそのまま存在するのか?
「ここは王宮だよ。わかる?王都の王宮だ。」
「え?嘘…なんで?ここは塔じゃない?」
「違うよ、塔じゃない。もう君は塔にいなくてよくなったんだ。」
「なんでぇ?もう塔じゃないの?…どうして?あそこから出てもいいの?」
ああ、リリアなんだ。まだ彼女はあの塔の中に閉じ込められている。
熱でうかされているんだろうが、ソフィアの意識下にリリアがいるのは間違いない。
…どうやったらリリアを助けられるんだろうか。
転生しても、まだ。ずっとずっと、一人で閉じ込められたままなのか?
「大丈夫だよ。ここは王宮だ。
もうあの塔にいなくてもいいんだ。
この国は平和になったんだよ。」
「…そっかぁ。よかった。
もう、私は必要ないくらい平和になったんだね?」
明るく無邪気にそういう言葉に胸をえぐられる。
そうじゃない、そうじゃないんだ。
平和になったら必要ないなんて、誰も思っていない。
戦争時の魔女としてだけ必要とされていたのはわかっているけど。
俺だけはそんなことを言わない。言わせたくないんだ。
どういったら、この気持ちが伝わるんだろうか。
「…この国が平和になったとしても、リリアは必要なんだよ?
大丈夫、もう一人にはしない。俺がいるよ。
リリア、君のそばにいってあげられなくてごめん。
でも、もう泣かなくていい。
これからは俺が隣に居続けるから。」
「……本当に?…うれしい。もうひとりじゃなくて…いいんだぁ。」
また目を閉じたソフィアから涙がぽろりとこぼれた。
伝わったかな…意識下にいる独りぼっちだったリリアにも。
もう一人になることはないよって。
俺が、俺たちがずっとそばにいる。
離れて欲しいって言われてもきっと離れない。
アーレンス辺境伯領で結界の乙女の本を最初に読んだ時、
俺はどうしてその時代に産まれなかったんだろうと思った。
商人が書いたというその本は、小さな魔女リリアのことが残されていた。
どんな生まれで、どんな生き方をした人なのか。
考え方、よく言っていた言葉、リリアが作り出した魔術。
五十年も結界を維持できた小さな魔女の偉業を讃えていた。
だけど、その本は別冊がついていて。
本編を書いた商人の奥さんが書いた別冊は、まるで違うものだった。
奥さんが抱きかかえられるくらい小さな魔女が、
お茶を初めて飲んだ時、無邪気に笑っていた。
一度だけだけど、蜂蜜が手に入って、初めて甘いものを口にした魔女は、
びっくりして口に手を当てて。
「おいしすぎて、叫んじゃうかと思った!」
この国の平和を作り出した魔女は、甘いものを知らなかった。
驚かそうと何も言わずに蜂蜜を入れた奥さんは、それを見て心から喜んだと。
貴族が砂糖を独占しているせいで、蜂蜜も貴重なものだった。
リリアがこの国を守ってくれているから、
平和になったからこそ、砂糖や蜂蜜が手に入るようになったというのに。
どうしてリリアにその見返りがないのだろうと。
蜂蜜は奥様がこっそりと手に入れてリリアに飲ませたものだった。
戦争を終わらせた魔女は功績をたたえられることもなく、
公表されることも無くいないものとされた。
人を魔石代わりにして、戦争で犠牲にして、閉じ込めて結界を張らせた。
だから、ユーギニスの歴史に魔女のことは一切載っていない。
恥だからだ。
小さな少女を利用して、死ぬまで使い尽くして、見返りもない。
豊かな国になればなるほど、隠さなければいけない恥だった。
だからこそ、商人はこっそりと本を書き、他国に流した。
…リリアが亡くなったら、もうユーギニスから出て行く覚悟で。
それを最後まで読んで悔しかった。
小さな、成人もしていない魔女が塔に閉じ込められていた。
俺は、何もできない。助けようと思っても、もう二百年も前の世界だ。
俺自身が部屋に閉じ込められていたせいで、リリアを仲間のように感じていた。
助けだすことはできないけれど、俺なら一緒に閉じ込められてあげるのにと。
どうしてその時代に生まれ、リリアのそばにいけなかったんだろうって。
これが初恋だったのかもしれない。
何度も何度も同じ本を繰り返し読んで、手放せなかった。
…ソフィアには言ってないが、アーレンス領から買い付けた本の中には無い。
俺が学園に来るときに持ち出しているから。
本を読んでいた時はリリアがかわいそうなお姫様に見えた。
結界を維持しながらも魔術の研究を続けた、たくましい姫だけど。
それでも一人はいやだろうなぁって思っていたんだ。
目の前に今、同じようにかわいそうだったお姫様がいる。
虐げられてもくじけない。たくましい姫だけど、やっぱり俺は守りたい。
「リリアには間に合わなかった。
だけど、ソフィアには出会えた。
…これからは、ずっと一人にはしない。」
眠ってしまったソフィアの額に口づけたら、へにゃりと笑った。
いつものようにうれしそうなソフィアの笑顔に少しホッとする。
…俺たちが思うよりも、ずっとソフィアの心の闇は深い。
いつか。そのすべてを癒せる時が来るのだろうか。




