114
「ダグラスを連れて帰ったとして、エマはどうするの?
一緒にテイラー家に帰れるの?」
「いいえ…帰ればこの子の命が危ないでしょう。」
「じゃあ、どうするの?」
「うちに帰ります。ピエルネ伯爵家に。
その後は貴族籍から抜いてもらい、領地の教会にお世話になろうと思います。
結婚した時の支度金も、侍女の給金もすべて家に渡してあります。
領地の教会で面倒を見るくらいはしてもらえると思います。」
「…教会で面倒を見てもらうって、子どもはどうする気なの?」
「子どもを身ごもって教会にお世話になる女性は多いです。
そのまま子どもが十二歳になるまでは一緒に住むことが許されています。
…貧乏生活には慣れていますから、なんとかなります。」
にっこり笑ってそういうエマは、もう覚悟を決めているのだと思った。
子どもを侯爵家の跡継ぎにはせず、母子二人だけで生きていこうと。
この国の教会や孤児院は手厚く保護されている。
子どもが十二歳になるまでは教会で生活できると思うし、
侍女として働いた経験のあるエマならその後の働き口を探すのも難しくないだろう。
たしかに、それが一番平和な解決なのかもしれない。
エマが侯爵家に残るとしたら、戦うのはエマ自身なのだから。
「…わかった。ダグラスは家に戻すわ。」
「ありがとうございます!」
ほっとしたように息をはいたエマに、しっかりと目を合わす。
「ねぇ、最後に一つだけ聞かせてくれない?
ダグラスには言わないから。
…閨の相手に選ばれて嫌じゃなかった?
こうなって…ダグラスの子を身ごもったこと、後悔していない?」
「…ダグラス様には内緒ですか?」
「ええ。私からは絶対に話さない。約束は守るわ。
だから、本当の気持ちを教えてくれない?
身分だとか、そういうの抜きで、本当のエマの気持ち。」
「…わたくしは、女官として働いて家に仕送りをするつもりでした。
弟妹達の学費が足りないことに気が付いていましたので…。
それが、ポネット家へ嫁ぐという話が突然来て、
断る理由がないからと…すぐに嫁ぐことになってしまって。
嫁ぎ先では優しくされましたが、いつまでたっても子どもができず、
三年たって追い出されるように離縁されました。
わざわざ支度金まで払って迎えた妻なのに、子ができなければ役立たずです。
夫にも手のひらを返したように冷たくされましたが、
それも仕方ないことだとあきらめていました。
期待に応えることができなかったのですから。
ただ…わたくしは自信を無くし、この先どうしていいかわからなくなりました。」
ダグラスはエマのことを優しいと話していたが、
エマからしてみたら、仕方ないとあきらめていただけのことのようだ。
「テイラー家に侍女として働くことになって、慣れない仕事も楽しかったです。
出戻りと嫌味を言われることもありましたが、
子どもができない重圧の中で暮らすことに比べたら平気です。
ダグラス様のお世話をするのもまったく苦じゃありませんでした。
屋敷の図書室には本がたくさんあって、申告すれば侍女でも貸してもらえます。
そのうちダグラス様の部屋にある本棚の本を見ていることに気が付かれて、
読みたいのなら読んでもいいよと。」
「あぁ、エマも本が好きなのね。」
本の虫とからかわれていたくらいダグラスは幼いころから本を読んでいたらしい。
その本は家の図書室だけではおさまりきらず、
ダグラスの私室の壁一面が本棚になっていると聞いた。
大量にある本のほこりを取るのも侍女の仕事だっただろう。
「…ずっと本が好きだというと、女のくせにと言われることが多かったのですが、
ダグラス様はどんな本が好きなの?と。
わたくしが本を読むことを当たり前のように接してくれたのです。」
「ダグラスからは好きな本が同じだったって聞いたわ。」
「ええ!そうです。それも一冊だけではなく、何冊も。
気が付いたら本の話をしていて時間が過ぎていました。
…閨の相手をと話が来た時、
出戻りが侍女に採用された理由はこれだったのかと思いました。
やはりわたくしではダグラス様に釣り合わない。
それでも…練習相手でも、ダグラス様のおそばにいたかったのです。」
「ダグラスのことが好きだから?」
「はい…お慕いしております。」
「ダグラスと離れるのも、ダグラスのためね?」
「…何も持たないわたくしではダグラス様にふさわしくありません。
ここにいた二週間、ただただ幸せでした。
一生分の幸せをいただきました。
ですから、もういいのです。ダグラス様をよろしくお願いいたします。」
「うん、わかった。」
パチンと結界が割れるように壊れ、光のかけらが降るように消えていく。
私とエマが話しているのが心配だったのか、ダグラスがほっとした顔になる。
さて、この後はどうやって説得しようか。




