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契約が終わったと、立ち上がり礼をしそうになるクラウスを止め、
もう一度座ってもらう。まだ話し合いは終わっていない。
契約が終わったのを見計って、クリスとカイルが部屋に運んできたものを示す。
「…これは何の苗ですか?」
「これは王宮で栽培している苗を持ってきてもらったの。
今は苗を増やすために育てているのだけど、寒さに強い芋よ。
冷害が多いハンベル公爵領で実験的に栽培したものなんだけど、
うまくいったみたいだから、アーレンスでも栽培してもらえないかしら。
高地でも育つかどうか実験してほしいの。
雪が解けて暖かくなったころに苗を届けるわ。
報告はしてもらうけど、収穫した後の芋は食料にしてかまわないから。」
「寒さに強い作物ですか!それは願っても無いことですが…。」
「気温の低い高地でも育てられる作物を輸出したいのよ。」
「他国にですか?」
「チュルニアとココディアの食糧難を解決しないと、
今後も戦争の危険が続くでしょう?
麦は無理でも、芋ならなんとかなるんじゃないかと思って。」
「…それは確かに食料さえ確保できれば、攻めてくる危険は少なくなると思います。」
チュルニアとココディアがユーギニスの土地を欲しがる理由は、
穀物を育てられる土地が欲しいだけだ。
自国で育てられる作物があれば、わざわざ他国に攻めてくる必要もなくなる。
特にココディアはいつ開戦してもおかしくない。
少しでもできる対策はしておきたかった。
「あとね、ミレッカー領地で昨年から穀物の栽培量を増やして蓄えてあるの。
蓄えはココディアとの戦争になった時の兵糧のためなんだけど、
古くなるから一年ごとに入れ替えするのよ。
その穀物は安く販売するそうだから、ミレッカー領から声がかかると思うわ。
ミレッカー領は食料が豊富だから古い穀物はいらないんですって。
隣の領のアーレンスが購入してくれたら助かると思うわ。」
「古くなったとしても問題ないほど穀物はありがたいですが…本当に?」
「古い穀物を抱えていても仕方ないし、
これも国の運営としての一つだから、遠慮なく利用して?」
「ありがとうございます!」
やはり作付面積を増やしたとしても穀物は足りていなかっただろう。
魔獣を本格的に討伐して食料を増やすにしても、討伐隊がすぐに強くなるわけでもない。
問題なく食料がいきわたるようになるには数年はかかる。
その間だけでもなんとかできれば、アーレンスは自活できる。
だから、国としては優遇できないけれど、このくらいの手は差し伸べられる。
「あぁ、そうだったわ。個人的なお願いがあるのよ。
アーレンスの屋敷にはチュルニア時代の古い資料がたくさんあるのでしょう?」
「ええ、ありますが?」
「ユーギニスには残っていない貴重な資料もあるの。
すべて買い取らせてもらえないかしら?
最低でもこのくらいの値段になると思うけど。」
カイルに覚えているだけの資料を書きだしてもらい、デイビットに買取をお願いした。
この国には残っていない資料だから欲しいというのもあるが…。
買取金額が書かれた契約書を見て、クラウス侯爵が驚きの声をあげた。
「…っ!こんなに!いいのですか!?」
「貴重な資料だって言ったでしょう?買い取らせてもらえる?」
「はい!もちろんです!お願いいたします!」
「ふふ。これくらいあれば、数年は穀物を買い取ることができるでしょう。
その間にアーレンスは立ち直れるわよね?
クラウス侯爵なら計画的に使って領地を運営していけると思うわ。」
「……クラウス・アーレンスはユーギニス国に、
ソフィア様に忠誠を誓うことをあらためて示します。
……このご恩はけっして忘れません。」
片膝をついて忠誠を誓うクラウス侯爵に、この部屋にいるものたちが温かい視線を送る。
もしここで言い訳をしたり、まだ優遇を望むようなことを言うようであれば、
本の買取はしないつもりだった。
クラウス侯爵が退出した後、クリスから新たな話を聞いた。
クリスは私が話している間に、
クラウス侯爵についてきた護衛たちから話を聞きだしていた。
クラウス侯爵は父親の元辺境伯と義母、弟と妹を屋敷から追い出し、
集落から切り離された場所に作られた別邸に閉じ込めたらしい。
権力から離された元辺境伯たちは抵抗したらしいが、
独立したために食糧難になって領民たちから不満の声が多くなっても、
自分たちのせいではないと言い張り、今まで通りの生活をしようとしていた。
少しもわがままを我慢しようとしない前辺境伯夫人とアンナに、
食糧難で苦しんでいる領民たちは許せなかったようだ。
暴動が起きかけ、アンナは領民たちから石を投げられ、
助けようとした前辺境伯たちも一歩間違えれば殺されるところだった。
それもクラウス侯爵が止めなかったからだという。
クラウス侯爵は自分を悪者にしてでもアーレンス領が生き残る道を選んだ。
カイルのことはあるけれど、領主として評価することは別の話だと思う。
すぐにわだかまりがなくなることはない。
それでも、今日のクラウス侯爵を見るカイルの目は優しかった。
最初の一歩は踏み出せたのかもしれないと思った。




