116
「どこに逃げても無理よ。必ず見つかると思ったほうがいいわ。
その時、あなたの力で子どもを守り切れると思う?」
「…無理です。」
エマは伯爵家の籍を抜くつもりだと言っていた。
平民になってしまえば、なおさら立場は弱くなる。
侯爵家が本気でエマと子どもをどうにかしようと思ったら逃げるのは不可能だ。
生家の伯爵家では、平民となった娘と孫を守り切る力はない。
だからこそ、この提案だった。
私の専属侍女になれば、私の後見下に入ることになる。
女官と違い、専属侍女は王太子の信用がなければ就くことができない。
専属侍女になれたということは、それなりの地位になる。
「そうよね。だけど、私の専属侍女だとしたら。
専属侍女とその家族は私の保護下に入ることになる。
王太子の専属侍女に手を出せる貴族家はないわ。
侯爵家の家令が侯爵家の未来のためだとしても、
専属侍女の家族を殺して王太子に敵対するようなことはしない。」
「だから…専属侍女に、と?」
「ええ、そうよ。あぁ、名前だけじゃないわ。
本当に専属侍女になってほしいのよ。
エマ、いいえ。エメリーヌ・ピエルネ。
ここに来る前にあなたのことは調べてあるの。
学園での成績も見たわ。三年間A教室にいて、授業態度も人柄も問題なし。
そのまま女官の試験を受けていたら合格していたでしょう。」
「あ、ありがとうございます。」
本名、エメリーヌ・ピエルネ。
ダグラスが女性と一緒にいるという報告を受けた時、
エメリーヌのことも一緒に報告がされていた。
侯爵家で侍女として働くときにエマという名に変えていたが、
これは侍女の名が長いと呼びにくいためであり、よくあることだ。
エマの学園時代の成績も問題なく、
しかも侯爵家で侍女として働いていた実績もある。
三代前に王女が降嫁しているテイラー侯爵家の作法は王宮内でも通用する。
テイラー家で侍女をしていたということは、基本的なことは身についているはず。
それでも足りないところはあるだろうけど。
「エマは専属侍女になるための指導を受けに、
クレメント侯爵家に預けます。」
「あのクレメント侯爵家にですか?」
「ええ、そうよ。
私の専属侍女たちは必ずそこで指導を受けてから採用されているの。」
リサとユナの生家でもあるクレメント侯爵家。ルリの伯父の家でもある。
ルリも私の侍女見習いになる前、
十二歳から学園の入学まではクレメント侯爵家で指導を受けていた。
エマを王太子の専属侍女にするためには、
一度クレメント侯爵家でしっかりと指導を受けてもらう必要がある。
だけど基本ができているエマなら、それほど長い期間ではないと思う。
実際に指導を受けるのは一年くらいなものだろう。
「クレメント侯爵家で、そうね。三年くらいはかかるかしら。
その間に子どもを産んで、その子を人に預けられるくらいにはなるでしょう?
そうしたら私の専属侍女として王宮で働いてくれる?
あなたと子どもの安全は守ってあげられるわ。」
「…よろしいのでしょうか…。
こんな、こんなにも良くしていただけるなんて…。」
泣き崩れたエマをダグラスが両腕で支える。
子どもの安全が守られると聞いて、緊張の糸が切れたのかもしれない。
さっきまではどこに逃げても無駄だと感じていただろうから。
「ありがとう…ソフィア様。良かった…これでエマも子どもも守られる。
エマ…待っていてくれ。
俺は何年かかってても、両親にエマのことを認めさせる。
俺にはエマが必要だ。お腹の子どもと三人で生きたいんだ。」
「ダグラス様…ですが…。」
「頼む。俺を信じてくれ。」
ダグラスは本気でそう思っているんだろう。
だが、そんなに簡単な話ではない。
私の専属侍女としてエマと子どもを守るという話と、
侯爵家の妻と子として迎え入れるという話は全く意味が違うのだから。
このままでは何年かかったとしても侯爵家に受け入れられることはない。
それがわかっているからか、エマはダグラスの求婚を喜べず、
困ったような顔をして私を見る。
…ダグラスをあきらめさせて連れて帰ってほしいと思っているのかな。
侯爵家に連れ戻して欲しいって言ってたしね。
エマ自身のことはもう大丈夫だから、私たちのことは忘れて…とか言いたそう。
「ねぇ、ダグラス。本気でそうなると思っている?」




