121(カイル)
「あれ。戻ってきたんだ?」
護衛待機室に戻ると、ソファに寝ころんでいたクリスが意外そうに言う。
「戻ってきたってどういうことだ?」
「いや、そのまま姫さんと一緒に寝るのかと思ってたよ。」
「……そんなわけないだろう。」
「そうか?婚約しているんだし、もう卒業まで半年も無い。
別に一緒に寝ても何も言われないと思うぞ?」
「……レンキン医師に言われてるんだよ。
学生の間は負担が大きいからやめておけと。」
「ふうん。なるほどね~。
まぁ、次の日休ませるのも難しいから仕方ないな。
初めてしたせいで身体が痛いので休みますとは言えないもんな。」
飲みかけてたお茶を口にふくんだところで吹き出しかけた。
…にやにや笑ってるクリスにそのままかけてやろうかと思う。
「で、何聞かれてたんだ?」
「ああ。…あれだよ。閨教育したことあるのかって。」
「ああ。あれね。なるほどな…。
ダグラスの件でカイルがしたことがあるのか気になったってところか。」
「そんな感じだった。…あの時、クリスはどうした?」
「娼館に連れて行かれた時か?娼婦に金渡してソファで寝たよ。
疲れているから寝かしてくれって言って。お前は?」
「…馬鹿正直に好きな女しか抱きたくないって言ったら説教された。」
「ぶっ。それは説教されんだろう。」
「急に娼館なんて連れて行かれるから動揺してたんだよ…。
おかげで男娼と二人がかりで教育されたよ。見学してただけだけど。
金渡してソファで寝るって、なんでお前はそんなに冷静なんだ。」
「…そんなの慣れてたからに決まってるだろう。
これでも公爵家の嫡男だったんだ。学園に入る前から女は用意されてたよ。
あの両親だぞ。そういうの押し付けて来るに決まってんだろ。」
「…そういうことか。それは災難だったな。」
そういえばクリスは公爵家の嫡男だった。閨教育を受けているのは当然か。
成績も優秀で見た目も上等なクリスがなぜ嫡男から落とされたのかは知らない。
あの両親の不正を咎めたから、だけではないのだろうとは思っているが。
「それにしても姫さんも可愛いもんだ。
カイルに閨教育の経験があるかどうか知りたくて、
あんなにそわそわしてたのか。」
「俺に経験がないって知って、ほっとしてたよ。
大人びているし、閨教育とか抱くとか、そういうことは言うくせに、
性交そのものは何も知らないようだし…知識が偏りすぎてるんだよな。」
「普通は女官が教えるんだろうけど、女官はそばにいなかっただろう?
母親も乳母もそばにいないし、専属侍女の二人は結婚していない。
姫さんの知識は虐待されていたころの洗濯女の噂話から得たもんだろう。
そりゃあんな場所で具体的な話なんてさすがに言わないだろうし、
ちゃんと学んだことがないんじゃ仕方ない。
王宮の図書室にもその手の本は置かれていなかったしな。
過保護すぎるんだよ。俺も含めてだけど。
でもまぁ、知らなくてもいいんじゃないか?どうせカイルが教えるんだろう?」
「……。」
それは確かに俺が教えるつもりでいるけど。
陛下から教えるように言われたのは俺だけじゃなく、クリスもなんだが。
閨を共にしないと断言していたが、閨教育にも関わる気がないのか。
「いいんだよ、姫さんにはカイルがいればそれで。」
「一年後にはお前も王配になるのにか?」
「そうだなぁ。姫さんと一緒に寝るつもりではいるけど。
…って、ほら。怒るなよ。」
「…怒ってないよ。」
無意識に殺気を飛ばしそうになっていた。
…俺だけのソフィアじゃない。
そう言い聞かせてきたけれど、三人目の王配がダグラスに決まって、
閨を共にするのが俺だけだとわかって…自制が効かなくなっている。
「表向きは三人とも王配で夫である必要がある。
ダグラスはともかく、俺が一緒に寝ないわけにはいかないだろう。
そんなことしてたら、すぐにばれてしまうぞ。」
「…わかってるよ。」
「だったら、くだらない嫉妬はするな。」
「……。」
くだらない嫉妬。わかっているよ。
クリスに嫉妬しても仕方ないことだって、頭では理解している。
黙っていたら、クリスが長いため息をついた。
「一度しか説明しないからよく聞けよ?ダグラスに言う気はない。
…俺は精通していない。男性として成長しなかったんだ。」
「は?」
「ついでにいうと、性的な感情も知らない。
姫さんのことは愛しているが、お前とは違う。
自分の分身のように大事に思っている。」
「…それって…どういうことだ?」
「だから言っただろう。俺は閨を共にしないと。
姫さんには王配になってほしいと言われたときに説明している。
それでも一緒にこの国を守ってほしいと言われ、王配候補になった。」
あまりのことに言葉がでない。
これだけ一緒にいたのに、気が付きもしなかった。
俺がソフィアへの想いを抱え、うじうじと悩んでいる間、
クリスがこんな重大なことを隠し続けていたとは思いもしなかった。
「…悪い。」
「何に謝ってるんだ?」
「…いや、いろんなことに。
多分、俺のせいでイラつくこと多かっただろう。」
「それはな、確かに。」
故意じゃなくても傷つけるようなことを言ってしまっていただろう。
知らなかったからとはいえ、俺のせいであることには違いない。
「まぁ、そんなことはどうでもいい。
いま、この説明をしたのは理由がある。
俺はもう少ししたらレンキン医師の代わりに姫さんの医師になる。」
「え?」
「姫さんの身体を見てさわることがあるだろう。あくまでも診察としてだが。
そのたびに嫉妬されるとめんどくさいんだ。
俺にとって姫さんは服を着ていようが裸だろうが関係ない。
欲情することが無いんだ。それをわかっていてほしい。」
「本当にレンキン医師の代わりに医師に?」
「レンキン医師も高齢だからな。いつ引退してもおかしくない。
その時に姫さんに知らない医師を近づけたくないと思って、
ちょっと前からレンキン医師に弟子入りしていた。」
「あぁ、レンキン医師のところに行ってたのってそういうことだったのか。
たしかに他の男が近づくのは許せないな。
クリスが診れるのならそれが一番いいだろう。」
「姫さんと一緒に寝るのもそれと似たようなものだと思ってくれ。
毎日お前と寝てたんじゃ姫さんの体力がもたないだろう?
日中はずっと仕事しているんだからな。
俺と寝る日は休養日だと思えばいい。」
「う…。」
「歯止めがきかなそうで怖いんだろ。
安心しろ。俺が医師として止めてやる。」
「わかった…頼む。」
安心していいのはわかったが、にやついているクリスに腹が立つ。
もう寝室に行って寝るかと思って歩き出したら、背後から小さな声がした。
「…良かったな。お前だけの姫さんを手に入れられる。」
振り返ったが、クリスはこちらを見ていなかった。
「…ありがとう。」
俺の声は思ったよりも小さくてかすれていたけれど、
聞こえていたようでうなずいたのが見えた。




