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「え?」
振り上げた手を下ろした女官は、
殴った相手が違うのを見て、驚いたまま固まっている。
叩かれた頬が痛いのか熱いのかわからなかった。
すぐにカイルに抱き寄せられ、クリスに叱られる。
「何やってるんだ!誰が身代わりになっていいって言った!」
「ご…ごめんなさい。身体が勝手に動いて、転移してた…。」
「もう!この馬鹿!」
クリスが私の腫れた頬に手を当て、治癒の魔術をかけてくれる。
後ろから驚いたような声が響く。
「王太子様!どうしてここに!!」
「…え?王太子様?」
「…うそ。」
「そんな…王太子様を叩いたの?」
私に気が付いたクロエが叫び、それを聞いた女官三人が青ざめる。
転移した瞬間、姿を消していた術が解けていた。
顔を見たことが無くても、銀髪を見たら私だとわかるはず。
王太子を殴ったとなれば、処罰は免れない。
女官同士の争いとは意味が違ってくる。
女官だけではなく、後ろ盾の貴族家までも処罰されることになる。
「…ソフィア。気持ちはわかるが、これはダメだ。
どうしてこんな真似をしたんだ!」
「え、あの…ごめんなさい。
叩かれようと思ってたわけじゃないんだけど、
気が付いたらここにいて…ごめん、カイル…。」
本当に身代わりになるつもりなんてなかった。
女官たちを処罰するためには決定的な証拠が必要だってわかってた。
自分だってそのためにイザベラと前女官長の前に一人で立ったのだから。
だから、クロエが暴力を受けても耐えるつもりだった。
仕方ない。仕方ないことだって、頭では理解していた。
なのに、あの時怒りでいっぱいになって、気が付いたら女官の前に立っていた。
わざとじゃないけど、カイルとクリスの気持ちもわかる。
私をいつも守ろうとしてくれている二人の気持ちを蔑ろにしてしまった。
これではもう危ない場所には連れてきてもらえないかもしれない。
「…はぁ。とりあえず、治療は終わり。
姫さん、あとでゆっくり説教な。」
「…はい。」
「とりあえず、この件を何とかしてからだな。
あとでじっくり説教するから。」
「…はい。ごめんなさい。」
後から説教されるのは確定のようだ。
…仕方ない。素直に怒られよう。
クロエの件を何とかしようと思って話しかけようとしたら、
泣きそうな顔をしているのがわかった。
「…私の代わりに叩かれるなんて…
本当になんとお詫び申し上げたらよいのか…。」
「あぁ、うん。クロエが悪いわけじゃないから、いいの。」
「ですが…。」
「大丈夫。クロエが誰かに虐げられているんじゃないかって、
最初からわかっていたから。
これは勝手に飛び出した私が悪いんだ。」
「え?」
「セリーヌ以外の女官三人の報告書もクロエが代わりに書いているって、
最初から気が付いていたの。
クロエが暴力を受けているらしいことも。
だから、監視をつけていたのよ。この二週間。」
監視を付け、女官たちを見張っていたことを告げると、
三人の女官たちは倒れそうなほど顔色が悪くなる。
ここに呼び出した理由も聞かれていたと気が付いただろう。
どうするのかと思っていたら、
なぜか三人ともカイルへと駆け寄りすがりつこうとした。
「は?」
「カイル様、お願いします!助けてください!」
「わたしたち、王太子様に危害を加えるつもりなんて無かったんです!」
「普段は真面目に働いているんです!本当です!」
三人に助けを求められたカイルは驚きすぎて言葉が出ないようだ。
私も驚いてクリスを見た。クリスはあーあと呆れながらも何か知っているらしい。
「なんでカイルに助けを求めてるの!?」
「あれね、カイルは女官に優しいって噂が流れたことがあったんだ。」
「え?なんで?」
「姫さんのせいだよ。
ほら、前にエリーが絡まれてたところ助けただろう?
そん時に東宮までカイルに送り届けさせただろう?
あれでカイルは女官を助けた優しい人って噂が流れたんだ。」
「ええ?あの一件で?」
確かに女官補佐のエリーを助けた時、カイルに送らせたけど。
それだけでカイルが女官に優しいって噂になるなんて。
え?もしかして、クリスじゃなくカイルが言い寄られるのって、そのせい?
カイルもクリスも女性に優しくしているところ見たことないけど…。
「それ以上俺に近づくな。」
「「「え?」」」
「ソフィアを傷つけたものを俺が許すわけないだろう。」
「そ、そんな!」
「カイル様は優しいんじゃ…。」
「俺が優しいのはソフィアにだけだ。」
予想通り突き放されて、女官たちが崩れ落ちる。
カイルにすがっても無駄だとわかっているけど、なんとなく申し訳なくなる。
私が勝手にクロエの身代わりになっただけなんだよね…。
それで罪が重くなるのは…違う気がするなぁ。
「カイル、女官が私を叩いたのは無かったことにして?」
「何言ってんだよ。無かったことになんてできるわけないだろう。」
「だって、私が転移して出て行ったからで、
本当はクロエを叩こうとしてたんだよ?
だから、クロエに暴力をふるってたってことで捕まえて欲しい。」
「…なんでだよ。」
「だって、今まで実際に叩かれてたのはクロエだよ。
クロエを叩いたこと、嫌がらせしてたこと、
仕事を押し付けてたこと、ちゃんと償ってほしい。
私を叩いた罪で捕まえたら、それがうやむやになっちゃう。
ちゃんとクロエにしたことで償ってほしい。」
クロエがつらい目に遭っていたのに、私を一度叩いたことのほうが罪が重い。
そういうものなのはわかるけど、納得したくない。
本気で私が言っているのがわかったのか、カイルがため息をついた。
「……それと、説教は別だからな。わかったよ。
クリスもそれでいいか?」
「…仕方ないね。俺たちがちゃんと姫さんをつかまえてなかったのも悪い。
姫さんが我慢できずに飛び出すのは予想して対応すべきだったんだ。」
「はぁぁ。そうだな。近衛騎士を呼ぼう。
おい、お前ら。ちゃんとクロエにしたことを話さないなら、
ソフィアを叩いた罪で牢にいれることになる。
そうなったらどうなるか、わかってるんだろうな?」
「「「はぃぃぃ。申し訳ありませんでしたぁ…。」」」
もう立ち上がる気力もない女官三人を近衛騎士に運ばせる。
この後は今までクロエにしたことを聞き出し、それにふさわしい処罰を与えることになる。
顔色の悪いクロエが心配だったが、
クロエから話を聞くのは明日以降になった。
…カイルとクリスに連れられ、私室に転移した後、
リサとユナからも叱られ、説教はなかなか終わらなかった。
反省はしているけれど…本当にわざとじゃなかったのにな。




